新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
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「信じる者は救われる」という話

2024-09-03 16:07:41 | 「わたし事・学」



「信じる者は救われる」という話


上記の言葉をネット検索したら以下であった。


~~~転写開始~~~


「信じる者は救われる」は、聖書の言葉で、修行やお布施、巡礼をしなくても、イエス様を信じれば救われて天国に行くことができるという意味です。

聖書のローマ人への手紙 10:9-11 では、「自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる」と述べられています。また、マルコによる福音書 16:16-18 では、「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける」とされています。

また、真言宗のお寺では、「信じるに足る教えかどうか。よくよく教えを知った上で、信じてみましょう。信じたなら、きっと救われます」と述べられています。


~~~転写終了~~~


さて~「信じる者は救われる」とは、聖書・宗教の言葉…という確認が得られた。
でも…宗教は、信じるだけで、救われるモノではない!
その信じた言葉通りの生き方が出来て初めて救われるモノだろう…


天国の存在を信じて、平穏・善良な人生を送れれば、幸せな人生。
地獄の存在を信じて、悪事をしない人生なら、それも平穏なモノだろう。

人類の原罪を信じて、悪事をしても…それは個人の責任ではなく、
人類的な私がしてしまうモノ…だから、私は悪くない・地獄へは行かない。
なんて~モノコトは考えようであろう。


さてさて…そもそも「信じる」とは何だろう?
例解国語辞典[第四版]によると~「信じるとは、本当だと深く思う事」。



↑だとするなら
「虚偽と確信している事を本当だと思える筈なし」-信じる事は不可能。
また、本当の事なら信じる必要なしー「本当だと強く思う必要なし」。
さすれば~「信じる事が出きるモノゴト」とは、虚偽の確信なし・本当だとう確信なし」の物事となろう。


更に「本当とは何だろう?」上記の辞書によると~
「本当とは、嘘や偽物だはない事。実際の事。事実である。」


事実とは、現実界で起こった事・起こっている事。
なので、人間の認識内の現実界の事実の記憶は、残念な事に「事実ではない」。
従って、ある人の事実の物事発言は、他人にとって、それを事実として認識可能とは限らない。

だから…そこに「信じる」事が必要であろう。
他人の語る事・語っている事が、自分にとっては、事実として認識不能な時・信じられない時…

その言った当人が「事実と確信している」モノでも…
自分には「その確信ができない」時、その言葉を「信じる」心が必要なのだろう…

その言葉を信じて御利益があるか・ないか…で信じる・信じないを決めるのも一法であろう。


最近の私が思った事は、
「天国・地獄」は兎も角…「あの世」の存在についてである。


元々私は神を信じる事はなかった。
ただ…子供時代にサンタさんへの御願いで、
「靴下の中に『身長を後10㎝伸ばして下さい』メモを入れた」事があるが…

最近は、「あの世」の存在を信じれば、
「死んだら家内に会える!」、「あってまた一緒に暮らせる」…
そんな希望が持てるから「あの世の存在を信じてみよう!」なんて…思っている。


そもそも…「あの世」の存在は、死人だけが、認識・確認可能であろう。
よく「死後の世界へ行った・を見た!」という体験談があるが…
それは虚偽であろう~
何故なら「真の死人なら生き返っては来ない。」
生き返ったという事は、「死んではいない事」になろう~

従って、「死後の世界・あの世」の存在は誰にも確認不能。
ならば、その「あの世・死後の世界」を信じる事で家内との再会が期待可能なら…
その事を信じた私は、現生に死後の希望が持てる事で「救われる」だろう。

どう~!
今回の「信じる者は救われる」体験談は???





コメント (2)
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