寒い寒い朝でした
ひめちゃんとタバサねーちゃんは、天神田を歩いてきました
どの田んぼにも、真っ白な霜が降りていました。
この元記事のころ、2020年の4月、獅子丸には実家に帰ってから、初めての春でした
きょうだいのひめちゃんやタバサねーちゃんと、楽しくお散歩していました
時には、七海ママのそこらまでのちい散歩にも付き合いました。
7年間養子に行っていても、獅子丸は、ママを忘れていなかった
ママも、我が子を忘れていなかった
犬は人間が考える以上に、しっかりした記憶と感情を持っています
日光裏街道は、やがて足尾からの銅山街道に合流します。
銅山街道は、国道122号線と言われますけど、本来の銅山街道はもう少し西の山中を通っていたとか。
奥沢の東の方を通っていたそうです
この記事は、本来は番外編になりそうですけど、「奥沢・東昌寺の謎」と言うことで、日光裏街道総集編にも含めます
(2018年9月1日)
東昌寺の本寺・正円寺をめざして、国道122号線を北上します。
途中、深沢の角地蔵に寄りました。
国道に表示はなかったと思いますが、曲がるところを間違えなければ、道なりに着きます。
説明板もあります。
そうなんですか
高山彦九郎も来ていたんですね
お堂は閉まっていて、角地蔵は拝めません。
ガラス戸越に、カメラで捕らえたお姿です。
確かに顔が四角です
残念ですけど、ガラス越の参拝だけで、正円寺に向かいます。
ここは深沢城の一角だったということです。
和尚さんによると、東昌寺は正円寺の隠居寺だったとのことです
昔、銅山街道はもっと山の中を通っていて、奥沢の近くを通っていたんだそうです
奥沢は行き交う人々で賑わっていたのだそうです
明治の初めまで東昌寺に隠居して、実際に住んでいたそうです。
近年は無住で荒れ果てていたのを、5年前にこちらの和尚さんが手をいれたのだそうです。
東昌寺のご本尊は子安観音で、源義家が奥州征伐に行くとき、戦勝祈願して置いて行ったという伝承があるそうです
60年に1度、ご開帳しているそうです。
次回のご開帳は、当分先になりそうです。
境内を少し散策です。
珍しい青面金剛です
深沢城というと、やはり黒川衆の阿久沢氏です。
阿久沢氏累代の墓があります
説明板が古すぎるのが残念です
ここは、黒保根、桐生市黒保根町です。
桐生市には、合併した村々の史跡も大事にしてほしいものです
深沢城趾の方にまわります。
説明板の劣化がすごい
ここらへんから、桐生家の成仏できない戦死者の鬼火が見えたのでしょうか?
それで、正円寺28世の盈仙(えいせん)和尚が、角地蔵を建立することになったと聞きました。
角地蔵は、体に比べて顔が小さいように思えました。
角地蔵のあるところは現在みどり市で、説明板も新しくきれいになってました
正円寺の和尚さんも、「顔のサイズを間違えたのでは」との説です。
9月24日は角地蔵の縁日だそうです。
また、24日に伺います
追伸
9月24日、角地蔵の縁日に行きました
おいしいゴーヤの佃煮のレシピも教わりました。
次回「角地蔵とゴーヤの佃煮」です
(つづく)
初出 2020.04.15 角地蔵と正円寺(奥沢・東昌寺の謎2)カテゴリー旧勢多郡とその周辺・総集編
改稿 2023.12.25