黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

白柴タバサちゃんの小平・長尾根から川内への漫遊記

2022-03-26 15:35:56 | 山田川紀行

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を北に出ます。

ガラス破片に気を付けながら、葛塚城の堀切跡を歩きます。

でも、マンボー解除、またミニカーのサーキット場には車が来ています

明日からは、また足を怪我しないように、別の道を歩きましょう

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、岩神沼に目指します。

アオサギさん、いるかな?

 

残念、今朝はいませんでした。

 

高縄の摩崖仏・裏を通って帰ります。

桜の芽が膨らんでます

 

 

 

今日は、小平の成満院に用事があります。

タバサねーちゃんも、一緒にお出掛けです。

 

まず、アレスくんに「こんにちは

あれ、タバちゃん、そっぽを向いてます

タバちゃんが用心して、仲良く出来ませんでした

エリザベスカラーをしたアレスくんは、タバちゃんには、未確認の生物に見えたようです。

バイバイ、またね

 

 

さて成満院で用事を済ませて、元・福岡中央小の信号を左折、山道を進みます。

川内5丁目に出るはずですけど、心細くカーブの多い道を進みます。

 

あれ、石造物がある

長尾根公民館です。

ちょっと寄って行きましょう。

 

大きな大きな石造物もあります

庚申塔や青面金剛、馬頭観音等です。

あれ、僧形の墓標もあります

お寺があったかな?

 

後ろからも失礼します。

みなさん、ちょっと寂しそう

 

『大間々町誌基礎資料Ⅺ 大間々の社寺 平成9』によれば、ここは薬師堂でした。

薬師堂 公民館のところにあった。

昭和十年頃には茅葺屋根のお堂が残っていた。当時、梅田にいたヨセアンという小脇に枝をいっぱい抱えた乞食が長尾根によく来ては、水を運んでいくばくかの金銭を得ていたが、そういう人たちが薬師堂に寝泊まりしていた。薬師堂の裏は墓地であったが、大正時代にはほとんどが整理されてしまい、現在では一基残るのみである。戸数が減ったために、維持するのが困難になったので整理されたという。

厄除けの仏様として信仰を集めていたが、お堂が荒れてしまったため、本尊は桐生市須永町の雲祥寺へ預けられている。

 

 

バス停があります。

 

バス停の後ろには、句碑です。

稲架組みて 赤城の風を 誘い出す

刈り取った稲を束ねて、竹竿に干す、秋の情景です。

 

あれ、タバちゃん、ショックです。

タバちゃんのリードには、お持ち帰り用のビニール袋がついてます。

持ち帰らない子がいっぱいいるのかな?

 

タバサねーちゃん、クンクン情報収集です。

やっぱり、結構来てるのかな?

 

 

道の向こう側に、直売所が見えます。

行ってみましょう。

直売所には、雪割草しかありません。

雪割草1ポット手に取り、代金100円を入れます。

 

 

長尾根公民館に別れを告げて、ひたすらカーブの道を進みます。

 

 

道なりに下ると、八幡宮(桐生市川内町5丁目)の脇に出ました

あれ、桜が咲いてます

先日訪問したばかりですけど、寄って行きます

 

まず、鳥居の前のバス停・時刻表を確認です。

現役で運行されているのですね

新里にもバス路線を残して欲しかったですね

 

鳥居の側に2本の桜があって、開花しています。

タバサねーちゃん、階段を元気に登ります。

やはり、桜の開花はうれしいものです

川内から山を越えると、(みどり市)大間々町長尾根・小平そして高津戸です

 

 

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