2021年登り納めしてきました「高旗山」(伊賀市西山字鬼屋)

2021-12-31 16:06:27 | 花や風景など
遅めの起床ですが、空を見れば青空、但し風は強し!
思い立って(また)、行けそうで行けていなかった「高旗山」、
北側に見える山並みの中では一番高そうにみえる山ですが、
「展望台」があるのは知ってるけれど、「よし、行こっ!」。
「登り納め」には手頃そうやな~~と。
ちゃちゃっとyou tubeなどで行程を下見して、
お斎峠を走破して多羅尾の「伊賀盆地絶景展望台」の駐車場へGo!
持ち物、お茶と軍手と帽子とトレッキングポールとスマホ…
こんなんでエエんやろかと思いつつ、強風の冷たさに手がしびれました

そんなこんなの「登り納め高旗山」道中記録です(笑)。
「お斎峠」を上り、見晴らしの良い場所辺りに
  
「高旗山登山道」がありますが、
この階段を登るのは、また別の機会にすることにします、よってここは写真だけ。
但し「新春歩こう会」があるそうなので参加もありかも(笑)…
そのまま進んで「三重/滋賀県境」を越え、タラオカントリー入口。
 ここにも「新春歩こう会」案内
ここもスルーして、例の展望台駐車場はすぐそこです。
🚙を止めて、杖を持って舗装道を戻り「仕置場跡」「徳川家康伊賀越の道」の案内、
 ここもスルー

ゴルフお好きな方はいかがでしょう?
 
第32回 日本シニアオープンゴルフ
Japan Senior Open Golf Championship 2022
2022年 9月15日 (木) 16日 (金) 17日(土) 18日(日)
タラオカントリークラブ
主催:公益財団法人 日本ゴルフ協会 共催: NHK ≫ 来年の秋、あるそうです。

いよいよ「高旗山登山道」入り口を探しに少し歩くと
ありました!
   
登山道は狭いですがとても分かり易い、笹が高い!
落葉で滑りやすくなってるので、右側の山林に落ちないように要注意!
前半戦は緩やかに進みますが、時々源流が流れているような場所もあり
少々ぬかるんでいることあり、運動靴より少し厚めの靴がいいかもですね。
ここで看板「もう一息」、、、
   
そんな言葉に騙されそうになる青空、但し風はビュービュー。

騙されて(笑)、視界が開け着いたところで一旦小休止、ここまで10分ほどです。
 
少しずつ登って撮りますが、
 
まだまだ途中です(笑)。
ここで、この先を覗くと「階段」が見えますが、かなり「急」。
   
ゴホウビゴホウビと唱えながら一歩ずつです…
今度こそ「頂上」だと思う、
 「高旗山頂上」だっ!
海抜710.13mだそうです。
では頂上探検に入ります~~
  「三角点」
左写真「伊賀」側、 右写真「多羅尾」側

デコボコしてますが、一応広場のようになっています、
東側の端と西側の端です
 

さぁ、楽しみなパノラマ絶景
  

googleさん作成「PANO」ではこんな感じです
 
これは帰宅してからしばらくしてgoogleから「パノラマ作りましたよ~」って届きました

私はコレ☟



お天気はまずまずでしたが強風に心折れそうになって、慌てて景色を追っかけてました、
なので、早すぎて見辛いと思います、思い付きに登るとこんなもんです
でもね、距離的には大した上り道でもないので、
この景色を見るためなら寒くない日にもう一度来てもいいと思いました。
🍙など持っていかがでしょ?

さて、下りをどうしようか悩んでいたら「多羅尾側」に下りる道の案内あり、

多分この道を下るとタラオカントリーだよね、
そこから駐車場まで長いぞーと思いながら、足はもう下りてました…
途中の「笹」、やっぱりデカイ
  
気持ち悪い写真になりましたが軍手と比べてみた、大っきい葉っぱでしょ
笹の向こうには「タラオカントリー」が見えます、
この時期、木には葉っぱがないので良く見通せます(笑)。

どんどん下る、降りた先はココ
  
タラオカントリー最上部のテニスコート、子ども広場かな

 
先週の雪が残るゴルフ場でした。

高旗山登山だけならここで終わりなんですが、
あまり大きな声では言えないことがあります、
実は、ここから車を止めたところまでは3㎞ほど離れています。
歩くつもりではいたのですが、目の前に「信楽の🚌」が止まっていたのです。
しかも出発は12時らしく、今の時間は11時57分。。。
ワタシ「この🚌、次はどこに止まりますか?」
運転手「〇〇まで止まりません」
ワタシ「じゃぁ、歩きますわ、ありがとう」

歩き始めて2・3分
🚌に拾われたワタシ、感謝しかないのです。
こんな話ってあるんですねぇ、
降り際に運転手さん「「雪が降りそうですね、気を付けて」って…
もう涙 が出そうでした、年の終わりにいい思い出ができました、
でも内緒ね。


では良いお年を



コメント (2)
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三重の城郭巡り№4-③ 「津城跡」石垣巡り 後編

2021-12-30 14:18:51 | 三重の城郭めぐり
長~い「北多門櫓台」(約95m)の北西側隅に『戌亥櫓(イヌイヤグラ)』
北東の隅に『丑寅櫓(ウシトタヤグラ)』が建っていたそうです。
これは上から見ていてもよくわからない、
「北多門櫓台」から見ると、「堀」の外に遊歩道っぽいのが見えます。
下に降りて、堀の外周を歩こうと思い「出口」を探していたら、
すぐそこに、
 
丸之内本丸碑」と「津城跡」説明版
 「お城公園入口」
ここが本来のメイン入城口?
(ということは、ワタシは裏口から入城していたのか?と
まぁよくあることですけど
要するに元々3カ所ほど「入城門」があったわけで、
現代では市民の憩いの場の「公園」ですからどこからでも見学できる…
なので、案内板などは多くなりますよね。
 『東鉄門跡(ヒガシクロガネモンアト)
南東部石垣上に「三重模擬櫓」が、昭和33年(1958)に建てられ、
ここの石垣は「算木積み
「矢穴」(石を割る技法)を見ることができるそうです…
 『丑寅櫓台
隅部の石垣は最も崩れにくいとされる縦横比2.5:1の直線的な「算木積みとのこと。

この石垣のある風景の周りには、各種公共施設や民間会社もあって
当たり前のようにここを往来しているようですが、
これはとても素晴らしい歴史遺産風景だと思います。
大事に残していただきたいなぁと…

さて、この石垣を見ながら左に曲がると、内堀と水鳥。
 
間近に鳥さんがいて、賑やかな様子ばかり撮ってました(笑)。

 遊歩道の『北多門櫓台』説明版

  北多門櫓台』と『戌亥櫓台
北の内堀と石垣が綺麗に見えるビューポイント
石垣の高さは約10m
あの石垣の上からココを見ていたなぁと、
こんなに長い石垣は見たことがないので距離感に圧倒されます。
これは伊賀上野城にはないなぁ(高さでは勝つけど)、
その石垣底辺部にある水面から出ている部分は「犬走り」※。
これは、
≪高虎の前任地である愛媛県今治(イマバリジョウ)において、
海城(ウミジロ)の欠点である軟弱な地盤を補強するために考案されたもの。
津城本丸を囲む広大な内堀(最大幅約100m)は沼地で、
「津城の犬走り」も同じく軟弱な地盤を補強するために設けられた、とのこと。
 (再掲)
今では「水鳥」たちの休憩所も兼ねてますが(笑)。

内堀北西の角には「津城跡北堀碑
  
西の丸石垣と犬走り」と「西の丸玉櫓台(タマヤグラダイ)」※又は「西の丸角櫓(スミヤグラ)」とも、
そして、城内に入る「橋」。この橋で元に戻ってきた感じになりました…
※鉄砲の弾丸を収める櫓。
※この部分の「犬走り」は、石垣修理と石垣崩壊防止のため明治以降に造られた、そうです。

今度は、「橋」を渡らずにそのまま小さな堀沿いに進むと、そこは
   アジサイロードと花菖蒲かな?
前にそびえるのは「NTT塔」、そして「高山神社」入口2ヶ所。
  

そのまま、本丸公園の中へ入っていきます…
そのすぐ入り口辺りに
  大天守台」※①とその「算木積み石垣」※②
※①織田信包(ノブカネ)創建の大天守台を藤堂高虎が改修したもの。
入口の切り裂きの奥には大天守の穴蔵があり、
手前右側の石垣の崩れは、天守台取付多門櫓台(テンシュダイトリツケタモンヤグラダイ)を取り払った跡、とのこと。

※②隅部をまっすぐに積むきれいな算木積みで、寛文期改修のもの。
「大天守台」の大きさは、南北16m、東西14m。

「大天守台」の隣辺りには、
 「埋門(ウズミモン)」
※津城が火災に遭った時に本丸よりの脱出口として
寛永16年(1639)に造られたそうです。

本丸内から撮ったので見にくいのですが、表から撮ると
※東側は「野面積み」、西側は「打込みはぎ」、両隅部は「算木積み」です。
これは次回来た時の宿題にします(もう一度じっくり見たいと思っています)

夕刻近くになって暗くなる前に津城を発たないと…最後に公園内をぐるり一周。
  
「藤堂高虎像」、再び「NTT塔」と「メタセコイヤ」落葉中(笑)。

じっくり見せてもらいましたが、初めての場所、勉強不足もあって
全てを見学できたわけではないので、またチャンスがあれば今度こそしっかりと、
名残惜しくはありましたが、「津城跡の石垣」は本当に素晴らしいと思いました。
行ってよかった
「ご城印」と「城郭巡りスタンプ」は「アスト津」の「観光協会」で。


観光協会で頂いたパンフレット「津城跡 石垣めぐりマップ
  
そして、
 「津城復元図

参考資料(津市HPよりリンク)
津城の大改修
藤堂高虎略年譜

見たままの事しか書けていないので、上記資料を参考にしてください。

「城郭巡り/津城編」は終了。
いよいよラスト1日、過ぎれば正月だぁ、ではまた

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三重の城郭巡り №4-②「津城跡」石垣巡り 前編

2021-12-29 13:18:19 | 三重の城郭めぐり
お城公園内に移築されている「旧藩校有造館の『入徳門」から入り、
 (再掲)
冬の庭園は色彩が少し寂しいですが、
むしろ木々の葉っぱに邪魔されずに遠くまで見通せます。
 「日本庭園」
遠くに少し「石垣」が見えます…
庭園のその先を進めば、アジサイの植栽がとても多く、
来年のために「アジサイ」の手入れはされており、梅雨時が楽しみになりました…

その先に、と書いたその「石垣」は、
 『西多門櫓台
説明には多くの「刻印」が見えるとのことでしたが、これは次回への宿題かな…
そこには「西鉄門(ニシクロガネモン)及び伊賀櫓(イガヤグラ)」があったとのこと。
ということは「西の方角に伊賀」という位置なんでしょうか?
 

  場所を変えていろいろ

 
最後の紅葉が眩しかったですし、いろんな角度から撮ってみました(笑)。

初めての津城跡の石垣見学なので、高山神社で頂いた地図を頼りに進みますが、

歩いてる途中は、方角もなかなかわからず、とりあえず写真を撮って
あとでゆっくり振り返ることしかできなかったのですが、
津城跡の石垣」はいろんな工法のオンパレードだな、と思ったのは事実。

初冬の紅葉が見えた場所から北側の長~い石垣沿いに進みます、
これは「本丸内」から見ています。
  「北多門櫓台
野面積みに近い打ち込みはぎ」で「転用石」も多いとのこと。
この「石垣」の上には、幅約6m、長さ約95mの長大な「多門櫓」が建っていたそう。
時代を遡って見てみたい気がします。
このまま石垣沿いに進むと上に登れるので行ってみますが、
 なんと「三重櫓」が見え、
登って近づくと
 中には入れなさそう…
説明書によると「三重模擬櫓(サンジュウモギヤグラ)」とのことです。
南東部の石垣上に昭和33年(1958)に創建されています。
ここの「石垣(丑寅櫓台)」は、後編でじっくり。

では、例の長~い石垣の上を歩いてみますが、なんとビックリ
「水鳥」ちゃんがいっぱい優雅に泳いでますし、
 
しかも、ここはワンちゃんたちのお散歩コースでもありました(笑)。
厳(イカ)ついだけの石垣ではなく、市民の「憩いの場」っていうのがいいですね。

 戌亥櫓台」の石垣
内堀からこの石垣の上までは約10mの高さだそうです。
ここは、実際に堀の外から見られそうなので、後で行きます。
約100mの石垣の上を歩いて、「戌亥櫓台」です。北と西の角かな?
 
左側が「本丸」です。
この「戌亥櫓」は高虎さま考案の「層塔型三重櫓(ソウトウガタサンジュウヤグラ)」だったそうです。

だんだん楽しくなってきました、ほんと石垣見本市みたいで(笑)…

では、一旦ここで休憩、後編はまた…
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「津城跡」城郭巡り続編は、おやすみ…

2021-12-28 17:43:12 | つれづれ思うまま
先週金曜日に、ハハを市民病院の救急外来に連れて行きました。
ひょっとしたら股関節骨折の疑いあるかも、ということで
急遽「入院」となってしまいました、が、
レントゲン・CT・MRI検査の結果、
幸い骨折部位はみつからず、ただただ尻もちをついた臀部の痛みのため、
全く歩けなかった…ということのようでした。

病院で3日間安静にしていたおかげで、
ちょっとはマシになったかもしれません。
生まれて初めての入院が2月初め、12月の終わりに2回目の入院、
骨はタイヘンもろくなっているようで、
骨密度の若年比較率53%ということでもあるので、それなりに気を付けていただきたい。

まぁ骨折でなかったことは、不幸中の幸いで良かったのですが、
その退院や、その後の彼女へのお手伝いやらで、
「津城跡」の続編はまた明日ということで…

ハハには「転ばぬ先の杖」ということは大事なことやで、と
散々言っておりましたが、ついにその通りになってしまったという話。
痛みのある間は「杖」を使う、と殊勝に言っておりますが、
問題は、その先ですね、どうしたもんか。。。

わが身もボチボチいろいろ考えるときに来てますね…
ではまた
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三重の城郭巡り №4-①「津城跡」訪問の前は「高山(コウザン)神社」へ

2021-12-27 14:32:07 | 三重の城郭めぐり
やっぱりね、伊賀人としてはお参りしておきたいところ…

高山神(コウザンジンジャ)】(津市丸之内27-16)
≪津城址にある神社。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。
同市の市役所近くにあり、藤堂高虎を祀る
同社は津市発展の礎を築かれた開祖として「高山居士」のおくり名に由来。
商工業の守護神、市民の氏神として現在も信仰を集めている。≫とのことです。
津では高虎さまは「神様」です

城山稲荷神社

ふつうに境内が契約駐車場にもなってるので…
決まられたところにしか駐車はできません。
「御祭神」の高虎様にお参りし、「ご朱印」をいただき、
「津城跡」へ行きたい旨お伝えすると、
「津城の石垣は有名ですから、是非ゆっくりと見学して来て下さい」と

神社で頂いた地図より
(実は、津市街地の事はあまり詳しくなく、
行くたびに迷子になる=ナビでも無理!という始末なので…)
 「津城跡(お城公園)」はココです。

 「津城址案内図」です。

そのまま、神社の駐車場に止めさせていただき、
津城跡」へ、いざ行かん。
 「津城址説明」
津観光協会HPでは、
≪織田信包(ノブカネ)が創築し、築城の名手・藤堂高虎に大改修され、
天守台や櫓(やぐら)もあり、本丸と西之丸の連なる石垣は見事≫とのこと、
また
≪春の桜、初夏のアジサイ、秋の紅葉など、四季折々の情緒ある風景が広がる≫と。
この自然は歩いていて良く分かりました、特にアジサイの植栽が多かったです、
きっと来年初夏はここのアジサイを見たいなと思いました…

伊賀と同じく「藩校」があったようで
 「藩校有造館入徳門」(ユウゾウカンニュウトクモン)

 藩校入り口の『入徳門
この門のみ現存、津市指定史跡。

では、この入徳門をくぐって「日本庭園」を過ぎる辺りから「石垣」が…

今日は、ここまで
ではまた
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「伊賀上野城」のアズキナシ(小豆梨)続編 &「年忘れ野外文化祭」

2021-12-26 14:35:30 | 花や風景など
上野郵便局へ年賀を出しに行って、あれっ?
「伊賀市・名張市」が同じ箱
「それ以外の地域」は別の箱、だったんですね、

知らなかった

郵便局から「上野公園」へお散歩。
というのも知人から「年忘れ野外文化祭 in 伊賀上野城」のチケットを頂き、
ちょっと覗きに行こうかな、と。
 
しかし、今日野外で和太鼓などの演奏会は酷だなぁ…
出演者も気の毒だけど、聴衆も寒いぞ!
ここら辺は「雪」こそ降ってませんが、
暴風に近い冷たい風が吹きまくって寒いのなんのって…
寒さにめげず 様子の写真だけ撮って、次の目的へ
 
伊賀上野城を背景にオープニング前のおしゃべり(笑)。
でもいつ見ても「絵になります!」。

さぁ、じっくりと「アズキナシ」撮ってきましたよ(笑)。
 再び「松に絡む小豆梨」
たくさんの「赤い実」をちゃんと見ることが出来たし、
  
いい感じに写真も撮れたし、寒いけど良き日です
 
「小豆梨」2本、ありました!

帰り際、ぼちぼち「和太鼓の演奏」が聞こえてきたので
 
おっ、「墨絵パフォーマンス」が始まってます…
どんな絵に仕上がるのか楽しみですね

ではまた、風邪 ひかないようにね

12/26 夕刻追記
墨絵パフォーマンス」がどうなったのか気になったので、
所用のついでに覗いて来ました(笑)。(リンクは知人FBより)
  16時20分くらい
かなり暗くなってきますが、元気に演奏しておりました…
 
高虎殿とお城はかろうじて見えましたが、
これからどんどん暗くなってくると、もっと際立って見えると思います。
ワタシは寒さに負けて退散。。。
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三重の城郭巡り №3-③「伊賀上野城」広場いろいろ

2021-12-25 15:17:03 | 三重の城郭めぐり
ご参考に「お城の石垣は崩れずに現代まで残っているの?」(城びとHPより
大阪城や伊賀上野城の石垣が掲載されていますし、
石垣の「基礎のキ」がわかるような気がします。
伊賀上野城の北側辺りには基礎に使われた石なのか、
栗石(グリイシ)と言われる石なのか、多数残っています。

お城の北側を通った時にこんな「赤い実」を見つけました。
 
撮影に何度挑戦しても後ろのお城の基礎部分にピントが合っちゃって、
肝心の「赤い実」はボケます、下手ですねぇ
ダメなものはダメと諦めますが、
まん丸ではなく丁度「小豆」のような形で
わずかに残るこの実は「アズキナシの」と教えてもらいました。
知らなかったです、5月頃に可愛い白い花が咲いているのに
気が付かずに素通りしていたようです…来年こそきっと見ますよ「花」!
その木の根元に注目!!
 松に絡まる「小豆梨」(漢字で書くとこうなる)の木
すごい寄り添い方ですよね、笑っちゃいました、お互い頼りにしてるのね(笑)。

伊賀上野城に登城して、楽しみな景色を見ます。
いろいろお宝はいっぱいあるのですが、撮影禁止のお宝も多いので
ワタシは「景色」に特化しようと思ったわけです。
この天守閣が建設途上に暴風雨で倒壊しなければ、
高虎さまは、どんな景色をここに見ようとしていたのだろうと…
(多くの大工たちが犠牲になったことに哀悼の意を表しつつ)
では、東側の山々から、雲の影がかかる山が「南宮山と岡山」
その後ろが「霊山」、そのまた後ろは鈴鹿の霊峰群


北側(高旗山・お斎峠の山並みと伊賀上野方面)
 

西側(上野高校グランドから長田方面)
 

南側(城下町の町割りや遠くに布引山系)
 
山の名前がわかるかと思ったら「布引山系」と一括りだったのでちょっと残念
なので後日「竜王山」へ登ったのでした、、、

何十年ぶりかにお城に登りましたが、いいですねぇ、
三層目の天井は『折り上げ格天井(オリアゲゴウテンジョウ)』といい、
大変珍しく、風格もあり、その「天井絵」も素晴らしい!

再度、「石垣」撮影スポットから


堀の下に降り、その前の広場の松の木
 
松の木「右」に捻れる、なんでかな?
そして、松に寄り添う木、
ずっとこんな感じで仲良く育ってきたのでしょうか…

最後に、後日改めて「伊賀上野城ご城印」をいただきに行きました。(@200)


では、今度は「№4「『津城跡』の石垣」書けたらいいなぁ
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三重の城郭巡り №3-②「伊賀上野城」

2021-12-24 15:46:18 | 三重の城郭めぐり
見慣れた光景とはいえ、上野地区に住む者として、
これは伊賀市代表のランドマーク だと勝手に思っています。

 西側から

 表から(南側)
当時、もしこのお城が完成していたら…
階段はなく、「縄梯子」で登ることになっていたとか、
徳川の世になると「城は護るもの、攻撃のためではない」と。

堀の上を歩いてみますが、ここは本来入ってはいけないところ、自己責任で…

やっぱり何度訪れても堀を覗こうとすると足は竦みます
なので、この場所から堀は撮れません!

ここからは、一番きれいに見られる(撮れる)ところです。
 「算木積み石垣
高虎殿様自慢の高石垣です。
大阪城の石垣と一・二を争うと言われていますが
これは水面下から図るとどうなるか?という問題かもしれません(笑)。
では、水面から見えるところに移動しまして
 「算木積
見本のような石垣ですが、所々崩れそうになっているのが心配、
自衛隊員さんに草木を刈ってもらったのでスッキリ見えます、いいですねぇ。

堀の見える下の道に下りて、ワタシが好きな場所からは、
 水面に映る石垣
奥に見えるは上野高校図書館辺りかな、
この位置からだと「算木積み」の石垣は隠れてしまいます。
でも水面に映るこの石垣もスラっと伸びて綺麗だと思いますが…いかがでしょ?

今回はここまで、
ではまた
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三重の城郭巡り №3-①「伊賀上野城」と「筒井天守跡」

2021-12-23 16:16:17 | 三重の城郭めぐり
久しぶりです、「三重の城郭巡り」シリーズ
2週間ほど前にとある研修に参加させていただき、
改めて「伊賀上野城」を見学しました。
知っているようで知らないことがいっぱいありましたが、
ワタシ自身もう一度勉強するつもりで「伊賀上野城HP/三つの天守閣」を読んでました。

「伊賀・亀山・津・松阪・鳥羽の城郭巡り」を始めたものの、
ぼちぼち完結しないとなぁと思っていたところに研修のお話があって、
楽しく上野公園界隈を歩いていました。

今回は、その時に撮影した石垣などを中心にしております…
伊賀のお城は残っているとはいえ「昭和のお城」です。
でも「石垣」は幾多の歴史をみている素晴らしい歴史的建造物だと思っています。
昨日「津城跡」も行きましたので、まさにどちらも「高虎遺産」のような気がします。
(詳しいことは何も知らないのですが)「石垣」を見る楽しさが少し芽生えた気がします。

では、上野公園へ入る前段から(笑)…
(但し、12/5と12/14の2日分の写真入り乱れです)
 地元の方はよくご存じの「蛇池」(12/14)
ここの松、多分電線に配慮して伐採されたのでしょう、
水面に映ってもやはり奇妙な格好ですが、松に罪はないし、
夕闇の松と蛇池、綺麗だったので、つい。

公園入口の駐車場横から入場すると、左側土手沿いに
  「伊賀笹」と呼ばれているとか
触って見ると葉っぱの裏がすべすべです、
普通の笹は毛があるのでザラザラするようです。
 最後の紅葉(12/5)

  
旧筒井城の空堀跡。

   
石仏様たち、真新しい赤い前垂れのお地蔵様や不動明王様
伊賀流忍者博物館」のくノ一さんが毎日お参りされているそうです。

 筒井城代屋敷跡の広場、
ここも最後の紅葉

  
ここの広場には旧水道タンクがあります、
その横に小さな入口、そこを登ると『筒井天守跡』があります。 
この城代屋敷跡を南方面に下りると石垣が見えますが、
 ここまで12/5撮影分
これは「城代屋敷跡の野面積み石垣」(ノヅラヅミ)。
☟12/14の晴天の日に撮った石垣です、
  筒井城野面積み石垣
直に下から見上げるとなかなかの迫力、
緻密に細かい石が挟み込まれています。
この石垣の上に、昔「城代屋敷」があったとのこと。
  「筒井城表門跡
この石段登ったところに「表門」と書かれた敷石があります。

では、次回は高虎さま城主として指図した「高石垣」へ
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いざ、行ってみました。高虎さまに会いに…

2021-12-22 21:15:47 | 神社仏閣など

かろうじて紅葉が残っていました…
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