ひめちゃんとタバサねーちゃんは、久しぶりに、シャンプーやさんに行ってきました
ひめちゃんも、最近は、シャンプーやさんのお迎えの車に乗っていけるようになりました
以前は、ひめちゃんだけは、おかあさんが送迎していたのです。
日光裏街道の高泉村探訪の頃(2021年1月)、ひめちゃんは獅子丸と東の牧場まで足を伸ばしてました。
そこには、ヤギさん家族がいたのです。
ヤギさん家族のアーカイブです
その後、「食べ物をあげないで」という掲示が出ました
ヤギさん家族は、どんどん減っていなくなってしまいました
「日光への脇往還」(街道を歩くシリーズ15 群馬県教育委員会)の地図、桐生市新里町高泉(たかいずみ)付近です。
本日は、日光裏街道・高泉村の文化財等の84番・85番・86番の確認です
86が日光裏街道の休み場とあります。
ここには、以前に行った記憶があります。
でも、石造物があったというだけでした。
日光裏街道の休み場という目で見れば、また違った風景になるでしょう
2021年の1月、タバサねーちゃんも一緒に探訪です
県道333号線(日光裏街道)板橋の信号をを過ぎて、ちょっと寂しい山道を過ぎると、集落が開けます。
まもなく、ありました
目立つお地蔵様です
イノシシの捕獲用の檻も見えます。
かつては、日光裏街道の休憩所だったはずですけど、今はそういう場所なのです
奥は青面金剛です。
邪鬼を踏みつけています。
ちょっと誰かに似ているような?
モデルが近くにいたかな?
優しそうな書面金剛です
青面金剛の下方には馬頭観音です。
せっかちおじさんは、タバサちゃんと、もう南の方を探索です。
どこからか、1人でお散歩している子がやって来ました
タバちゃんが、大分興味を持っています
雄犬かな?
高齢犬らしく、静かに去って行きました
手前の2基には百番の文字が見えます
百番供養塔ですね。
自分が百ヶ所の霊場巡りをした功徳を、みんなにも分けようとした人がいたのです
その上方には、灯籠と如意輪観音(?)です。
灯籠には、「寛政七年 高泉村」の文字が読み取れます。
先の地図では、如意輪観音としていますけど、かなり個性的です。
宝冠の上に化仏がある如意輪観音ってあったっけ?
二十二夜とも二十三夜とも確認できません。
ここらへんは、とにかくひっつき草との戦いです
タバちゃんは、比較的上手に避けています
この上は、ちょっと大変
多分あの左上の石祠が、地図によると文政8年の石祠でしょう。
最近はほとんど手入れがなされていないようです
ひっつき草の猛攻撃に、おじさん退却です
タバサちゃんは、上手に避けて元気に探検できました
休み所のということで、かつては小さなお堂やら茶店やらがあったのでしょう
はす向かいに、大きな宝篋印塔があります。
地図では85番です。
この日は寄らずに帰りましたけど、12月に寄ってます
記録に残しましょう。
向こうに見えるのが日光裏街道(県道333号線)です。
萬人供養塔の文字があります。
明治33年建立の文字が読み取れます
明治33年はちょうど西暦1900年ですね。
高泉村に何かあったのかな?
先の地図には、寛政十一年大日様ともあります。
この方でしょうね
寛政十一年は確認できませんでした。
さて、交差点に戻って帰りましょう。
左折して、84番の「文化元年 庚申塔軒道しるべ」を確認して南に下ります。
地図の文化財の解説では、
高泉の庚申塔兼道しるべ、文化元年(1804)建立。台石に「右おうご まいはし」とあり、日光方面からの旅人に教えた道しるべであった。
日光方面からも、たくさんの旅人がやって来ていたのです
さっきの休み所の利用者も、たくさんいたことでしょう
この庚申塔軒道しるべは、日光方面からの旅人も多かったことの大切な記憶です
タバちゃんたちは、この交差点を南に下って帰りました
初出 2021.01.15
改稿 2023.12.08