黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

日光裏街道総集編19(大胡宿と河原浜の道しるべ)

2023-09-02 22:35:00 | 日光裏街道総集編

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、朝は一緒にお散歩です。

夕方、ハイシニアのタバサねーちゃんは近くをお散歩して、晩ご飯の後もう一回そこらまでのちい散歩です。

ひめちゃんは、南に下って中学校の信号まで行ってきます。

時には、もっと先の小学校近くまで行く事もあります。

 

一昨年の今頃は、タバちゃんも、ひめちゃんと獅子丸と一緒に元気いっぱいにお散歩していました

「きょうだい」って、いいね

 

 

 

今回は、日光裏街道を知るきっかけになった出合いです

初回にも書いてありますけど、大胡の部分だけ抜粋です

大胡宿と河原浜の道しるべを確認して北に進みます。

 

 

大胡町の町中に、目立つ道しるべがあります

先日、ちょっと駐車して確認しました。

「南 五料 伊勢崎」

「東 文化六己巳年六月 世話人 奥泉文平 江原忠兵衛」

え、五料って、あの日光例幣使街道の五料宿ですか

確かに距離はあるけど、南にありそうです。

 

「西 前橋 米野」

 

ちょっと見にくいですけど、「北 日光 大間々」です

どうして日光の表示があるのだろう

 

 

大胡町の文化財を検索すると、この道しるべがあります。

日光例幣使街道の脇道は、日光裏街道あるいは日光脇往還と呼ばれていました。その1つ、五料(現玉村町)から駒形、茂木を経て、大胡宿に入り、大前田、馬場、室沢、板橋(現桐生市新里町)を過ぎて神梅(みどり市)で足尾銅山街道に合流する街道は、平坦な本街道に比べて、道幅も狭く険しいながら、近道として利用されました。この道造に道しるべがあり、当寺の往来をうかがわせます。

日光裏街道の道しるべですか

新里の板橋も、日光裏街道が通っていたんですね

 

 

もう一箇所、「河原浜の道しるべ」があがってます。

「右桐生・大間々、左日光」と堂々たる文字が刻まれた幅34cm、奥行き18cm、高さ64cmの方柱の道しるべです。造立年月日、造立人などは記されていません。元は河原浜(旧向町)丁字路にありましたが、現在は向町会館に移設されています。

 

これは確認しなければなりません

 

昨日、用足しがてら、道しるべの確認と日光裏街道を辿って帰宅しました

 

信号待ちの車の中からの撮影です。

ちょっとぼけていますけど、ご容赦

向町の信号です。

最近はめったに通りませんけれど、昔はよく通りました。

右折します。

 

まもなく、右手に向町会館があります。

バス停は、向町公民館です。

狭いけれど、ちょっと駐車です。

ありました

確かに堂々たる文字で「左日光 右桐生大間々」と刻まれています

あの信号の角にあったのですね。

左日光は、だいたい県道333のようです

こちらから帰ってみましょう

 

 

最近、河原浜の道しるべを再訪しました。

お地蔵様のオガケが、真新しくなっていました。

菅笠(すげがさ)かぶって、お地蔵様も日光裏街道の雰囲気です

道しるべも健在でした

 

(2020.11.26投稿「南五料の謎」より抜粋、加筆)

コメント
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