暮れ時になると考える。
今日は何をなしたのかと。
別に人様に言えるほどのことはやっていない。
大抵、無為に過ごしている。
人に使われ、組織に属していた時はこんなことは考えなかった。
考える余裕がなかったというほうが正しい。
時間と山のような仕事に追いまくられ、成果として一日、何をやり終えたかなど考える暇がなかった。
もちろんクォータだのヒストグラムは毎日意識して、憂鬱な気分になっていた。
しかしだからと言ってそれを達成したとしても、どうしてもやったという実感がわかないのである。
晴れて自由の身となった今は、同じく虚無感と徒労感にさいなまれている。
想えば無為徒食の人生だったとつくづく思う。
花菜漬け飯に熱き茶かけ注ぎ 素閑
花菜漬け雨の小僧が土間の口 素閑
醒めた酒花菜の漬けもの齧りたり 素閑
花菜漬け野の鳥たちもささやけり 素閑
花菜漬けくさむら低く鳥飛べり 素閑
嵯峨の宿茶飯に豆腐花菜漬け 素閑
花菜漬け遊山を帰りせせらぎや 素閑
一平も京子もそろひ花菜漬け 素閑
妻よそう飯につけられ花菜漬け 素閑
花菜漬け師の世を去りてはや三年 素閑
花菜漬け会うも別れもけふのこと 素閑
花菜漬け八つに読みし物語 素閑
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