三重県で唯一残る「明治校舎」美しく蘇る、後編。

2023-01-23 15:00:00 | 上野高校明治校舎改修工事編
【正面玄関】から入ります~
 
玄関も廊下も天井に注目です、
透かし菱目張り』という技法が施され、
白塗りの壁で囲まれているので、ともかく明るい
昔の建物だからイコール「暗い」というイメージではありません。
50数年前の在学当時、この玄関から入ることはなかった記憶ですが、
さてどうだったのでしょう?

工事中の玄関付近写真

【廊下】の様子~
この「明治校舎」、確か上から見ると『中』の字型になっていると聞いた記憶があります。
その真ん中の縦線辺りに『玄関』、
2画目の横棒に当たるのが『廊下』でしょうか…
(左)東側廊下、(右)西側廊下。
ここの天井も「透かし菱目張り」。
  

工事中の廊下の写真

【教室】内部の壁や床、黒板、窓、扉など見どころ数知れず~
教室に入る前に必ず開ける『ドア(扉)』、
木の扉に違いはないのですが、実は「木目模様の絵」を描いてある…
知ってましたか??
例えば、ここは「HAQUAホール」、ここで説明会が行われますが、
この扉であったり、廊下の扉など
 

よく見ると傷がついて(剥げている?)いて、それをそのまま残してある…


『ドアノブ』は乳白色のガラス製。
そして、木の扉風に見えるけど、、、

語り部大先輩のblog「伊賀へいらっしゃい」で教えられたのは、
「『玄関にはマホガニー(ギターの素材で有名)やチークなどが使われ」
「『木目塗り』という高級な技法が採用されている」とのこと。
木目をあえて描いている!ということに
「明治という時代の職人さんの粋」を感じた次第です。

職人さんと言えば、こちら
壁に組み込まれている『黒板』。
 
これは『黒大津磨き上げ』技法で、これも職人技!

 ≪大津壁とは、土にスサと少量の石灰を混ぜた材料を塗りつけ、
 鏝(コテ)で何度も押さえることで緻密な肌に仕上げる土壁のこと。
 大津壁は滋賀の大津がその名前のルーツになっています。
 滋賀の大津には江州白土と呼ばれる磨き壁に適した土が取れ、
 その工法が全国に広まったので大津壁と言われるようになり、
 大津磨きは大津壁の最高級の仕上げ≫になるとのこと。


「明治校舎で黒大津」を担当したのをきっかけに、
職人さんは「マイかまど」(弁柄)を造ったとか、
どこへ行くにもこれを持参して固形燃料で火を熾し、
伊賀米を炊くのだそうですよ(笑)。(本人談)
絶対美味しいはず、実用化できればいいのにね…(ワタシの余談)


工事中、取り出された「黒大津黒板」の一部

さて、廊下をぶらぶら、あちこちの教室など覗きます~
廊下から中庭を見る、記念碑やコンクリート仕立ての校舎。
時代の流れを感じる空間です。


(左2枚)「新聞部」に黒い遮光用扉?
(中)「黒板」「天井」に換気口
(右) ほかの部屋と較べて床材が細い、「ゴミ掃き出し口」があります、
さて、出したゴミの処理はどうするんでしょう?
おそらく、現代では「飾り」に徹してると思われますが…
   

「掃き出し口」などの写真

窓の記憶」残っていますか?
 
汽車に乗った時の窓を思い出す「上げ下げ式」、上部は「回転式」。

ここは「理化教室」、理化って…何?


工事中、廊下の窓  床下の様子①  床下その②  天井の様子

「窓」と言えば、忘れてはいけないものがあります。
当時(明治後期)、ガラスの加工技術はまだまだ発展途上、
なので「ゆらゆらガラス」(滑らかでない)が所々に残っています。

どうしたらわかっていただけるかと考えて、外の景色を見てみたら
ゆ~らゆ~ら、揺れてる??

最後に近づいてきましたので、説明会の様子

午後1時からの部でしたが、多くの方が参加され、しかも親子連れもちらほら。
あまりの多さに立ち見もあり、でした。
「蘇った明治校舎」、技術の粋が集まり、工夫がなされ、
今ここに見学できたこと、同窓生のみなさんに届けばいいなぁと。

工事中の屋根の様子/玄関と廊下付近①  その②玄関辺り  廊下の上

最後に「玄関正面」を見上げると、ここだけは天井むき出し、
和小屋組みとトラスの組合せ、とのこと。
 

「外壁」など真っ白!で、「換気口」「掃き出し口」もクッキリ。
 

工事中の様子の写真などと見比べられればと思いついたばかりに、
つい長くなってしまいました。

上野公園辺りに来られた折に外からでもいいので眺めてみてください。
こんな大切なものが残されたことに感謝するばかり。



では、おしまい。
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三重県立上野高等学校「明治校舎」、美しく蘇る。前編(正門・玄関など)

2023-01-22 16:19:26 | 上野高校明治校舎改修工事編
工事にかかわられた皆さんの苦労がしのばれる、
卒業生としては、ここもあそこも在学中はじっくり見てなかったなぁ と。
今更ながら、いいところに居させてもらった青春時代だと。

第23回卒業生の同窓会の話は「入学後、半世紀」経ち、
「卒業して50年」になり、もうみんな「古希」になってしまう。
そんな再々延長に振り回されていますが、皆さんに会うまでにこの校舎は見事に蘇りました、
懐かしさと感謝の気持ちで見学させてもらってました。
その「たからもの」のご報告です…
nikkei.comから「明治の木造校舎、耐震化で後世へ」
≪三重県教育委員会は木造で県の有形文化財、県立上野高校(伊賀市)の明治校舎の耐震工事をこのほど完了した。
 1900年(明治33年)に旧制県第三中学校の校舎として完成、
 全国でも今も残る旧制中学の木造校舎は珍しく伝統建築を後世に残す。

 明治校舎は平屋建てで延べ床面積約969㎡、改修には約4億2千万円をかけた。
 和風建築の入り母屋屋根に、洋風の玄関や窓が取り入れられているのが特徴だ。
 三重県は1989年に県の有形文化財に指定している。
 博物館明治村(愛知県犬山市)に移築されている国の重要文化財、旧三重県庁舎
 手がけた清水義八が設計した。作家の横光利一、書家の榊莫山が青春期を過ごした。

 今後も校内活動に生かすとともに、市民の交流の場としても使う予定だ。≫

では、懐かしの【正門】から~
(左)2022/12/28撮影時は門扉全閉、
(右)2023/1/21には正門から入場可でした。
 
説明によると『門柱』は折れかけており、しかも基礎が1mくらいと長かったとか、
想定外のことだったらしく、元に戻すのにいろいろ工夫をされたとか、
おかげさまで見事修復され、正門復活劇場です。

(左)同窓生の皆さんは、この門から月ケ瀬マラソンに出発しましたねぇ…
昭和46年(1971)2月4日のこと、懐かしの出発風景です。
(右)卒業アルバム用では、4組だけこの「明治校舎正面」で撮りました。
 

10時から16時までの見学時間のうち、ワタシが参加したのは正午過ぎ、
お昼時にもかかわらず実に多くの見学者がいました。
おそらく卒業生の方々が多かったかもしれませんが、
三重県指定有形文化財でもあり、
県内では唯一残っている旧制中学校のひとつ。
残っていてくれてありがとう、と先ず思いました。

では【玄関】に迫ります~
 

一緒に見学していた「語り部」Mさんに教えられた情報では、
『玄関はビザンチン様式。入母屋造屋根。
 両脇に三本ずつ変形トスカーナ式のエンタシス(※)の円柱
※エンタシス=上部にかけて徐々に細くなる。

もう少し細かく『玄関の「円柱」や「天井」』など~
玄関の天井は『透かし菱目張り』というそうです。
 
三本の円柱、
アーチ状の柱間の装飾は、『唐草と若菜の彫刻で瓔珞(ヨウラク※)飾り
※瓔珞=仏壇飾りによく用いられる。

両端には『若葉の持ち送り(※)』
※持ち送り=壁や柱より外側に出た桁を支える板状部材。
 塗り替えられたもの
以前のものは、見るも悲しい姿でしたが…(リンクは写真)

もう一度外から全体を見上げてみると、
西洋風でありつつ、入母屋造りの屋根を持つ、
そこに象徴的な「鬼瓦」と「鬼瓦原寸図」。
 
今ここにあるのは「新調」されたもので、
元の鬼瓦は校舎東側下の地面に埋めてある、とのことでした。
「鬼瓦」は「三州瓦」だと以前の見学会で聞きました。
リンクは「解体された瓦の数々の写真」ですが、
決して捨てられるのではなく、利活用されているとのこと。
今度、修理修復されるかもしれない時、
「おっ、こんなものが出てきた!」って驚かれるのかもしれませんね。
ワタシたちが、今驚いているように…

では、内部潜入いたしますが、そこは後編で~~
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三重県立上野高等学校「明治校舎」の耐震改修工事完成に伴う一般公開。

2023-01-19 14:31:35 | 上野高校明治校舎改修工事編
過去ログ(2022/12/30)、
「明治校舎」のことを書きました、一部再録させていただきます。

「上野高校明治校舎」の修理修復耐震工事も終わったようなので、正門へ回ってみます。
  

以下の写真は、別の日(12/25)のものですが、
在校当時の思い出は、そのままだろうかと…
 

 

綺麗に蘇った「明治校舎」です。
離れ離れの同窓生たちに見てもらいたい思いに駆られます。≫


さて、その「明治校舎」のことが三重県HPに掲載されています。
県立上野高等学校『明治校舎(旧三重県第三中学校校舎)』の
耐震改修工事完成に伴い記念式典および一般公開を行います
とのこと。

ついに出来上がりましたね、耐震工事中の見学にも行かせていただいたので、
ぜひ伺いたいところ、とても楽しみです。
その一般公開の部分のご案内です。

『県立上野高等学校「明治校舎(旧三重県第三中学校校舎)」の耐震改修工事が
 令和4年12月28日に完成しました。
 明治校舎は明治33(1900)年に建築された明治時代の学校建築様式を
 今に伝える重要な建物で、平成元(1989)年3月には、
 三重県指定有形文化財に指定されています。
 ついては、記念式典を行うとともに、広く県民の皆様に公開いたします。』

『一般公開について
(1)開催場所  県立上野高等学校明治校舎(伊賀市上野丸之内107)
(2)日  時  令和5年1月21日(土) 10時から16時まで
(3)参加方法  事前申込は不要です。(明治校舎内は、上記時間内で随時ご覧いただけます。)
         
なお、以下の時間帯で、工事概要や文化財的価値について
10分程度の説明会を開催します。
 第1回 10時から
 第2回 11時から
 第3回 13時から
 第4回 14時から
 第5回 15時から  いずれも約10分間
 ※説明会は明治校舎内のHAQUAホールで行います。
 ※説明会に参加を希望される方は、
  希望する時間帯の説明会が始まるまでにお集まりください。
 (参加希望者が多い場合、各時間帯の説明会後に、別途説明会を設けます。)
 ※上野高等学校に駐車することはできませんので、
  自家用車でお越しの際は、近隣の有料駐車場をご利用ください。
 ※今後の新型コロナウイルス感染症拡大の状況によっては、
  中止させていただくことがあります。
 (中止する場合は1月20日(金)の17時までに上野高等学校HPに掲載します。)』

楽しみですね、ワタシもぜひ見学したいと思っています。
午前中の「語り部養成講座②」を終えたら行こうかな…と。

ではまた
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じっくり卒アル。「人生 何事か 修養ならざる」…

2022-05-25 23:50:41 | 上野高校明治校舎改修工事編
滅多にアルバムなど見ない、
流石に「明治校舎」に触れた今、隅から隅までずずいーっと「読んで、見て」みた。

卒業時の校長先生のお言葉、

今頃になって、そういうことだったんですね…

『「高校生活」それは長い一生のうちの
 ほんの一部分にしか過ぎない
 しかしこの間に得た経験は諸君の生涯に
 大きい方向を与えるであろう
 またそこで芽生えた友情は諸君の将来に
 大きい役割を果すであろう
 この経験や友情を今後大きく育てて
 いってほしい
 最後に諸君に次の言席を送る 
 人生 何事か 修養ならざる
  昭和四十七年三月 永野由太郎 』

「上野高等学校校歌」


景色が見えますねぇ、
校舎の裏側を歩きつつ、お城に登って石垣の上から遠くの山々を見る、
 (再掲、北側の山々)
その四方を囲む山々を越えて、外に出よと教えられたな…と。

一「伊賀の平(イガノタイラ)の 道遠く
  通ひ来りて 丘の上の (カヨイキタリテ オカノエノ)
  学び舎ここに 寄り集ふ
  高き教(オシエ)を 仰ぐため」
二「城の石垣 底深く
  濠に据ゑたる さまを見る
  崇廣堂を 庭つゞき
  学のしづけき さまを見る」
三「四方(ヨモ)を囲める 山々も
  丘に登れば 低く見ゆ
  我等の望み 山々を 
  越えて溢れて 外に出ん」(山口誓子作詞)

外から見る「伊賀」は、どうでしょうか?
「伊賀」の中は、どうなっていくんでしょうか?

「明治校舎耐震工事に関する記事」を最後に
 2022/5/24付、中日記事

 2022/5/25付、毎日記事

「完」。
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懐かしの「明治校舎」耐震工事内部潜入!③ 「文化財」使えるものは使いつつ、残す。

2022-05-24 16:12:31 | 上野高校明治校舎改修工事編
「屋根工事現場」から降りて、一階部分へ。
長~い「廊下」、そういえば天井が高い分暗かったなぁ…という記憶。
 (再掲)
昨日ラスト3行から
「廊下」東側を見る、長かったですよね、図面で見ると「東西間、約68m」です。
確か「走ってはいけない!廊下」でした…
この教室、現在は「文庫展示室『横光利一資料』」となっており、いよいよ潜入!
(その隣だったかもしれない、ゴメンあやふや

教室内潜入!の前に、

廊下側から「窓ガラス」を見る、といっても透明だし、
撮影技術もイマイチなのでわからないと思いますが、実は「ユラユラ(してる)ガラス」。
校舎が建てられた明治後期はガラスの加工技術もそれほど進んでおらず、
バチっと平面だったわけではなく、何となくユラユラ揺れて見えるガラスも残っているわけ。
なんとなく酔いそうな気分とさすが年代モノ!って感じで見ていましたが、
皆さんに遅れてはいけないので先を急ぎます。

ここからは、第一グラウンド内に設置されている仮設倉庫?の様子も一緒に組み入れて行きます。
というのも、解体された部材取り外した「建具」の保管、
及び壁の構造などがわかるように展示されているのです。

では、
教室内「漆喰壁※」の様子
 
教室内東西方向にある「漆喰壁」ですが、両方向を一気に剥がすわけではなく、
片面ずつ作業していくらしい。
↓ 「施工されていた古い漆喰壁見本」
  
3枚目、「明治校舎」教室内の黒板
これは、黒大津』仕様と。
「白」でなく、わざわざ「黒く?」してたんかなぁ…

漆喰は、もともとは防火性の高さや明光性が評価され「お城や武家屋敷の壁」に使われてきたと言われています。
 現代では、優れた調湿機能などが着目され室内壁として広く使用される壁材となっている。
 古くから、現在に至るまで、不燃性・明光性、調湿性など、漆喰そのものが持つ高い機能性から様々な建物に使用されてきた、とのこと。

「室内壁解体」&「腰板床下土台下礎石」の様子
   
※「土台下礎石」(土の塊に見える部分)と「束石」は、既設のまま残す、とのこと。(配布資料より)

倉庫に保管されている部材など
  床の説明

 
下部には虫食いの跡であったり、腐食部分も見られますが、
傷んだ部分は取り除き極力「元の部材を使う!
それが「文化財修理修復の一番大事な所」、
新しいものを使う方が時間もコストも軽いのですが、それでは
古き良きものは残って行かない」、これぞ『遺産』なのかと感じた次第。
↓ 「床板」「大引(オオビキ)」など
 

ぼちぼち潜入ルポも終盤です、
遠い昔のこととはいえ、屋根や天井、床下のことなど知るすべもありません。
唯一残像として残っているのは「建具」といわれる「ドア」や「窓」など、
これを見て思わず「そうそう、大きくて重いこんなドアを開け閉めしてたよね…」
↓ (筆者注意書き入り)
 

そして、これは記念写真よりトリミングした「窓部分」ですが、
知ってた??回転窓」と「上げ下げ式窓」だったんだよ~~
  
上部の回転窓は「換気用」だったそうです。

最後に、「天井の様子」と「玄関上部の飾り窓?」
 

外に出て、「瓦」「雨どい類」
   
「鬼瓦」はかなり傷んでおり、使えないかもしれないけれど、
「屋根瓦」は既設のものと新しい三州瓦とのmixで、
「雨どい類」はステンレス製になるとのこと。

約1時間、みっちり説明していただき、各部署見て回り、
気の遠くなるような緻密な作業をしていることがわかりました。
壊して建て直すほうがきっと楽、でもねそれをしてはいけない大切なもの。
そんな存在の明治校舎です。
三重県内の旧制中学校の建築物では唯一伊賀にしか残っていない「たからもの」です。
見学に行けて良かったし、同窓生のみなさんの目に触れることがあれば幸いかなぁ。
拙いレポートにお付き合いいただきありがとうございました。

では、「校訓『自彊不息」でお別れ…
 
また。
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懐かしの「明治校舎」耐震工事内部潜入!② こうなっていたのか…

2022-05-23 12:52:28 | 上野高校明治校舎改修工事編

専門的な知識は一切ない、ただ骨組みのみ状態であろうことは想像できる。
危うい足場を進んで思ったこと、ヘルメットを被っていても頭は打つ!
(いくら注意喚起されても、上を見ることに慣れていないので…)
その衝撃は半端ではない!ということ、いかに大切な防具であることか!
先ず、それを学習しました

ちょっと前後しますが、
  
現場事務所でモロモロの説明を受け、
「文化財としての耐震工事」の重要目的として
 ①耐震補強材の設置
 ②基礎の補強
 ③屋根の軽量化(瓦葺替) 
他に
 ・雨漏り修理 
 ・外壁塗装
 ・建具の調整 もあるとのこと。

 
「いざ出陣!」みたいな気分で、あれもこれも、どれもが興味の的。
A班・B班に分かれて10人ずつが各ルートを進みます。

「明治校舎」の中央、正面玄関の一段高い門をくぐり、昇降口から入ります。
(遠い昔の)在学中には「玄関」といえども、出入りのためにあまり利用した記憶はないのです。
帰宅後、卒業アルバムを引っ張り出して見てみたら…
 「半世紀前の明治校舎玄関前」
「植栽」が随分成長したね…って思いませんか(笑)。
全10クラスの中で、この「明治校舎」前での撮影はこのクラスだけ。
あとは、「お城」であったり、「俳聖殿」前であったり、滅茶苦茶懐かしいです。
 

話は逸れましたが、「柱」こんなにボロボロになってたのね、という現実に戻る。
  
左右3本ずつの柱で支えられています、初めて見上げてみて、
これは綺麗に塗り直して頂きたいと切に願う

 
この写真は「外壁」と右奥は通路部分と上から見た「外壁」
教室の窓枠と「外壁」を撮りました、ここは歩いた記憶があるので懐かしさいっぱいです。
「外壁」は今後「ケレン作業」を行い、塗り替えられるはず。
 ※英語の「クリーン」が訛って「ケレン」になったといわれています。
  つまり、キレイにすることが、ケレンだとか。

順路は、「屋根工事部分」へ
耐震工事の中でも重要な部分で、「瓦の解体」が終わり、
「杉皮」、「屋根土」が撤去され、「木舞(コマイ)」という屋根の下地部分も撤去。
専門用語ばかりなのですが、要するに屋根の「丸裸状態」。
見たことのない光景です…
  
↑ 真ん中辺りと「西側の梁」など
↓ 「東方面全体」と張り出した部分からも見学できます。
  
さて、ここで「墨書」という札があります、
これは、建設当時の覚書やらなんやらかんやらが「墨」で書かれていたという「印」。
  
文化財的価値があるとはいえないまでも、当初(明治時代)の貴重な「跡」です。
ここで、説明者の方が
「大体は『文字』が多いです、何らかの「目印」のような。
ただ、中には、面白い『絵』もあり、おそらく大工さんが描いたと思われる
『エロ画』(女性の裸の絵)もあります、いつどんな時に描いたものかはわかりませんが、
緊張が連続する現場での唯一の息抜きだったかもしれない…」とか。
まさか、今の世にこんな形で「見られる」とは思っていなかったでしょうねぇ…
ずっと隠されていると思って描いたんだろうと思うと、
なんだかちょっとホッとする話でした。

新旧のボルトも使い、筋交いなども施され、これもやがて「野地板」※で隠され、
瓦が葺かれていくと思われます、二度と見ることはない景色でした。
 ※屋根本体を保持させるための重要な建材だそうです。

では、再び下に降りますが、この隙間を覗くと微妙にコワい…


 
「廊下」東側を見る、長かったですよね、図面で見ると「東西間、約68m」です。
確か「走ってはいけない!廊下」でした…
この教室、現在は「文庫展示室『横光利一資料』」となっており、いよいよ潜入!

では、つづく
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懐かしの「明治校舎」耐震工事内部潜入!① その前に「旧藤堂藩武器庫」…

2022-05-22 15:12:00 | 上野高校明治校舎改修工事編
正式には、
三重県指定有形文化財 (建造物)  旧三重県第三中学校校舎
(三重県立上野高等学校旧管理棟 「明治校舎」) 耐震改修工事現場
公開」です。

これは、今後ワタシが生きているうちに絶対に見ることが出来ないはず!
という気合がこもる「見学会」だと思ったので、申し込みました…

長い名前には、それなりの歴史が籠っているわけで、
明治32年(1899)に「三重県第三中学校」として開校しており、
この時点の校舎(教室)は『旧藤堂藩武器庫(伊賀市指定文化財)』だったそう。
そういえば、「現・図書館」の横に倉庫か?講堂か?という古い建物があった微かな記憶…

思えば、今年の2月23日に「上野高校」の前を散歩していて、
「上高がガンダム化してるよ!」と同級生(東京在住の仲間含めて)たちにLineしました。
   
早速返信があり、
「工事期間がけっこう長いんだね」とか
「思い出の詰まった校舎の今の姿を見れて良かった」とか、
反応はすこぶる良かった記憶。
これは、伊賀に残っている者として何か伝える義務があるんじゃないかと…

今回、工事現場に潜入できるというチャンスに巡りあえて(抽選に当たったお陰で)、
懐かしの(正門は撤去中ですが)第一グラウンド内で受付、
工事現場管理棟へ案内されました。
そこで、(略して)「明治校舎」が「三重県指定有形文化財」として、
どんな立ち位置にあるのかの再確認。(これは卒業生として何より心地良い響きでもある)
*「明治校舎」は、学問・文化の象徴として、 同窓生や地域の人のみならず広く県民に親し まれている。
 また、当初の建築地にいまも残る明治建築 (明治33年竣工) として貴重な歴史的遺産であり、
 この地域における歴史的景観の中心的存在となっている。


*耐震改修工事を行うことにより、地震時における人的被害の発生防止および建物の被害軽減を図る。
 同時に、可能な限り、 劣化損傷部位において保存修理を行うことにより、
 文化財にふさわしい保存・活用を図る。


*工期 令和3年11月4日~令和4年12月28日 ( 420日間)

さて、工事現場なので準備された「軍手」「ヘルメット」着用でいざ潜入!
その前に、本日これを書いていて思い立ちました、
「旧藤堂藩武器庫」って、ほんまにあるんやろか?って気になり出して、
これは自分の目で確かめておかないと、という嫌な懐疑心が邪魔をするので…
すみませんが、工事見学の様子アップの前に探しに行きます。

旧藩校崇廣堂横の道から、いわゆる「上高西門」を入る、すぐに見えました、
   
奥へ進みます
 「旧藤堂藩武器庫」案内
説明版から
 『同窓会館 旧藤堂藩の武器庫の一部である。
 1899年(明治32年)、三重県第三尋常中学校が発足したとき、
 明治校舎が 完成するまでの間、教室として使用された。
 以後、倉庫などとして使用されてきた。
 1959年(昭和34年)、創立六十周年記念事業として、
 卒業生からの浄財により、同窓会記念館として改修し
 使用されてきたが、百周年記念を機に、
  同窓会館として再改修された。
  揮毫者 同窓会長 関田 庄司(上中三十五回) 』

その奥へ行って、高校生に戻った気分で「堀」でも見ようかと…
そこにはなぜか「古墳」?
  
↑ 「奥城寺一号古墳」、もちろん移築。
1973年のことだそうです、知ってた??

↓ 懐かしい風景「堀」と、「武器庫裏」、
 

表に戻り、「武器庫」前から図書館横へ、
その通路に何故か「石仏さま」(合掌)…そして「堀」
    

校舎裏側ではどこからでも「堀と石垣」が見えます、
思えば歴史と共に歩んできたはずなのに、
み~んな忘却の彼方にすっ飛んでいってました。
とても贅沢な空間で学んでいたのに、なんてもったいない時間を過ごしていたのかと、
卒業して半世紀が経って、やっとそんな大切なことに気が付いた次第。
せっかくなので、校舎の裏から「上野公園」に繋がる「石垣」をどうぞ~~
(これはね、日曜日だから見学できたと思います、普段は✖かと)
  

  

「高石垣」の上から「旧藤堂藩武器庫」の屋根(だけ)
駐車場から垣間見る…
 

最後に、
高石垣と上高第2グラウンド」そしてお斎峠のある高旗の山並み


では、明日はいよいよ「工事現場潜入ルポ!」になるかどうか


※「伊賀市の文化財」から抜粋
藤堂藩旧武庫
 指定年月日 昭和33年11月22日
 所在地 上野丸之内107 (上野高等学校)
 木造、平家建、土蔵造 瓦葺の白壁塗の建造物です。
 藤堂藩旧武器庫の一部で、元禄年間の絵図にも御武具蔵との記載があり、
 廃藩置県後には阿拝山田郡役所として使用されていました。
 現在の上野高校敷地内に3つ所在した蔵の中で、現在も唯一残存するもの』でした。
 「元禄年間絵図」
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