雪の予報が出ています。
ひめちゃんと獅子丸は、七海ママの昼散歩に付き合います。
二人とも、ハイシニアのママに合わせて歩けます
みんな上機嫌で帰ってきました
桐生市のHPによれば、
その大滝のふもとの堂宇は天明2年(1782)の火災で焼けてしまいました。尊盛和尚はその再建に努力し、記念として不動尊から瀧興寺までの道程に丁抗(1丁は約109メートル)を設置しました。
(尊盛和尚は)やがて瀧興寺は第13世の尊英にゆずり、自らは不動尊の別当(お守りする)になったと伝えられています。
不動尊から瀧興寺までの道程、最後の76本目の丁抗は、龍興寺(りゅうこうじ)の門前にありました。
76本目から逆にたどって行くと、瀧沢不動尊へたどり着けるのです
そして74本目の丁抗は、関の摩崖仏(せきのまがいぶつ)にあります。
帰り道です。
寄って行きましょう
空っ風街道から国道353号線にでて、大間々方面に下ります。
国道沿い右側に、小さいですけど「関の摩崖仏→」の表示があります。
右折してしばらく行くと、摩崖仏の前にでます。
建物は覆い屋ではなく、休憩所のようです。
右側に丁抗があります。
瀧沢不動尊から74丁、8066m、だいたい8kmです。
ここは群馬県の指定重要文化財です。
この摩崖仏は、鎌倉時代のものだとあります。
700から800年経っているのですね
瀧沢不動尊より古いのです
阿弥陀三尊のお姿は、あまりはっきりとは拝めません
風化が激しいです
前に不動明王がいます。
説明板にあるような、阿弥陀三尊の容貌とか衣類・持ち物はわかりません
でも、ひめちゃんたちのお散歩コースにある、高縄の摩崖仏よりは、少し保存状態がいいようです。
くりぬいた空間の中に彫られているからでしょう。
お不動様には文字が見えます。
元禄二年(1689)己巳(つちのとみ)七月吉日
松尾芭蕉が河合曽良と「奥の細道」の旅をした年です
お不動様330歳です
石の性質でしょうか、劣化がうちばです。
権大僧都龍寶?
修験者?
江戸時代には当たり前にいた人達です。
すぐ下には鏑木川が流れます。
河原には石造物がいくつもあります。
馬頭観音がメインですけど、弁財天もあります
道ばたには、巨大な道祖神があります。
道祖神には、横に弘化3年(1846)とあります。
鏑木川を渡って、はす向かいに、山神宮があります。
まるで、山神さまが舟に乗って鏑木川を移動するようです
鏑木川にかかる橋の名は、不動橋です
ここは古くからのパワースポットで、また多くの人が集い行き交う、山上世界の入り口だったのです
龍興寺はここから北東に2丁、約200mです
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