川口慧海という僧が明治時代にいた。
当時の仏教界は真の仏教信仰は廃れ、その原因は、原典の仏典が日本にないことが原因だと彼は考えた。
そこで、原典のあるチベットへ旅行することを彼は考えた。
しかし当時のチベットは鎖国中で、外国人が潜入したと明らかになると処刑される有様だった。
慧海はインドで一年間パーリ語を学び、チベット旅行を試みた。
しかし、一回目は日本人であることが判明し、命からがらインドへ戻った。
それでも倦まず、この豪胆な僧は二回目の挑戦に挑んだ。
ヒマラヤを超える路は今のように整備されておらず、寒冷激烈、歩行困難を極めた。
ダウラギリを望み慧海は二度目にチベットへの到着を果たし、念願の仏典を持参して帰国した。
このような冒険は、今日の安易なエベレスト登山など足下にも及ばないような大偉業と言える。
黴生ひぬ心は折れて昼の酒 素閑
ものぐさや徳利の底の黒き黴 素閑
旅尽きて黴の畳の我が家かな 素閑
青黴や納戸の奥の古き軸 素閑
生活苦黴に埋もれて思案顔 素閑
雲低く座敷に寝そべり黴の中 素閑
大禅師黴の供する大往生 素閑
小所帯に黴の麺麭とりむしり食ふ 素閑
黴の香の仏間に枯れし老女かな 素閑
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