黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

瀧沢不動尊への道・その3(関の摩崖仏)

2020-01-27 20:31:03 | 瀧沢不動尊への道

雪の予報が出ています。

ひめちゃんと獅子丸は、七海ママの昼散歩に付き合います。

二人とも、ハイシニアのママに合わせて歩けます

みんな上機嫌で帰ってきました

 

 

 

桐生市のHPによれば、
その大滝のふもとの堂宇は天明2年(1782)の火災で焼けてしまいました。尊盛和尚はその再建に努力し、記念として不動尊から瀧興寺までの道程に丁抗(1丁は約109メートル)を設置しました。
(尊盛和尚は)やがて瀧興寺は第13世の尊英にゆずり、自らは不動尊の別当(お守りする)になったと伝えられています。

 

不動尊から瀧興寺までの道程、最後の76本目の丁抗は、龍興寺(りゅうこうじ)の門前にありました。

76本目から逆にたどって行くと、瀧沢不動尊へたどり着けるのです

 

そして74本目の丁抗は、関の摩崖仏(せきのまがいぶつ)にあります。

帰り道です。

寄って行きましょう

 

空っ風街道から国道353号線にでて、大間々方面に下ります。

国道沿い右側に、小さいですけど「関の摩崖仏→」の表示があります。

右折してしばらく行くと、摩崖仏の前にでます。

建物は覆い屋ではなく、休憩所のようです。

 

右側に丁抗があります。

瀧沢不動尊から74丁、8066m、だいたい8kmです。

 

ここは群馬県の指定重要文化財です。

この摩崖仏は、鎌倉時代のものだとあります。

700から800年経っているのですね

瀧沢不動尊より古いのです

 

阿弥陀三尊のお姿は、あまりはっきりとは拝めません

風化が激しいです

前に不動明王がいます。

説明板にあるような、阿弥陀三尊の容貌とか衣類・持ち物はわかりません

でも、ひめちゃんたちのお散歩コースにある、高縄の摩崖仏よりは、少し保存状態がいいようです。

くりぬいた空間の中に彫られているからでしょう。

 

お不動様には文字が見えます。

元禄二年(1689)己巳(つちのとみ)七月吉日

松尾芭蕉が河合曽良と「奥の細道」の旅をした年です

お不動様330歳です

石の性質でしょうか、劣化がうちばです。

 

権大僧都龍寶?

修験者?

江戸時代には当たり前にいた人達です。

 

すぐ下には鏑木川が流れます。

河原には石造物がいくつもあります。

馬頭観音がメインですけど、弁財天もあります

 

道ばたには、巨大な道祖神があります。

道祖神には、横に弘化3年(1846)とあります。

 

鏑木川を渡って、はす向かいに、山神宮があります。

まるで、山神さまが舟に乗って鏑木川を移動するようです

鏑木川にかかる橋の名は、不動橋です

 

ここは古くからのパワースポットで、また多くの人が集い行き交う、山上世界の入り口だったのです

龍興寺はここから北東に2丁、約200mです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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