新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
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~「認識と頭脳活動」の話~

2024-08-09 10:18:01 | 「わたし事・学」
~「認識と頭脳活動」の話~



一つの頭脳の活動は、常に一つ?!
私の身体活動は、常に一つだけの私の身体を使った活動。
身体は一つでも、色々と変化させて様々な動きの運動が可能。
色々と変化させるのは「頭脳活動」で、その指令で様々な動き・動作・運動が可能。


頭脳活動は一つだけど、その活動の仕方は色々・様々?!
その分け方に「具体的な頭脳活動」・「具象的な頭脳活動」・「抽象的な頭脳活動」…
前には、「頭脳活動は一つ」でも、「言語表現は、具体的・具象的・抽象的の三つ」…と思い書いたが…


最近再読している師範の「全集」の中での以下のよう言葉から、今朝、思いついた・思い至った。

その言葉とは、「人間は、自己の頭脳を、認識の一部or全部…を使って、活動させている。」

これは…どのような事だろうか?
認識は対象の反映・映像・五感情像…

それは、言うなれば、極薄の一枚一枚が写真的な認識像の運動的・連続的な映像。
この運動とは、フィルム投影機から、その一枚一枚の連続的な回転のようなモノ。

ただ、投影機のフィルムの順序・順番は、反映直後の認識では、対象の時系列的な現実変化・運動の順序・順番だが…
その認識を記憶した後は、時系列に縛られる事無く記憶者の想起の問題であろう。



対象の現実・事実的な変化・運動の順序・順番は、その眼前の対象の時系列的な五感覚情報に従ったモノ。
ただ…具体的な変化・運動は、五感情的に感覚・記憶可能だが…
対象が、具象的なモノ・抽象的なモノ…となると…???


私の愛柴犬⇔マロンの具体的な日々の変化・運動は感覚可能。
では、具象的な柴犬の変化・運動?
それは、専門家が書いた著書の中の「柴犬の特性」から学ぶ。

ならば、犬という哺乳類の特性は?、
それも、また書籍からであろう。


ここで、具体的なマロンの運動は、五感情報として入手・記憶可能、それを私的に言語表現可能。
しかし、柴犬としての特性は、書かれた文字情報では、五感覚的な記憶が不能。
ましたや…犬としての哺乳類的な特性は?
哺乳類の特性は書籍から入手可能でも、哺乳類犬マロンの特性は?

犬=哺乳類ではなく、あくまで犬の中に哺乳類的特性がある!

例えば、「私は人間そのモノ」ではなく、「人間の特性を保持した私」。
それは、私の中に、人間的な特性・動物的な特性、双方が当時に存在している。
人間は、認識的実在。
動物は、本能的実在。


私は、人間的・認識的に生活している。
私は、動物的・本能的に生きている(側面もある)。


上記のように、
具体的な頭脳活動の場合、愛犬マロンを思い(具体像)、マロンの日々の具体的な変化・運動の認識活動。
具象的な頭脳活動の場合、柴犬の特性「ツンデレ」なら、マロンの場合は機嫌が悪いと「頭を撫でようとする私を本気で噛む!」像の想起。
抽象的な頭脳活動の場合は、書籍に書かれている特性・記述をマロンに重ねてみる。

そう、頭脳活動は一つでも、自己の駆使している認識の論理レベルによって、
具体的or具象的or抽象的…と変化・運動させる事が可能なのだろう。


ここで話を変えるが~

新一年生の国語では、平仮名の書き方をプリントで学習している。
息子の場合は、幼稚園でプリント練習していたが…

そのプリントに、少し大きめに手本平仮名が書かれていて…
児童は、その手本を上からなぞって書き方練習をしている。


その練習容は、
一つ、チャンと確りゆっくりと、平仮名の線から外れずなぞる(正しい形の一つ一つの過程体感像)。
一つ、確りチャンとなぞりながら、平仮名の形を覚える(完成体・姿形の記憶像)。


この四年間の新一年生をみていた…

初めから、手本線に関係なく、どんどん書き進める児童(自信まんまん)。
なるべく外れないように、サッサと書いていく児童(ある程度の自信あり)。
ゆっくり最大限の注意をして書き、外れたら消して書きなおす児童(不安あり)。

まったく書けないのに、自分勝手に書き進める児童。
まったく書けないから、ゆっくり真剣丁寧に書いているが、外れてばかり、
書けない外れるそれでも書き直さない。
書けない外れる書き直している…なのに、なかなか上手にならない…



「平仮名・文字の手本のなぞり」とは、空手なら突き・蹴り形の一つ一つの過程的な変化・運動なぞり。
「平仮名・文字の形を覚える」とは、空手なら、突き・蹴りの初めから最後までの正確ななぞり運動の体得。



表記された文字・平仮名の全体像は、完成体である、「ひらがな」そのモノ。
その途中の変化・運動は、結果の形が「ひらがな」だと感覚可能なら正解。

しかし、空手の突き・蹴りの完成体とは、
その突き蹴りの初めから最後までの全ての完成をもって「完成体」となる。


それは、、空手の突き・蹴りとは、文字の例えなら文字で書かれた「ごい」。
「ごい」は、「ご」と「い」が正しく書けて、初めて「語彙(ごい)」とい意味をなす。
これを「ご」・「く」と書いたなら×××!


さてさて…以上が、
一つの頭脳の「具体的レベル」・具象レベル」・抽象レベル」の三つ活動なのだが…






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