恋路橋から和束茶源郷、海住山寺、史跡恭仁京跡など。後編

2024-09-06 15:58:37 | 神社仏閣など
恭仁京跡へ行きたいなと書いたのは、2024/7/10のこと。
しかもコスモスの頃がいいかも、なんて勝手に書いてましたが、
和束迄来た勢いで、帰り道に寄ることにし、少しだけ西方面へ。


163号線に出て、ここら辺りを通るたびに大きな案内版が目につきます。
海住山寺」(カイジュウセンジ)と。
しかも、知人のFBを見ていたら傾斜が半端ないらしく、激急坂に挑む感じなんだろうか。
その勾配のキツさを実感して参りました💦
助手席に乗っていても思わず手を握りしめる感じ、
助手席のワタシはわぁ~素晴らしい眺めだとかなんとか言ってますが、
きっと運転手は必死だったかと(ゴメン、一人騒いで💦)、
こんなところへ行きたいとかなんとか言ってゴメン(口だけだったらなんぼでも言えるわなぁ)…

まぁそんなこんなの激坂の前に、ちょっと気になる看板を見つけたので、そちらを
 
ふるさとの用水路大井手(オオイデ)」説明版です。
鎌倉時代中期に灌漑用として造られた水路のようです。
いつぞやの「美旗新田水路」よりなお古い。
古のころから大きな泉川(現木津川)が流れているにもかかわらず、
農業水利に恵まれていなかったこの瓶原(ミカノハラ)郷の生命線となっている水路です。
総延長6,755mとか。
広々と見えるこの田園地帯は、「大井手用水路」のおかげさまだったんですね。

 

さて、そこからほんの少し先に「海住山寺」の案内がありました。
では挑みます!(道中あまりの厳しさに写真など撮っておりません、あしからず)
「大井手用水路」説明版から約8分、境内横の駐車場に着きました。

補陀落山 海住山寺

補陀落山とありますね、そういえばこんな記事を思い出しました。↓
『補陀落』って、過去記事より「南海浄土へ帰らぬ船出」(日経新聞より)
時間も遅かったので今回は下見っぽく、境内のお散歩って感じで…
 

境内に輝くように建つ「五重塔」。

なんだかこればかり見ていたような、相輪から雲が出てるように見えたり、
不思議な面持ちで、また紅葉も素晴らしく似合うんだろうなぁと。
まだ青もみじですが、これもなかなか素晴らしい景色です。
  

 

 
本堂と山門(雲が…)
山門から額縁のように。
 

※ご参考に「海住山寺に五色椿とヤマモモ」。

では山を下りますが、道中少しだけ写真が撮れました、
前後に車が来なかったおかげです。
   
向こうの景色には加茂駅とその近くのマンションであったり、
奈良側の景色がこんな感じで見渡せます。
なかなかの景色でしょ、でも道はヘアピンカーブ付き急勾配でした💦💦

本日(訪問日は2024/8/18)、最後の訪問地。
ここは【国史跡 恭仁京跡】(クニキョウアト/山城国分寺跡舊恭仁京跡とも)
  

  

場所を変えると「史跡 山城国分寺跡」の碑と共に「恭仁京大極殿跡」。
 

広い敷地の中、未完でありながらも大極殿などが建っていたのかと思うと、
またまた歴史ロマンを感じます。
≪平城京の大極殿が解体されて移築されたとされており、
都が去ってからは、国分寺の金堂として二次利用された≫とかで、
なかなかややこしい経緯を辿っている恭仁京跡のようです。

またどうしてもここを訪れたかったもう一つの思い、
それは仲間内で教えてもらった「みかの原」という地名
仲間内の新聞に投稿してもらったその一部をここで借りることにします。

『伊賀が源流』が嬉しい!
 真宗大谷派の官長だった俳人の大谷句仏(もちろん俳号)の「落ち合うて 川の名変はる 紅葉かな」。
これは伊賀を源流とする木津川が、京都で宇治川、桂川と合流して淀川で落ち合うた際、紅葉同士
お互いに 「お前、どこから来たんや」 「俺、木津川や」 などと話しているような擬人化の名句

 百人一首27番「みかの原 わきて流るる泉川 いつみきとけか 恋しかるらむ」。
この泉川が今の木津川みかの原は聖武天皇の都があった恭仁京(現京都府木津川市)のこと
そしてこの作者は中納言兼輔こと藤原兼輔で今年の大河ドラマの主役紫式部のひい爺さん。」

へぇ~そうなんだ、こんなことを教えていただき何がなんでもこの地を訪れたかった。
そんなワタシの思いが叶った記念の日、でもあるわけです。
深緑色の木津川の流れを見るたびにきっと思い出す「みかの原と恭仁京」哉。


京都府立山城郷土資料館では、
京都府ミュージアムフォーラム合同展覧会連携展として
<聖武天皇即位1300年にあたる今年、50年にわたる発掘調査で
聖武天皇の恭仁宮跡がどこまでわかったのかのパネル展示>があるそうです。
但し9/8(日)まで。
ここは、閉館時間(~16:30)が迫っていたので残念ながら訪問せず💦

※ご参考に『未完の都/奈良時代最大のミステリー

※同じく「時空を感じる恭仁京跡

※ご参考「小倉百人一首』あらかるた/【151】みかの原はどこにある
※同じく『小倉百人一首』あらかるた【61】心は闇にあらねども」【(長岡京/小倉山荘より)

最後に「恭仁京跡」の草むらで

見えるんですよね、こんな小さなセセリチョウが・・・

(完)。
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道の駅「宇陀路室生」で火の鳥、室生大野寺の摩崖仏、そして「長谷寺と奥の院瀧蔵神社」へ。その2

2024-08-28 00:40:28 | 神社仏閣など
 
境内地図と「仁王門」(国宝/長谷寺の総門/楼門/文化遺産オンラインより

時系列は前後しますが、
ぐるり周った後、長谷寺(真言宗豊山派総本山)で御朱印をいただいた時に教えられました。
8/25放送の「光る君へ」紀行で「長谷寺」が放送されますと…
まったく知らなかったのですが、今回訪れたのは全く偶然とはいえ、
何かしらご縁を感じて嬉しかったです。
いただいたのは「切絵の御朱印/二本杉と玉鬘」。
  
各種イベントは目白押しの様子…
手元にある長谷寺拝観料同時配布のパンフレットの「境内地図」より

(帰宅後、記入したものですが右上の方に「瀧蔵神社」、今回はココも行きます。)

過去に一度訪れたことがあるとはいえ、ほぼ記憶になく、階段がいっぱい!あった程度。
恥ずかしいことですが、今回お参りさせてもらったことで今回は予習、
次回からはもう少しあちこち見て回れるかなぁと思った次第です。
「花のお寺」と言われるように四季折々楽しみなところだし、
昭和に造られた五重塔は、奇しくもワタシと同い年(笑)。これもまたご縁かも。
前段はこれくらいにして、階段【登廊(ノボリロウ)】(重要文化財)参りましょうか~~
  
撮影スポットでは≪蓮鉢≫が並ぶ、もう少し時期が早かったら…
≪天狗杉≫も見上げましたがスマホには収納しきれません。
同じ場所で、だぁれもいないタイミングで、下を見てみる…
さぁあともう一息…
 
ご覧の通り、ゆるやかな坂道のような感じ、蹴上が低くてとても上りやすい。
所々に「花の見処」があったり「天狗杉」があったり、
時々、これから上る廊を見上げてり、下の廊を見下ろしたり、飽きることのない399段。

さぁ上り切りました、振り返ればよく上って来たなと。

そして、ココは【本堂】(重要なタカラモノは撮影禁止なので気を使わねばなりません)。
   
山の斜面に建つ建物で懸造付き、いわゆる清水の舞台と同じ。
(詳しくはコチラwonder国宝より「長谷寺/本堂
本堂の中には『御本尊十一面観(世)音菩薩』さまがおられます。
座っておられるようにみえましたが、実は10m超の身長の日本で一番大きい「木造の仏様」だそう。
春と秋には特別公開で「全身の立ち姿」が拝観できるとか。(特別料金要)
※拝観券とともに頂いたパンフレットから「御本尊」。


本堂の懸造り舞台から遠目に「五重塔」が見えました。
 

目指すは「五重塔」が建つ別の敷地へ
  
昔の「三重塔址」、そしてワタシと同い年の「五重塔」、親しみを感じます

『登廊』を使わず、「奥の院」経由の遊歩道的な道を進むと、
先に登廊から見た「蓮鉢」の並ぶ景色を、ココからは上から見ることが出来ます。
丁度「名残りの一輪」咲きかけで、これも何か素敵な気持ちになれますね。
 

最後に池の前を通って、何気なく覗いたら「目」が合う小動物が居て、
誰?と呼びかけたら、一斉に寄ってきてくれました…(と、思いたい(笑)。)
 

現地予習?はなかなか充実しいていましたが、暑さにはちょっと参りましたが、
酷暑の中、「大和國長谷寺」をお参りさせてもらったこと、
これはこれでとても印象に残ります。

「花の御寺」と呼ばれるところ、
※パンフレットの「花譜」から

またいつか訪れたいものです。

長谷寺を出て、同行の知人に「長谷寺だけでお参りが終わったらご利益は半分、
『奥の院』とよばれる「瀧蔵神社」経由で帰りましょう」と申し出。(過去ログ/瀧蔵神社)
やはり知らなかったらしく、興味深々で行くことに。
但し、道中の道はかなり険しいこと、覚悟してください、と伝えました。

その道中記になります。
google地図で「まほろば湖」=初瀬ダム経由で目指します。
ワタシも逆コース(長谷寺から瀧蔵へは初めて)なので景色がまるで違います。
途中で案内版も見えたので、ココを曲がりましょう~~
と、言ったものの、行けども行けども狭い狭い林道、
薄暗く、途中狸に出会うし、大丈夫かいなと思いつつ走りましたがなんとか見たことのある駐車場付近に到着。
見覚えのある「権現桜」とその案内版。
   

桜の木の下を進むこと2・3分。
これまた見たことのある両部鳥居、その奥に「瀧蔵神社ご本殿」。
 

神社のある社叢は奈良県の天然記念物の森。
鬱蒼としていますが昔から変わらぬ景色のよう。
世帯数はさほど多くない「瀧倉地区」ですが、神社といい森といい、
みなさんで守られているのが良くわかります。
この山奥に荘厳なる社があることに神秘を感じます。

狭い生活道路を少し歩くと、またワタシを見る視線が…
 
連れだって出てきた三匹のネコちゃんの六つの「目」でした(笑)。

帰り道は、標準案内される道を行きます。
やっぱり、遠回りに感じても普通にこの道を通れば良かったかなと、反省。
でも、どうみても「対向困難道」であることに間違いはないです💦💦

 
以前には気がつかなかった「小夫の勧請縄」が見えました。
やはりここも「結界」?「地域の境目」なのかもしれません。

走ること少し【泊瀬斎宮旧跡伝承地碑】、山すそに【小夫天神社】。
    

ココからは順調に「針インター」へ、帰路に着きました。
名張で寄り道、道の駅経由、室生大野寺の摩崖仏、そして長谷寺、最後にここを外せない「瀧蔵神社」。
車に乗っている時間が長かったので、それなりに「避暑」だったわけですが、
充実した一日だったと感謝。

ではまた
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道の駅「宇陀路室生」で火の鳥、室生大野寺の摩崖仏、そして長谷寺へ。その1

2024-08-25 23:30:01 | 神社仏閣など
蒸し風呂のような晩夏を如何に過ごすか、おまけに週明けには台風襲来とか…
纏わりつく湿気をぬぐうためには🚙に乗ってエアコンかけて、その間はさっぱり。
下りるたびにジトジト感を再び纏う、その繰り返し。
それでも初めて見る景色がそこにあればそれも良し!とすることにします。

宇陀方面に行くときはいつも名阪国道小倉又は針ICから行くのが定番でしたが、
今回は、上野から名張街道経由で名張桜ヶ丘「平尾山カルチャーパーク」に寄り、
「名張市立図書館」はココと確認。
「名張藤堂家歴代の墓所」は、ココ「徳蓮院」にあると教えられ、少し寄りました。

墓所には入ることが出来なかったので残念ですが、代々のお墓があるのは裏から見えました。
名張藤堂家≫のことは、ここに書けるほど詳しくは知らないのでWikipediaを参考に。
(泥沼にはまらないようあえて触れないようにしているのかも、ズルいことでゴメン)

さて、国道165号線三重と奈良の県境少し過ぎると、ココは
道の駅/宇陀路・室生」(室生三本松)。

ふむふむと、知っているとこ、知らんとこ、まだまだ奥は深いぞと見ていて、
ふと振り向くと、北側の近鉄本線に「火の鳥」現る!
 
一瞬でも撮れたので良し!

道の駅で草餅なんぞを買って、そのまま国道を西進、
ずっと昔に行った時は工事中だった記憶。
2024年現在、とてもきれいに整備された川沿いの道を少し進むと…
「室生大野寺」に、ここでもやっぱり「百日紅」満開。
  

今回の目的は、
お寺の前を流れる宇陀川の対岸にある巨石に彫られた「室生大野寺の摩崖仏」。
  

河原に遊歩道があるので寄り近くで拝むことができる、
宇陀川で泳ぐ魚も見える清い流れと「摩崖仏」。
 

駐車場には東屋もあって、そこから見るとこんな感じに
(かなりのアップで撮ってますが)


宇陀川沿いにも道が続いていて、地図をみればもう一つ「摩崖仏」があるらしいので…
 
右手に宇陀川の蛇行の様を見、左には壮大な岩が続く道です、迫力があります。
「室生火山群」のほんの一部分を見たような気になります。
数分歩いて…なんと可愛いお顔の…

ココには「大黒天摩崖仏」が彫られておりました。(詳しくはリンク先をどうぞ)
先の写真の川の中のサギさん、往復している間変わらずその姿でおりました(笑)。

さぁ、先を急ぎます。
次なる訪問地の前に、このお寺の門前町にあるココ
  
長谷寺開山堂/法起院
ココにはとっても珍しい「樹木」があるらしく、
後ろに控える山の雰囲気から、しばし考え「ひょっとして、多羅葉?」。
ピンポーン!でした、我ながら上野公園で慣れ親しんでいるだけあって、
すぐに解答できてホッと胸をなでおろしましたよ。

本堂を見て左へ進むと、十三重塔があってその傍に「多羅葉」。
  
願い事が叶うとのことで「葉の裏」に文字がいっぱい。(マジックで💦)
先の尖ったもので書けばもっと多羅葉の葉っぱの有難味がわかるのだけれど、
まぁココはここのやり方で手軽に書けるのもありかなと。
なんだか圧巻の「多羅葉文字」って感じで面白かった(笑)。

それにしても…木肌をマジマジと見たことがなかったので、

けっこう、ツルっツルなんですね、まるで百日紅の如く。

では、つづく、いよいよ「長谷寺」へ。
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「岩尾池の一本杉」から甲賀三霊山「飯道山」へ。その4(完)

2024-06-05 15:23:36 | 神社仏閣など
  
「東ののぞき」という岩場から一体どんな景色が見えるのか…
岩場の細い道を進み、チラッと見えた風景
  

 
おぉ!!
三上山」(近江富士)が見える!(ココも行きたい候補のリスト入り)
正面に薄っすらと形の良い山が「近江富士」ですね💗
私的に、伊賀の小富士の「南宮山」、伊賀富士の「尼が岳」、近江富士の「三上山」は三大ミニ富士山です(笑)。

   
ココでおおよそ標高600mくらいかと思いますが、
対面辺りに見える山が「飯道山頂上」らしいので、この後挑戦するかな。

  
団体さんの記念撮影にご協力、皆様に喜んでいただけました。
嬉しいことです、やっとその位置を独占できます(笑)。
(しかし、こうして改めて見るとなかなか崖っぷり、厳しいもんですね、
この場所に滞在している間は恐怖は感じなかったけれど、
振り返れば恐ろしい光景です💦)

しばし休憩し、このベンチの裏は…
 
本殿裏でもあるわけです。
こんな隙間から覗いてみたり、下にはゴルフ場、
 

では、ぼちぼち次の目的地まで行くことにしますかね…
本殿裏の巨岩・奇岩を見ながら下ります。
しかし、この岩々、見慣れた石(花崗岩=伊賀は産地)なので違和感なく傍に居られる。
これって不思議な感覚でした。
   


ササの隙間にニガナ、ホッとしますね、花を見ると。

飯道神社をお暇し、第三の鳥居前に「トイレ」、
ここに「七丁目」碑がありました。

ココが七丁目ということは、まだ先があるのか?
そこはよくわかりませんが、ともかく「頂上」を目指すことにします。

では、「第三の鳥居」を上から見る場所に移動(階段)し、
そこは『東照宮跡』、その先所々に古い石垣が残る、
今度は「木製階段」を上ります。
   

 「飯道山惣絵図」を見て
順に『飯道寺跡遺構』です。
 
『梅本院跡』

  
石垣群に続いて『戒定院跡』


木食応其(モクジキオウゴ)上人入定窟」(Wikipediaより「木食応其)及び「五輪塔」。

   
所々の木々に説明があったり、
行く先の案内は親切なので迷うことは一切ありません。
粛々と進むのみですが、↓この木の根っこ、有難い。
上手に歩けば階段代わりになるので…
   
地図に寄れば「山頂」まで約850mか、
高低差はあまりなくほぼ「馬の背」のような「尾根道」伝い、道幅約50㎝ほど。

山頂近くで「三上山」が・・・見るからに形の良いこと。

いよいよ「山頂」(標高664m)、「三角点」あり、
   
「山頂全景」、ここでしばし休憩…

広いとは言いませんが、ベンチもあり景色はほぼ独占!
30分ほど休んで英気を養い、いざ帰り道に着かん!

20mほど先に「展望台」って?
どんな景色が待っているのか、笹道を行く。
聞きなれない名前の山ばかりで💦
ワタシはやっぱり「三上山」一筋で、次のチャンスを狙うことにします。
   

下りて、下りて「尾根道」。
   

突然樹形が異様!
明るい森なんですが、一体この木は?って調べる。
googleさんによると「高野槙」とな。
なるほど「玉桂寺」で見たあの「高野槙」かと思うと、なぜかしら感動。
  

「飯道寺跡遺構」辺りまで戻りました、
一路山道のあの階段を一気にしかしゆっくりと下ります。
 
はい、帰りは約30分(笑)。行きと帰りでは「地獄と天国」みたいなもんです、
役行者さまのおかげかもしれません。ありがたや。

 
手水鉢」の傍にタツナミソウ、車の中から駐車場の全景。
来た時は車は満車だったので💦

  
おおよその行程はこんな感じ、
こんなんで「甲賀三霊山/飯道山」を征服したとは言いませんが(行場にい行っていないので)、
でもなんだか「やり遂げた感」はバッチリ!です。
一人では行けません、友に感謝の2024/5/26の充実一日の振り返りでした。

お付き合いありがとうございました。

さて、今度はどこ?
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「岩尾池の一本杉」から甲賀三霊山「飯道山」へ。その3

2024-06-04 00:59:33 | 神社仏閣など

いよいよ、(低山)登山風ですがどんな道のりが待っているのか…

第二の鳥居から参道の階段を登ること10mほど(↑の写真で見える範囲の階段です)、
登山口となる『白髪神社』。
 
ここに「貸し杖(竹だったり木もある)」を借りることに。
何かと「杖は」あるに越したことは無い、ほら「言葉ぬ先の杖」って…大事ですよ。
 
いきなり目の前が急坂で手作り木製階段で、高さが一定でない階段。
できるだけ階段でない場所を選ぼうとするのですが、これがなかなか厄介。
登山慣れしている人にはなんてことないのでしょうが、
初体験者にとっては一歩ずつ気合を入れつつ、しかしゆっくりと歩を進めます。
嬉しかったのは何丁目まであるのか知らずにスタートしたけれど💦
「一丁目・二丁目・・・」と目安があることは励みデス。
では、順に一緒に上った気になっていただければ…
   
ここで下を覗くと「休憩所」らしき場所、
まぁまだ休憩するほど上っていないし、下りてまた上る勇気もないし、
ここはスルーで。

   
「三丁目」は「目」が埋もれているので、年月と共に土砂に襲われた風。
巨岩・奇岩が木々の隙間から見えたり、
目の前に突然現れたり、ドキッとする風景。クマザサも増えてきました。
「五丁目」を過ぎるとお地蔵様にご挨拶、見守られているんですね。
『地蔵宿』と、お地蔵さんも泊まったのか…
  
ここらまで来るとかなり一気に上ってきたなと。

淡々と書いてますが、かなり急峻な階段がずっと続いており、
本当は息も切れつつ、汗もかきつつだったんですが、ふと見上げると…
かなり古い苔生す「石垣」があちこちに見えてくるのです。
そんなところに古来からの修行の場であることを伺うことができます。

「飯道山山系ハイキングマップ/パンフレット」によると
≪飯道神社が鎮座する飯道山は、近江の大峰山ともいわれ、
修験道の山として知られる。
甲賀市信楽町の北東端にそびえる飯道山(664m)山で、
古来飯道山での修験道者が現在の忍者のもとになったとも考えられる≫と。

ぼちぼち「遺跡群」が現れてきそうな雰囲気です。
積み方が自然石そのまま風でかなり古いことが伺えます。
ワタシたちが見慣れている「野面積み・打ち込みハギ」どころではない歴史を感じます。
  
この石垣の上には『吉祥院跡』。そして
『浴室跡』と『井戸跡/金亀水』、「六丁目」まで来ました。
 

その先には『弁天堂』と五輪塔群か
 

少し平坦な道に出ました、やっと、です。
「飯道山」と「飯道神社」の分かれ道。
山行きは後にして、まず「飯道神社」へ向かおうとすると…
   
上から登山客の団体さん、丁度登山ハイキングにはいい季節なので、
こんな団体さん数グループに、この先お会いすることになります。
ここで「一期一会」を体感させていただきました。

やっとのことで『第三の鳥居』、ここから見ると天空しか見えないい感じですが…
『役行者』さん、『本地堂跡』
   

さて、
 
南側一望の景色、下界に見えるは『紫香楽宮跡』があったところ。
素晴らしい、疲れも吹っ飛ぶ景色です。
しばし見惚れておりました。

現実に戻ると、ここには「トイレ」もあります、ご安心ください。
その先に『行者堂』、ここで修験道たち「護摩焚き」をします。
  
いよいよ『修行の道/行者道」へ~~
『体力等自信のないものは行かないように』との忠告を受けましたので、
ここは進まず、右手方面へ・・・


いよいよ「神社」かな、
昼食休憩の団体さんもおられました。

『飯道神社/拝殿』、
   

その奥に『本殿』(国重要文化財)。
 
極彩色艶やか、現在の本殿は慶安3年(1650)に再建され、
檜皮葺き、入母屋造り、唐破風、桃山様式の建造物。
昭和51年に修理修復がなされ、建築当初の華やかな姿が再現されています。
この飯道山にこの綺麗な本殿、素晴らしい。青もみじが似合う。

  

詳しくは「Wikipedia/飯道神社」より。

この山は花崗岩で出来ているということで、本殿周りにも巨岩・奇岩が数知れず。
本殿の裏にも行くことが出来、南側(琵琶湖方面)の景色が一望らしいので…
   
ここに来て俄然元気が出て来ました、やはり実際にこの目で見ることが何よりの幸せと。

つづきます。
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「岩尾池の一本杉」から甲賀三霊山「飯道山」へ。その2

2024-06-02 23:37:19 | 神社仏閣など
「岩尾池の一本杉」から甲賀市杉谷辺りの新名神の下を通り、
  
目的先は「飯道神社」なのですが、ちょっとした道の間違いのおかげで…
ラベンダーの郷」を通りかかりました、「隼人川みずべ公園」の近く。
 
そしてそこは『紫香楽宮跡/鍛冶屋敷地区(鋳銅所跡)』があった辺りでもあるらしく…
 
「紫の香りが楽しめる場所」そして歴史の宝庫「紫香楽の宮」と。
  
無料で「ラベンダー摘み放題」のイベント(2024/5/26)が行われていて、
たまたま通っただけのワタシですけどたっぷり摘ませていただきました、
ありがとうございます。
水入りのコップに袋までいただいて無事に家に辿り着くまで持たすことができました、
ほんとにこれまたラッキーなこと、「」だしね、今年は何かとご縁があります(笑)。
もちろん帰宅後すぐに「ドライフラワー」にすべく吊るしましたよ。

さて、お花摘みを楽しませていただきルンルンと向かう先はココ。
 
遺跡の宝庫」ですね。

走ること数分「飯道神社一の鳥居」着。
  
鳥居の横の道(ゴルフ場内を通る感じで)を進むと「駐車場」があります。
数台は止まれるのですが、ほぼいっぱい!
まさかそんなに登山客?が多いとは思っていなかったのでビックリですが、
季節柄、みなさま思うことは一緒だったか…
 

「日本遺産/忍びの里:飯道山と飯道神社」解説板。
   

飯道山山頂には36坊もあったとか、
≪修験道を修める信仰の山で、山岳信仰の拠点。
甲賀忍者の修練場であった≫といわれています。
修行などとおこがましいことは考えてはいませんが、
伊賀に住む者として、少し興味を持っており、やっと三霊山の最後の山に挑みます。

どんな試練が待っていることか?
山の湧き水で心を清め、青赤もみじに彩られた第二の鳥居をくぐります。
その先には石の階段が待ち受けております・・・
 
今、書きつつ写真を振り返ると「「飯道神社山上道/七丁目」と石碑がありますね。
その碑を見ていなかったので、登り始めた時は何も思わず「まぁがんばってみよか」程度の気持ちだったのです💦

ではがんばりまっす。
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岡八幡宮(白樫)の「流鏑馬神事」初見学。大川(オオコ)摩崖仏(治田)に会い、花垣の八重桜も…

2024-04-22 10:53:55 | 神社仏閣など
4/21は白樫の「岡八幡宮の流鏑馬」があると教えられ、初見学に。

せっかくの流鏑馬だったのに、雨模様の中の疾走で、ちょっと気の毒だったかな。
でもお馬さんは元気、騎乗の人も雨に濡れながらですが見事「的を射る」方もおられ、
拍手喝采を浴びてました、良かったよかった。
しっかり降っていたのと傘がいっぱいだったので結局写真に撮ること叶わず💦

知人から、先に送ってもらった昨年の様子をどうぞ~~


過去ログ/懐かしの「忍者回廊巡り/岡八幡宮」。

中日新聞朝刊から


観覧席になっている場所に巨樹/スダジイがあります。
あまりにも立派なので、やっぱり撮ってしまいますねぇ

お馬さんは撮れなかったけど、岡八幡さんのシンボルツリーですから…

ここ白樫の地まで来たので、同じ花垣地区つながりということで、
久々に「大川地蔵(巨大摩崖仏)」を見たくなり、
三重と奈良の県境である五月川(名張川)を渡りました。
車は途中の道に止め、つり橋を歩いて渡ったのですが、
以前2022/4/28に来た時と何かが違うんですね・・・
よくよく思い出せば「川の水量」がハンパなく違ったのです。

比べてみると歴然!
今年、
   

2022年4月撮影
   

奈良県山添村に渡って、大川カントリーパークというキャンプ場からの撮影なんですが、
丁度管理棟に寄ると管理人さんがおられ、水量が多いですねぇとお聞きしたら、
「ここは高山ダム湖の一番端っこで、今はいっぱい溜まっているから」と。
雨だけのせいでもなさそうですが、以前に比べると淀んでいるようにも見える、
こんなものなのかしらんと、ちょっと気になった水位でした。
「大雨などで高山ダムの堰堤まで水が溜まると、このキャンプ場は水没する」とおっしゃってました。
そうならないに越したことはないので、降り過ぎないことを祈ることしかできません…

今日の訪問、最後は「花垣の八重桜」

満開、雨がしっかり降ってきたのでコレ一枚で終わり。
残念ですが、また改めて来れたらいいなぁ…と。
Web情報Youより「花垣の八重桜見頃

そうそう、ここの八重桜はめしべが二本、とても珍しい。
2023/4/21撮影のアップ写真でご確認あれ
  

ではまた
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「龍樹(タキ)神社」のあとは、「大鳥神社」で美しい花手水、艶やか楼門。その2

2024-03-15 14:24:10 | 神社仏閣など
ここの神社「楼門」(国登録有形文化財)に憧れを抱いており、
大好きな神社の私的代表みたいなところです。
ずい分とご無沙汰してしまいました💦
「ユキワリイチゲを見たい」と思い立って「龍樹神社」へ、
そして帰りは絶体寄るゾと…心に秘めておりました。
(帰路の経由地である「鳥居野(トリイノ)」にあるのもラッキーなことですが)
  
「日本遺産伊賀・甲賀 忍者の里」の看板もあり、
灯籠続く参道を進み、赤い橋と「石造太鼓橋」(甲賀市指定文化財)。
  
赤い橋は渡れますが、石橋は通れません、あしからず。

石段の下に着きました、下からはこの先何があるのかさえ分かりませんが…


大鳥神社』(甲賀市鳥居野)
京都祇園西門を模した朱塗りの楼門・回廊に囲まれるように
拝殿・本殿そのほか多くの建造物がありますが、
以前にも増してバージョンアップしている「花手水」から
  

 

赤い楼門の前で思わず立ち止まってしまうほど神々しい
 
いよいよ楼門をくぐって中に…
拝殿、その奥に中門まで見通せるこの空間も素晴らしい…
 

  
左)拝殿神饌所、奥に神輿庫
右)拝殿と神楽殿

 
拝殿の天井は「折り上げ格天井」格式のある天井です、
(伊賀上野城3階も折り上げ格天井です)

 
中門(祝詞殿)、本殿。
※下線の建物は「国の登録有形文化財」、本殿は「市指定重要文化財」。

夏、7月23日・24日には「甲賀の里の祇園さん/大原祇園祭例大祭」(県指定無形民俗文化財)が催行されます。
(上記情報は2019年のもの)
大鳥神社HPより「おおはらぎおん

最後に空を見上げて一筋の雲と楼門のある境内


残念ですが帰宅時間となりましたが、ここを訪問できたこと、
極上の時間を過ごさせていただき、帰路はもちろん安全運転で帰れました。

でもま、不意の寄り道はあるもので、
これまた久しぶりに「三田坂のトンネル」から帰ろうと思い立ち、
石川地区辺りでカンジョウナワ!
 
河原に下りて
  
真新しい藁の飾り物に新鮮さを感じ、ずっとこのままここにあるといいなぁ…と。

ではまた
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ユキワリイチゲ(雪割一華)会いたさに「龍樹(タギ)神社」。そして「大鳥神社」へその1

2024-03-12 23:51:09 | 神社仏閣など
昨日(3/10)の月ヶ瀬観梅の帰路、微かな記憶を呼び戻して…
高倉神社にユキワリイチゲが咲く頃」と。
確か3月頃だったはずなので、早いかもしれないので咲いていなかったらゴメン、ということで最終訪問地はココ。
 
数輪開きかけの花発見。花といっても薄紫の花弁に見えるのは実は「ガク」。
この「ガク」のなかにうずもれているのが「花」、そういうキンポウゲ科の花です。
日本固有種で「絶滅危惧種」的存在なので、
見るだけにしてくださいね、採ってはいけないコです。

底冷えのする伊賀でも咲きかけた!ということは、きっとあそこもぼちぼちかもと思い、
翌日(3/11)、お天気はバッチリ 予報なので、ドライブ決行!
毎日出かけてばかりなので少々大人しくしなければ、と思いつつ出たので「午前中限定」で。
前回訪問したのはコロナ禍の2021年9月のこと、その折に「ユキワリイチゲ」のことを知り、
その時期が来たら絶対行くぞ!と心に決め、それから2年半・・・
花心に火が付くと、進むしかないですね、ただただ花見たさです。

  
ほとんど蕾ばかりなので、あるのかないのかわかりませんが、
日の当たる場所では数輪咲いていました。
ほんと明るい日差しが好きなコです。
  
神社で境内やら周囲の管理をされている方(ひょっとして神主さまだったらどうしよう💦)にお聞きすると、
明るく日の当たる所から咲きますね、お彼岸頃がピークでしょうか、とのこと。
これだけ蕾がいっぱいあるとすごく楽しみなので💗もう少し待ってみようかな…

順路が逆というか、花が先!のお参りになってしまいました。
(ワタシはいつも)北西側の鳥居から入らせていただきます。
 
そして気になる巨樹、御神木「杉の大木/天狗杉」。
   

足元に「ユキワリイチゲ」が群生するこの大木は「むくの木
   
陽当たり場所と陰ではかなり咲き具合に差があります、

足元でこんなに小さくて可憐な花が開くと思えば、
できることなら満開の頃に来てみたいところですね。

ただ「絶滅危惧種」ですので決して踏み入れてはいけません!


花を見た後にゆっくり参拝させていただいたという、
少々罰当たり的な行動でごめんなさい、と神様に。
では『龍樹神社』の北西からの参道は「野洲川」の流れと共に、
 



では、拝殿の方に向かい、龍さんと牛さんにご挨拶。
   
「本殿二社」、左に「天満宮」右に「龍樹神社」。
 

野洲川の流れに近づくと『倭姫命斎王御禊所』(ヤマトヒメミノミコトミソギショ)。


外に出て、近くにもう一つ鳥居が見えましたので、そちらの方へ行ってみます。
  
なんとこの通りは「旧東海道/土山宿」の通りではありませんか…
この神社に奉納されるケンケト踊り」は風流踊りで「ユネスコ無形文化遺産」に指定されました。
少し歩いてみると
 
茶畑がすぐ隣にあったり、静かな落ち着いた街道で、
いつかゆっくり歩いてみたいと思いました。
ここまで来るとあそこもココも行きたいとこだらけになりますが、
本日はお昼には家に戻ると決めたので、急ぎ次なる「大鳥神社」へ。

ではつづく


コメント (2)
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甲野の大日さん「大日殿極楽寺」へ

2023-09-08 00:25:30 | 神社仏閣など
大山田甲野『極楽寺山門』から外の景色「稲垂りぬ」。

いつこの景色が変わるかもしれないと、田園のなか車を走らせ、
ここに着いた時、「この景色は、今だっ!」と撮りました。
明日になればこの景色は「刈り取りの後」になっているかも、
明日のことはわかりませんが、季節は確実に動いていると思いました。

パラパラと「四季・二十四節気・七十二候」の言葉を眺めていたら、
9/2~9/6頃は「処暑の末候で『禾乃登』」、「こくもの すなわち みのる」と。
今日(9/7)からは「白露」に入るそうで…
暑い暑いと嘆いてばかりでしたが、朝夕に秋の虫も鳴き出し、
風も少しばかり涼風となり、来たか?秋と感じましたが、
内心では(騙されないぞ)と思っています。

さて、大山田平田の知人宅に所用があり、
ここまで来るなら、その前に寄り道をしようと決めて「愛染院」を出発。

振り返れば、同窓会をしようと集まり出してかれこれ数年が経ち、
高校時代は喋ったこともなかったのに、何故か存在だけは知っていた人。
もっと早くから「知人」とよべる存在だったら良かったのに、
と思いつつ、その知人に最初に連れて行ってもらったのがココ
 

とても珍しい神仏合体の本堂を見た時から、気になる存在なのです。
山門を入って振り返った景色が一番初めの写真。
広く開けた世界が広がる、あの風景が好き。

初めて伺ってから「展望台」が出来たという記事を読んで行き、
詳しいことを勉強して、
はて、何度目の訪問だろう??

  


この角度から拝ませていただくのがいい感じなんですよ…
左奥の方、ここにも「百日紅」ありましたね。

伊賀地方を代表する寺院の集大成である「伊賀百寺」(郷土出版社)という定本から
「極楽寺の山門」が朱塗りだった頃の写真を見つけました。
2020年もまだ辛うじて朱塗りとわかりますが、
遥かに「朱を主張」してる山門がコチラ…

新しくなった山門も素敵なんですよ、もちろん。


※伊賀市の文化財より

本堂におられる秘仏「木造大日如来坐像(胎蔵界)」と「同じく(金剛界)」
どちらも室町時代作。

※街道いまむかし(読売新聞社版:平成元年~2年取材)より「極楽寺」


「展望台」も久々に上りたいなぁと思いつつ、これは秋冬の宿題といたします。
駐車場で赤い槿(ムクゲ)を見つけ、一日気分よろしく過ごせそうです。

〆にお花はいいですね(笑)。

ではまた
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