春の訪れ、一気に進んでます。「射手神社しだれ桜」や「菜の花フェア」のこと…

2024-03-30 23:25:28 | 花や風景など
所用で長田方面に向かって国道163号線小田辺りを走っていて、
遠目に薄っすらピンクに色付く風景を垣間見ました…
急遽、進路を変更して「射手神社」へ。

  

 
この神社のしだれ桜は、伊賀界隈では一番早いのではないかと思われます。
陽当たりのおかげと勝運の神のおかげか…(観光三重より「射手神社

西蓮寺に向かうべく旧道を走っていたら…
 
道沿いで菜の花に迎えられました。

そうそう「菜の花」といえば、ココ。
  
大山田のどこかで咲いているかもしれないと走って見つけた場所は・・?
この写真を知人に見てもらったら「畑村」辺りとのこと。
163号線から外れるとわからなくなってしまうのです💦

毎年恒例のイベントが開催される「大山田JA」辺りは、まだこんなん…
 
これはきっと4月のイベントに合わせて咲き具合を調整してるんでしょうか、
楽しみな場所ですね、ハートマークから風車を覗くのです

大山田農林業公社さんのFBでは
「今年も『プチ・菜の花フェア』を開催します。
今回は伊賀市共催ということで、ちょっと豪華にできそう。
4/6・74/13・14の土日
公社周辺の菜の花畑では生育状況も順調とのこと。
公社も抹茶わらび餅を先行発売するなど、ハリキッテます。
ぜひ遊びにきてください。」ですって…
 

春が来たらしく、どんどん進みますよ~~一気ですよ。

昨日投稿を忘れてしまい、本日(3/30)再訪問した「射手神社」にて
  
大坂ナンバーのバイク、やっぱりね撮影に訪れておりました。
ここはこういう場所でもあるんです、知人同士のSNSつながりで来られたそうで、
伊賀で一番早い「射手神社しだれ桜」との競演ショットです。
去年はもっと早かったですと言っておられました、確かに…

ついでに、境内から右手側に山があって、そこには何やら石仏群があるらしい、と。
思い切って上ってみることに…
 五輪塔群

もう少し頑張って頂上近く
  
なんとも優しいお顔の「お地蔵様」

 
ここは、ほとんどだれも行かないかもしれない、
歴史に埋もれた場所のようですが見晴しは木々の間から良好!
伊賀盆地を見渡せるところ…

今日は「伊賀の里歴史ウォーキング」(芭蕉ゆかりの地を巡る:4/7開催)コースの下見です。
黄砂が心配💦でしたが、なんとかこなせました。
伊賀上野駅~だんじり会館~芭蕉翁生家~天神さん~寺町通り~
蓑虫庵~鎌田さん~上野市駅解散で~す。
約6㎞完歩…案内人ですからへこたれておられません。

2日分でした、ではまた
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種から育てたネモフィラ、白い花が…

2024-03-29 09:50:19 | 花や風景など
株分けではないけどご近所さんにもらっていただいた「ネモフィラ」さん、
(種から育てたのはもちろんん家人です、あしからず)
「おい、白い花が出ているぞ」と、どれどれ…と証拠を撮りに行くワタシ。






なんとなく「斑入り」のような気がしないわけでもない。
色素をどこかに置き忘れてきたのか??
「白花」あるにはあるらしいのですが、青い花の中から白いのが突然現れたらビックリなので、
つい証拠写真を載せてしまいました、ただそれだけ、です。

ちなみに我が家の花は全部「青いネモフィラ」ですが…
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霊山麓のミツマタ、再び訪問

2024-03-28 11:20:48 | 霊山でミツマタ
一昨年、初めてミツマタの植樹に行かせていただき、
翌年の3月、どんな様子かなと見に行って、   
本年昨日(3/27)再訪問してきました。

ここんとこの長雨でミツマタ植樹林の歩道は川の如し(と予想しており)、
想定以上の流れだったので長靴での参上は正解!!
もし、行かれるのであれば晴天であろうとも是非汚れてもOKな服装で行かれたし。
急傾斜地だし、山道を少々上る感じの場所なのです、
まるでアドベンチャーワールド的なところに光り輝くミツマタの花たち

途中でミツマタ植樹に関わられた方(町田さん)にお目にかかりました。
「桜の苗木も植樹したので楽しみに待っててくださいよ」とのこと。
ずっと昔はここら辺りも田園風景が広がっていたそうで、
一時荒れ果てたこの場所を再び蘇らせようと地域の人たちは奮闘中!
ワタシたち訪問者は、おかげさまのその風景を
静かなブームとなればいいなぁと鑑賞させていただいたわけです。
 場所は赤い印の辺り
伊賀ドライブインから数分です、普通自動車でも十分大丈夫です。
駐車スペースもあります

以下順不同ですが、「霊山麓ミツマタ林」の様子です。
まず、歩道や林の中の水の流れが分かればいいのだけれど…
  


ほんのり芳香も楽しめますよ…
  

  

  

 2024/3/27付朝刊より
余談ですが、思っていたより早く新聞に載ってしまって焦りましたが、
午後3時頃の訪問だったので、どなたもおられず貸し切りで見られました(笑)。

ではまた

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(再掲加筆修正) 伊賀市のミュージックサイレンのこと。その後「伊賀市有形文化財」に指定…

2024-03-26 11:25:08 | つれづれ思うまま
2011/12/23の過去ログから転記します。

・・・・・・・・・・
コメントに投稿いただいた知人に教えてもらいました。
これは是非ご覧いただきたい、全国で三台しかないそうで、YAMAHA製で、
65年間(※2024年現在)流れているミュージックサイレンで、変遷はあれ現役稼働しております。
(場所は変われど…)

ワタシにとって物心ついたころから、
上野産業会館から聞こえてくる日常の「音風景」でした…
今回の動画では「家路」のメロディーは流れませんでしたが
この曲が聞こえたら「帰っておいで」と、
子どもたちにも伝えていたような気がします(笑)。
「時」を伝える音楽だったのです。

因みに
♪午前7時は、ビゼー作曲「ペールギュント組曲」より【朝】のテーマ

♪正午は合唱曲「芭蕉」より【さまざまの こと思い出す 桜かな】

♪午後6時は、ドボルザーク作曲「交響曲・新世界」から【第2楽章・家路より】のテーマ
(現在は鳴っていない?いや、聞いていないだけかな?)

♪午後10時は、ブラームス作曲【子守唄】

~~~~~~~~~~
たまたま高校生による「ミュージックサイレンの取材」がありましたので、
you tube を掲載させていただきます。⤵
兵庫県立篠山産業高等学校:キカケン:2021年8月10日 (FBより)
【貴重映像】伊賀市に現存するミュージックサイレンを間近で聞かせて頂きました!!

~~~~~~~~~~

2011/12/23掲載の過去ログに、2021/10/20付で)貴重なコメントを頂いていますので転記しておきます。

『Unknown (ワタナベ) 2021-10-20 01:18:10
現在旧伊賀市役所庁舎で運用されているミュージックサイレンは、
元々上野産業会館に設置されていたものになります。
上野産業会館では、1959年の3月からミュージックサイレンの運用を開始してます。
設置されていた個体は4音分の物でした。
1日に4回吹鳴しており、朝7時と正午に魔弾の射手、
午後6時に家路、午後10時におやすみを吹鳴してました。
また、1982年に上野産業会館から伊賀市役所へのミュージックサイレン移設が決まり、
1959年から1982年の22年、産業会館屋上での運用を終えました。
また、産業会館屋上の個体は、22年も使っていて老朽化もあり、
機種変えを行うことになりました。
伊賀市役所に設置されたミュージックサイレンは、従来の4音分では無く8音分に音階を増やし、
吹鳴する曲目を増やしました。
上野市教育長の主導の元、曲目の選考が行われ、
午前7時に組曲 ペールギュント 「朝」
正午に混声合唱曲「芭蕉 さまざまなこと思い出す桜かな」
午後6時にドヴォルザーク 「第二楽章 新世界より 家路」、
午後10時に「ブラームスの子守唄」が選ばれました。
1983年から本格的に運用がスタートし、2021年現在まで実に39年間運用されています
ちなみに、ミュージックサイレンは1998年に製造中止されており、
2016年には製造元である日本楽器製造のミュージックサイレンを製造していた部門の後継会社の、
ヤマハファインテックでのメンテナンス及びサポート業務を終了しているため、
壊れるまで使うとのことです。
2021年、日本に残っているミュージックサイレンは
第1世代機が大分県トキワ百貨店、旧伊賀市役所の2箇所で、
第2世代機が愛媛県八幡浜市愛宕山の物だけとなっているので、絶滅寸前です。』

ワタナベ様、貴重なお話ありがとうございます。
・・・・・・・・・・
↑ ここまでが再掲分で、
本日の2024/3/26付朝刊から ↓

いよいよというかやっとというか「伊賀市有形文化財」指定が決まったようです。

現在進行形で旧市庁舎の工事が始まっています、
このミュージックサイレンを残してもらえることがわかっただけでも喜ばしい限り…
日々定時に、貴重な音源 だと思うと、
これもまた歴史を聴いている気分になるというものです。
ずっとここに住んでいると決して邪魔にはならず、
時計を見なくても「時」がわかる!生活の一部として溶け込んでいる気がしています。
(あくまでも個人的見解ですが)
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伊賀街道下阿波で『芭蕉さん句碑』、上阿波『平松宿』、『葦(アシイ)神社』へ 後編

2024-03-25 12:34:39 | つれづれ思うまま
(再掲)、この橋、服部川にかかる『子延橋』、
その橋のたもとに石造群。常夜灯やら碑やら…
上まで上がって見ていないので詳しいことはわかりませんが、
この「平松宿」のある街道を行き交う人々を見守り続けているものと思われます。
またこの子延橋をそのまま真っすぐ進むと「子延地区」へ行きます。
 
石造りの橋を渡り終え、この右折れ道の角に案内石柱『延喜式内葦神社』と。
 
進むこと数十メートルか、
 

  
奥に回らせていただき「本殿」を



『葦神社由緒書』、令和6年現在では28柱おまつりされているそう。
「葦神社」の『葦』って、この辺は昔湖で『葦』がたくさん生えていたことに由来するとか、
そういえば、何百年以上も前は「古琵琶湖」であったこと、
もっともっと古い「古阿波層」もあったんですよね。

※読売新聞社発行「街道いまむかし」(平成元年ごろ発行)より「葦神社/27の祭神をまつる」


ここで、書きそびれてた「大山田郷土資料館」のこと。
ここで「1700万年前の古阿波層から出土した化石」を見たこと思い出しました。
400万年前の「古琵琶湖層」よりさらに古い層の上に人間が住むようになったという
壮大な歴史とロマンを垣間見た思いです。
 
左)ハクジラ類 右)ワニの足跡

大山田阿波から長野峠、美里長野宿等々雨中の散策で、
現在・過去織り交ぜながらの記録になりました。
訪問先で「〇〇資料館」などじっくり見せてもらう事は
なかなか大事なことだなぁと今更ですが気づかせてもらいました。
目の前のことを写すことばかり考えてないで、過去があって今の自分たちが生きている!
ということを思うと、仇やおろそかにはできない先人たちの思いを知ることができます。
あの時代に如何に生きてきたのかを知り、振り返ることもしておかないと…そんな気付きのミニ旅でした。
一人では探し出せないようなところを教えてもらった日、
もう思い出話になってしまいましたが、忘れないうちに振り返れて良かった、わ。

オマケ記録
・・・・・・・・・・
ここで「子延の菜の花畑」2020年の4月撮影
   
パノラマ設定で撮影してた頃💦
先述の「石造り子延橋」を渡って🚙で2・3分進むとココへ出る。

最近、菜の花畑はここら辺にはありません。(さるびの♨辺りにあるかな??)
「風車と菜の花」を撮るにはいい穴場だったんですけど、ちょっと残念。
2024年はどうでしょう、また菜の花求めて彷徨う日は来るだろうか…
・・・・・・・・・・

ではまた
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松阪の研修で「三井高利」のお話を聞きました…

2024-03-24 10:47:37 | つれづれ思うまま
ここで「来遠像」(ライオン像)を見せてもらって
  
このライオンって確か「三越の・・・・」(Wikipedia)と思って見てました。
しっかり説明書きを読むと、やっぱりあのライオンだと確信。

松阪でお勉強をしてきて最後に三井家発祥の地(三井広報委員会HPより)を見せていただきました。
 
松阪のガイドボランティアさんのお世話になってほぼ一日、
松阪の歴史ある町歩きをさせていただき、最後の〆がココだった。
その時は「『三越百貨店』の元は松阪からだったんだ」ということと、
『三井高利』さんの先見の明は素晴らしいものだった、というレベルの解釈で、
お恥ずかしい限りだったのです。

ところが、帰宅して夜23時頃のこと…偶然と言えば偶然なんですが、
夜TBSの「ニュースキャスター/FOCUSを見ていて、この方の話が出てきた!
慌ててスマホで撮っちゃった!という出来事がありましたので、
凄くご縁を感じて、ここに覚書をしておこうと…
   

   

   

   

   

≪越後屋呉服店の規模が拡大すると、三井高利は商売の才ある若者たちをスカウトして店を任せた。
その精神は350年後に受け継がれ、三井みらいチャレンジャーズオーディションにもつながっている。≫
究極は将来ある若者のチャレンジの場が連綿と継承されていることに驚いた次第です。
似たようなお話を語り部さんから聞いていたことが、なんとなく耳の底に残っており、
番組を見たときに思わず反応してしまった、という出来事デス。

詳しくは以下の「三井広報委員会HP」より抜粋させていただきます。
三井家発祥の地・松阪」(三井広報委員HP/三井の歴史/江戸期~)
順にお読みいただくと「三井家」の歴史がよくわかります

三井家の家祖:三井高利のこと(三井広報委員会HPより)


最後に、東京に住む同級生(故郷は大山田のTちゃん)の大学卒業後の就職先が「三越」だったというもあり、
これも何かのご縁。
こんな「縁(えにし)」を持つ彼女と、いつか「名松線に乗って松阪へ行こう!」という話がずっと前からあって、
俄かに進みそうな、いや進めなくてはという予感がしてきました(笑)。(過去ログ/名松線奥津駅のこと)
その折には、きっと「松阪の語り部さん」にお世話になろうと思っています。
今回(3/23)、心のこもった案内をしていただきとても嬉しかったので…

いろんなご縁を感じました、大事にしたいものです。
ではまた
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伊賀街道下阿波で『芭蕉さん句碑』、上阿波『平松宿』辺り 前編

2024-03-22 00:32:05 | つれづれ思うまま
明治と昭和の長野隧道を見てきてからずい分経ってしまいました…
(再掲)
 
左)明治18年開通(伊勢側から)長野隧道(花崗岩製)
右)昭和14年開通した(伊勢側から)長野トンネル

同じ日(2/25)に行ったのに「芭蕉句碑」やら「平松宿」のことが今頃の報告で💦…
気になりつつ、覚書しておきます。
昔、伊賀國山田郡だった頃の絵図が残っています。

正保(1644年頃)「伊賀國絵図」(三重県歴史情報より)
この伊賀國全体絵図の中の、真ん中よりやや左下あたりが「山田郡」を通る「伊賀街道」。

 (大山田百選より)

 大山田村史より「街道絵図」

当時の面影というものは残っていませんが、
芭蕉さんがココを通った折のその風景やら心の内を詠んだであろうことは、
句碑などで想像することはできる、かもしれません。
その場の風景だったのか、後付けの景色なのかはわかりませんが、
この伊賀街道と芭蕉さんって、馴染めるんですよね。
長野峠を🚙で通る時、どこで折れたらここに辿り着くのか、
やっぱり一人ではなかなかわからなかったのですが…

下阿波須原の大橋を渡ったところ、自然石花崗岩の道標と共に
芭蕉句碑 『からかさに 押しわけみたる 柳かな』
   
冬枯れしているますがきっとこの木は「柳」だ、と確信しています。
そっと傘(=からかさ)で押して垣間見えた…その風景が、まさに古里伊賀だったのか。
江戸で詠んだ句とはいえ、深層心理としてやっぱり伊賀は恋しいところだったか。
「街道絵図」では【下阿波村/大橋茶屋】と書いてあるところです。


※読売新聞社編「街道いまむかし」(平成元年頃発行)より「旧大橋跡/心地よいせせらぎ」

富永、猿野(マシノ)を過ぎて「平松宿」は、左へ折れます…
 
ここにも大きな自然石花崗岩の『阿波大仏の道標
平松宿に入る手前になります、この道を西に進めば「阿波の大仏さん」(新大仏寺)。
伊勢からの客人にはこの道が近道だったとか。
さて、この道標、なんと書いてある?(大山田百選という本を頼りにして)
『右 大佛 いはやふどう明王しゅんじょうぼう 道 かけぬけ本みちよりちかし』だそうな。

「俊乗坊」という「東大寺」を再建された偉いお坊様がおられ、
その俊乗坊さんが開祖となって「東大寺別所/新大仏寺」を創られたとか。
「天下の嶮」ともいわれるあの長野峠の道を開削してくれた人でもあるそうで、
村人や旅人にとっては有難いお人だったわけです。


※「街道いまむかし」より「大仏道標/新大仏寺への近道」

ここから「平松宿」が始まります、その沿革が街道筋に残されています。
  

  (大山田百選、大山田村史より)

※「街道いまむかし」より「平松宿/江戸時代 旅籠がずらり」



 (大山田村史より/平田宿と平松宿)

街道の真ん中あたりに「板屋(イタヤ)」という有名なお宿があったそうです。
 
今は名残りの「瓦」が残っているのみですが、このお宿がなかなか繁盛していたらしく…
 (大山田百選より)

※「街道いまむかし」より「板屋/旅籠の面影今も残す」


この「平松宿」に伺う前に「大山田郷土歴史博物館」で学習しておきましたので、
その「板屋」さんの『庇(ヒサシ)屋根の瓦』が残っていましたのでご覧ください。

掲示されていた写真を撮ったので見にくいですが「庇屋根の瓦」って、こんな風なものです。
目出度い「七福神」などでお客様をお迎えしていたとか、楽しそうな造作です。
    
両端にあったであろう瓦、女中さん、鼠さんか?、亀に鯉。

  

 
「板屋」瓦、何故か「板に矢」。最後にこれも目出度い「鶴」さん?「鳳凰」か?

この先、先ほどの「土橋」を渡ると「子延(ネノビ)」方面へ行くのですが、その手前に…
なんと「神社」がありましたので、次回はそちらのご紹介を
では、また
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暑さ寒さも彼岸までというものの、まだ寒さは続くの?

2024-03-21 23:07:37 | 花や風景など
荒れた天気の今日この頃、
傘は必携のようですが、飛ばされそうになりました💦
年々寒さが身に沁みて、ここに来てファンヒーター一台壊れたのは痛い!
決算セールで買わなきゃって言われてますが、まだ悩んでます。

今日の時間別、方向別空モヨウ
 お昼ごろ、下友生辺りで東方面

 13時前に木興遊水地で高旗山を
真ん中辺で「雪積もってる?」風に見える、かな。

夕刻、服部川・柘植川合流付近を見る…
  
陽が差したと思ったけど、北の山並みは見えない。

なんだか(勝手に)振り回されてる気がしたワタシ。

ではまた
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春かと思えば冬、三寒四温で進みゆくのか、ほんまに?

2024-03-19 00:24:31 | 花や風景など
散策で見つけた「春、来るかもしれないなぁ」風景いろいろ。

 
「三之西町/大仙寺境内」にてミツマタ、元気に花開く、
一本の苗木なんだけど、ことごとく「三本の枝分かれ」、ほんのり香るんですよ。

 
「花垣神社」にて馬酔木、毒気に馬も酔っぱらうとか…
正しくは≪枝葉に「アセボチン」という有毒成分を含んでいて、
馬が食べると麻酔状態になるというので「馬酔木」と名づけられた≫そうな。

 
徳居町の「廣禅寺」南側の通りから(そこは万町だけど)見える「お斎峠」や「お城」
画像は少々加工しており、電柱やらマンションのアンテナ塔など消してみた…

待ち遠しくて、通るたびに観察中!
 
白炎のような花を咲かせてくれます、ワタシは春の妖精かと思っておりますが…
この写真を送った知人から
「寒き夜半 ハクモクレンの 伊賀だより」と一句いただきました。

ではまた
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沈む夕陽に疲れも癒され…

2024-03-16 23:48:47 | 花や風景など






ご褒美のような夕陽でした、いきなりの暑さでバテそうになってたので…
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