次に向かったのは浅草寺!何度も行っているが、御朱印をいただくのに長蛇の列なのでもらっていなかった。
浅草寺は実はきちんと拝観すると奥が深いのだ。
その歴史は飛鳥時代・推古天皇の時代までさかのぼります、西暦628年に宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていた兄弟の網に仏像がかかって、漁師兄弟の主人である土師中知(はじのなかとも)がこの像を拝して出家したことから、浅草寺が始まったとされています。
その後浅草寺は、源頼朝や足利尊氏、徳川幕府の祈祷所として繁栄してきました。
五重塔
本堂の西南に位置する五重塔は、なかなか存在感のある塔です。945年に平公雅によって建立され、その後焼失と再建を繰り返して現在に至ります。五重塔は、お釈迦様の遺骨を納める墓所であり、仏教寺院に多い仏教建築で仏舎利塔とも呼ばれています。インドはドーム形ですが、大陸を渡たり中国でこのような形になったことから、日本でも現在のような五重塔となっています。
外国人が8割だな
浅草寺には2種類の御朱印があり、受付の際に希望を聞かれます。ここでの希望とは、「どの御朱印にするか?」です。自分が選んだのは、ご本尊・聖観世音菩薩と書かれたものです。もう一つは大黒天と書かれたものもありました。
またこの御朱印は、「坂東三十三観音霊場」「江戸三十三観音霊場」各巡礼の御朱印でもあります。
帰りに電気ブランを購入したく神谷バーに向かいました。重いお土産を購入して、水上バスで、日の出桟橋へ向かい、モノレールで羽田へと向かいました。
浅草寺は実はきちんと拝観すると奥が深いのだ。
その歴史は飛鳥時代・推古天皇の時代までさかのぼります、西暦628年に宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていた兄弟の網に仏像がかかって、漁師兄弟の主人である土師中知(はじのなかとも)がこの像を拝して出家したことから、浅草寺が始まったとされています。
その後浅草寺は、源頼朝や足利尊氏、徳川幕府の祈祷所として繁栄してきました。
五重塔
本堂の西南に位置する五重塔は、なかなか存在感のある塔です。945年に平公雅によって建立され、その後焼失と再建を繰り返して現在に至ります。五重塔は、お釈迦様の遺骨を納める墓所であり、仏教寺院に多い仏教建築で仏舎利塔とも呼ばれています。インドはドーム形ですが、大陸を渡たり中国でこのような形になったことから、日本でも現在のような五重塔となっています。
外国人が8割だな
浅草寺には2種類の御朱印があり、受付の際に希望を聞かれます。ここでの希望とは、「どの御朱印にするか?」です。自分が選んだのは、ご本尊・聖観世音菩薩と書かれたものです。もう一つは大黒天と書かれたものもありました。
またこの御朱印は、「坂東三十三観音霊場」「江戸三十三観音霊場」各巡礼の御朱印でもあります。
帰りに電気ブランを購入したく神谷バーに向かいました。重いお土産を購入して、水上バスで、日の出桟橋へ向かい、モノレールで羽田へと向かいました。