「静人日記」 天童荒太 文藝春秋
“悼む”旅をしている、静人の2005年12月から、2006年6月までの日記。
「悼む人」で静人がつけていた日記だが、時期は重ならない。
日記形式だが、純粋に日記というよりは物語的な内容。
悼むために知りたいことは、亡くなった状況ではなく、ひとりの人として「誰を愛し、誰に愛され、どんなことで感謝されたか」。
その事を覚えると言う事。
実際には、亡くなった状況が書かれている。
実際にあった事件を思わせるもの多い。
読んでいて辛くなるし、沈んだ気持ちにもなる。
静人の悼みについては、やはりどこかよく分からずにいる。
その気持が、本書のタキさんの言葉で表されていた。
「すべても方を等しく悼むということは難しいと思うのです」
「初めから無理に悼もうとするのではなく、それぞれの方の、成仏なり昇天なり、その冥福を祈って、手を合わせるだけでよいではありませんか」
「見ず知らずの方なら丁重に手を合わせるだけで充分です。
あとは忘れてもよろしいのではないでしょうか。
日々多くの方が亡くなっていくのです」
「しょせん人の暮らす世なのだと、受け入れるしかないこともありますよ」
世の中は生きて居る人のためのもの。
新聞などの報道ではただ数として名前も知らされない人も、その人が居た周りには身内や知人がいる。
唯一無二の人と、その人は心にいつまでも残るだろう。
死んでからその人を知って「覚えていますよ」というよりは、生きて居るうちに知り合って、いつまでも覚えていると伝えた方がいいのでは、とも思う。
「悼む人」の後で読んだので、その時の悼みをどう日記にかいたのか、読みたかった。
そうしたら、静人の気持ちが理解出来たかも知れない。
“悼む”旅をしている、静人の2005年12月から、2006年6月までの日記。
「悼む人」で静人がつけていた日記だが、時期は重ならない。
日記形式だが、純粋に日記というよりは物語的な内容。
悼むために知りたいことは、亡くなった状況ではなく、ひとりの人として「誰を愛し、誰に愛され、どんなことで感謝されたか」。
その事を覚えると言う事。
実際には、亡くなった状況が書かれている。
実際にあった事件を思わせるもの多い。
読んでいて辛くなるし、沈んだ気持ちにもなる。
静人の悼みについては、やはりどこかよく分からずにいる。
その気持が、本書のタキさんの言葉で表されていた。
「すべても方を等しく悼むということは難しいと思うのです」
「初めから無理に悼もうとするのではなく、それぞれの方の、成仏なり昇天なり、その冥福を祈って、手を合わせるだけでよいではありませんか」
「見ず知らずの方なら丁重に手を合わせるだけで充分です。
あとは忘れてもよろしいのではないでしょうか。
日々多くの方が亡くなっていくのです」
「しょせん人の暮らす世なのだと、受け入れるしかないこともありますよ」
世の中は生きて居る人のためのもの。
新聞などの報道ではただ数として名前も知らされない人も、その人が居た周りには身内や知人がいる。
唯一無二の人と、その人は心にいつまでも残るだろう。
死んでからその人を知って「覚えていますよ」というよりは、生きて居るうちに知り合って、いつまでも覚えていると伝えた方がいいのでは、とも思う。
「悼む人」の後で読んだので、その時の悼みをどう日記にかいたのか、読みたかった。
そうしたら、静人の気持ちが理解出来たかも知れない。
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