いがぶら2022冬編-№14 ここは天正伊賀の乱、きっかけの地。ここから見ていた…

2023-01-31 14:59:30 | いがぶら2022冬deいが巡り
 
「無量寿福寺」境内の見晴らし台から「丸山城跡」の山を望む。
(左)2023/1/28撮影、(右)2022/1/10撮影

伊賀びとの原点・天正伊賀の乱超入門
【無量寿福寺と丸山城跡を歩いて感じる中世伊賀の風】
案内文から
「伊賀惣国一揆の12人の評定衆が議会を開いた場所の1つ、無量寿福寺。
 中世伊賀の風を感じながら、戦火を生き残った本尊阿弥陀如来と大黒天を仰ぎ、
 無量寿福寺第49代住職瀬木英俊さんと伊賀上野城城代家老福田和幸さんからお話を伺います。
 その後、天正伊賀の乱の口火を切った丸山城跡を目指し、ハイキングを楽しみます。」

いざ出陣!みたいな気分だったのに、前日夜半から降り積もる
当日集合場所のこの景色、

降り立った駅でも、一面この状況、


参加者20数名、天候による交通機関不通などで
伊賀まで来られなかった方も若干名いらしたようですが、
集合できた我々の行く先々では青空が見え隠れ…
さすが「隠れ里、忍びの地」。

丸山駅から雪道を一路南方面に進んで、ここは
天童山 無量寿福寺】(テンドウサン ムリョウジュフクジ) 伊賀市下神戸(シモカンベ)
 
ここに映る「武将」、特別参加の地域盛り上げ隊長かな?
(以後、時折映っちゃいます、あしからず。)

寺務所に入らせていただき、熱いお茶と「草ころ」(byいせや)でおもてなしを受け、
冷えた体がほっこり 、そして温まったところで本堂へ移動。
全員で「般若心経」を唱え、
「天正伊賀の乱精霊」の慰霊をさせていただく。
ここから講義二題
「天童山 無量寿福寺」の歴史
「天正伊賀の乱」のこと

第49代住職の瀬木英俊様からお話を伺いますが、

実はこの方「ロート製薬取締役CSO(最高戦略責任者)」であり、
多気町VISONプロジェクト立ち上げも担い、
江戸時代から受け継がれている「薬草」を生かした「本草(ホンゾウ)」を
広める取り組み
もされている、とか。
ご住職とCSOの二つのお顔を持つまさに「忍び」のような方、
お話もとても上手でつい惹きこまれてしまいました…

当寺の歴史として
 境内説明版①
*奈良時代・天平勝宝年間(749~757)、孝謙天皇勅願、行基菩薩の開基
*文永元年(1264)、伊賀出身の応準和尚により興隆
*東福寺の高僧聖一国師の行脚の折、中国:天童景徳禅寺の美しい景色に似ていると、
 天童山の山号を授かる。

本堂には、平安後期作といわれる本尊「阿弥陀如来」様★と
脇侍には四天王のうち二天「持国天・多聞天」様★がおられます。
  
本来、釈迦三尊像と四天王他多数の仏像があったそうですが、天正伊賀の乱の際に焼失されたとか。


また阿弥陀如来のことを無量寿如来ともいい、
量を推し量ることができないほどの寿命を授けるという意味だそう。
無量寿寺とは、それに加え福も付いているとのこと。

ご住職による「薬師堂」内のご仏像の説明、
大黒天」様★台座には、ねずみさん
 

薬師如来様、天正伊賀の乱戦没者慰霊、お大師様など
  
(ご住職様から撮影許可が出ており、
 また★は庶民により戦火の中、焼失を逃れた仏様たち)

次に、「伊賀上野城城代家老」福田和幸氏の講演で、
伊賀の国は「戦国の覇者(戦国大名)」がいない群雄割拠の時代。
*信長・秀吉など天下人も恐れていた「伊賀衆の集団力」。
*「天正伊賀の乱」まで500年続いた戦なき国であった。
  ※(伊賀忍者オフィシャルサイトより)

 
*室町時代、伊賀の国の自治共和体制確立(=伊賀惣国一揆)
 12人の評定衆による運営、主な議場が無量寿福寺。
 フランス革命より200年も早く議会制民主主義の原型だったのか?
*634もの「中世城館跡」があり、東大寺などの大荘園支配に対する
 独立機運が契機になった。
*室町幕府配置の守護大名仁木氏支配に下らず
 伊賀北部は六角氏、南部は伊勢北畠氏と融和。
*「丸山城」修築開始時、伊賀衆は木津川を挟む天童山に集結
 総攻撃をかけ落城させる。
 第一次天正伊賀の乱では、無量寿福寺は「本陣」(拠点)としての役割を担う。
*第二次天正伊賀の乱では、当時議場であり政庁であった上野山平楽寺などと同様に
 信長に焼打ちされる。無量寿福寺では本尊など数体のみ難を逃れた

 境内の説明版②

私的にずっと考えてました…
何故信長は伊賀を攻めた??
「語り部」仲間の大先輩曰く、
 『伊賀が織田方の守護、仁木氏を追い出し、丸山城を燃やしたのが直接の原因ですが、
 それ以前から北畠家と伊賀とは関係が深く家臣としても柘植氏、日置氏、がいました。
 伊賀は信長にとって気味が悪い隠れ地としても遺しておけない地だったのでしょう。』

この一年後、信長は本能寺で明智光秀に…
 『名張市を中心とする南伊賀では、毎年お盆に「本能寺の変」で
 織田信長を打倒した明智光秀を讃える「お蔭祭り」が催される』とか…
これもある意味納得の儀式のような気もしますが。

御仏様たちに送られ、住職ご夫婦にはお世話になりました。
「当寺へ来られた際はぜひお声がけください」とのことでした。

外へ出ると、なんと「白梅」が咲き誇ります。
これは伊賀乱の精霊たちの見送りか…
 

では、いよいよ「丸山城」が築かれていたという対面の山へ
 

ではつづく
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ここはどこの雪国か…

2023-01-30 11:46:55 | 上野森林公園
そんなところばかり撮って歩いてました(笑)。

天正伊賀の乱絡みの歴史は重くて、なかなか整理が付きません。
そこで思い立った「雪国風景激写ウォーキング」です。
場所は・・・
残雪ばかり也  
では、ご案内いたしま~~す



雪が残っているところばかりですので、なんと雪深い?
と思われるかもしれませんが、大丈夫です。
ここを歩く人々は多く、乾いている道の方が多いので…
ただ、雪国に行った気分を束の間楽しむには、
滅多に見ることのできない景色だなと思ったのです。

2023年の冬はこんなんだった、という記憶のために。

では、また…
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いがぶら2022冬-№14、出発前からレアな雪景色&忍者電車

2023-01-29 17:45:04 | いがぶら2022冬deいが巡り
昨年「秋編(西山棚田周辺&拓本体験)」に続いて「冬編」。

「いざ、中世伊賀の風を感じよう!」とお出かけの準備中だった。
夜半、外を覗きに行ったら、またまたの降雪でどうなることかと…
 再掲(城下町にしんしんと降る雪)

2023年1月28日、集合は9時15分に「忍者市駅(上野市駅)」。
当日朝、参加者の知人から「決行!」という連絡をもらい、
防寒対策、足元の雪道対策(トレッキングポール含む)、万全を期して、駅に向かいました。
受付で手続きなど終え、伊賀鉄乗車時間は…

9時32分、この掲示板よく見ると4本全部「忍者(くノ一)電車」です。
これを見てるだけでも嬉しくなります、
「ピンク・緑・青のくノ一電車」は誇りだと思っているので。

待ち時間に、駅前にて
(左)「メーテルと鉄郎」に雪、
(右)「巨大クナイ」にも雪積もる。
 

「ピンクのくノ一電車」入場(伊賀上野側から入線)、
くノ一の見つめる先は、、、ワ・タ・シ。
 

前一両ほぼ「いがぶら参加者」、貸し切り状態(笑)。
知人と二人、まるで子どものように右に左に…
 
沿線の風景も撮ろうと思いましたが、なかなかよく揺れる
街中の軒先すれすれに走るので小さなカーブが多い、
そこをスピードを落として慎重に走る電車。
 
※1/24に踏み切りから撮った「広小路駅」のカーブ…
スリル満点の城下町内を抜けるとそこは「雪原だった」。

(左)一気に雪原の猪田辺り、(右)市部駅から垂園森付近
 
(揺れる電車内から撮るのはイマイチ

伊賀盆地内の雪原を電車内から撮る、
これはレアだしある意味とてもラッキー
楽しく乗ること約20分、「丸山駅」到着!
再度確認「参加者は揃ってますかぁ??」。
では、ここから南方面に見える小高い山を目指しま~す。
道中、雪道です、気を付けてゆっくり歩きましょう~
  

国道422号線(青山街道)丸山の🚥を渡り、木津川を越えますが、
ここ「上郡丸山橋」の上は「雪中行軍」、
橋の上ってなかなか融けない ということを再確認。
欄干の向こうには渡り鳥元気に泳ぐ!
  

丸山駅から歩くこと約1km、
最近では秋に「彼岸花」を見に
「忍者回廊巡り」では御朱印も頂きに来たし、「丸山城跡」の山も
今日は雪の「無量寿福寺」で、講和など聞く予定。


嬉しいことに、我々のゆく先々「青空」なんです
みんなの心がけのおかげさま。

では、続きます。
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楽しい思い出の共有、まず「伊賀鉄道」を楽しむ…

2023-01-29 00:53:06 | いがぶら2022冬deいが巡り
そうだ、せっかく電車に乗ったのだから「桑町の跨線橋、動画で撮りたい!」
そんな欲望にかられ、知人を誘って電車の一番前に乗ることに(笑)。
一人だったら絶対できない一番前(=運転席の後ろ)に陣取り、
桑町駅停車・出発(上野市行き)を待つ…


一瞬ですが「イギリス積み」の跨線橋、真正面から見ました
これを撮りたくて…
周りの人たちにはきっと、「ガキんちょやなぁ」って思われてただろうなぁ(笑)。

いがぶら2022冬編」に参加したんですが、何せ伊賀鉄道での移動です。
久しぶりのローカル線でのミニ旅、しかも「雪景色」のおまけ付き!
楽しいはずがない、けどワタシはまだ写真の整理ができてません。
動画を張り付けるので精いっぱい
なんやかんやで一緒に参加した知人が先にアップしてくれたので、
下記にリンクしておきます、彼女の楽しそうな「伊賀鉄道旅」です。
『うららかな日々』より伊賀鉄道という名のアトラクションで楽しむ

ワタシは整理が出来次第、随時・・・
ではまた
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再び白い世界…

2023-01-28 00:01:02 | つれづれ思うまま
大丈夫かなぁ??って、外を覗きに行ったらコレ

  

Oh!
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伊賀の大雪、その後。城下町東西の道は凍ってる…

2023-01-27 14:25:21 | つれづれ思うまま
あくまでも個人的見解ですが、名阪国道を日常的に使う人間として、
「名阪国道が通行止めで良かった」と、思いましたが…
何年前だったかの記憶は曖昧ですが、その時も豪雪!だった。
名阪国道に何時間も(実際は出勤時から退勤時くらいまでだったかも)
閉じ込められた人を知っているので、
管理者側の人たちに、同じ轍は踏まないでほしいと願っていました。

名阪国道の予防的通行止め(早めの判断)が今回の「新名神の渋滞」を誘発したのか?
みたいになっちゃいましたけど、雪でも雨でも容赦なく降ってはひとたまりもないのが
この「自動車専用道路」(極道と言われる由縁)の宿命みたいなものなので、
こういう日は(名阪に)乗ってはいけない!としか言いようがない。
しかも、今回の雪、一気に来ましたね、
ものの1時間で盆地は雪原のようになりましたもの

以下、Web読売新聞から抜粋
 『三重県と奈良県を結ぶ名阪国道を管理する同省の国道事務所は、
 気象予報を受けて、24日午後7時から亀山IC―天理東ICを予防的通行止めにした。
 名阪国道が規制された結果、新名神下り線に多くの車両が流入し、渋滞が発生。
 そこに大雪が降り、車列で除雪車も稼働できない事態に陥った。』(2023/1/26記事)

次に、外へ出るのも嫌になるほどの雪、しんしんと…(2023/1/27:13:00現在)
仕方ないのでネットで「名阪国道」を調べてました。
的確な記事を見つけたのでリンクいたします。
冬の名阪国道の「雪」について注意点』(「奈良まちあるき風景紀行」さんの過去記事ですが)

・・・・・・・・・・・・・


我が家では、ハナさんストーブ独占中!!

さて、大雪だった1月25日、15時過ぎ所要のため外に出ました。
城下町の南北の通りは全面融けました(撮影場所:(左)ハイトピア5階から)
  
が、(中)東西の通りはこの通り 、これは27日もほぼ変わらず。
この上に、また新しい雪が降ってます…
(右)お城は単独、北の山並みは雪雲で見えません
たまたま5階で出会った職員さんの話では、
「朝は本当に雪景色が綺麗だった、駅の赤い屋根も積もってましたよ」とのこと。
公園まで行けず残念でした

アイスバーンのようなのでスケートができそう(=転ぶということ)なんですが、
これは所々(笑)とはいえ、ほんと凍った道は歩くも、🚙も要注意 です。

夕刻の木興田園(遊水池)から、一瞬で太陽が沈んでしまって
(左)名残の夕焼け
(右)木興田園に残る雪と遠くに室生火山群の山並み
 

そして、北の山並みを見ると…
あれ?「高旗山」だけ雪が残ってるのか?
多分そうであってほしい、という写真(笑)デス。
 
リンク写真は「高旗山の芝生にて」
 きっと、この芝生部分に残る「雪」だと思われる。。。
以上、2・3日分のまとめ、でした。


明日は「いがぶら2022冬編」
伊賀びとの原点・天正伊賀の乱超入門
【無量寿福寺と丸山城跡を歩いて感じる中世伊賀の風】
行けるかな…
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雪景色続編、伊賀、津、奈良、アイントフォーヘン…

2023-01-25 12:19:44 | つれづれ思うまま
あさイチに同級生仲間からの驚きの雪景色…
  
県庁所在地の「津市」でこんなに積もるとは??
って、一報が入りました。
こんなコも送られて、ほっこり
 雪うさぎちゃん
お盆の上にいるのがなんとも愛らしいではありませんか、
サラサラ雪なので作り難かったそうですが、なんの可愛い

せっかくなので、動物絡みで
我が家のニャンは、一歩踏み出て
出ようかどうしようか悩める姿です(笑)。
  

知人宅傍の田園では、カラスも喜ぶ雪景色!
どこの雪原か?!


長野の山モドキ、伊賀の高旗山付近らしいが、
なかなか見られぬ雪模様、知人から借りた写真です…


あっという間のLINEでのやり取りで、あちこちの様子が届きました、
 
☝広陵町辺り
☟古山辺り、街中より少なめの雪だったみたい


我が家界隈、と言ってもほぼ数歩しか動いていませんが
  
お城の雪景色、見えるでしょうか?
行きたいけど、道路が凍ってたので行けてません
でも動くな!と、みんなから言われてます(性格、読まれてます)

ビオラと雪、健気です…
 

閂(かんぬき)風に使ってる「ボルト」に積もる雪、
竹の葉と雪、普段は何も感じないものも、つい見入ってしまうものですね、
 
それだけ珍しい雪景色でした(笑)。

おまけは、ハイトピアにいる知人に頼んだ🏯風景、

市駅のあのマンサード屋根は雪が積もりにくいのか、
太陽のお陰の雪解けか…(丁度、正午に送られてきました(笑))


最後に、少し遡った映像ですが、こちらも雪景色


雪を見て、家に居ながらはしゃいでました
今日は「汲み取り日」、いつもは9時半には終わってるのですが、
流石に未だ来ていただけません、催促はしません。
これは待つしかないのです、きっと大変だと思うので
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白い訪問者⛄、来たる・・・

2023-01-25 00:18:07 | つれづれ思うまま
午前中に街歩きの用事があったのですが、意外と歩きやすくて良かった
城下町の東半分くらいをどれくらいの時間をかけて歩けるかなぁ?って。
頑張って歩くとホカホカしてきましたよ。
ただ、お昼ごろからの北風は冷たかったなぁ

買い物を思い出し、16時40分ごろアピタへ向かいました🚙
ちょっとした買い物のつもりでゆっくり40分くらい…

さてっと、ぼちぼち帰るかっと外に出て
そんなこんなの状況報告!
正面の一番前に止めてあったのです、
たった50分ほどの間に銀世界


伊賀ではずいぶん久しぶりの雪、しかも一気に積もるパターンです、
情報に寄れば「名阪国道は雪のため通行止め!」とか。

さて、タイヤはスタッドレスなので安心ですが、
それでも勢いよくは走れません。
車の通りの少ないところを選んでの帰り道、
踏切と中之立町通り、むらいさんちの前辺り…
 

駐車場までたどり着いた(左)、元伊賀傘蔵跡地(中)、裏庭(右)
  

あまりにも静かな夜、しかし漏れてくる外の雰囲気は明るい
22時45分ごろの城下町、我が家の前
西を見て、東を見たら、誰かの足跡と🚙の轍。
 

まだまだサラサラ がしんしんと降り続いていますが、


明日は巣籠りしましょうかねぇ…
通勤、通学される方、どうか気を付けてくださいね
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三重県で唯一残る「明治校舎」美しく蘇る、後編。

2023-01-23 15:00:00 | 上野高校明治校舎改修工事編
【正面玄関】から入ります~
 
玄関も廊下も天井に注目です、
透かし菱目張り』という技法が施され、
白塗りの壁で囲まれているので、ともかく明るい
昔の建物だからイコール「暗い」というイメージではありません。
50数年前の在学当時、この玄関から入ることはなかった記憶ですが、
さてどうだったのでしょう?

工事中の玄関付近写真

【廊下】の様子~
この「明治校舎」、確か上から見ると『中』の字型になっていると聞いた記憶があります。
その真ん中の縦線辺りに『玄関』、
2画目の横棒に当たるのが『廊下』でしょうか…
(左)東側廊下、(右)西側廊下。
ここの天井も「透かし菱目張り」。
  

工事中の廊下の写真

【教室】内部の壁や床、黒板、窓、扉など見どころ数知れず~
教室に入る前に必ず開ける『ドア(扉)』、
木の扉に違いはないのですが、実は「木目模様の絵」を描いてある…
知ってましたか??
例えば、ここは「HAQUAホール」、ここで説明会が行われますが、
この扉であったり、廊下の扉など
 

よく見ると傷がついて(剥げている?)いて、それをそのまま残してある…


『ドアノブ』は乳白色のガラス製。
そして、木の扉風に見えるけど、、、

語り部大先輩のblog「伊賀へいらっしゃい」で教えられたのは、
「『玄関にはマホガニー(ギターの素材で有名)やチークなどが使われ」
「『木目塗り』という高級な技法が採用されている」とのこと。
木目をあえて描いている!ということに
「明治という時代の職人さんの粋」を感じた次第です。

職人さんと言えば、こちら
壁に組み込まれている『黒板』。
 
これは『黒大津磨き上げ』技法で、これも職人技!

 ≪大津壁とは、土にスサと少量の石灰を混ぜた材料を塗りつけ、
 鏝(コテ)で何度も押さえることで緻密な肌に仕上げる土壁のこと。
 大津壁は滋賀の大津がその名前のルーツになっています。
 滋賀の大津には江州白土と呼ばれる磨き壁に適した土が取れ、
 その工法が全国に広まったので大津壁と言われるようになり、
 大津磨きは大津壁の最高級の仕上げ≫になるとのこと。


「明治校舎で黒大津」を担当したのをきっかけに、
職人さんは「マイかまど」(弁柄)を造ったとか、
どこへ行くにもこれを持参して固形燃料で火を熾し、
伊賀米を炊くのだそうですよ(笑)。(本人談)
絶対美味しいはず、実用化できればいいのにね…(ワタシの余談)


工事中、取り出された「黒大津黒板」の一部

さて、廊下をぶらぶら、あちこちの教室など覗きます~
廊下から中庭を見る、記念碑やコンクリート仕立ての校舎。
時代の流れを感じる空間です。


(左2枚)「新聞部」に黒い遮光用扉?
(中)「黒板」「天井」に換気口
(右) ほかの部屋と較べて床材が細い、「ゴミ掃き出し口」があります、
さて、出したゴミの処理はどうするんでしょう?
おそらく、現代では「飾り」に徹してると思われますが…
   

「掃き出し口」などの写真

窓の記憶」残っていますか?
 
汽車に乗った時の窓を思い出す「上げ下げ式」、上部は「回転式」。

ここは「理化教室」、理化って…何?


工事中、廊下の窓  床下の様子①  床下その②  天井の様子

「窓」と言えば、忘れてはいけないものがあります。
当時(明治後期)、ガラスの加工技術はまだまだ発展途上、
なので「ゆらゆらガラス」(滑らかでない)が所々に残っています。

どうしたらわかっていただけるかと考えて、外の景色を見てみたら
ゆ~らゆ~ら、揺れてる??

最後に近づいてきましたので、説明会の様子

午後1時からの部でしたが、多くの方が参加され、しかも親子連れもちらほら。
あまりの多さに立ち見もあり、でした。
「蘇った明治校舎」、技術の粋が集まり、工夫がなされ、
今ここに見学できたこと、同窓生のみなさんに届けばいいなぁと。

工事中の屋根の様子/玄関と廊下付近①  その②玄関辺り  廊下の上

最後に「玄関正面」を見上げると、ここだけは天井むき出し、
和小屋組みとトラスの組合せ、とのこと。
 

「外壁」など真っ白!で、「換気口」「掃き出し口」もクッキリ。
 

工事中の様子の写真などと見比べられればと思いついたばかりに、
つい長くなってしまいました。

上野公園辺りに来られた折に外からでもいいので眺めてみてください。
こんな大切なものが残されたことに感謝するばかり。



では、おしまい。
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三重県立上野高等学校「明治校舎」、美しく蘇る。前編(正門・玄関など)

2023-01-22 16:19:26 | 上野高校明治校舎改修工事編
工事にかかわられた皆さんの苦労がしのばれる、
卒業生としては、ここもあそこも在学中はじっくり見てなかったなぁ と。
今更ながら、いいところに居させてもらった青春時代だと。

第23回卒業生の同窓会の話は「入学後、半世紀」経ち、
「卒業して50年」になり、もうみんな「古希」になってしまう。
そんな再々延長に振り回されていますが、皆さんに会うまでにこの校舎は見事に蘇りました、
懐かしさと感謝の気持ちで見学させてもらってました。
その「たからもの」のご報告です…
nikkei.comから「明治の木造校舎、耐震化で後世へ」
≪三重県教育委員会は木造で県の有形文化財、県立上野高校(伊賀市)の明治校舎の耐震工事をこのほど完了した。
 1900年(明治33年)に旧制県第三中学校の校舎として完成、
 全国でも今も残る旧制中学の木造校舎は珍しく伝統建築を後世に残す。

 明治校舎は平屋建てで延べ床面積約969㎡、改修には約4億2千万円をかけた。
 和風建築の入り母屋屋根に、洋風の玄関や窓が取り入れられているのが特徴だ。
 三重県は1989年に県の有形文化財に指定している。
 博物館明治村(愛知県犬山市)に移築されている国の重要文化財、旧三重県庁舎
 手がけた清水義八が設計した。作家の横光利一、書家の榊莫山が青春期を過ごした。

 今後も校内活動に生かすとともに、市民の交流の場としても使う予定だ。≫

では、懐かしの【正門】から~
(左)2022/12/28撮影時は門扉全閉、
(右)2023/1/21には正門から入場可でした。
 
説明によると『門柱』は折れかけており、しかも基礎が1mくらいと長かったとか、
想定外のことだったらしく、元に戻すのにいろいろ工夫をされたとか、
おかげさまで見事修復され、正門復活劇場です。

(左)同窓生の皆さんは、この門から月ケ瀬マラソンに出発しましたねぇ…
昭和46年(1971)2月4日のこと、懐かしの出発風景です。
(右)卒業アルバム用では、4組だけこの「明治校舎正面」で撮りました。
 

10時から16時までの見学時間のうち、ワタシが参加したのは正午過ぎ、
お昼時にもかかわらず実に多くの見学者がいました。
おそらく卒業生の方々が多かったかもしれませんが、
三重県指定有形文化財でもあり、
県内では唯一残っている旧制中学校のひとつ。
残っていてくれてありがとう、と先ず思いました。

では【玄関】に迫ります~
 

一緒に見学していた「語り部」Mさんに教えられた情報では、
『玄関はビザンチン様式。入母屋造屋根。
 両脇に三本ずつ変形トスカーナ式のエンタシス(※)の円柱
※エンタシス=上部にかけて徐々に細くなる。

もう少し細かく『玄関の「円柱」や「天井」』など~
玄関の天井は『透かし菱目張り』というそうです。
 
三本の円柱、
アーチ状の柱間の装飾は、『唐草と若菜の彫刻で瓔珞(ヨウラク※)飾り
※瓔珞=仏壇飾りによく用いられる。

両端には『若葉の持ち送り(※)』
※持ち送り=壁や柱より外側に出た桁を支える板状部材。
 塗り替えられたもの
以前のものは、見るも悲しい姿でしたが…(リンクは写真)

もう一度外から全体を見上げてみると、
西洋風でありつつ、入母屋造りの屋根を持つ、
そこに象徴的な「鬼瓦」と「鬼瓦原寸図」。
 
今ここにあるのは「新調」されたもので、
元の鬼瓦は校舎東側下の地面に埋めてある、とのことでした。
「鬼瓦」は「三州瓦」だと以前の見学会で聞きました。
リンクは「解体された瓦の数々の写真」ですが、
決して捨てられるのではなく、利活用されているとのこと。
今度、修理修復されるかもしれない時、
「おっ、こんなものが出てきた!」って驚かれるのかもしれませんね。
ワタシたちが、今驚いているように…

では、内部潜入いたしますが、そこは後編で~~
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