しましましっぽ

読んだ本の簡単な粗筋と感想のブログです。

「八日目の蝉」 角田光代 

2010年07月26日 | 読書
「八日目の蝉」 角田光代    中央公論新社  

野々宮希和子は不倫相手の秋山丈博の家から生まれたばかりの赤ん坊を連れ出す。
始めは見るだけのつもりだったが、抱き上げたら手放せなくなってしまったのだ。
希和子はその赤ん坊を“薫”と呼ぶ。
それは、丈博との間に子どもが生まれたら付けるつもりの名前だった。
それから希和子は薫との逃亡生活を続ける。




希和子の赤ん坊を連れた逃亡劇という事では、面白かった。
しかし、この物語はもっと深い親子や家族の愛情を書いているのだと思う。
後半の恵理菜の側から書かれた物語が重く感じる。
ただ、愛情云々の部分は納得がいかない面があり、落ち着かない気持ちになる。
どうして、希和子も恵理菜も、男に翻弄されているのだろう。
そのことが自分には分からない。
希和子の薫に対する愛情も、身勝手としか言えない。
未満児の赤ん坊を見たら、可愛くて、誰もが守ってあげたくなると思う。
それが自然で母性だと思う。
希和子のその時の心理状態などを考えると、心情は分からなくはないのだが。
その後、冷静になって考えたなら。
本当に薫を大切に思うのなら、先が見えない逃亡生活に巻き込む事はしなかったのではないか。
このままでは、小学校にも入学出来ないと、ちゃんと認識しているのだから。
いつかは見つかると考え、捕まるまで親子関係を続けることだけ考えていたのだろうか。

秋山夫妻の対応も、自分たちの感情が1番に来ている。
子どものことを1番に考えられたら、その後の恵理菜の生活も違っていたと思う。
まるで、愛人の子を引き取った扱いになっている感じがする。
そして、秋山夫妻が別れることなく一緒に生活していることも、不思議。

現代社会は、守られるべき子どもが守られていない。
虐待などのニュースの多さを思うと、子どもを守ると言う事は、もう崩れ去ったのだろうか。
自分達の未来を守るということなのに。

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