黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

討ち死にせよとの装束なり(桐生家中談判露見の事・その3)

2024-09-13 15:11:16 | 桐生老談記の世界

ひめちゃんは、ワガママ全開中です

「雨が降りそうでふよ、中に入れないとアタチ挟まってまふ」しちゃうでふよ

お天気が怪しくなると大騒ぎ

雨雲レーダーは、夕方から雨だと言うけれど、もう騒いでます

酷暑でも、夜は室内犬してます。

暑がりタバサねーちゃんは、よい子で外のサークルで過ごしてます。

 

5年前の9月、ひめちゃんは獅子丸と堀之内を北に出て、蕨沢川の源流の童沢貯水池にまで行ってました。

途中には大きな牛舎がありました。

 

獅子丸はタバサねーちゃんとも仲良しでした。

2人には、ぬいぐるみを解体新書しないという共通点がありました

このころのひめちゃんは、解体新書の名人でした

最近は、ひめちゃんも年をとりました。

七海ママの形見・キリンのぬいぐるみ枕は、ひめちゃんのハウスで生きながらえています

 

 

 



桐生家中談判露見の事・その3(討ち死にせよとの装束なり)

本城には津布久刑部、前原与四郎、同左衛門、岩水喜太郎、垣上兼松、小曽根仙左衛門、同清五郎、遠藤半左衛門、根本源六、片山小兵衛、村山弥九郎を城に残し置きける。

夫よりも山越は今日を最後の合戦、こころの儘に(ままに)せよと上意にて、其の日の出で立ちには、白糸落とし(おどし)の鎧(よろい)着し、白星の兜を頂き、二十四刺したる白羽の矢負い、籐巻(とうまき)の弓を落ち白栗毛の馬に白地の鞍置いて乗りたり。

是は皆親綱より最後の出で立ちなりとて、是を下され、討ち死にせよとの装束なり。

岩下玄蕃、広瀬一甫、木村縫蔵殿いずれもおとらぬ出で立ちなり。

五六十騎を随え、町屋口をかため、敵おそしと待ち懸けたり。

此の如く手合わせして、軍慮はあっぱれ、いさましけれども、みな敵の心になりければ、さながら蔵の内に盗人を込めたるに似て、諸人おかしくおもわれけり。



あらすじです。

柄杓山城には、津布久刑部、前原与四郎、同左衛門、岩水喜太郎、垣上兼松、小曽根仙左衛門、同清五郎、遠藤半左衛門、根本源六、片山小兵衛、村山弥九郎を残しました。


山越は「今日を最後の合戦として、こころの儘に(ままに)せよ。」という親綱の指示で、、その日の装束は、白糸落とし(おどし)の鎧(よろい)に、白星の兜を頂き、二十四本刺した白羽の矢負い、籐巻(とうまき)の弓を持ち白栗毛の馬に白地の鞍置いて乗りました。
これは、みんな親綱から最後の装束だと下されたもので、討ち死にせよという装束でした
岩下玄蕃、広瀬一甫、木村縫蔵殿は、いずれもおとらぬ装束でした
そして五六十騎を随え、町屋口をかためて、敵が来るのが遅いなあと待ち続けました。
このように勇ましく、戦の手配がなされましたけど、実はみんな由良氏と気脈を通じていましたので、蔵の中に盗人を閉じ込めるようなもので、人々は滑稽に思ったのでした。

 



謀反が露見して、30名以上血祭りに上げました。
当然、勝つつもりのはずですけど、最初からもうダメと決めてかかっているような感じです
山越さん、白ずくめの衣装です
死装束ですね
桐生城主親綱が山越さんに与えたとありますけど、「勝って来い」でなく、「討ち死にせよ。」だったとは

日本の本来の喪服は白だったそうで
明治になって欧米に合せて黒になったそうです。
白は死にゆく色であり、そして再生の色です

水を必要としている新田(由良)に意地悪をして、渡良瀬川の水を流さないようにしたのは桐生側です。
新田の反撃は当然予想されるはずで、もう落城の雰囲気とは

渡良瀬川の水は、今も新田側に引かれています。
水争いの場所かどうかわかりませんけど、いずれにせよ近くだと思いますけど、新田堀取水口があります。



国道50号線をくぐって、渡良瀬川から流れ込んでます。
桐生市広沢町の南の方です。
少し南は太田市です。
金山城もさほど遠くはありません

 

 

 

初稿  2019.08.25  FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」

改稿  2024.09.13

 

(桐生家中談判露見の事・終)

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