月ケ瀬桃香野「八幡神社」の知らなかった「神事」いろいろ

2022-02-17 14:32:09 | 月ケ瀬桃香野散策
「八幡神社」へ伺って、石碑を読むことが出来ず、
何か由来がわかる術がないかと探していたところ、ありましたよ。

『奈良大和路の祭礼や伝統行事、四季折々の風景を 写真で綴るフォトブログです。
 大和は国のまほろば、神や仏に近しく 奥は深くて おもしろい!』と、、、
奈良大和路~悠~遊~
参考にさせていただきたいとリンクの許可を頂きましたので、
どうぞ~~

桃香野八幡神社」では、新年が開けると新成人のための行事があるとか…

弓始祭(2016/1/24)男子成人への通過儀礼、的打ち
≪弘仁元年(810年)、当地の領主・興原遠江守が鎮守神を勧請して弓矢を奉納したと伝わります(当社由緒書き石版)。
 これに因み、年始めに地域の安寧・子孫繁栄などを祈願して的打ちの祭典が行われる≫とのこと。

同じく弓始祭(2018/1/21)の様子です。

ここでもう一度「桃香野八幡神社」の風景を思い出してみようかな…
 
あの赤い鳥居のある場所から
  
もちろん遠い「的」に向かって「弓」を射るのですが、
湖面に向かって射るような感じかなぁ。
当人にしてみれば難しいかもしれませんが、気持ちよさそう…
真冬の冷気の中の「弓始祭」ですが、清々しさを感じる伝統が残っていることを
教えていただきました。

他にも…
桃香野八幡神社:秋祭り/お渡り・能楽奉納(2018/10/21)
≪秋祭りで能・狂言が奉納されます。能楽の上演は江戸期にすでに定着していたとの記録が残り、
 八幡神社の祭礼と関連して伝承されてきました。≫とのこと。

桃香野八幡神社:弁天一万度祭(2019/5/5)
≪地区の住民が椿の葉を一万枚数えて神さんに奉納し
 五穀豊穣を願う珍しい神事 「弁天一万度祭」が行われます。≫

とても珍しい神事など教えていただき、梅の時期だけでなく
四季折々の楽しみが増えました
奈良大和路~悠~遊~ブログ主さんに感謝です。

「八幡橋」の吊り橋と桃香野を見る「梅」は、まだ蕾…
もう少しだけでいいから温かくなってほしいなぁ
 (再掲撮影2/11)

月ケ瀬観光協会FBから拝借の梅(2/13撮影)

ではまた
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月ヶ瀬「桃香野散策」その4、「千体摩崖仏」お参り、帰り道に「月ケ瀬橋」。

2022-02-16 16:11:02 | 月ケ瀬桃香野散策
 (再掲)
この「三差路」が重要でした、
ワタシは逆コースだったので、この写真に見える「右」の道から下りてきました。
普通だったら手前から登ったら見える「三差路」です
桃香野の道なので、これも良し(笑)。

千体摩崖仏群について」説明版
 
≪この地区には各所の大石に高さ30cm大の磨崖仏がたくさん刻まれており、
 一ヶ所百体を数えるところもあって、合計430体ほどある。
 特に、ここの大岩には、美しい小仏像が百体刻まれてあったが、
 道路拡張の折り、三分の一ほど割り取るられている。
 なぜ、この地区に、いつ、だれがこのように仏像を刻んだのか
 その詳細は、不明であるが、その昔この谷の一番高い城庵の一角が崩れ落ち
 多数の人家が大災害に遭ったと伝えられ、村人たちは今後の安泰とその供養のため、
 残る大石に仏像を刻み、その無事を祈念したのではないかと思われる。
 素朴な野趣豊かな小仏は、もの言わねど深い謎を秘めて、その昔を語ってくれる
 因みに当地の善法寺境内の「南無阿弥陀仏」碑に、「永禄六年 (1563年)供養74人・・・」とあり、
 山崩れの時期かと判読される。
  月ヶ瀬村教育委員会
  月ヶ瀬村文化財保存会月ヶ瀬村指定文化財 ≫

とても見晴らしのいい「山城」だったと想像できますが、
村人を守るはずが崩れ落ちて大災害になってしまったということですね…
三重県各地の城跡へも行きましたが、やっぱり「自然災害で倒壊!」は確かに多かったです。

ではその「千体摩崖仏」をいろんな方向から見てみました、
  

スチールの橋を渡ると
 

少し分けて撮ってみましたが…

 同じ人が彫ったのか、
いろんな人の手によるものか、素人のワタシにはわかりませんが、
これだけの「仏様」に見守られていることは心強い気もします。
「合掌」

 摩崖仏のご近所さん

ここでちょっと「むかしばなし」。
家人が幼少の頃、桃香野の親戚の家に泊りに行ったとか。
その家の主に言われたそうな「夜中に寝ぼけて外でオシッコするではないゾ!」
庭に出てみて「なぁるほど」と納得したらしい、
庭から見えるのは「前の家の屋根」だった、とさ。

至る所に「防火水槽」「消火栓」「ポンプ収納庫」など
危機管理体制はバッチリ整えられていると感じました。

名残の坂道を下る

帰りにクロにゃんに出会う…


綺麗な風景をいっぱい見たし、大っきな岩の摩崖仏さんにも巡り合えました、
神社もお寺も行きました、今度行くときは迷わず行きます。
頂上へ行ってみたい気もしないわけではありませんが…

帰り道は、桃香野の上から見た「月ケ瀬橋」を通ることにします。
  
橋への分岐点辺りは「宮之芝梅林」(今年の様子ではありません)

梅は蕾固し(2/12現在)、「月ケ瀬橋」は湖畔に反射して綺麗でした…
 

知らないところを知ることが出来たし、梅が咲く前に行ったことで、
今度来た時見る目が変わりそう、「梅」はもう少しだけ待つことにしましょう~
今日はどんな様子かな? ☞ 「月ケ瀬観光協会/開花情報」「同じくFB」をどうぞ

月ケ瀬桃香野の旅、完。
ではまた
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月ヶ瀬「桃香野散策」その3、「善宝寺」、「菊屋家住宅」へ。

2022-02-15 17:39:54 | 月ケ瀬桃香野散策
月ケ瀬桃香野の雲景山という山肌に乗っかるように家が建っていて、
メイン道路はその外側(外周?)を通っています。
各家に行くにはそこに引き込み道があるのですが、
やや広めの引き込み道路で「Y字」になっていた場合、さぁどっちへ行く?
と、悩むことしばしば
迷ったとて目的地はそんなに遠くはないと思いますが、
ただただ山道を登りけり!状態ですので、かなりの運動量になりました。
散策しながら体を鍛えるにはいい場所ですよ

前置きが長くなりましたが、「八幡神社」を出て、少し先に三差路、
近くにお寺の名前が見えたのでお参りすることにします。
【善宝寺】(月ケ瀬桃香野)
   お掃除小僧さんは再掲
境内を進むとなんと立派な塔があることか…
  『石造十三重塔
説明版によりますと
 ≪総高にして370cm台座は延元元季(1336)の銘あり、
 鎌倉時代から室町時代にかけてこの種の石造物が多いが、
 年銘のあるのは珍しく、本(月ケ瀬)村石造物の最古のものである。
 南北朝時代、南朝の年号を使っていることから
 後醍醐天皇に関心を寄せていた人の建立と思われる。
  月ヶ瀬村教育委員会 月ヶ瀬村文化財保護委員会 ≫

他にも「奈良時代から室町時代」にかけての宝物が文化財として残っています。
 
月ケ瀬湖を見守るお地蔵さまたち。
お寺をお暇してその先どんどん登ります。
橋の景色を確認しつつ、振り返りつつ進みます。
再掲の「八幡橋と月ケ瀬橋と月ケ瀬湖
   「愛宕神社の常夜燈」
こんな坂の真ん中にY路、しかも案内の矢印は上向き ↑
読めるように直せば、左←ですね…

ウロウロ彷徨っていましたが、なんとか着いた三差路正面に
  「摩崖仏
この地区ではそれぞれの小字(コアザ)か集落単位でお墓があるようでした。
ここもその一つと思われますが、この石仏を彫ってある巨石はどこから??
横を見れば「月ケ瀬梅渓≪健脚≫ハイキングコース」の案内、

なるほどね、「健脚」の意味がよく理解できた瞬間デス。

←左に行けばすぐ、【菊屋家住宅】。
昔ながらの「茅葺の民家(農家)」がそのまま残っているのは、珍しいこと。
国重要文化財』に指定されています。(文化財データベースより)
中を見学するには予約が必要とのことでした(有料)。
修理修復はされていると思いますが、江戸時代のまま原型をとどめていると思われます。
   
奈良まちあるき風景ページより
  

順路的にはこの「菊屋家」は結構高いところにあるので最後のつもりだった、
迷って他の道を迂回していたので、肝心の「千体摩崖仏」に出会えぬまま、失意のどん底
立ち直りは早い方なので、まっいいかっ、と村の景色を見ながら下っていました…
   
安定して家を造るには「石垣」は必須アイテムのようですが、
大変そう。

 
再三の三差路で「月ケ瀬梅渓健脚ハイキングコース」、
←左『千体摩崖仏群について」…

やっと見つけました
ではもう少し…

(コロナワクチン3回目接種 2/14 終了、ちょっと安心、してもいいのかな…?)
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月ヶ瀬「桃香野散策」その2、「八幡神社」と石の祠。

2022-02-14 16:03:08 | 月ケ瀬桃香野散策
 (再掲)
これは桃香野散策の帰り道ですが、もう少し季節が進むと
ここ全体がほのかに梅の香り漂い、山肌は薄桃色に染まるのだろうなぁと、
想像力が膨らみます、待ち遠しいです。

少し余談ですが、
半世紀前、母校では冬の行事として「月ケ瀬マラソン」がありました。
月ケ瀬のどこがゴールだったのか記憶に残っていないけれど
学校 → (仮定)現・月ケ瀬小中学校界隈まで走ったとして(当時で)約15㎞くらい?
女子もその途中まで走っていたか徒歩だったかと(ワタシはずっと歩いてた記憶)、
みんなよく頑張るなぁ …と感心していたものです。
男子は、女子の横を走り過ぎるときだけ異常に頑張っていた…と、
そんな昔話を時々聞きます
  S47卒とS44卒のアルバムから
まるで他人事のように書きましたが、何せ運動なるもの苦手だった💦 ので
記憶から削除はされていますが、記録はこうやって残ってる…
ゴールはどこだったの?
女子は歩いてたん? 走ってたん?

こんな風に「旧月ケ瀬村」は、上野の近くで「隣村で校区内」みたいなもんで、
あくまでも「月ケ瀬!」。
買い物も上野へ来る方がうんと近いよね。

今、住所表記は「奈良市」です、なんかピンとこないのです…


では気を取り直して、【八幡神社】(奈良市月ケ瀬桃香野)
山に沿って登る、その途中に赤い鳥居が見えるので、すぐわかりました。
  
石段を上がるまでに子どもの遊び場のようなところに案内板。
「社叢(シャソウ)」は県の天然記念物になっており、
標高約180~210mの急傾斜地に、社殿を囲むように発達しており、
 大変保存のよい照葉樹林』とのこと。
地区の皆様のお世話の賜物、自然のたからもの。

   手水舎の龍さん
「常夜燈」がなかなか立派。

拝殿でお参りして、奥に廻ります…
   

拝殿横から失礼します、
本殿建物は残念ながら見えなくて、その後方に「磐座」か?
  

巨岩磐座の下に
  「石の祠」。
村と山を守る「神様」が鎮座していらっしゃるのでしょうか?

広くて綺麗な境内、「蔵」もあるので神事に使われる何かが収納されていると思われます。
 


鳥居傍に石碑の由緒書きがありますが、
読めないので詳しいことはわかりません、スミマセン。
おそらく「弘仁元年(810年)、嵯峨天皇」にご縁がありそう。

隣は「公民館」、その駐車場から「八幡神社」の全景。

眺めはとても素晴らしい、ここまでなら迷うことなく行けました。

一応印刷した地図を持参していたのですが、
どこまで行ったら「二つの橋」が見えるんだろうと、
そればかり気になって、地図は大して役には立たなかったのは事実。
本当は「千体摩崖仏」に会いに行きたかったのですが、
「あっ、お寺見っけ」みたいな感じで呑気に坂道を上っていきます…

ではつづく
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月ヶ瀬「桃香野散策」その1、二つの橋が見える「雲景山」に登る…

2022-02-13 16:44:27 | 月ケ瀬桃香野散策
桃香野散策から戻って、一切の家事から手が離れたその後は、
冬季オリンピック・女子カーリング実況など始まってしまい、
なかなか落ち着かない夜を過ごしながらも、テレビ画面と💻での写真整理で
アタフタしてました(笑)。(勝って良かったねvv)

そんな時、月ヶ瀬観光協会が新しく作ったという「バーチャルマップ」の案内を見ていて、
こんな言葉を見つけました…
雲景山梅林「地元民もあまり知らない絶景スポット」
ダム以前は下方一面川辺まで白梅の雲景がたなびいたと云われる桃香野・雲景山。
その中腹からは吊り橋の八幡橋赤い月ヶ瀬橋の二つを
一緒に見ることができる。
芳しいほどの梅の花、満開の桜、新緑の木々、すそ野を彩る紅葉など四季折々の景色と共に。≫とのこと。

そう、そうなんですよ、
まさにその景色を見たくてワタシはそこを歩いていたのです。
そして、「八幡橋」を通していつも見ている風景、
桃香野」を歩いてみたかった。

 (再掲)
高原のてっぺんのような場所で生活している人たちがいるんだなぁ、
調べれば歴史はかなり古いらしく、南北朝時代の石造物があるそう。
家人の親戚もいて、幼少期に遊びに行ったことはある、と。
但し、今同じ場所に行けと言われても無理や、とのことでした が。
地図を見る限り、ちょっと簡単ではなさそうで、
しかも自動車は諦めようかなと思うくらい狭い道で、高低差もありそうだし…
いろいろ困難に出会いそうなので、徒歩で散策!と決めました。

そうそうもうひとつ、
同じく「観光協会のFB(2/4)」では、
≪桃香野雲景山梅林の今。
 桃香野の八幡神社、蛭子神社、善法寺周辺は雲景山梅林と呼ばれています。
 渓谷の眺めの素晴らしい所です。
 梅の花を探してみました。
 善法寺と言うお寺の上の所は花は早くはないのですが、
 たった一輪、小さな花を見つけました!
 川べりの蛭子神社付近は少しですが花が見られます。
 花びらを開き始めた蕾が今の月ヶ瀬にぴったりです。≫ と紹介されています。

その言葉、まさに、実感してきました
行程図

🚙は「月ケ瀬湖畔 蛭子大黒社」兼「東郷園」駐車場へ。
この時期通る車は多いので気を付けて横断し、
雲景山梅林】を確認、梅はまだまだですよ。
 
急坂を登っていきます。(普段のウォーキングの賜物ですよ、意外と大丈夫でした(笑))
その急坂から見たのがこれ、
 

どんどん、ひたすら、登ると
  遠くに「月ケ瀬橋」見えたっ!
まだまだ序章が始まったばかり…
「八幡神社」(桃香野)の入口、ここは後日詳しく。

神社の次に「善宝寺」と言うお寺があり、そこの小僧さんに挨拶をして、
  境内から眺める
だんだん橋が二つはっきりと見える(かな?)
 善宝寺で「梅一輪」
「善宝寺」のご報告はまた後日。
 かなり複雑、googleには出てこないかも
どこを歩いてもこんな感じで個人宅前に急坂の入口。
軽自動車が主人公、普通車ちょっと厳しいかな
行ってもいいけど、対向どうする??みたいな…
こういう状況を実際にこの目で確認したかったし、
正直、途中で迷うことも多々あって、ほんとたまたま通りがかって下さった方に
「迷うこと前提で歩いて来ました」」って言ったら
「それが正解です」って言われたくらいです
さて、まだまだ登る
  愛宕神社常夜燈三差路辺りから

その先に「千体摩崖仏」や「菊屋家住宅」(国重文建物)など、もっと上にあります。
調べてみるとこの「雲景山」は標高283mくらいとのこと。
進む先を見れば「頂上」は近そうだったけど、どうだろうか?
それでも家はまだ見えるんですよ、住んでいらっしゃる…
毎日この風景を見ていいなぁ、なんてことは言いませんけど
しかしこれは、もう絶景 です。(アップにしてますけど…)
 
目の前の山と同じ目線に見えるのです、橋もちゃんと二つ、はっきりと。


この赤い橋の奥は「龍王の滝」です、郵便屋さんも大変💦

「蛭子大黒社」に戻って気が付いたのですが、
空を見上げて昼間の「お月さん」と「梅」。
 
楽しみです

今日は「雲景山から赤い橋二つ」、
ではまた、
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