「普請」について…
「普請」の常識とは?
「普請」とは、「普」と「請」と二文字漢字の熟語。
漢字には音読みと訓読みがある。
二文字熟語の読み方には、音訓・訓音・訓訓・音音…読み方がある。
その「普請」の場合は、音音だろうと推測できた。
そこで私は「ふせい」と考えた。
ここでの私は「請の読みを「請求」の(せい)と決めつけていた。
しかし…改めて辞書を調べると、請には、(せい、しん)が書かれていた。
考えた「私には、請=しん…の知識がなかったのだろうか?」と問い。
そこで「新漢和辞典(大修堂)[三訂版]」を調べたから
「請」を(しん)と読む二字熟語が見つからない。
この辞書の優れている所では、
意味は書かれていないが、最後に「〇請」の二字熟語がいくつか書かれている。
その中にも、(しん)読みは載っていなかった。
「請」は、清(せい)、精(せい)、青(せい)…から(せい)は納得できるが…
「請」の(しん)読みは納得し難かった…
そこで横にいる家内に尋ねたら、
「それはセットで(ふしん)」と読ませる!」と言われた。
これは、「普請は(ふしん)」と決められているモノ。
それは、慣習として決められているモノ。
しかし、多くの場合が「請(せい)」読みであるのに対して
「普請」の二字に関しては(請しん)と読ませるという特殊なモノであった。
だから、家内の言葉「常識!」であった。
私が、この言葉を小学校にいてある辞書で調べた時に、
「ふるい言葉」と書かれていた事から考えると「普請は過去の言い方」であり、
現代では「普通の社会人なら、誰でも持っている筈の知識…」常識ではなかった。
その証が、現役小学校教員10人に「普請」の読みと意味を聞いた結果である。
「言葉の読み方は決まっている」という考え方は常識である。
家内が常識と言うには、普請は(ふしん)を知っているからである。
その理由は以下である。
家内は日本の歴史が好きで歴史について多くの事を詳しく知っている。
そういう意味で、家内にとっては「常識」である。
しかし、そのような事を知らない私や現代人にとっては、
「普請」の読みは決まっているという考え方の(常識)はあっても、
実際の「普請」読み方や意味(過去の常識)を知らなかった。
また「普請」が古い表現だとも、過去の普通の社会人の常識だったとも知らなかった。
今私は知った!
「普請」の読み方に意味を…
そして「常識とは何か」を…
これも家内ともやり取り・口論レベル事があり、
その結果に納得出来ずに、
現実社会で、書物の世界で、ネットの世界で…
調べまくり、考えまくり、書きまくり…その結果である。
仮に私が誰かさんのように~
常識とは「当たり前の事…一々説明する必要のない事…」なんて
考え方をしていたら…今の私のような事は知り得なかった、のだろう。
弁証法の始まれは、
何事も「そう考えるとは限らない」と思う事…
結果がそうであっても、過程は違う、過程がそうであっても、始まりは違う。
「普請」の常識とは?
「普請」とは、「普」と「請」と二文字漢字の熟語。
漢字には音読みと訓読みがある。
二文字熟語の読み方には、音訓・訓音・訓訓・音音…読み方がある。
その「普請」の場合は、音音だろうと推測できた。
そこで私は「ふせい」と考えた。
ここでの私は「請の読みを「請求」の(せい)と決めつけていた。
しかし…改めて辞書を調べると、請には、(せい、しん)が書かれていた。
考えた「私には、請=しん…の知識がなかったのだろうか?」と問い。
そこで「新漢和辞典(大修堂)[三訂版]」を調べたから
「請」を(しん)と読む二字熟語が見つからない。
この辞書の優れている所では、
意味は書かれていないが、最後に「〇請」の二字熟語がいくつか書かれている。
その中にも、(しん)読みは載っていなかった。
「請」は、清(せい)、精(せい)、青(せい)…から(せい)は納得できるが…
「請」の(しん)読みは納得し難かった…
そこで横にいる家内に尋ねたら、
「それはセットで(ふしん)」と読ませる!」と言われた。
これは、「普請は(ふしん)」と決められているモノ。
それは、慣習として決められているモノ。
しかし、多くの場合が「請(せい)」読みであるのに対して
「普請」の二字に関しては(請しん)と読ませるという特殊なモノであった。
だから、家内の言葉「常識!」であった。
私が、この言葉を小学校にいてある辞書で調べた時に、
「ふるい言葉」と書かれていた事から考えると「普請は過去の言い方」であり、
現代では「普通の社会人なら、誰でも持っている筈の知識…」常識ではなかった。
その証が、現役小学校教員10人に「普請」の読みと意味を聞いた結果である。
「言葉の読み方は決まっている」という考え方は常識である。
家内が常識と言うには、普請は(ふしん)を知っているからである。
その理由は以下である。
家内は日本の歴史が好きで歴史について多くの事を詳しく知っている。
そういう意味で、家内にとっては「常識」である。
しかし、そのような事を知らない私や現代人にとっては、
「普請」の読みは決まっているという考え方の(常識)はあっても、
実際の「普請」読み方や意味(過去の常識)を知らなかった。
また「普請」が古い表現だとも、過去の普通の社会人の常識だったとも知らなかった。
今私は知った!
「普請」の読み方に意味を…
そして「常識とは何か」を…
これも家内ともやり取り・口論レベル事があり、
その結果に納得出来ずに、
現実社会で、書物の世界で、ネットの世界で…
調べまくり、考えまくり、書きまくり…その結果である。
仮に私が誰かさんのように~
常識とは「当たり前の事…一々説明する必要のない事…」なんて
考え方をしていたら…今の私のような事は知り得なかった、のだろう。
弁証法の始まれは、
何事も「そう考えるとは限らない」と思う事…
結果がそうであっても、過程は違う、過程がそうであっても、始まりは違う。