昨夜は激しい雷雨に見舞われました
久しぶりに本格的な雷雨でした
でも、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、何とか静かに過ごせました。
今朝は、元気に堀之内を西に出ます
堀之内を出てまもなく、シラサギの姿がありました
最近は、サギさん達を見かけることが多くなりました。
前回、大胡宿と河原浜の道しるべを確認しました。
実はここら辺は日光裏街道とは意識しないで、あちこち訪問してあります。
41番が大胡宿の道しるべ、47番が河原浜の道しるべです。
そして、43番が伝・大胡太郎の墓石、44番が江戸初期養林寺の山門です。
違うカテゴリーの記事ですけど、日光裏街道総集編にも入れておきたいと思います
上野国山上に住んでいた行仙上人の編集したという『念仏往生伝』に、大胡小四郎秀村があります。
大胡太郎の墓石と言われるものが、長善寺にあります。
大胡小四郎秀村は、大胡太郎の子孫と書かれています。
大胡小四郎秀村のご先祖様の墓石ということになりそうです。
これは、是非確認しなくては
長善寺の北側に駐車場がありました。
墓地を抜けて歩くと、まもなく見つかりました
大きいですね
む、おじさん邪魔
でも、大胡太郎の墓石といわれるものは、おじさんとたけくらべです。
斜め後ろからも、やわらかい曲線美です
説明板を確認しましょう。
塔身の中央に梵字が2つ刻まれている。向かって右が阿弥陀如来、左に地蔵菩薩の種子があり、その左側から「貞和三年三月廿二日」と銘文が刻まれている。
貞和三年(1347)は、南北朝時代です。
もう鎌倉時代は終わってます。
大胡太郎の墓石としては、時代がちょっとあわないようです。
別の資料によれば、長善寺は「大胡太郎が開基。中世赤城南麓の滝窪町白草の地に創建された。弘治・永禄の頃(1555~1569)現在地に移されたという」とあります。
赤城南麓の国道353号線の辺りでしょうか?
少し離れています。
説明板だと、その移転の時に運んだとあります。
でも、こんなに大きく重いものを運ぶのは大変です。
移転の時期は戦国時代まっただ中。
移転してきたのはお寺だけで、もともとここにあったと考える方が自然な気がします
大胡小四郎秀村は、正元元年(1259)年に42歳で往生しています。
彼は、大胡太郎の子孫と書かれてあります。
中世大胡で活躍した大胡氏の墓石であるようですけど、大胡太郎の墓石というにはちょっとどうかな?
でも、どっしりとした優しいラインの石造物で、大胡太郎の墓石という言葉が似合います
さて、山門から入りなおして、参拝です
どっしりシンプルな門です。
本堂もシンプルな感じです。
右側に、鐘楼堂があります。
かわいいお地蔵さまたちです。
どこかで、会ったことがあるような気もしますけど
左手の水子地蔵の隣も気になります。
凝灰岩石仏ですね
線香立て付きの石殿です。
どこかで会ったことがある羅漢さんもいます。
本堂の左に、観音堂です。
向拝の柱に龍のおじさんがいます。
おじさんという感じです。
現代的な龍です
十一面観音はこちらかな?
こんにちは
合掌
本堂をちょっと覗いたあと、庫裏に寄って御朱印をいただきます。
ありがとうございます
本堂前の手水舎、凝ってます
カエルがいっぱいいます。
無事カエル
これから、大胡氏館跡といわれる養林寺を尋ねます
初出『念仏往生伝』大胡小四郎秀村の記憶を尋ねて・大胡太郎の墓石
(2020/11/18 カテゴリー 群馬県・旧勢多郡)
2023/09/06 改稿