一年ぶりに「(大山田)千戸の勧請縄」へ、近くに「養蚕小屋」があったとか…

2023-02-23 15:48:56 | 伊賀のカンジョウナワ行事(伊賀城和含む)
少し前のこと、大山田の「平田宿」にある旧友宅に用事があり、
旧友宅の白梅がポツポツ咲き出しており、見事な手入れをされていたのでつい…
ついでにと言ったら大変失礼ですが「平田宿」東の端の「植木神社」にて紅梅など。
  

彼女には「読売新聞社版/街道いまむかし」(冊子版)を借りており、
これがまたいろいろ勉強になるのですわ。
例えば、
  
時折見返し、重宝させてもらってます。
友が親の代から残してくれてあり、
それを役に立つやろう!と、ワタシに託されそして読める!ということに感謝しています。

では本題、梅もチラホラ咲き出しているだろうと「勧請縄」を見てきたわけで…
初めての訪問だった去年もやっぱり同じこと書いてました(笑)。
昨年3/1に訪問した時の勧請縄写真
  
写る小さな川は「合戦川」(改修済み)というそうで、
「勧請縄」のかかる場所は、古人は忌み嫌う「東南=巽(タツミ)」の方角だそう、
「五穀豊穣」「福が逃げることのないよう」と願いを込め、
地区の方が当番制で、縁起物の「なべしき」や「なべつかみ」を藁で作り、
1月15日の早朝に飾り付ける…とか。

今年は、語り部の先輩から
「勧請縄の隣の(千戸)公民館が、じつは『養蚕共同飼育所』だった」とお聞きし、
これはちょっと見学に行かねば、と。
  
千戸公民館敷地内の「祠」、植木神社の分社とのこと。
「山神」さんもおられるはずですが、石碑が多くどれかな?
この祠横に写っているのが公民館、すなわち「養蚕共同飼育所」だった建物でしょうか?
現地へ行きながら「建物」を撮って来なかったちょっと間抜けなワタシ

上野公園内にも「蚕蛹(サンヨウ)供養塔桑の葉と蚕蛾があるくらいですから、昔から「蚕さん」は大きな収入源だったし、
「蚕さん」は人の手がないと育たないとも家人からも聞いていますので、
どこの地区でもおそらく共同で育てていたと思われます。
その名残の小屋だった、ということでしょう。

先述の「街道いまむかし」より
「千戸勧請縄」


「千戸公民館」

30年前の記録ですが、当時皆さんが思い出しつつ書き起こしてくれた「大山田風土記」みたいなものだと思っています。

日を改め「旧小田小学校」へ行きました、ここでもスゴイ歴史に出会いました…
ではまた
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笠置町「飛鳥路の勧請縄」はここで造られる…「天照御門神社」(アマテルミカドジンジャ)。

2022-03-10 16:21:03 | 伊賀のカンジョウナワ行事(伊賀城和含む)
まさかこの神社で「勧請縄制作」をしていたとは……
家に帰って数日間、飛鳥路の事をいろいろ調べていてわかったことです。
先般掲載させてもらった「笠置のイカした生き方帖」で読みました、
 「習わしを受けつぐ生き方

どこにでもある「伝統や習わし」を受けついで行く!ということ、
子どもの時から関わり続けることと、そうでない過ごし方では、
その後の生き方にちょっと影響があるかもしれないと薄々感じています。
なので、今回の「伊賀のカンジョウナワ行事」探索をきっかけに
あちこち駆け巡って、見て感じたことは決して無駄ではなかったと思っています。
地域の子どもたちにとって「伝統や習わし」って今どきの料理ではないけど、
しみじみとエエ塩梅の出汁のきいた「鍋」、大人も子どももみんなでつっつく…
例えが下手ですけど、「同じ釜の飯を食う」的な
何かに気付けるいい人間になるのではないかなぁと、
「大人の背中」を見て育つのが地域の子、タカラモノチルドレンズだと思います

~昔から続く伝統行事に参加して、その魅力を調べてみたよ~というページです。

ここで「勧請縄作りの現場」が出てきますが、
まさにそれがこの「天照御門神社」(アマテルミカドジンジャ)です。

では、ご案内いたします~~
奥の鳥居に気づかず、手前の石段を上り敷地に入ると、
  
祠、お地蔵様、石塔などなど、、、
 
多くの石仏様や宝篋印塔(ホウキョウイントウ)もあります、
ここはお堂はないけれど(地図に出てくる)東明寺かもしれません。
下記に検索結果の内容を転記しておきます。 
 ≪木津川に架かる潜没橋を笠置町飛鳥路へと渡ると、
 小高い所にお寺と思しき境内がある。
 石仏や石塔が建っているが、本堂らしきものはなく、
 集会所らしき建物があるのみである。これが東明寺である。
 東明寺の開創は不詳であるが、1549年には存在したことは史料から判明している。
 このお寺を知らしめているのは、京都府文化財に指定されている<大般若経>であり、
 奈良~室町時代の写経588帖※は資料的価値が高いといわれている。
 これの伝来は東大寺~円成寺~東明寺ともいわれている。
 東明寺は無住である。≫とのことです。(※京都府文化財データベースに記載) 

そのまま地続きのお隣に行くと、ここが
【天照御門神社です。
 
いきなり境内に入ってしまったので、鳥居まで降り再度お参り。
鳥居の隣に大きな杉?の木、御神木だろうか?
  
左側の拝殿と思しきところで「注連縄造り」が行われるのかな…
天井に丸い金具のようなものがあります。
では、本殿へ
  阿吽の狛犬さん

 
『笠置のイカした生き方帖』より
 ≪笠置山の東北部、飛鳥路にあり春日造りの古社。
 太陽神と地域を守る御門神を併せ持つ森の中の趣のある社。
 祀られる天照御門神は、旧飛鳥路村の産土神(ウブスナガミ)。
 勧請縄づくりは毎年この境内でとり行われる。≫ということです。

笠置町観光課へ問合せしましたら
「天照、九頭龍、八王子、春日の神」をお祀りしているとのことでした…

2/28 10:50着の飛鳥路散策もいよいよ終盤、
山を下り、再び木津川を見渡せる辺りまで戻りました。
1時間20分ほどゆっくり周遊してました(笑)。
  
飛鳥路の踏切辺りで列車に遭遇、滅多にあうことがないので記念に…
 川の向こうの山々と飛鳥路の里

  
笠置飛鳥路の潜没橋から上流側と下流側
歩いて途中まで渡り、また車に乗って渡り、お天気が良かったので行ったり来たり(笑)。

渡りきったところで、
木津川を渡る関西線の鉄橋と真ん中辺りに『相楽発電所』。
あの森の中に「笠置 国津神社」があります。

つい最近まで「潜没橋」の補強工事などをしていました。
丈夫になって安心して渡れます(笑)。

最後にこのお天気と澄んだ空気に感謝。

笠置に来て「飛鳥路の勧請縄」を見ていると、
木津川の水運が大きく関係しており、「縄」の掛かっている場所は概ね川の流れが特定の方向で、
その場所から「福を逃がさず、災禍を入れず、安心して暮らせるように」、
地域のみんなで守るもの、またそれを代々引き継いでいくものだということを感じました。
どの地域も高齢化率が高いと見受けましたが、でも子どもは元気に育っています。
他地域の子であれわがムラの子であれ、子はタカラモノ、みんなで大事に育て見守りましょう!
そんな結論に至りました。(わが住む地区の「祭りの伝承」も同じかな…)

「伊賀城和の勧請縄巡り」は『完』といたします。

ではまた、
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笠置町飛鳥路、布目川散策でいよいよ「勧請縄」と「甌穴(オウケツ)」へ

2022-03-09 15:23:53 | 伊賀のカンジョウナワ行事(伊賀城和含む)
歴史の証を通り抜け、いよいよ「布目川」に沿って歩きます。
天照御門神社(アマテルミカドジンジャ)」(名称修正3/10)の案内板をスルーしますが、
帰り道にゆっくり散策することにし、飛鳥路の集落を抜けます。

  
「布目川」が横に見えてきます、ここで三差路、
はて?どちらに進むべきか悩みますが、案内板をよく見ると
真っ直ぐ進めば「布目川散策コース」終点まで5km
橋を渡れば「東海自然歩道の銀の帯コース」起点(笠置中心部)まで約4km
橋を渡ります…
 橋の上から上流側
すぐに細い注連縄のようなものが見えますが、
 大注連縄(勧請縄)ではない様子
少し進んで「カーブミラー」の上に…
 ひょっとしてここから縄が掛けられている?
 
見えましたね、林の中を覗くと確かに
「飛鳥路の勧請縄」です
崖っぷちなので、ここから下に降りることも出来ず、
ただ木々の隙間から見るだけ…それでも目を凝らしてみると、
新しい状態の藁で編んだ飾り物が見えます。
伊賀とはまた違う形であったり、同じようなモノがあったり…
う~ん、近づいて見てみたいものですが、川向うに渡れそうなところはありませんでした

今回第2の目的は「甌穴(オウケツ)」
もう少し先に進みます…
  
ほんの数分でこの「甌穴案内板」=【布目川の甌穴群(ポットホール)】
≪円筒形をした美しい代表的な甌穴は河底のくぼみに、
 うずまき流が生じ中に落ち込んだ小石が回転しながら
 河床を深く削って出来たものである。
 この辺りの河床は非常に堅い花崗岩で成り立ち、
 このような所に出来るものは珍しく穴が出来るまでには
 数十万年から数百万年かかるものと推定されています。
 地元ではこの甌穴を九つ壺と呼んで親しんで います。
   笠置町商工会・笠置町観光協会≫
ではここから河原に下りて行きます

この日は、水量もさほど多くなく、下りても危険はなさそうでした。
夏季は水遊び場にもなっているようです(キット隠れ遊び場デス)。
こんな感じの流れです~~


川の中の岩肌を歩いてみます~~
  
ハマって溺れるほどの水の流れではなかったので安心、
さて肝心の「甌穴」ですが、多分
  コレ
初めて見るので多分コレかな?という自信のなさです、あしからず。
想像より小さめですが、この穴になるまでに数十万年から数百万年もかかっていると思うと、
その頃は誰が生きていた時代なんでしょう??

☞ は、笠置町観光協会の甌穴の動画デス、どうぞ。

後半というか帰り道に寄るところがあるので、ここら辺で引き返します。

「笠置まで4km」ほどの行程なのですが、この道はまたいつかチャレンジしたいなと思っています。
そうそう、途中この「甌穴」付近で笠置からのハイカーお二人に会いました、
すごい偶然です、まさかここで人に会うとは
こんにちは!の挨拶しかできばかったのが悔やまれます、
もう少しお話すれば良かったかも…

再び「飛鳥路の勧請縄」、見納め。
  
まだしつこく思います、対岸から見てみたいと…
集落の一番最後のお家の方の姿が見えたので、お話を伺いました。
「多分普通の恰好じゃムリかもしれませんよ」とのこと。
川に近づくということは、それなりの装備(長靴とか合羽とか?)が必要ということですね、
ありがとうございました、たまたまですけど居てくださって嬉しかったです
無謀なことは諦めることにします

いよいよ【天照御門神社】へお参りいたします、


ではまた
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笠置町飛鳥路、布目川散策で「勧請縄」と「甌穴(オウケツ)」へ、その前段

2022-03-08 18:23:44 | 伊賀のカンジョウナワ行事(伊賀城和含む)
伊賀市の10地区の「勧請縄探索は無事終了、
正月から旧正月という期間に新調される「大注連縄」掛け行事です。
今のうちが真新しくて、気合の入った(地区の人たちの「心」のこもった)「勧請縄」です。
探索するワタシ自身も初めてのもの見たさもあり、気合も入り、
何日間かかけて見てきました(笑)。(他にもあれば教えてくださいね)


「広報いが2021.10号」の紹介もあったので、
次に、伊賀を飛び出て「山添村」「笠置町」方面へ向かいました。
「山添村菅生地区」は2日かけて何とか完了。(報告済み)

最後の訪問先は「笠置町飛鳥路(アスカジ)」、さてどんなところなのか調べないといけません。
いろいろ検索してたら ↓ 先ずWeb記事が出てきました。
飛鳥路布目川の勧請縄」(asahi webより)
≪京都府笠置町の飛鳥路地区を流れる木津川支流の布目川に10日、
 巨大なしめ縄「勧請(かんじょう)縄」がかけられた。
 五穀豊穣(ほうじょう)などを願う伝統行事で、府の無形民俗文化財。≫(2022/1/11掲載)

そしてとっておきは、コレ☟
「笠置のイカした生き方帖」
これを読んでいただければ笠置町の事はバッチリ!というものを見つけました、
 
ワタシなんぞがグダグダ書くより、、、と思いますが、
そこは「実地検分」主流派なので行っちゃいます(笑)。

国道163号線(別名チャーミングロードとか)、【笠置 国津神社】(過去ログより)を過ぎて、
木津川に架かる潜没橋を渡ります、

渡るとすぐに町営か何かの駐車場がありましたので入ります。
情報では有料(500円)と書かれていましたが、平日のためか、
シーズンオフだからかはわかりませんが「無料」で駐車できました
 
石の国/笠置西部の観光案内図があり、
東海自然歩道 押原~柳生コース案内図』もあります。
笠置観光協会で調べると「銀の帯ハイキングコース」という名前も付いているので、
「布目川」沿いの散策は(昔は)なかなか有名だったのかもしれません。

では、その駐車場から山に向かってどんどん上ります
途中には「JR関西線:飛鳥路踏切」(笠置⇔大河原間にある)を渡ります。

川へ行くのに「上り」?と思われるかもしれませんが
木津川本流に流れ込む支流なので笠置の山から流れてくる感じですね。
だから「少し山道を登る」のです。
途中小高い峠辺りに差し掛かると
   
①『庄屋庄七翁終焉の地
≪庄七は興ヶ原村に生まれ、25歳で大庄屋を受け継ぎました。
 興ヶ原村の水田はしばしば干ばつの被害を受けたことから、
 嘉永4年(1851)に布目川の水を引く工事を開始し、
 約1年かけて工事を完了させました
 しかし水路の各所に漏水があり、自らの財産をつぎ込んで補修工事を継続します。
 安政元年(1854)の大地震により水路が壊滅すると庄七への非難が高まり、
 村から郡山藩へ訴えられ大和追放、財産没収となり失意の晩年をおくることになりました≫とのことです。
②『道案内版』一番下は【天照御門神社】と書いてあります、
 帰り道に寄ります、「勧請縄」作りの現場になるようです。
③【笠置形燈篭
≪奈良時代から弥勒の聖地として信仰を集めてきた笠置山の参道に
 並べられていた笠置形燈篭を再現したもの≫
≪擬宝珠柱の上部に火袋を設けた形のもの。笠置山にあった道標をかたどったといわれる≫

歴史的なものの宝庫です、やっぱり…
ではつづきます、また
 

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山添村菅生(スゴウ) 地区「谷出西庵の山の神」と「峯出の勧請縄」(後編)

2022-03-05 00:39:48 | 伊賀のカンジョウナワ行事(伊賀城和含む)
枝道に入ってギュッと登ると四つ辻に案内石柱?
 
ど素人のワタシには読めませんが、何かの案内があるのでしょうか?
誰も通らなさそうなところに🚙を停めて…と思ったら山からロードバイクの人と遭遇!
あービックリした(笑)。
少し先に行くとすぐ目の前にちょっと盛り上がった杉林、
  
いろんな人のblogなどで見た通りの「山の神&勧請縄」です。
林の中に入らせていただきますがここは「山の神」の碑はありません。
クラタテ」(倉が建ちます様にという呪具(ジュグ)とか)と「真新しい農耕道具」と
奉納金?」に、そして「カギヒキ」?
  
「奉納 金参兆円 峯出小場」、おぉこりゃ「倉」も建ちますねぇ…
ここは地域にとって神聖なる場所=神が宿り=なんでも叶えてくれるところ、なんでしょうか?
地元の方にお会いしたわけではないので、詳しいことはわかりません、あしからず。
  
「菅生の勧請縄」の全体としてはこんな風に…

参考文献として、
山の神祭りにおける木製祭具の研究」(松崎憲三氏著)より
奈良県山辺郡山添村菅生
男子は七日早朝大きな木綿の袋に、餅と干柿、洗米を白紙で捻り包んだオハナシ
及び山の神に捧げる農道具・山道具の木製雛型とやはり木製の刀
それに藁数把を持って祭場に赴く。そして、カシ・クヌギ・ナラなどの4・5尺の小枝を伐りとり、
中程にホウデン(藁苞ワラヅツ)を結びつけたものを自分の家の男の数だけ作る。
これをカギと称している。カギを作り終えると先ずクラタテをし、
そして白紙の上に持参のお供物、刀,オハナシ,農道具、山道具を傍に置く。
その後でカギを神木にひっかけ「東の国の糸綿、西の国の銭米、赤牛につけて倉へどっさりこ」と
三回繰り返して引っ張る。
そうして持参の餅をトソドで焼いて真二つにし干柿を挟んで食べる。
そうしている間にも、青年・壮年の人達は太さ2・3尺、長さ4・5間もある勧請縄を
持ち寄った藁で綯う(ナウ)。それができ上がると二人の若者がY字型の木の枝(女木)と
Ⅰ字型の木の枝(男木)を持って勧請縄を中に両側に立ち、互いに重ね合わせて「わあい」と囃し
拍手をして終わる。勧請縄はその後、神木と最寄りの木にかけ渡す。≫と書かれていました。

現代ではどこまで昔のままの祭事が行われているのかわかりませんが、
このような状態で真新しい「勧請縄」や「お供え物」等々を拝見するに、
代々伝承されている「神事」なのだと思います。
これを自分たちの代で絶やすわけにはいかない大切な行事。
  
ここで「神事」が行われ、ここから「菅生の里」風景。
 (追加)
「十二社神社」「菅生のあたごさん」「谷出・峯出地区山の神など」の位置関係。
帰りがけ見送ってくれたニャンズ3匹、わかるかな?
 屋根の上はポカポカだったのかな

個人として見て回った「カンジョウナワ行事」山添版でした。
奈良県全体としてはかなり多くの「山の神及び勧請縄」行事が残っているそうです。
その中のほんの一つ二つを巡りましたが一人で行くには奥が深過ぎました。

伊賀では「川」に掛かっていることが多く、これは「木津川の水運」との関わりであったり、
水害が多いことへの祈りの神事だったかもしれないと思ったり、、、

最後は、木津川支流の布目川沿い「笠置町飛鳥路の勧請縄へ行きます。

山添村菅生からはやっぱり「月ケ瀬」経由で帰ります。
 (3/3撮影)
「月ケ瀬梅林公園」入り口辺りの寒紅梅。
梅は種類も多く、咲く時期もいろいろ。
一斉に「満開」とはなりませんので、気の向くままのお出掛けがいいかもです(笑)。

ではまた

追記(2022/3/6)
「山の神」のことで伊賀の古山地区に伺った時のこと思い出しました。
過去ログですがご覧ください→「こんなところに『山の神』(古山界外~鍛冶屋境界辺り)」
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山添村菅生(スゴウ) 地区「谷出西庵の山の神」と「峯出の勧請縄」(前編)

2022-03-04 15:49:15 | 伊賀のカンジョウナワ行事(伊賀城和含む)
思い起こして「山添の旅」(過去ログより)
昨日投稿の「菅生」(訪問日は2/26)も加わりました。
山も深ければ、奥も深い、そして巨石巨岩は底知れず…

山添菅生の二度目の訪問は昨日(3/3)、「山の神」や「「カンジョウナワ」探索。
どちらも地図上では大体どこそことわかっても現地では悩ましい…
本道から逸れて細い山道を登って行くところに「山の神」はあります、
その地域を見渡すようなところ或いははずれ辺りに。
なので🚙は便利だけど、不便さもあることを実感しつつ、
邪魔にならないところに停めて、あとは歩いて探すのがベストでした。
ここは、情報によると「山添谷出」という集落のようです。
一番高いところを行き過ぎて「六地蔵」様にご面会、そこは墓地だったかな、
 谷出の六地蔵様
お地蔵に見守って頂いて🚙を駐車、少し逆戻りすると
 
「谷出の山の神」とお供え物
ありました、ここで場所は正解ですが残念ながらすでに「勧請縄」はありませんでした。
本来は「こんな感じの勧請縄山の神への供え物」(写真あり)のようです。(「奈良大和路~悠~遊~」さんより拝借)

ここは「菅生ふれあい館」、奥は墓地です。

敷地内に入ると、なんと「五輪塔(郷搭)」です。
 
説明版によると
山添村指定文化財 (昭和四十一年九月二十日指定)
 五輪塔 菅生西庵 正中二年(一三二五)
 郷塔(ごうどう)とよぶ五輪塔 のひとつで、形式的には村内にある正中二年の一群の五輪塔と同時造立とみられ、
 三行の銘文痕跡がある。
 円と角を組みわせて、密教にいう空・風・火・水・地の五輪を表象した塔で、
 複雑な立体面が調和した独特の構成美を示している。≫

では敷地内から「山の神」を見ましたが、
 
「お供え物」傍に立っているのは「クラタデ」(御幣のようなものでしょうか?)というものらしく、
おそらく「蔵が建ちますように…」ってお願いするものかな。
お正月の神事らしいおまじない??

さて次に、本道に戻り再び反対側の山に登る感じで進みます。
この大木を通り過ぎて左へ…
 (再掲「大井戸の杉」)

本日前編終了
またのちほど…
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山添村菅生へ勧請縄探し、その前に「菅生のあたごさん」「十二社神社」「大井戸の杉」

2022-03-03 16:33:18 | 伊賀のカンジョウナワ行事(伊賀城和含む)
「広報いが2021・10月号」掲載の伊賀市以外の「勧請縄」の案内デス。

ここに掲載されている「山添村菅生」(奈良県)「笠置町飛鳥路」(京都府)は、
何としても押さえておきたいと…
「カンジョウナワ行事」は、近畿地方に濃密に分布しているそうで、
滋賀県は141、奈良県は115、・・・三重県14とか。
なので、とりあえず行ける範囲(伊賀城和定住自立圏内)であと2件。

山添村といっても知っているのは「鍋倉山」界隈、「わんぱく動物園」、、、あと神社少々
「菅生地区」となると自信がないので、一度ではムリかもしれません。
そんな思いで出発して、名阪山添IC下車左へ、山添村役場前を右折、
クネクネっと山道を数分走ると視界が広がり、赤い火の見櫓大きな木と岩
目につきます! まるでシンボルタワーのようにそびえています…足元を見ると
『菅生のあたごさん』
  
ここは広いので🚙は駐車OK。
巨石です、さすが山添から笠置辺りの巨石・巨岩巡りを思い出しますが、
この形はさすがに初めてです。では、ひと回りしてみましょうか…
  
向かって右から見ると3枚に、左から見ると1枚?
後ろに回ると、こんなん、
  
基礎石もデカい、石仏さんも佇んでおられます。

 
再び前に廻って小さな石段を少し上がると、
青空を見つめる巨石3枚岩! そして「祠」。
自然が重ねたのか、人間の技か? 迫力満点!
山添村のイワクラmap」にも掲載されていました…

次は、目の前が「十二社神社」です。
 石灯籠
この坂道ではなく、やっぱり「石鳥居」から入らせていただきましょう
  境内全景

「拝殿」と「狛犬さん」
 

 

横に廻ると
  
隣に
  
拝殿奥を見せていただくと石段の上に「鳥居」と「石灯籠」と「本殿」が少し…


たまたまお参りに来られた地元の方とお話が出来て、
「ココへ嫁に来た時からずっと拝んでます、
 神社の祭礼は12年に一度行われてますよ」とのことでした。
「毎週?当番組が清掃してるから綺麗ですよ」と、
そう確かにおっしゃる通りスッキリと清潔感溢れている神社です。
大層古い「絵馬」も飾られています、
 
昭和14年時の「雨乞満願絵馬」と
年代もわからない古い「絵馬」(何かの合戦の様子でしょうか)など掛かっていました。

ゆっくりお参りさせていただきました。
地元の方に「勧請縄」とか「山の神」のことなどお聞きしましたが、
今回は「道だけを覚えよう」とりあえずこの近辺をドライブ。
「勧請縄」などのことはもう少しじっくり調べて後日改めて、、、
それだけ「道」が細くてややこしい、どの道も山に向かって急坂を登るんです

途中で「大井戸の杉」という説明版を見つけたので、寄り道(笑)。

「十二社神社」から2・3分のところ
 「大井戸の杉」全体

 
元々「5本の杉」だったとのこと、
≪山添村指定天然記念物
 大井戸の杉 (菅生 中上氏所有)
   平成四年十月二十七日指定
 伊勢街道に面する湧水池の背面に植栽されたスギの巨樹で、
 当初五本前後植栽されたものが成長するにつれて基部が合着(ゴウチャク)し、
 あたかも一本のスギのような形状を示し、現在四本が生存している。
 樹高26m、樹齢は350年~400年と推定される。
    山添村 ≫

山添菅生の「シンボルツリー」ですね。

ではまた
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本日後編「伊賀のカンジョウナワ行事」⑦大山田地区千戸(センド)の勧請縄

2022-03-01 23:38:06 | 伊賀のカンジョウナワ行事(伊賀城和含む)
阿山地区で「勧請縄」探しをしていて、
出直し探索の槙山で「『大釣り縄』はコロナ禍で延期」という結末
意気消沈していたのですが、このままただでは帰れない!

そういえば「大山田地区千戸」にも「勧請縄」があると資料で読んでいたので、
名阪壬生野ICから大山田へGo🚙・・・
ん?「千戸?」と言ったって広いでしょ、ただ走るだけでは見つかりません。
そこで思いついたのが「大山田観光協会!」※
ここは大山田富永の「新大仏寺」の前にあります。
ここへ行くにはちょっと遠いので、スマホで電話番号を探します。
土曜日だったので出ていただけるかどうか心配でしたが、
運良く「観光協会」に繋がり「突然ですが……」と、事情を説明しました。
「私は富永の人間で千戸の事はあまりよくわからない、
千戸のことを知っている方の連絡先を紹介するので、
富永の〇〇に聞いたと言って電話してくれるかな」と、有難いお言葉。
どこまでも親切に対応していただき、感謝かんしゃ なのです。
大山田観光協会大山田観光案内所大山田郷土資料館

紹介された方は「運転中」だったので、「後で必ずかけ直しますから」と。
どこまでも「親切つながり」でとても嬉しいことが続きます。
ここまでの経緯は壬生野のコンビニでの出来事。
そのまま「千戸」に進むべく「壬生野IC」の高架をくぐり、右へ進路を取り、
「西之沢」から「工業団地」を抜け、目指せ「千戸公民館」!!

なんで「公民館」だったのか、地区の中心地!寺・神社・公民館!
たったそれだけのことですが「あそこへ行きたい!」という思いが
何となく通じる場所のような気がするのです(個人的見解(笑))。

では、前段・中段まで書いてしまったような気分ですが、
ここからが本番…

『大山田千戸の勧請縄』
この道を走っていると目の前に見えた!
  
🚙を広い場所に駐車してから撮影。
 
「祠」と「勧請縄」、見上げた空と「勧請縄」、素晴らしくマッチしてると思いませんか?
近くには「梅」もチラホラ咲いています…
  

ワタシにとって伊賀で最後の「勧請縄」探索です、
咲き出した梅と一緒に見られたこと、妙に感動しました…

場所はココ
  

さて、帰宅して「紹介された方」から着信が残っており、
多分、運転中で気が付かなかった
こちらから電話をさせていただき、教えていただいたことは
「あそこに勧請縄が掛けられているのは、川の流れが『巽(南東)』の方角である」こと、
「昔は松の木があって、そこから縄を掛けていた」とか。
そして「他所のカンジョウナワ行事は伊賀市の文化財やけど、
千戸は指定を受けなかった、地域の人が結束してきちんと守っている。
しかし、指定を受けたら何か事あるとき、止められなくなってしまうからね」
「自分たちの力で精いっぱい残していくつもり」
「正月明けの9日前後に縄を作り始め、15日の6時に掛ける」とのお話でした。
一朝一夕ではいかない勧請縄づくりです。

地域を守るため、ムラの出入り口に大注連縄を掛け渡し、
「川から『福』を流さず、入ってくる災厄を防ぐ」。
決して神頼みではなく、地域の人たちの「心と技の結集」だと一人ガッテンしています。

次は「伊賀城和定住自立圏」伊賀以外の地域に行ってみます…
ではまた、
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「伊賀の勧請縄(カンジョウナワ)行事」(伊賀市文化財指定)⑥【阿山編2】「石川地区」

2022-03-01 15:42:52 | 伊賀のカンジョウナワ行事(伊賀城和含む)
阿山地区の「勧請縄」探索も最後の訪問。
この辺りも良く通っていたのに気が付いていなかった ということか!?
そのことにちょっと残念な気持ちになってしまいました。
確かによそ見をしながら走るのは良くないことですが、
ココにあることを知る」ことによって、
地域として継承されている「カンジョウナワ行事」を、
今後「意識できる」ことはいいことかもしれない…と思います

  
阿山中学校近辺の🚥を西へ、そのまま走ると広い交差点に出ます。
ここらへんかな?と意識して通ると「見えてくる」ものです。
この交差点は広いので邪魔にならないところに駐車すれば、じっくり見学できます。
ここは「河合川」、『石川の勧請縄』
  
川の右側は「波敷野(ハジキノ)」辺りへ
左側を行くと「千貝(セガイ)から馬場」へ

  河合川にかかる「勧請縄」

 見上げると「圧巻」の高さ、
この太い幹から「縄」が掛かっています。
では、河合川の橋(倉谷橋)を渡って、対岸側へ行き、
作業をしたであろう広場へ、そこから河原へ下ります。
    
川の左右で縄を括ってある木、縄自体が長いので括るだけでも重労働かもしれません。
河原まで下りれるのはここだけで、「下」から見ることができる!
  
「石川の勧請縄」は、他所とはまた雰囲気が違います、
真ん中には赤い札?を付けた「矢」のようなものがあり、
細い縄が長く垂れ、風に揺れる様がなかなかいい感じ…
阿山地区の勧請縄は総じて「真ん中に『矢』」があるということ、
正しくはなんという名前なのかはわかりませんが、
また調べてみようと思っています。

下から藁の飾り物などを見られるのはココ「石川」と上野の「菖蒲池」だけです。
なかなかいい経験ができました、わざわざ「勧請縄」だけを見に行くことはないかもしれませんが、
何処かへ行く折に、その近くにあったなぁ~~ということで、
ぜひ寄り道されてはいかがでしょ?
 場所はココ。

本日後半は、伊賀地区最後の訪問先「大山田地区・千戸(センド)」へ行きます。
この地区の勧請縄は「伊賀市無形民俗文化財」の指定は受けていませんが、
地域の行事として立派に受け継がれています。
なので「文化財」であるないに関わらず
【伊賀・山城南・東大和定住自立圏域のカンジョウナワ行事】に含まれています。
その千戸では嬉しい電話つながりのお話があります、
ではまた後ほど…
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「伊賀の勧請縄(カンジョウナワ)行事」(伊賀市文化財指定)⑤【阿山編1】「槙山・西湯舟・中友田」

2022-02-28 15:40:06 | 伊賀のカンジョウナワ行事(伊賀城和含む)
いよいよ阿山の「勧請縄」探しチャレンジDay (2/25) !
「槙山・石川・中友田・西湯舟」の4地区。

阿山の事は「阿山支」に聞こう、ということで支所で住宅地図を写メ。
4地区を一度に教えていただいたので、ちょっと頭の中は混乱気味。
その地図を読み違えて、槙山地区の中まで入ってウロウロ🚙してしまいました。
「カラオケスタジオ」がミソだったのに…= 探索失敗。

「写メ」した地図をじっくり勉強して出直しの日、
「槙山口🚥」左折、一ノ坪製作所やゴルフ場前を通過後、
坂を下りきったところの交差点
右側に「カラオケスタジオ」がある。
その広場に数人の人たちがいて、その中のお一人に伺いました。
「この辺に『勧請縄』、大きい注連縄があると思うんですが…」
「ああ、あるよ、あるはずやで、ここら辺に…」とわざわざ案内していただく。
「毎年、ここら辺にあるのになぁ、、、」
 いつもなら「ココ」にかかってるらしい場所
「今年は掛けてないんと違うか」と他の人。
(この方たち、実は伊賀の猟友会グループで今から山に入るとか…
 丁度ココに居てくださってよかったです、誰もいなかったらワタシ、
 途方に暮れてしまいます…)
「そうですね、今年は行事はしていないのかもしれませんね」
お礼を言って、立ち去ろうとしたら…あれっ?
カンバンを見つけ、
 

槙山地区 歴史散策コース
 大釣り縄
 勧請縄釣神事の「大釣り縄」です。
 毎年2月18日に当番組の氏子が藁束を持って参社し、
 境内の能舞台で太さ8寸、長さ33尋(ヒロ)の縄を綯い(ナイ) 、
 中央部に細縄で装飾をします。
 槙山川下流のこの地に架け渡し、その年の地区内の
 五穀豊穣、悪病などの侵入防止を祈願します。
 お疲れ様でした。歴史政策コースの点です。
 県道には歩道がありません。 神社までお戻りの人は、
 なるべく今来た道をご利用ください。
  玉滝地域まちづくり協議会 教育・文化部会』

コロナのため延期しますでした。

「縄」の追っかけをしていると「一筋縄ではいかない」ということでしょうか

気を取り直して順不同気味ですが、どんどん行きます🚙
『西湯舟の勧請縄』
 西湯舟唯一の信号かな
「ゆぶねばし」の上から撮って、川の近くまで下ります
  

  

 場所はココ

『中友田の勧請縄』
 「鞆田(トモダ)地区市民センター」の裏手へ

  お出迎えの人形さんたち
なんだか若々しく見えるんですけど(笑)、そして左側に「鞆田川」。
   
真ん中に「矢?」でしょうか…
ひょっとして「阿山地区」は真ん中に「矢またはお札」がふつうなのでしょうか?

 場所はココ

昔と今と場所の違いはあるかもしれませんが、
阿山地区のここまでは意外と見やすい場所に掛けられていました。
あっという間に行き過ぎてしまうこともありそうなので、
交差点に近づいたらどの道ゆっくり走ってくださいね…

次に阿山地区最後の訪問先「石川・河合川」ですが、
川幅も広い!ということは「勧請縄も長い」。
ということで、次回にします、ではまた
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