黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

日光裏街道総集編38(奥沢東昌寺の謎2・角地蔵と正円寺)

2023-12-25 19:32:35 | 日光裏街道総集編

寒い寒い朝でした

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、天神田を歩いてきました

どの田んぼにも、真っ白な霜が降りていました。

 

この元記事のころ、2020年の4月、獅子丸には実家に帰ってから、初めての春でした

きょうだいのひめちゃんやタバサねーちゃんと、楽しくお散歩していました

時には、七海ママのそこらまでのちい散歩にも付き合いました。

7年間養子に行っていても、獅子丸は、ママを忘れていなかった

ママも、我が子を忘れていなかった

犬は人間が考える以上に、しっかりした記憶と感情を持っています

 

 

 

日光裏街道は、やがて足尾からの銅山街道に合流します。

銅山街道は、国道122号線と言われますけど、本来の銅山街道はもう少し西の山中を通っていたとか。

奥沢の東の方を通っていたそうです

この記事は、本来は番外編になりそうですけど、「奥沢・東昌寺の謎」と言うことで、日光裏街道総集編にも含めます

 

(2018年9月1日)

東昌寺の本寺・正円寺をめざして、国道122号線を北上します。

途中、深沢の角地蔵に寄りました。

国道に表示はなかったと思いますが、曲がるところを間違えなければ、道なりに着きます。

説明板もあります。

そうなんですか

高山彦九郎も来ていたんですね

 

お堂は閉まっていて、角地蔵は拝めません。

ガラス戸越に、カメラで捕らえたお姿です。

確かに顔が四角です

残念ですけど、ガラス越の参拝だけで、正円寺に向かいます。

 

 

ここは深沢城の一角だったということです。

 

和尚さんによると、東昌寺は正円寺の隠居寺だったとのことです

昔、銅山街道はもっと山の中を通っていて、奥沢の近くを通っていたんだそうです

奥沢は行き交う人々で賑わっていたのだそうです

明治の初めまで東昌寺に隠居して、実際に住んでいたそうです。

近年は無住で荒れ果てていたのを、5年前にこちらの和尚さんが手をいれたのだそうです。

 

東昌寺のご本尊は子安観音で、源義家が奥州征伐に行くとき、戦勝祈願して置いて行ったという伝承があるそうです

60年に1度、ご開帳しているそうです。

次回のご開帳は、当分先になりそうです。

 

 

境内を少し散策です。

珍しい青面金剛です

 

深沢城というと、やはり黒川衆の阿久沢氏です。

阿久沢氏累代の墓があります

説明板が古すぎるのが残念です

ここは、黒保根、桐生市黒保根町です。

桐生市には、合併した村々の史跡も大事にしてほしいものです

 

 

深沢城趾の方にまわります。

説明板の劣化がすごい

 

ここらへんから、桐生家の成仏できない戦死者の鬼火が見えたのでしょうか?

それで、正円寺28世の盈仙(えいせん)和尚が、角地蔵を建立することになったと聞きました。

角地蔵は、体に比べて顔が小さいように思えました。

角地蔵のあるところは現在みどり市で、説明板も新しくきれいになってました

正円寺の和尚さんも、「顔のサイズを間違えたのでは」との説です。

 

 

9月24日は角地蔵の縁日だそうです。

また、24日に伺います

 

 

追伸

9月24日、角地蔵の縁日に行きました

おいしいゴーヤの佃煮のレシピも教わりました。

次回「角地蔵とゴーヤの佃煮」です

 

(つづく)

 

 

 

初出  2020.04.15 角地蔵と正円寺(奥沢・東昌寺の謎2)カテゴリー旧勢多郡とその周辺・総集編

改稿  2023.12.25

 

コメント
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