「常福寺」(古郡) 大師道を行く 後編

2021-01-31 23:17:53 | 神社仏閣など
常福寺(観光三重より)

≪背面の不動山には、
本四国八十八ヶ所大師霊場(お遍路)・西国三十三ヶ所観音霊場を移した石仏254体(219体とも)が各所に安置されており、
それらを歩いて巡拝することのできる「大師道」があり
道程は、一周約1.7km。ゆっくり歩いて一巡りおよそ50分。
平成10年に、農村総合整備事業の一環として大師道が整備され、
より安全に快適に巡拝できるようになりました。≫
参考:「かんべてくてくマップ

冬の青空の元、ちょっと低山登りにスタートしますが「仏様」がいっぱいあるらしい、
「仏様」のことはあまり知らなくて申し訳ないのですが、
どちらかというとウォーキング気分なので、スミマセン。

  車を止めたところから
向こうは「木津川」、最接近!

  
登り易く階段風のところから木津川や県道422号線を望む、
振り向いて、この景色
今度から、この県道を通るとき、ここに目が行ってしまいそう!
(カーブだから、よそ見厳禁!)気を付けないと…

 岩の間に仏様
こういう感じの岩の間の「仏様」がたくさんいらっしゃるのですが、
上るにつれ「岩」ではなく、草木の間に「仏様」、でした。
迷うことなく歩いて行けますが、ほとんどに階段があり、
登ってる!って感じです…(優しい階段なのでとても有難い)

途中、
 「大師山1号古墳」、
他にも4号古墳もあり…

  磐石「御飯石」
「福石」ともいう?

突然、視界が開けます
  
「東屋」もあって、遠くの山々が見渡せますが、
(木々がすくすく成長しているので…というかんじかな

その近くには、「賽の河原」…
  そういう意味がありましたか…
親より先に立つことは、鬼も許さぬか!?…

  
写真など撮りつつなので小一時間は歩いたかもしれませんが、
程よい疲れです、大丈夫です。
いい散策路でした。(もとい、巡拝路)

境内に戻り、やっぱり見上げたくなる「空」です。


 最後、
締めくくりの「ご朱印」(ご褒美みたいなもので(笑))、
染筆です、嬉しいです。

「常福寺」には、国の重要文化財(元国宝)の【本尊五大明王】があって、
年に3回、ご開帳していただけるそうです、次回は4月3日とのこと。
※≪五大明王とは、五大尊・五大力・五忿怒とも称し、
不動明王を中心として四方に位置する
降三世明王(東)・軍荼利明王(南)・大威徳明王(西)・金剛夜叉明王(北)の総称であります。≫(当寺HPより)

いつかは、お目にかかりたいと思います。

ではまた
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「常福寺」(古郡)の大師道を行く 前編

2021-01-31 12:20:24 | 神社仏閣など
(記録は少し遡ります…)

今日は(1/20)上天気 どこを見ても青空ばかり。
最近、神戸(かんべ)方面へ行くことが多く、
国道422号線を南へ走るたび、木津川に寄り添ったところで
大きな案内が見えるので気になっていました。

今日こそ、気になる「常福寺」へ。
但し、すこぶるいい天気なので最大の目的はこのお寺の裏山の「大師道」を歩くこと。
しかも冬の山道だから(ワタシにとって)すごく安全だと直感したので…(笑)。
(誤解のないように、ただただ6本足以上とヘビ系が苦手なだけ

資料によりますと、(諸説いろいろありますが概ねこんな感じ…)
古郡伊賀盆地のほぼ中央に位置し、
周辺には、遺跡(城之越)や古墳などが散在し、
壬申の乱」に登場する『伊賀駅家(イガウマヤ)』が置かれていたと。
 ※駅家(ウマヤ)=早馬がおかれた所・中継点。

*長谷寺の開祖・徳道上人が養老6年(722年)に開いた寺で、
その数年後に聖武天皇の勅願寺となっており、かなりの古刹(コサツ)だそうです。

では、案内標識より少し手前の道(旧神戸小学校近く)を斜め左に入り、
少し広くなっている場所に駐車、そのまま道なりに歩きます。
   楽しみな「梅」。(1/20現在)

江寄山 常福寺】(こうきざん じょうふくじ)
梅や桜、椿など手入れの行き届いた道を進むと
  石段を上り、龍さんにお目にかかり
境内に入らせていただくと、立派な本堂や庭、
    
山門、本堂、鐘楼堂、神戸(かんべ)方面から向こうの山並みなど

  蟇股や虹梁の龍などなど
文化財に指定されている芸術作品が多いのです、必見
(藤堂藩彫刻師・田中岷江(たなかみんこう)作)

『常福寺の由来』や『大師道の案内』など
  
 
本堂から左に目をやりますと、というかすぐに目に入る巨木、
(どこかで見た記憶が…説明を読むと「滝仙寺」にもあるとのこと、
思い出しました、「忍者回廊巡り」で伺ったところですね)
   
歴史を見守る広葉杉(コウヨウザン)です。

せっかくなので、本堂の屋根と青空も一緒に
 

では、本日の目的地へ進むことにしますが、長くなりそうなので…
後編へ
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第2弾 松ぼっくりの不思議、「ふぃぼなっちすうれつ」って何?

2021-01-30 12:11:32 | つれづれ思うまま
1/23「続編」

松ぼっくりや杉ボックリを拾っては溜め込む、、、
変な大人をしていますが(=ガキともいう)、
でもね、ちょっと不安になったことがあって、
「公園の松ぼっくり、拾って持って帰ってもいいの?」
・・・
まぁ、落ちればゴミ、(清掃係の方もいるわけですよね、けっこう大変そうで…)
枝からむしり取ったらアカンやろけど…という結論に達しましたが、
どうやろか?

最近「松ぼっくり」にちょっとハマってるので、
「松」の種類ってどれくらいあるの?とか、
リースなどに使えるので「色」を塗ってみたいとか、
拾ったものをそのまま保管してて、暖かくなって虫がモゾモゾ出て来てもヤダなぁ…とか、

ネット検索してみれば、自然のものなので「煮沸消毒」はした方がいいとのこと。
(何が出て来るかわからないよ、と脅された(笑))
筍を湯がく以外出番のない大鍋を出してきて、煮沸消毒決行!

先に拾ったボックリ
 しっかり乾燥しているので
「鱗片(りんぺん)」は開いています。

後日、雨の後に拾ったボックリ
 「雨後」のボックリ、
閉じています。しかも、そこら辺に落ちていた「葉っぱ」しっかり咥えています(笑)。

では、熱湯の中に投入
  
数分熱湯入浴すると完全に鱗片閉鎖!

   
熱湯お風呂から出して、乾燥に入りますが、
これからが長い、ストーブの前で気長に乾燥作業に入ります。
ここで、一番デカイのが「大王松」、あとはアカマツやクロマツでしょうか。

ここまで来て、乾燥のため「松の態勢」を変えているときにふと気になった…
松かさの模様」って、何故か見てて飽きないなぁ~~
なんかきれいな模様だなぁ~~
秩序良く並んでるなぁ~~

部屋にあるファンヒーターの前が「松ぼっくり」の居場所になってます、
そこは、(夜だけ現れる)長女の居場所でもある。
最近、目の前に鎮座しているボックリを見て、突然
彼女「色を塗ってもいい?」と、、、
ワタシ「どうぞどうぞ、遊ぶ気になった?」
しばらく熱心に塗り絵をしているなぁと思ったら、
彼女「やっぱりね、この模様って数列があるんだよ」とか何とか、訳の分からんことをのたまう。
ワタシ「何それ? 数列? 数学で習う数列? そんなん習ったことないよ

ここだけの話、算数・数学って時間は窓の外を見てて、先生の話は上の空、
お経のように右から左に流れるモノだった人間にとって、
ワタシ「なんで、松ぼっくりが数列やねん?」
彼女「『フィボナッチ数列』っていうのがあってね…」
ワタシ「ん?ふぃぼ なっつ?」
彼女「ちゃう、フィボナッチ!」
という、噛み合わぬ会話をして、何となくの説明を受けた。
1,1,2,3,5,8,13,21,34,55・・・」→「1+1=2、2+1=3、3+2=5、5+3=8、8+5=13・・・」
ひとつ前の数字と足し算をしていくとこの数字の並びになる、永遠に続くけど…

「一辺が1㎝の正方形を2つ、その横に2㎝の正方形、、、」


「自然界や美術の世界にはこの数列がふか~く関係してるんだよ」
「計算して行けば、限りなく黄金比に近づいていく」
「絵を描く時も、写真を撮る時も、これを意識したら美しく見えるんだよ」とかなんとか…
「なんで数列と美意識が結びつくねん、アカン、頭が痛い、理解不能」。
(ワタシは撃沈)
ご参考に「【話ネタ】自然界に隠されていた「数」に気付いてしまった天才“フィボナッチ
他に、デザインを美しくする黄金比

美しさが先か、数列が先かは、鶏と卵の関係みたいなもんで、
永遠の課題ですけど(笑)。

でもね、確かに感じてました、
ボックリの笠(=鱗片)の並び方って、不思議だなぁと、
〇で納まってなくて、らせん階段のように並んでるんだよね。
これ以上の説明は、ワタシには無理なので
実際に塗ってみたボックリ…
 これは「大王松」なので、デッカイ。
よく見ると左が「13」、右が「8」かな…
要するに、「左回り」と「右回り」ということですが、

こちらは上野公園で拾った普通の大きさの松ぼっくり

確かに左が「8」、右が「5」ですね。

数列の事はわからなくても、自然の造形物を見ていると、
なんか楽しいよ

ではまた
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そんな…知らなかった「志摩マリンランド」の事情

2021-01-29 22:53:40 | つれづれ思うまま
『【おしらせ】
志摩マリンランドは2021年3月31日をもって、営業休止致します。
51年間続けられたことも、皆様に愛されたおかげです。
2021年3月31日までは、いつも通り営業しています。
このご時世ではありますが、お近くにお越しの際は是非お立ち寄りください。
従業員一同心よりお待ち致しております。』


こんなことを綴った日もありました、、、
~~~~~~~~~~~~~~~
志摩マリンランド
ここへ行った目的は、 ちゃんに会うことだったので、ワタシはこれで良し!
でも実は、マンボウちゃんや他にも珍しい海の生き物がいっぱいいるので、
(小さい子を連れてなら)半日は楽しく過ごせるのではないかなぁ…と。
熟年のワタシでも、一人で十分楽しんでました、見るばかりで写真はあまり撮りませんでした。
(帰る時間も迫っていたこともあって、ちょっと慌ててた
こういうところはやはり実際に見るのがイチバンかと思うので…ぜひ。
  

マリンランドの展望台では
   
こんな風に見えます
~~~~~~~~~~~~~~~~


もう一度行っておきたいなぁ~~

追記(2021/01/31)
朝刊にて
 (中日新聞2021/01/30付)
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油断禁物、外で転んだらアカンやろ!

2021-01-29 11:01:37 | つれづれ思うまま
運動不足を解消しようと思って、お散歩に行ったらしい。
寒さが抜けたら、雨が続き、家の中に籠る生活、その気分転換に…
(なんか、親子やなぁと思わないでもない

上野公園へのお散歩はよくあることらしいけど、
今日(1/27)に限って「俳聖殿からお城へ登る(あの)石段を登った」とか。

ワタシも夕方そこ(お城界隈)をお散歩してた、けど
ハハには会わなかったよ、
お城から久しぶりの金色の夕日を見ながら、お城の松ぼっくりを拾ってた(笑)。
 
念願の金色の夕日や~~

そこに、突然家人から電話があり、「こけたらしいで…」


んなわけで、(途中省略)急遽「整形外科」へ連れて行つたのが午後6時、
レントゲン撮影の結果は「右手首骨折」との診断
 完璧やぁ

先生「おそらく手術が必要になると思います、診断書を書きますね。」
ハハ「えぇ?90年生きてきて、生まれて初めての経験やわぁ。こわいなぁ…」
ワタシ「ここまで何事もなく順調に来たことが奇跡やなぁ」とかなんとか、
間の抜けた会話をしておりました。

もう、急転直下の出来事に、ワタシの誕生日もぶっ飛んだわ
せっかくの「輝く夕日」もこれを書くまで忘れてた

翌日、某市民病院(地元やから、「某」って書くこともないけど)にて、長~い一日を過ごし、
CT画像がコレ
 見本のような骨折!

『右橈骨遠位端骨折(ミギトウコツエンイタンコッセツ)』というそうで、
≪50代以降の女性がつまずくなど転倒して手を突くことによっておこる骨折、
骨粗鬆症(コツソショウショウ)により骨がもろくなっておこる可能性大、
脆弱性骨折(ゼイジャクセイコッセツ)≫ともいうそうです。(自分のために覚えておこう

本人も「90にして初体験やわぁ、いややわぁ、こわいなぁ」と恐怖を感じながらも、
家に帰れば帰ったで、
「私、左手でもハサミ使えるよ」とかなんとか、なかなか殊勝なことをのたまう。
せっかくお家の段差がなくなったと喜んでたのに、
「もう、普段と違うとこへは行かん」と反省ものたまう。
(若い気でいたとしても、内面はそれなりに…衰えているということか

正直、足でなくて良かったね、と言うのが精一杯ですが、
あれこれ細かいことができない不便さはある、にもかかわらず、
弱音を吐かないハハはエライ

ワタシも血筋的にそうなれるのかなぁ、
なんだか人生の先輩として を送りたい気分です。

手術は2/1、翌日退院、面会不可、術後リハビリ通院あり、
エライコッチャ感はほぼないですけど…
最小限のお手伝いはしてあげないとね、と思う次第。

昔の人?ってかなり器用!!
いざと言う時、絶対困らないだけの知恵と工夫を持っている!!
転んでしまって改めて ハハの強さを知った。
「転ばぬ先の杖」って家の中だけ整えても……というお話でした。
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川上ダム観眺台(ミテチョーダイ)から「史蹟 阿保頓宮跡」(アオトングウシ)・「阿保親王陵」(アオシンノウリョウ)へ

2021-01-28 00:52:59 | 神社仏閣など
舌をかまないように読んでいただくとして…
マップを見ていると何やら歴史的というか神話的というか、
「阿保(アオ)」(現・伊賀市)という土地は、古くから拓かれていたらしいのですが、
神話の世界に迷い込んでいるワタシが伺ったのは、
「誰かのお墓…」、天正13年ごろには「お城」があったとか、、、

一体どんなとこ??

相変わらずの思い付きではありますが、私的ダム見学の帰り道に
ちょっと寄り道すれば行けるところにありそう。

(川上ダムからの帰路なので)
県道29号線(松阪青山線)青山羽根交差点手前を右折
少し走ると旧阿保街道に入り、そのかかり左手に「大常夜燈」があります。
  まっすぐ行けば「街道」が続く
そこを右折すれば、、、(google mapもyahoo mapもいろんな書き方で記載されてますが…)

【史蹟 阿保頓宮跡】(シセキ アオトングウシ)
旧青山町の「あおやま風土記」によりますと、
≪第十一代垂仁天皇の皇子、息速別命(イコハヤワケノミコト)の御墓の向かい側、
県道から東へ29段の石段を上りますと、すぐ右に四方に土塁をめぐらし、
椿、樫などの大木に囲まれた平坦な草生地があり
「史蹟阿保頓宮阯(とんぐうし)」と刻まれた石碑が建っています。

ここは天平12年(740)第四十五代聖武天皇が、藤原広嗣の乱を避けて、
伊賀、伊勢を越えて行幸の際、一夜を明かされた仮の宮居の跡であり、
その前後600年間も続いた齋王(さいおう)(*天皇の名代として伊勢の神宮に使える皇女)の
往復時の宿泊所の跡でもあり、
又後に天正13年(1585)大和から伊賀へ入国した筒井定次の部下、岸田伯耆(ほうき)が
この地形を利用して築いた城跡でもあると伝えられています。
なお土塁上の北西部と南東部の2カ所に嘉永6年(1853)に建立した
息速別命外二神を祭る小祠もあります。≫

要するに
①天平12年(740) 聖武天皇の宿泊宮跡であり、
②斎王*の宿泊所となり、
③天正13年頃、城が造られていた。

ここは、利活用するに余りある優れた土地だった…ということでしょうか。
春になって芽吹きだすと厳かな雰囲気のいいところだろう、
と思うのですが、ワタシは今(=冬)!がいい(笑)。

この標識に嬉しくなります、それとなく大事にされているのだろうなぁと。
 駐車は可能ですが、大きな声では言えない…
(少しの時間止めさせてくださいと、そっと祈るかんじ
上に転記の文章では29段とありますが、ワタシは数えなかった。
上りきると
 
視界が広がり、空も見える、土塁もあります。
虎口と思われるところから入ります
   
虎口すぐ傍、土塁上に小さな祠

降りて、見渡すとスッキリ綺麗に整えられている場所だなぁと
(地元の方々の手入れのお陰かと…) 
真ん中に「石碑」、右手側からグルっと一周です。
   

210125 阿保頓宮跡


動画は、中央辺りから向いの虎口へ抜けて行くところ、いかにも歩いてる感まるわかり(笑)。
せっかくの神聖感が台無しですけど、そこはごめんなさい(笑)。
新緑の頃がいいだろうなぁと思いつつ歩いてみたのです。
二つ目の祠(これも土塁の上にある)
 

  『史蹟 阿保頓宮跡』石碑
「三重縣」です、昭和4年3月建立とか…
ここから入り口の虎口を

お暇して、外に出て、一瞬雪に見えた、、、(何かはわからない?)
  椿の葉っぱが艶々してた(笑)。

さて、元来た階段を下りると、道向かいに何やらこんもりした「森」が見える。
地図を見ると「お墓」らしいけど、かなり古そうな…
  
近づいたので、ちょっと中を
 こんもりと土盛が見える…
 唯一の立札
「宮内庁」でした。

帰り道に
  この石段の先が「頓宮跡」

帰宅後調べると、ここは
阿保親王陵】(あおやま風土記より)

≪第十一代垂仁天皇の皇子、息速別命(再掲・イコハヤワケノミコト)が、伊賀地方を治めるため派遣され、
阿保に宮室を築いてお住みになっていたことから、通称は『阿保親王』と呼ばれ、
その子孫も代々阿保の地に住み、第十九代允恭天皇のとき居住地の名により『阿保』という姓を賜ったといわれる。

その墓は阿保西部のまちはずれ、種生・矢持に通じる県道のすぐ下にある。
明治9年に御陵として指定されて以来は、四方に玉垣が張りめぐされ、正面には遥拝所もある立派なお墓で、
伊賀地方では唯一の宮内庁所管陵墓である。≫ とのこと。

そうそう、この息速別命は「倭姫命」の弟だそうで、
ワタシが彼女の足跡を追いかけているのと何やら関係ありそうだな…と。

あくまでも「神話の世界」なのですが、真偽は別にして(歴史はロマン!なので)
やはりこの辺りは古くから拓かれ、大和や伊勢と深い関係があって、
人々が盛んに往来していた「光景」が浮かんできそうです。

ではまた
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第2弾・春はちょこっと…by 森林公園

2021-01-27 11:37:03 | つれづれ思うまま
今はやっぱり「梅」の追っかけですけど、
着実に花は増えています。(1/18は、まだこんなん
一輪だけ見つけた時はもちろん嬉しかったけど、
少し暖かい日が来ると、一気に咲いてくれる、
その様子を~~
お散歩コースの中に「風のとりで」がある、風もよく通れば日差しもあたたか…
 

途中
 何の足跡でしょう?

「東屋」は至る所にあるのですが、ここには傍に梅の木
  一気に膨らんできました

ビジターコテージ前の「梅」、もはや一輪どころではなく
   3・4日雨だった、
その来られぬ間に咲きましたねぇ、香ってきそうな勢いです。

林やここの水辺はまだ「冬」。
睡蓮の咲く水辺、すっかり枯れちゃってますね、何もないように見えるけど…
初夏がくればきっと目を楽しませてくれるはず。
   シカちゃんは元気そうです(笑)

カモ軍団は元気かな??
   親子カモが見えました、
遠くて見にくいけど、親鳥の後ろをついて泳ぐ姿がかわいい

「陽だまりの丘」に案内板
  
そういえば、鳥の声もよく聞こえますが、ワタシには聞き分けられないのが残念

丘の下の周回路を歩いていると、
枯れ枝になった「杉」だけど、何やらトゲトゲボールみたいなものが見える、
ひょっとしてボックリ?、「杉ボックリ」!?(そんな言い方があるのかどうかはわからないけど)
  
ジックリ見てると、ボックリの成長過程がそのままわかる、、、
枯れた灰色ボックリから順に茶色→緑色って…
スギ花粉の方には毒写真かも、ゴメンね。

待ち遠しいことばかり(笑)。
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川上ダム、これでもかっ!とコンクリート打設は続く

2021-01-26 10:36:03 | ダム(おもに川上ダム)
不定期ではありますが、ちゃんと行ってますよぉ~~ダム

冬の長雨でしたね、梅雨の時より長かったような気もする…けど、
久々の上天気の2021/01/25の午後、
朝からはいろいろ所用があり、どこも行けずウズウズしてた

これを見たかった (川上ダムTwitterより)
ミニチュアの世界のようだけど、この大きなバケツにミキサー車何台分?
この目でシカと、確かめに~~(笑)。
  

ダムは成長してます!
  まだ高くなるのかなぁ?

  
もうすぐそこに、ダム路(堤体道)ができるんじゃないのかなぁ…(慌てすぎ??)

ダム湖になるであろう景色が見えるところへ移動、
 
手前右側は「前深瀬川」、
今見ておかないと、、、
目に焼き付けておきたい場所です。
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リニューアルあれこれ、古くても新しい「古民家cafe このは」(名張井出)へ

2021-01-25 11:15:37 | つれづれ思うまま
ラジオ収録にぜひ~~とかなんとか頼まれまして、
ハハと二人で某ラジオ局へお邪魔し、散々おしゃべり(90歳のハハがですよ)してきました。
まぁ、リニューアルbefore & after 後日談です。

11月中旬から12月下旬にかけてのリニューアル工事だったので、
だんだん寒くなっていく中でよくぞ乗り切った。
いたって快適な生活になって、本人はすごく喜んでいるので一安心。

同じ家の中とはいえ、自分だけの世界だった居間を
(家具類を除いて)まるまる別の部屋に移動しての1か月半、
ハハの居住スペースは、しっかり工事現場!だった
 
3度の食事が一番大変だったらしい…
台所から別の部屋まで運ぶ作業の手間がね、これもよく乗り切りました
ほんとよく頑張ったね というお話です。

浴室と脱衣洗面室を新設(古い風呂は大いなる段差があったので危険 だった)、
一番居心地のいい自分の部屋の横に造ってもらうことになった。
この上なく快適になるはず……そのためのしばしの辛抱だったわけです…

しかも、暖房除湿付きですから真冬でも寒くなく、浴室もすぐ乾く、お掃除楽チン!
洗濯も室内でできるようになった…外に干しに行かなくても大丈夫!
「二層式洗濯機との別れ 」(笑)。
(90ニナッテ、ムリヲスルコトハナイ!ト助言シ 全自動洗濯機ヲ 買ッタ)
 

もうあなたっ、理想的ですよ

LIXILショールームへ連れて行ってもらって、自分の目で確認した上で
浴室内のすべてを(自分好みに)選べたのも良かったらしいですよ。
(一緒に行った「孫の助言」もあってこそ!ですけどね(笑))
*浴槽、床素材、壁の色、いざと言う時のエスコートバー等々

ワタシは、彼女が結婚してからの70年分のモノの整理・整頓・廃棄に奔走しましたけど、
その経験もいつかきっと役に立つと思いますわ(笑)。
新設お風呂が出来上がってから、古い風呂は解体という手順でしたので、
風呂に入るということが途切れることはなかったのです、その手順がサイコーでした(笑)。

そして、ハハは(亡き)父に感謝してました、おかげさまで…って(笑)。
(ワタシハ 体力系ガンバリマシタ, ケド 一切カカワッテイナイノデ)
晩年の父には、「貴方がずっと仕事できたのは、ハハのお陰だよ」と言い続けましたけどね、
どこまで理解していたんだろうか、「男子厨房に入らず!世代」でしたから…
食べ物は、黙ってても目の前に出て来る、
服はいつもきれいになって目の前にある、
部屋はいつの間にか掃除されている、
お風呂も夜になるといつでも入れる、、、ちゃうって、それみんな、
誰が準備するねん!

多分、彼女(ハハ)の寿命はもう少し延びると思われる…

ってなわけで、ご褒美のお食事、もちろん少人数で!
ご紹介いただいたのが、ココ
 急坂を登りますが
のぼれば
 この景色
雨だったので残念ですけど、見えるはずの向こうは「赤目方面、室生の山々のはず」。

『古民家cafe』ですが、元々はキッチンcar でお仕事されていたそうです。
思い切ってこの土地で、地場産モノにこだわって開店されたとか。
  
お客様が多くおられたので室内は撮ってません。

期間限定ランチ
 
素朴だけど、メリハリのあるお料理でした。
ドリンクは「hot ゆず茶」にしました(いろいろから選べる)。

 床の間に置かれたツリー
(ワタシも「松ぼっくり」何とかしよう!と思いました…)

お庭
 
これからどんどん「春らしく」なっていくんでしょうねぇ。

昔はきっと囲炉裏があったんでしょう、真っ黒な「梁」が印象的で、
いろいろ工夫されてて面白かったし、美味しかった…
古民家のリノベーションは大変だったと思いますけど、
工夫次第でなんとかなる!っていう目線になっちゃいました(笑)。

古きものと新しきものの融合
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葵紋残る「徳永寺」(柘植)、家康公とのご縁

2021-01-24 11:12:58 | 伊賀忍者回廊巡り
仕切り直し投稿… 時系列的には 1/21の日付で UPするつもりだったもの、
狐につままれたような私的アクシデントに見舞われ、せっかくの原稿が消失!
そのリベンジ原稿です…

(2021/1/17訪問)
大和街道・上柘植宿、
街道を歩いていて、このまま真っ直ぐ行けるのか?
と思いきや鉤の手に曲がる…
軍事上の事か、景観上のことかワタシには知る由もありませんが、
これは、町並みを考える方々の意見に任せるといたします。

「倭姫命」の時代から思いを馳せると、(神仏一体でいいのかどうかは別にして)
歴史の大きな流れに組み込まれていたのが「柘植」という地域なのかもしれない…

「元伊勢」巡りの関連で『敢都美恵宮(都美恵神社)』・『史蹟・雨龍神社跡』を訪問し、
改めて今度は『家康公』絡みで柘植地区をお邪魔することにしました。

前日のgoogle map予習では、このお寺から「不動明王」(裏山伝いで)→「秋葉社」→
大和街道を戻る計画です。
(山中を歩く=家康公に迫れるか!という実体験をしたかった(笑))

事前にちょっとおさらいをしました。
 徳永寺駐車場から

ええもん探し隊見聞録より(2005/12/1読売記事)
≪天正10年(1582)、本能寺の変で信長が倒れた直後、
泉州堺に滞在していた家康は、伊賀者の案内でわずかな供侍と三河に難を逃れるが、
その道筋でこの寺に立ち寄りもてなしを受けたと(1泊したとか休憩であったとか、諸説いろいろ)。

この時の「おもてなし」を大層喜んだ家康は、そのお礼に領地を与え、
「葵の紋」の使用を許したといわれています。

藤堂藩下となって後、一旦家康から与えられた領地を返上したが、
改めて代々の藩主から永代寄進するとの書状は、幕末まで続いたとされており、
初代高虎から十一代高猷までの(八代を除く)各藩主の寄進状10枚が現存しています。≫とのこと。


大河ドラマ「麒麟がくる」もいよいよ大詰め、
「本能寺の変」はもうすぐ、その後の家康のことはこのドラマでは表現されないけど、
「神君伊賀越え」ルートが諸説あることは知っています。
「伊賀コース」であれば、まさにこのお寺の裏山辺りなのかしら…と好奇心が芽生ます。

前段が長くなってしまいました、
徳永寺の駐車場は山門の左右にあります。

平庸山 無量寿院 徳永寺】(へいようざん むりょうじゅいん とくえいじ)
「忍びの里」案内板があるので、伊賀忍者回廊巡りのカテゴリーに入れました。)
  「忍びの里」案内板、クイズもあります

   山門、白壁にご紋…

  (憧れの?)「葵紋」
徳川家とのご縁を感じますね、本堂の軒「三つ葉葵」。

本堂の脇にはデッカイ鬼瓦
 「立ち葵」

   
立派な「梵鐘・鐘楼」、横には「ロウバイ」とても綺麗です。今が見頃かな…
(「ロウバイ」は再掲になります)

  これが「石造宝篋印塔」(ホウキョウイントウ)
南北朝時代後期の作とか、霊山を望むように立っています。
 憧れの霊山
(一度登りましたが、山を見ているともう一度挑戦してもいいかなぁって…
多分、頂上からの見方が変わるかもしれない。)

一巡りさせていただき、できることなら「ご朱印」をいただけないかと、
寺務所に当たる玄関へ、先ず目に入ったのが

「この寒い冬に牡丹って咲くんですね」と、いきなり「花」の話題から。
「そう、『寒牡丹』です」…

ここで応対していただいた方・・・
「どこかでお目にかかってますか? 表札のお名前はずっと変わらず?」
「ひょっとして、高校で一緒だった? 同級生!?」ってな話になっちゃって、
いっぺんにくだけちゃいました、こうなったら高校生の頃の会話になっちゃいます(笑)。
卒業以来の出会いにお互いびっくりしながらも、
ちゃんと「御朱印」はいただき、ついでに
「この近くに『不動明王』があって、大きな椎の木があると聞いてるけど…どう行けばいい?」
「お墓をずっと進んだら階段があるから、そこから登れるよ」とのことで、お互い完全タメ口ですね(笑)。

家康公が霞んでいく

では、イレギュラー道ではありますが「柘植成田山の不動明王」へ~~
 山歩き決行!
コメント
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