寒い寒い朝です
ひめちゃんは1人散歩で岩神沼まで行ってきました。
沼には薄氷は張っています
凍っていない芦原の付近には、カモさん達の姿がありました
でも、足音が聞こえたのでしょうか
あっという間にみんな飛び去っていきました。
2020年7月は、沼田城や沼田榛名神社など沼田方面に行ったようです
その頃の黒柴家族です。
ひめちゃんは小次郎パパとお散歩しています
タバサねーちゃんも元気に獅子丸とお散歩しています
松嶋式部沼田行きの事、付けたり、久留川城静まる事
去る程に、松嶋式部少輔此の事を、真田弾正方へ早速に申し談ぜん為、同六日に発足して沼田にへ帰着して、先年の例を以て桐生の旗下になるべき由、理(ことわり)を尽くして申し渡しければ、
真田答えていう。去る永禄九年(丙寅、1566)に桐生城主当家にかしづきしより、この方今新田の支配たりというとも、桐生の武役は今当家に勤め来たり。去るによって、向後各々桐生の旗下というとも、なんぞ当家に別心あるべからず。
ねんごろに申されけるによって、式部は暇乞い久留川に帰り、上下喜悦の思いをなし、子孫繁栄したり。
あらすじです。
(黒川衆は人質をだして新田に和睦しました。)
松嶋式部少輔は、沼田の真田弾正へ、さっそくそのことを報告にいきました。
黒川衆は桐生の領主が由良氏になっても今まで通りに桐生の参下でいる理由を説明しました。
真田弾正は、「永禄九年に桐生城主桐生氏が真田の配下になってから、黒川衆はずーっと真田に武役を務めてきた。桐生では新田に従うといっても、真田に逆らうつもりなどあるはずがない。」と理解してくれました。
式部はお別れを言って黒川に帰りました。
黒川衆はみんな大喜びで子孫は繁栄したということです。
こんなことは、ありえないでしょう
黒川衆は、由良と真田、両方に従っていて、真田が理解を示すなんて
それに、真田氏の沼田攻略は、天正8年(1580)です
今は天正6年(1578)10月6日です
つい先頃まで、黒川衆は上杉謙信後押しのある里見兄弟を支援していたのです。
どうも作者は、武田びいき、真田びいきのところがあります
なんとかつながろうとして、支離滅裂になっている感あります
松嶋さんも何人もでてきて、混乱しそうです
沼田へのルートは、黒川鄕(旧勢多郡黒保根村)からだと、赤城山の北を巡る県道62号線(沼田大間々線)でしょう。
深沢城の少し先、下田沢で国道122号線に別れを告げて左折すると一本道のようです。
かつて途中まで行きましたけど、不安になって引き返しました
2020年7月、赤城山の南から西を行く、国道353号線&国道17号線メインのルートで沼田城に初登城しました
天空の城・沼田城跡
初稿 2020.03.08 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」
改稿 2024.12.28
( 松嶋式部沼田行きの事、付けたり、久留川城静まる事 終 )
追伸
これから小俣合戦のことで、また膳さんが登場します
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