「N-1グランプリ in 伊賀城和2024」投票に、山添村へ。Soyelと役場へ

2024-10-23 15:31:48 | つれづれ思うまま
やっと名張市も定住自立圏入りを果たされたそうで、
仲良くタッグを組んで前進したいものですが、N1グランプリにとっては強力ライバルになりますね。

「上野天神祭」開催前に雨模様のその時がチャンスだと、N1投票に行ってこなくっちゃ(衆院選ではなく(笑))!!と思い立ったのです。
その「山添村編」2か所です。
N1の案内を見ると山添村は「交流施設Soyel(ソエル)」という聞きなれない施設名で、
ゴメンやけど地図で調べ、名阪国道山添インターを降りて、名阪くぐってすぐのところを右へ。

この道を行ったのは初めてのことで、進めば何やら新しそうな施設もいっぱい…
古い建物も利用しつつ新しい山添の中心地みたいなエリアになってました。
山添村はあちこち数多く行っているにもかかわらず、ここは知らない場所だった💦
(「花香房」は家人は良く利用していますけど)
すぐには辿り着けず、真っ先に行ったのがココ、
「特老」の前を通り、
 
「山添村保健福祉センター」で「Soyelってどこですか?」と尋ね、
教えてもらったのが「あの青い屋根の建物で…」と。


保健福祉センターの駐車場からその先を見ると
 
ん??何やらまぁるくて大きな岩の塊のようなものが見えるではありませんか。
Soyelに行くより、「あの岩」に興味がそそられてしまいました。
近づいてみると
   

  
ここで気がつきました、N1グランプリのパネル展で見た「あの巨岩・長寿岩」ですね。

Web情報You記事より
年末にかけたしめ縄がこうやって残っているんだなと感心して見ていました。

1億年前のマグマによる花崗岩、推定600㌧とか、デッカイどぉ、
一度ご覧になってはいかがでしょ、さすが磐座(イワクラ)の山添です。

そうそう、Soyelへ行かなくちゃ…
  
やっとのことで訪問することが出来、パネル展を見、投票絵をし、
隣の花香房のお店でお買い物をし、次に「山添村役場」へ。

今度は、名阪国道山添インターを南へ進み、
 
玄関は2階という立地で、外で眺めれば確かに崖上に建つ建物だとよくわかります。
てんまる」に迎えられ、入って目の前でパネル展。
 
職員の方とお話しして「花香房」は昔の建物をリニューアルして、
地域住民のための交流施設になっていますとパンフレットをくださいました。
こんなところです↓
 

最後に、地元に戻りゆめぽりすセンター内の「地域活動支援センター」へ。
 

 南山城村のパネルを見て
どこもいろんな活動を通して頑張ってるなぁと思いを馳せますが、
我が所属団体に投票を済ませ、
玄関通路で
 
「ウォーキングチラシ」の掲示を見、もうすぐ〆切だなと改めて確認していた次第。

外に目をやると、何やら大きめの赤い実がたくさん付いていて

googleさんによると「山査子(サンザシ)の実」と。
もし、間違いでなければなかなか優れものの果実ではありませんか…
赤いタカラモノを見つけた気分、採りませんけどね(笑)。

なんだかんだ新しい発見があったり、駆け足観光でしたが、
こうやって「定住自立圏」の仲間同士を訪れてみようよ!
というきっかけ作りが「N1グランプリ」なのかもしれないと改めて感じました。
地域密着型のグループ活動を知ることもできたし、
初参加のおかげで新しい発見もあったり、良き機会を与えてもらえました。

残るは笠置町振興産業会館、JR笠置駅の横。
行けるといいなぁ…
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「N-1グランプリ in 伊賀城和2024」投票に、南山城村やまなみホールへ

2024-10-22 09:59:52 | つれづれ思うまま
行ってきました、というのもWeb投票だけではなく、
各会場へ行って無記名投票ができるので、近場の観光気分で…
おかげでちょっとした発見があったりします。

時系列は不順ですが、まずは行き慣れたココ

南山城村の「やまなみホール」。
※ホール内には南山城村/財産施設課が入っています。
(ここはよく伺っているので過去ログを)
ここはなんたって有名なのは、「設計があの世界的建築家・黒川紀章氏」であること。
「外観もユニークだが内装も優れ、音響効果は国内外の音楽家に高く評価され、
一般利用者からも歌いやすいし聴きやすいと好評です。
ホワイエから見る木津川と山の借景は黒川氏のお気に入りだったとか。
開館中は出入りが自由」ですよ。

玄関入ってすぐ目につく
 

パネル展、順に
  

  
とても見易く展示されていました。

入って正面、ホワイエからの風景、
雨模様だったので残念ですがここの風景は素敵です。
 

次は、山添村へ行きます。
ではまた
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伊賀上野城(雅名は白鳳城)、懸魚(げぎょ)修復中…

2024-10-15 00:16:18 | つれづれ思うまま
大騒ぎをするつもりではなくて、
いつも眺めているお城がちょっとエライコッチャと気がついてしまったので…

時系列で追いますと、
先ず、2024/7/4(木)にお城に用事があったはずで??
が、なんでお城に行ったのか?忘れかけていたので振り返ってみると…
そうそう「川崎克さんと渋沢栄一さんの関係」、お城の展示物にあったはず、と。
その確認に行きました。(当時新札の話が賑やかだったので)
過去ログにて
その時、曇り空ながら大天守を撮ってまして、ごく普通に綺麗な姿で~~
  ちょっとここにご注目の黄〇です💦

やがて、夏も過ぎ、秋になって9/21の土曜日、久々に観光客の皆様に、
お勉強を兼ねて「定点ガイド」なるものをしていました。
(簡単になにかご説明しましょうか、みたいな感じで、自己研鑽みたいなもんですね、もち無料ですよ)
ふとお城を見上げたら、「あれっ?なんか変?何かが足りない?」って…
天守の写真を撮っておきました。
 
誰も気がつかないでこのままだったらどうしよう、
とても大事な、伊賀のお城の顔が「なんか変?💦」なままでは困るなぁと。


そして、10/11の夕陽が綺麗だったので「西陽に輝く大天守」を撮りたくなり、
堀の道からお城に上がって見上げてみると、なんと「足場がついていた」わけです。


そして、10/12の芭蕉祭の日、所用で再びお城へ、
 

たまたま「伊賀文化産業協会」の関係者にお話をきくことができ、経緯がわかりました。
「ご報告が遅くなり恐縮ですが、新たな修復工事が必要となりました。

大天守閣の三層目の南面、軒唐破風の下部に付けられていた装飾的な繰形で ある「懸魚(げぎょ)」が
7月15日午前、突然、落下して二層目の屋根の谷間に粉々になって堆積し、
一部の細かな破片が入口付近にも飛び散りました。
懸魚は木部の芯と支えの帯鉄の周りにモルタルの下地と漆喰の整形で作られており、
落下したものは粉々に崩れて原型を留めるものはありません。

即日、〇〇代表理事と伊賀市教育委員会文化財課に報告し現場を確認していただきました。
長年の雨水の浸透による劣化、腐食のため自重に絶えられずに晴れた日ながら落下したものと推測されます。

此まで2回の修復工事を委託した西澤工務店(彦根市)に相談し、
翌日、屋根 に堆積した残骸の撤去をしてもらいました。

高い位置のため幸い欠損についての指摘はありません。
しかし、正面の飾り であるため放置できず、市教委文化財課と西澤工務店と同席の協議を経て、
台風シーズンを見合わせて10月4日から修復工事に入ることになりました。」とのこと。

まずは一安心、早く元の姿になることを待ちたいと思います。

以上ご報告まで

元通りになったらまた、綺麗なお城撮ります(笑)。。
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「俳聖殿」、この日だけは拝観可…

2024-10-13 00:33:57 | つれづれ思うまま
芭蕉さんがお亡くなりになった旧暦10月12日。(新暦では11月24日になりますが)
時雨の時期であることから「時雨忌」とも言われております。
昭和22年(1947)からこの日に「俳聖殿」で芭蕉祭が開かれています。
俳聖殿はちなみに昭和17年に、川崎克氏が私財を投じて建設し、
平成22年(2010)には国指定重要文化財となっており、伊賀市民の宝物でございます。

さて、その俳聖殿の中に入ることが出来、中に収められている川崎克氏自ら焼かれた
伊賀焼の芭蕉さん坐像にお目に掛かれるのは「芭蕉祭」の日のみです。

昨年は残念ながら時すでに遅しで見ること叶わず、
今年こそ!と、式典中は所用があり出席できず、その後伺って参りました。
(出席されたblog友達のdawnさんから特選者のご挨拶を昨日のコメントにいただいております、ぜひ)

  

八角厨子の中の「伊賀焼の芭蕉坐像」でございます。
 
献花、献茶、献菓、そして献詠俳句も供えられております…

気になる聖殿の中を見上げます、
マジマジと見てました。
  「心柱」注目ですね…

  
過去の献詠俳句の特選者のみなさまの俳句がこうやって保管されています。
圧巻の屋根裏、中心に心柱、上方で傘状の梁に支えられる小屋組で、
振動を吸収する耐震構造になっており、法隆寺の夢殿を参考に…とのこと。

芭蕉翁記念館前の広場では
 
こちらは植物の芭蕉、生け花でございます。
木ではなく草の類になるそうな。
これもなかなか見るチャンスは少ないと思いますが、芭蕉さんへの想いを馳せます。

バショウ(ばしょう/芭蕉)のこと。

俳聖殿への入口には

俳聖殿は、
 ですよ。


芭蕉祭式典のころ、お城公園では「ニュートロ芭蕉祭」

各地からゆるキャラが集まって、にぎやかに過ごしていたようです。
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ゆめが丘南公園、草刈り作業…

2024-09-27 15:08:53 | つれづれ思うまま
大変なことになってます、というか散歩する者にとっては有難いことなんです。
とても感謝しているんです。
夏の間に生い茂った雑草が游歩道迄はみ出しちゃってて💦
歩きにくいなぁと思ってたのは事実。
でも酷暑だったので、これはこれで伸びるだけ伸ばしちゃって、
その時が来たから「それ、やっちゃえ!」って感じでしょうか、嬉しいです。

訪れたのは昨日(2024/9/26)の夕刻
 

それまではね、草刈り機などが待機してたり…
大体が夕方しか行かないものだから稼働中を見たことがない💦
 
※ハンマーナイフモアとかいう除草機械
 
こんな感じでできるのだろうか…カッコいいなぁ
機械の説明を見ていたら
<ある程度の傾斜はこの機械で作業出来ます。
草むらでの作業ですので、前方がどのような状態か予測しながらの作業になります、
経験をつんだオペレーターじゃないと出来ません。
機械では刈れない場所は手刈り(刈払機)での作業になります。>だそうです。


昨日は、遊歩道に出て一目で様子が変わったなと思ったのです。
小波田川という流れがあって、その川の中の雑草が一斉に刈られていたのです。
なかなか壮大な景色…
   

  
ほぼ川辺ばかり撮ってました。

さて、この雑草、
今日は処分されていると思いますが、また綺麗になったところを見てきますね✋

ではまた

続編、一日おいて土曜日の散歩…
たくさんの作業スタッフさんのもと、刈草積み込み大作戦のおかげで
   

遊歩道もスッキリ、水辺の石段もサッパリ、
見違えるような景色で、とても歩きやすかったです。
出会った作業スタッフさんにお礼を…伝えておきました
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険道42号線伊賀越道を下りたらそこは伊勢國、その4。安濃ダムから長徳寺、河内渓谷、石山観音公園へ。

2024-09-26 16:26:48 | つれづれ思うまま
 地図再掲。

「安濃ダム」から危険ではない「県道42号線」(起点は三重会館前交差点、終点は上阿波字箕谷)を東へ、
安濃川沿いに約5分。地図を見ながら走り、このお寺を見つけたわけです。

曹洞宗 長徳寺
※「長徳寺の四季
  
お寺の駐車場と山門
中に入って、これが有名な『龍王桜』と。
  
説明を読んでいて、「普賢桜」(フゲンザクラ)という名前は・・・確か聞いたことがある。
普賢、ふげん、フゲンと探していたらありました!

ちょっと逸れます💦
花垣予野の八重桜」の項?です。
なんとまさに今放映中の大河「光る君へ」の中の一条天皇、(道長の娘/ドラマの中では)中宮彰子さまが絡んでいました。
三重県伊賀市予野・花垣神社にあり、奈良県の八重桜に類似しています。≫
また、逸話として
≪奈良の興福寺にある八重桜を、一条天皇の后であった中宮彰子が京都に移そうとした。
これを知った奈良の僧徒は腹を立てて止めさせた。
彰子は奈良の僧徒が風情を解するものだと知り、花の時期には花の守を置くことにされた。
この花守には原産地の予野の村人を当て、庄を賜った。
以来この地を「花垣の庄」と呼ぶようになった。≫とな。

ドラマの中ではこんなシーンは出てこないですが、
花垣の八重桜」の歴史はこんな古い時代の話だったのね、ということ。
今更ですが理解できたわけです。
(そんな話知ってるわ、という方々には笑われそうで恥ずかしいですが💦💦)
あまりこの時代のことって知るチャンスがなかったので、凄く興味を持って見ていました。
そしてなんと「桜」が絡んで「花垣の八重桜」、「普賢(象)桜」とつながったわけです。
まさかの芸濃町で、由緒書きを読んで、ドラマとつながり、花垣へ飛んでった…(笑)。

※ドラマでは、一条天皇(=塩野瑛久)、中宮彰子(=見上 愛)
※参考「伊賀の歴史/上下巻/郷土出版社」より
 

話題を戻しまして、長久寺の普賢桜はその季節にまた訪れたいものです。
その先をほんの少し進むと、今度は「河内渓谷」の看板!
 
確かに「青もみじ」が綺麗だし、秋になればきっと「紅葉は素晴らしい」と想像できます。
「忍田橋」(オシダ)と読みますが、古いアーチ橋があるはずなんですが、
木々が生い茂りその隙間から辛うじて見えるかな??
  

近くには「雲林院城跡」(ウジイと読む)。


※「令和元年の河内渓谷界隈紅葉の様子
ライトアップ時期は11月中旬から12月上旬を予定しています(令和6年情報)、だそうですよ。
行ってみたいですね

河内渓谷で16時15分になりましたので、ぼちぼち帰路に着かねばなりません。
帰り道はさすがにあの険道を再び通る気にはならず「名阪国道」経由を選択。
関ドライブインの手前に確か「石山観音公園」という大きな看板がある、
通るたび気になる場所で、今回は下見を兼ねて少しだけ寄り道します。

地図では「横山池」というのがあってその横を通ると意外と近道、
伊勢別街道に出ればもう慣れた道、「石山観音公園」までは行けそうな気がする…
はい、ほんの15分ほどで到着。
  

  

またのチャンスを狙います。

では、これで今回のドライブは「完」。
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険道42号線伊賀越道を下りたらそこは伊勢國、その3。錫杖湖、安濃ダム、長徳寺、河内渓谷へ

2024-09-23 23:04:40 | つれづれ思うまま
伊勢平氏伝説の地の一つ、落合。
正しくは「芸濃町河内」ゲイノウチョウコウチと読む。

ここで、お断り…
ワタシはどうしても泉南地方の「河内」カワチをイメージしてしまうので、
読み方が混乱してしまいます💦💦
例えばね、今年のコレ!元気な河内弁で統制とって頑張ってますよ。
※映像「岸和田だんじり祭 試し曳き」①
※映像「見るのは危険かも、『試し曳き』② 落ちても大丈夫なんだね
脱線してしまいました、ごめん

平維盛開基といわれる「岩間山 成覚寺」(広報津:H24/6/16号)を後にして「落合橋」を渡り、安濃川に沿います。
ココは、
 
「錫杖湖周辺マップ」と「海抜172.7m地点」だそうな。
湖面を見ると、なんと
 
おっ、水がない??
錫杖湖水荘 レストラン湖水」のスタッフの方にお聞きしました。
「夏場は、いつもこんなんですよ、水はないんです」と…あれま、そうなんですか、残念…

「日本野鳥の会/三重/安濃ダム/錫杖湖」のページに詳細が載っています、ご参考に。

また、Wikipedia情報では
<安濃川に沿って三重県道42号津芸濃大山田線が北東から南西に通過する。
集落はこの県道に沿って形成され、南ノ垣内(ミナミノカイト)・六呂屋(ロクロヤ)・覚ヶ野(ガクガノ)・下ノ垣内(シモノカイト)・落合・北畑(キタバタ)・杖立(ツエタテ)・梅ヶ畑(ウメガハタ)・宝並(ホウナミ)の9つからなっていたが、
杖立は安濃ダム建設のため、錫杖湖に沈んだ。
このうち、南ノ垣内・六呂屋・覚ヶ野を「上の垣内」
下ノ垣内・落合・北畑・杖立を「中の垣内」
梅ヶ畑・宝並を「下の垣内」という>そうです。

これも余談ですが、高校生時代の後輩に青山方面から通うブラスバンド所属の「大垣内」くんが居て、
オオガイトと読むんだ、ということは知っていたので、ワタシにとっては難読ではなくふつうに垣内=ガ(カ)イトと読めます(笑)。
こちらは→過去記事です。(今回は脱線が多い💦)

そのまま、ダム湖沿いに進みます、初めての「安濃ダム」。
景色のみ…
  

 堤体を渡って
真ん中辺りで
   

  

伊賀越をして安濃川上流の様子を見て心配になりましたが、
この湖水(錫杖湖)をみて夏場はどうしてもこれくらいになっちゃうのかな、と。
灌漑用ダムなので、過去には雨乞いの神事もあったり、大雨で簡易な堰が壊されたりとか、
いろいろ苦労があったことと思われます。
ダムのおかげで安定供給がされれば安心して過ごせますね、
今年は津側のダム二つ行くことが出来て良かったです。(も一つは「君ケ野ダム」でした)

では安濃川沿いにそのまま少し下流へ


つづく。
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険道42号線伊賀越道を下りたらそこは伊勢國、その2。「落合の郷」「成覚寺」維盛伝説地。

2024-09-21 00:50:23 | つれづれ思うまま
前知識もなく、なんの勉強もせずに伊賀の西端から峠道(「伊賀越」というらしい)を下りた先は…

帰ってから調べたところ、旧「三重県安濃郡河内村」だそうな。
布引山地を横断?するように進んだわけで、当然川の流れは「伊勢湾へ」。
伊賀と津の境の峠道を下る途中、山の中腹部にお家が2・3軒ありました。
流石にここは空き家でしょ…と思いましたが、なんと自動車が停まっておりました。(失礼しました)
なにせ、ここまで杉や雑木の林を抜ける一本道だったもので、急に家があると です。
まさに「ポツンと一軒家」に出ても不思議ではないような…(と、運転手が申しておりました(笑))
川沿いに下りてきたのですが、さて地図で見ても川の名前はわかりません…
この山から流れる川筋は何本もあって、丁度合流した辺りで「安濃川」となるようです。

公的?建物としては、下の二つの神社とお寺があります。
  
春晃山澄源寺】(チョウゲンジ)/真宗高田派
小川内神社】(オカワチジンジャ/読み方は平凡社・三重県の地名より)
<奥芸濃町河内南之垣内/コウチミナミノカイト
河内の南之垣内集落の下流、安濃川左岸にある。
旧村社。祭神は天穂日命と八所御霊神をはじめ多数の神を合祀する。
古来河内明神とよび、(中略)安濃川水源の神であるが、
古くより祭礼に騎射の神事があった(三国地志)>とのこと。
※騎射=流鏑馬のことと思われます。

伊賀越峠道図

 googleではここを下りてきた

その先、さらに川沿いに進んで道の分岐に差し掛かる。
この辺りの地区は「芸濃町河内村」(Wikipediaより)というらしい。
以外や、キャンプ場などの看板などが見えたのですが、それよりまさかのこの案内版、
 
「(徳川家康の側室)於奈津」生誕地、「平維盛」、「平家伝承地」とか・・・
『落合の里に清雲院於奈津誕生
伊勢の清流、安濃川の水源、落合の里は源平合戦の昔、西海長門の壇之浦て敗れた平家の一族が隠棲した所。
近くの成覚寺は小松三位中将平維盛の開基と伝えられ、尊像や墓碑が祀られている。
また南郊には天下泰平に尽くした徳川家康の側室, 清雲院於奈津の出生地がある。
於奈津は天正九年(1581)、当地に生まれ、翌年の本能寺の変のあと、
伊賀越えをした家康と出会ったとも伝わるが、京都・二条城で家康を刺客から救った功績で
側室に召された。江戸城三の丸に屋敷と中野村五百石を賜り、関ヶ原合戦や
大坂冬夏の陣にも従軍。安濃津城主藤堂和泉守高虎ら 六人衆と共に幕政を助け、
のち秀忠・家光にも仕え、 伊勢商人の江戸進出を援助した。』
於奈津(Wikipediaより)

ここがいつの頃からか気になっていた、平家落人伝説の残る「落合」なのか、と。
これは気になる、この「岩間山 成覚寺(ジョウカクジ)」是非伺わねば。
ということでキャンプ場の見学よりこちら優先で、
路駐できそうな道幅だったので、車を停め、スゴイ激坂を上った先には…
  



本堂前で女性ご住職の方にお目にかかり、ぜひお上がりくださいと本堂に参らせていただき、
 
「ここは伊勢平氏伝説の残る地で、屋島の戦いで敗れた平維盛公は、
那智沖で入水したように見せかけてこの地に31人の家来と共に隠れ住みました。
31人の家来たちは皆『落合姓』を名乗り、この地で生き抜いてきた。
(清盛の孫)維盛のお墓もあります。また維盛は大層なイケメンだったとか…」
そんな伝説が残る地なんですとのお話を伺い、またお堂の格天井にはなんと
  
「桓武平氏の家紋/丸に揚羽蝶」「落合家の家紋/扇に日の丸」が。
お堂の裏手に回ると「平維盛の墓」「梛(ナギ)の木」など。
  
」は、以前「清盛のお父さんの忠盛の産湯地」を訪ねた折にも見たので、
これも何かのご縁かと驚いた次第。

また「天水受」にも『扇に日の丸』、
その中にはなんと「モリアオガエル」のオタマジャクシがいっぱい!
これもなかなか希少なカエルちゃん、初めてお目にかかったのでこれまた何かのご縁。
目が合って、嬉しかったです、可愛い💗(※ちなみに卵はコレ
  

お寺を後にする時、教えてもらったのがココ、

ここは「神君伊賀越え、もう一つの道だった」かも、とのこと。
それでこの険道は「伊賀越」という別名が付いているのか?とは勝手な想像です、あしからず。

そして、てんこ盛りの話のついでに…
※全国至る所に、平家の落人伝説』(Wikipediaより)はあるそうで、ここもその一つ。
 山深いところです。

平忠盛(小倉山荘より)

家族連れにおススメは、
※『落合の郷』:大きな駐車場もあって、支流の川岸に親水公園もあって、 バーべキューなども楽しめるみたい、ですよ。
この「落合の郷」へ来るには、もう一つ極道があるらしい、
moni5187様に教えられた道は、こんな道「柚之木峠越」もあるそうですよ。
 
加太駅で見た「錫杖岳への地図」にもありました。

さぁ、これから安濃川沿いに進みます。
ではまた

「梛」について追記(2024/9/21 10:30)、
成覚寺を訪問した際に「梛」の説明を受け、雌雄一枚ずついただいてきました。
雌雄が揃っていないと実がつきません、銀杏や冬青(ソヨゴ)も同じですね。(ほかにもあると思いますがワタシの知る限り…)
 葉脈を見て!
見るだけではそんなに変わりはないけれど「葉脈」がミソで、
樹木の中で葉脈が「縦」に入っているのはなかなか珍しい、とのこと。
調べていて見つけたblogに詳しい説明がありましたので、リンクさせていただきます。
『「縁結びと厄除け」の梛の葉(奈良佐保大学教職員blogより)
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伊賀→津市の三重県険道42号線を越えたら…

2024-09-15 00:59:14 | つれづれ思うまま
どこに行くのでしょうか?
地図ではね、よく見てたんですけど、はてさて?
「安濃ダム」を目指すそれまでに、何処へ出るのか…

そんな走るだけなら1時間弱のドライブですが、それがなかなかどっこい、
途中寄るところ多々あって、書くには長くなりそうなので「その1」にしようかな…と。

「大山田歴史資料館」へ寄って「大山田の古墳」の展示物を見て、
さぁ初挑戦の冒険道を行ってみましょうか🚙

その道中「平松宿」辺りで「女郎花」が満開、
出後の水車横の花壇の綺麗な花に見惚れ、一路「猿蓑塚」へ。
  

どんな道なのかは知人に聞いたことがあって、軽自動車で必死になって走ったとか、
峠を越えたら「安濃ダム」に出たけれど・・・という話でした。
昔、地図を眺めていて「落合」とか「河内」という地名にビビッときた記憶あって、
いよいよその「ビビッと」感じたその場所に行けるかもという期待感半分、
険しいとは聞いた不安感半分、ともかく進もう!

峠道には違いないし、杉林続くその縁辺りには「マツカゼソウ」。
しばらくマツカゼソウ道は続きます、白い花はまだ咲きかけの頃でした。

1車線の道、片側にはガードレールあったりなかったりの林道、
写真を撮る余裕はなく、ここが「市境」という証拠だけ撮った!
 
でもね、比較的森深くという感じではなく、間伐も適宜行われている風で、
明るい林道!という印象、雨の日に走る道ではないけれど、
お天気さえ良くて、対向車が無ければgoodです(笑)。

通称「津芸濃大山田線」という県道(険道で良いと思う💦)

まぁ、今日はここまで、
ドライブ日は2024/8/24のこと。
 こんなルートで…

ではまた
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「お墓に連れてって…」騒動と百日紅。そして「サギソウ」やっと満開かな…

2024-08-22 09:50:30 | つれづれ思うまま
ハハに「友人のお墓参りに行きたい」と言われ、
もうこれ以上延ばすわけにはいかないなと思った先日(8/16)の話。

94歳のハハのいう事を「分かったわかった、そのうちにね連れて行くよ…」と言っていてはいけない気がしてきたので。
いや元気なんですよ、足元はずい分おぼつかなくなってきたけれどまだまだ元気なんですよ。
でもね、連れていかないことにはいつまでも
「あそこに行きたい、ここも行きたい、あれも食べたい、これ買ってきて」と…
ともかく忘れないんですね、自分の要望が叶うまでは。
そういうわけで、「川東の阿弥陀寺にお墓があると聞いている」とか、
そこになかったら「川西のなんとかというお寺やったかも」とか、
未確認情報を頼りに行くわけですから大変なんですよ💦
たまたまお盆過ぎの曇り空の日だったので「ほな、行こか」と、
(ワタシが)その気になったタイミングで墓探しのドライブでした🚙。

先ず「阿弥陀寺」(川東地区)にて
  
ふむ?お寺に紅白の百日紅って、珍しいのかふつうにあるものなのか?
ちょっと不思議な気持ちになりました。(※)

境内では、三重県指定文化財でもある「五輪塔」はなかなか有名。
 

お墓を探しましたが見当たりません💦
ハハ「そういえば、川西にある(ハハの友人の)自宅の傍にもお寺があったような…」
ワタシ、「多分そっちの方が正しい記憶ではないかい?」
たどたどしい記憶を聞きながら進みます。
笑い話のようなお話ですが、彼女は壬生野ICからの道しか記憶になさそうで、

この日は川東方面から来ているので、同じ道なんだけど景色が真逆でわからないらしい。
彼女の記憶の回路が狂ってしまって、ココじゃない、こんな道じゃなかったと、のたまう。
「右手に水路があったはず…?」
「逆に進んでるからわからないんだね?
だったら、壬生野ICまで行って仕切り直しで探しましょうか?」となります。
すると「そうそう、ここに水が流れてて、(さっきと同じ道を通ってるんだけどね💦)
確か、あの旗の立っている辺りを左へ曲がったような…」
「はいはい、じゃぁ曲がりますね、(少し北に進むと)ここは公民館だねぇ??」
ふと目をやると、その奥に墓地が見えましたね、
よく確かめると、はい、入口には「福泉寺」と。(やれやれ、とは心の声)
  
川東からココ川西にかけて、かれこれ30分はウロウロしましたけど、その間彼女もよく頑張りましたね。
杖を突きつつ、足元ふらつくなか「お友達のお墓」必死になって探してましたから。
これでいいんです、これできっともう「お墓に連れてって」とは言わないでしょうから…

※「百日紅がお寺にあるのは…」
其1:原産国の中国では、天子の政治を助ける省庁であった中書省
後の紫微省に百日紅の樹が多く植えられていたことに因んで、
以来中国では紫微の微に草冠かんむりを付けて、
この樹を紫薇(シビ)と称するようになったそうで、
名付けの背景の高級感も伝わったのか、
日本に伝わった江戸初期頃の幕政下の各藩は屋敷に競って植えたとのことから、
格式を重んじる神社や仏閣にも、炎天下に長期間咲き続けることも手伝ってか、
同じように植え広まっていったのではないでしょうか。(yahooの質問コーナーから抜粋)

其2:お寺植物図鑑」でお寺に植物が多いわけ、教えてもらいました。


お墓探しも一段落した翌日(8/17)、久しぶりの上野森林公園へ。(ココは単独で(笑))
ずい分ご無沙汰している間にFBでは「サギソウ満開近し」みたいなことで、
これは見に行かねばと、蒸し暑さにも負けず行って参りました。
 
サギソウ園から見える「松ケ谷池」ですが、
ここまで水位が低いのは初めてかも💦
  
やはり楚々と咲く純白の「サギソウ」、
いいですねぇ、心穏やかになれます。
しばし見惚れておりました


ではまた
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