黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

お久しぶりの岩穴観音

2021-12-26 19:24:53 | 小平川紀行

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、東の牧場の方に行きます。

牛さん、おはよう

タバサねーちゃんも、牛さんを怖がらなくなりました

 

ヤギさんいるかな?

彼女は、お食事中です

バイバイ、また来るよ

 

今朝は、上の武井沼に廻ります。

カモさん、いつもより少ないかな?

水位がずいぶんと低いようなのと関係あるかな?

赤城山も寒そうです。

サマンサ坂を通って帰ります

 

 

 

(11月4日)県道334号線を、小平の奥に進みます。

「岩穴観音→」の表示があります

大分前ですけど、前回来た時には、なかったような気がします。

場所がわからずに、ずいぶんと先まで行ってしまいました

道路工事中で、工事の人に聞いて戻った記憶があります。

 

今回はスムーズに到着です

最初に出現する赤い建物は、舞台です。

まだステージの名残があります

 

 

山門脇に説明板があります。

向こうに見える太鼓橋、気になります

説明板、よく見えません

『大間々町誌基礎資料Ⅺ 大間々の社寺』で、岩穴観音を確認です。

狸原にあり、楠木正成の愛馬の供養のために祀ったのに始まると伝えられる。湊川で主人が戦死した後、馬卒がその愛馬を連れて落ち延びてきたが、ここまで来たところで死んでしまった。そこで馬卒は主人の愛馬を手厚く葬り、その供養のために観音様を祀ったというのである。それで、この観音様は馬にゆかりが深く、祭のときの幕には楠の紋である菊水の紋が付いているのであるという。~(中略)~岩穴観音は馬の神様として広く知られ、盛んなときには日に何百頭もの馬が飼い主に連れられて参詣に来た。遠く茨城や埼玉から大間々に一泊して参詣する者さえあった。馬に鰐口の下をくぐらせ、観音様の前を一回りさせるが、径1メートル50センチもある大きな鰐口を若い衆が叩くのに驚いて馬が大暴れしたものであるという。その鰐口も太平洋戦争のために昭和19年頃供出させられてしまい、今はその後奉納された小さなものがかかるのみである。

 

 

それでは、小さな鰐口の下をくぐります。

入り口の境内図だと、太鼓橋の向こうにも堂宇が展開していたようです

盛んな頃は、もっともっと大きな鰐口だったんですね

この下で、たくさんのドラマがあったんですね

 

 

太鼓橋の向こうが気になります

堂宇は崩れ落ちています

探索不能です

 

 

さて、きつい階段を登って、岩穴観音に参拝です。

 

 

あれ、閉ざされています

この間もそうだったかな?

だいぶ前のこと、写真も見つかりません。

隙間から失礼します。

岩穴(洞窟)の中に、石仏が見えます。

合掌

 

 

山門を見下ろします。

今回は、左の太鼓橋がよく見えます

かつては、あの向こうにも、堂宇が広がっていたのです

 

 

緩やかな脇の坂を下ります。

 

山門のすぐ近くに、馬が浮き彫りになった馬頭観音です

馬が生き生きしています

円空さん、もちろん寄って行ったでしょうね

 

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