黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

日光裏街道総集編33(関村の八幡宮)

2023-12-03 20:47:48 | 日光裏街道総集編

寒い一日でした。

もうじき、小次郎パパが16歳半で逝ってから1年、獅子丸が突然の事故で逝ってから2年になりす

元の記事に、元気な獅子くんがいます

2020年の4月の獅子くんです

この頃は、まだ、七海ママもそこらまでのちい散歩はできました

獅子くん、実家の生活を謳歌してます

 

 

 

79番龍興寺の北西方向に、神社があります。

関(せき、桐生市新里町関)の八幡宮です。

(2020年)4月5日、大間々の長沢薬師からの帰り、国道353号線に出て、前から気になっていた新里北部の関八幡宮(せきはちまんぐう)に寄りました

 

奥深い所にありそうです。

一の鳥居の額は「八幡大神」です。

 

二の鳥居です。

額は、「正一位稲荷大明神」です。

 

三の鳥居です。

邪魔なおじさんがいますけど、桜と鳥居のコラボいいですね

 

右奥に灯籠が見えます。
その奥に階段です

でも、手すりが付いているのは、ありがたい

 

手すりを伝って、やっと登りきります。

社殿の左側は狭くて、何もありません。

右側(東)から、社殿を望みます。

本殿、清浄な雰囲気です

 

石造物が集められています。

灯籠には、文化10年(1813)とあります。

奥深い所なので、神社が守られているのかなという感じがします

 

階段を降りて、灯籠の年号が眼に入ります。

寛政2年(1790)です。

 

ここは、旧新里村関です。

関には、あの瀧沢不動尊への道に丁抗を設置した龍興寺もあります

瀧沢不動尊への道の丁抗を設置したのは、天明8年(1788)です。

関には摩崖仏もあります

 

関村はどんな村だったのでしょう?

資料を整理していたら、『上野国郡村誌』勢多郡のコピーが出てきました

勢多郡関村は、江戸時代以前は、「古昔不詳」とあります。

江戸時代には領主は度々変わっています。

 

「社」として、

八幡社 村社東西十三間南北十五間三尺反別廿五歩村ノ丑ノ方ニアリ誉田別命ヲ祀ル祭日ハ八月十五日境内杉老樹アリ

ほかに、天神社と稲荷社があります。

 

そうすると、後に八幡社に天神社と稲荷社とか集められたのでしょう。

だから、鳥居が3つなのでしょう。

でもどうして、軍神である誉田別命(ほんだわけのみこと、応神天皇)を祀る八幡宮がここにあるのでしょう?

関に武将がいたという話も聞きませんし

 

「物産」として、

米麦大豆粟稗蕎麦薪炭繭糸等ナリ各種自用ノ外山田郡大間々町ニ鬻ク

とあります。

自家用の他に、大間々町にも売っていたのです

山を下りた向こうの大間々と、深い関わりを持っていたのです

 

 

初出  2020.04.22  勢多郡関村の八幡宮  カテゴリー群馬県・旧勢多郡

改稿  2023.12.03

コメント
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