春の風にゆれる花手水。モコモコの毛はだれ?

2023-02-28 13:37:46 | 花や風景など
2023/2/27 午後、平井神社(小田)にて


2023/2/28 朝から、陽射しがまぶしい、けど家の中は寒い。
ほわッとした毛皮を見ていると、ほっこりぬくたく感じます。
“ぬくたい”って通じるやろか?
 
2月も末、抜け殻になってしまったモコモコの皮、
1月中旬にハハんちからもらってきた「枝」に付く皮はまだ固そうだった…

 
やっと咲いた花を裏から撮る、まだ毛皮が付いていたので(笑)

始めの頃の硬さはなくなり、触ってもほんに柔らかい肌触り
何とも言えません…
 

実はこのモコモコした皮を持つ植物は…
 『シデコブシ
調べれば、
*≪神前に供する紙を折ったものを「しで(垂・四手)」と呼びます。
細くて多数ある花被片が四手を連想させるので「四手辛夷(こぶし)」
この木は平成18年度までは環境省により絶滅危惧種に指定されていました。
野生のシデコブシは岐阜、愛知、三重の極限られた地域にしかありません
現在では少し安心できる準絶滅危惧種となりましたが、
生育条件の変化によっては再び「絶滅危惧」に戻る可能性もある。≫(学芸大HPより)

*≪かつては中国原産と考えられていたが、
伊勢湾を中心とした里山や丘陵地の湿地で限定的に分化したことが判明
自生地は開発が進むにつれて荒れ、現代では野生種の絶滅が危惧される。≫(uekipediaより)
園芸種ならともかく、野生では東海三県にしかない、とか。
実家にあるこの木は、多分父親がどこかで買ってきたのか、
ハハがもらってきて植えたものかはわかりませんが、
我が家では「春を呼ぶ木」みたいなものなのです。

さぁ、何処へ行こうか…クロ


ではまた
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「旧小田小学校」②1階校舎の中で見たもの…

2023-02-27 17:32:23 | 「伊賀上野語り部の会」で勉強中
そうそう、昔の教室こんなんだった…
先生は大きなコンパスや定規使ってたな…
   


時には、外の景色をボーっと見ていたり…

この学校ができた頃にはなかった道路※が窓の奥に見えます。
当時は小田小学校の前の急坂の細い道しかなかった記憶ですが…
※新道路情報:国道163号と422号の重複区間道で
 小田西から西大手交差点までの新道が開通したのは1995年前後ではないか、
 とのこと。(moni5187さんによる)

そういえば↓「理科室」にはこんなものもあった、ちょっと怖々入った記憶…
「音楽室」の思い出の数々。
  
※参考:リードオルガン
懐かしいものがいっぱいで、思わずあれもこれもと写真に撮ってました、
触るのもOK、弾くのもOKです。(触ってはダメなものもあるので気を付けて)
丁寧に扱えば大丈夫なんですが、オルガンなど弾いていると時間がいくらあっても足りません💦

さて、このコーナーでは、
洋風建築の学校」に託されたものは何だったのか?
「『蚕糸業』には近代の知識が必要であった」とか…
最近NHKBSで「ゼロから世界一へ 「生糸」を巨大産業にした人々」を見ていました。
(下記※①②をご参考に)
改めてこれを読むと「養蚕業」の話になぜか納得してしまいました。
 1枚目
 2枚目
 3枚目
 4枚目
*****
※①蚕当計と中村善右衛門
※②養父市(ヤブシ)「上垣守国養蚕記念館
*****
話がとんでもない方向に逸れてしまいました。
(先般、大山田千戸の公民館の前進が「養蚕小屋だった」ということを
知ったばかりなので、明治初期の頃の光景がなんとなく浮かんできたわけです)
先の文章に沿って紹介されていたのが、
↓ 「疑洋風建築」で国の重文として残されている学校、隣は「啓迪学校」(旧小田小学校)。
  
旧中込学校(佐久市/佐久っと通信より)
旧見付学校(磐田市/oricon newsより)
旧開智学校(松本市/松本まるごと博物館より)
一度は見学に行ってみたい学校ばかりですが…

では、もう少し校舎内の見学を続けますが、まだここは1階、
幅は広いのですが、蹴上の高い階段をしっかり足をあげて上ります(笑)。
上った先には、「色ガラス」(ギヤマン)に光射しこむ
 

 
これもご自由にどうぞ
燭台付きアップライトピアノ」https://order.pianoya.com/detail-2014092004
※ヤマハの前身、日本楽器製造株式会社の製造したアップライトピアノ。
1887年(明治20年)山葉寅楠がオルガン制作に成功し1897年(同30年)に日本楽器製造株式会社設立。
1900年(同33年)にピアノ製造を開始したヤマハは国内トップブランドとなり世界的にも知名度の高いピアノメーカーとなる。
その礎を築いた『明治時代の燭台付きのアップライトピアノ』。

やっと2階にきました、
先にチラッと見えたあの「色ガラス」のことは次回に、
そしてここで懐かしい人の名を見つけました…

ではつづく
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「伊賀の中世城館・阿波編」現地説明会へ

2023-02-26 12:11:31 | つれづれ思うまま
午後(2023/2/25)に「阿波地区市民センター」で説明会が開催されるので、
その前に「新大仏寺」前の『大山田観光協会/郷土資料館」へ予習に。
そこで、パンフレットなどを仕入れ、センターへ向かいます。
センターのあるところは「旧大山田東小学校」跡地。
校舎や石碑など当時のままでしょうか残っています。
  
大山田でも、とくに阿波地区には「中世城館」が多そうですが…

講師の寺山光三先生は「伊賀中世城郭研究会」で長く伊賀の中世城館を発掘調査等されています。
現地へ出向き地を這うように調べられているので、お話に惹きつけられます。
講話を聞いてから近くの城跡・館跡など3か所を伺いますが、
現地研修で一番大事なこと!
 お約束です

お話を聞いていたお部屋は通風はあったものの、まだましだった…
外に出ると途端に冷たい北風にさらされ、まさかの雪も飛ぶ。
目指せ城跡!
  
先生のお話は楽し(方向音痴なワタシは山の中に入るとさっぱり💦)、
迷わず一人にならずに着いていくのがワタシの鉄則。

さすが伊賀のはずれ、山の上のこんな建物が近くに見えます…
そして『重瀬氏城跡』へ。
  

獣害対策等の扉の開閉もキッチリ確かめ、最後の日とは閉める!
そして山に分け入る、ここは以前「牧場」だったとか、牧草地もあったらしい。
その名残の井戸などを横目に小高い山を登ります。
みんなと一緒だから励まし合いつつ、降りる時の方が怖そうだね…とかなんとか(笑)。
上ること10数分、着きましたよ~~

重瀬氏城跡】(ジュウセシと読みます)(大山田猿野マシノ)
ここはいかにも「城跡」らしく、しっかりと遺構など残っていると
素人ながらにも感じました。
寺岡先生のお話に納得しながらも、(ワタシニ)細かな説明などできないので、
いかにも「中世城館跡」らしいという雰囲気を見てください~~

  

ここは標高325mか、
「土塁」「虎口」などしっかり残っています。
  

 

「主郭」と呼ばれる部分や土塁に上って見てみたり、
天正伊賀の乱で戦ったであろう土豪や農民たちに思いを馳せます。
*強大な領主のいない伊賀では「土豪」が集落を結束し(=惣国一揆)、
織田信長に対抗するため俄か作りの山城を築きはしたが時代の流れには逆らえず、
山河は灰燼(カイジン)と化しました。
*「阿波地区」は『伊勢』からの入り口になるところ。*(当日配布資料より)
   

※参考:山城遺跡名称図


「街道いまむかし」(読売新聞社平成元年版)より
*「知略 郷士、農民も奮戦」第一次天正伊賀の乱

*「信長が指揮 再び侵攻」第二次天正伊賀の乱


寺岡先生のお話の中で
「中世城跡イコール忍者ではないですからね」と。
楽しいお話ありがとうございました、
関係者の皆様にも道案内などお世話になりました。

今日(2/26)もどこかの山城跡へ・・・

ではまた

2023/3/3追記
 中日記事より
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「旧小田小学校」①明治の洋風建築、伊賀で二校。たからもの…

2023-02-25 10:40:03 | 「伊賀上野語り部の会」で勉強中
2023/2/22当blogに追加投稿しました。
 「旧小田小学校」で見つけた資料の掲載をしています※

伊賀の底冷えに、小学生以来の「しもやけ」が足先にでき、
痛痒い悩ましさと戦いつつ日々歩いているのですが、
「今日(2/22)は晴れた!」気持ちの良い爽やかな日。
こんな青空の日は、あの白い校舎に会いに行こう…と思い立つ。
語り部になるべく勉強中の身、現地研修で校舎の前までは行っていたのですが…
  (2023/2/22撮影)
よくよく考えれば校舎の中には入ったことがないなぁと。

少し(かなり以前)振り返ると、
小学5年生(昭和40年(1965))の時だったか「小田小学校」が廃校になり、
新しいお友達が「編入」という形で西小学校に来て一緒に過ごしましたねぇ。
子ども心に「転入生」はいつも注目の的だったような、
でも男の子だったので気恥ずかしくて、なかなか話ができなかった…
そんな記憶も蘇ります。(ウソやろ、と言われそうですが )
あれから58年が経ち、彼らはこの校舎でどんな風に過ごしていたのだろうと、
タイムスリップしてみたくなったのは確かで、
当時の彼らの生活が垣間見えるかも、と訪ねました。

我が家を出たのは14時も少し回ったころ、途中ここのお寺の前を通ったら
本堂の大きな屋根の真ん中辺で、こんなコが堂々と辺りを見回す、
まぁるい胸、悠然とした鳩ちゃんでした。
  「大仙寺」(上野三之西町)。

気持ちよく歩くこと約20分、見上げる白い玄関。
上野高校の「明治校舎」も「(別称)白亜の校舎」と言われ、
伊賀びと自画自賛の洋風建築ですが…
  
(再掲)「上野高校明治校舎:白亜の校舎」

そういえば、
Q.明治時代にできた建築物には、何故洋風建築が多いの?
 …よくよく考えれば「文明開化の音がした頃」のことですね。
A.≪明治初期は廃藩置県など地方行政の変革により、
 近代的な役所や教育機関の建造が急務となり、
 そのため、各地方の大工たちが「見よう見まね」で新時代にふさわしい
 “洋風”な建築を建てることになった≫とか、
 それらの建築物を「擬洋風建築」というそうです。

では、石段を上ります、ここは小田地区。
上野公園西北にある高台。
「度重なる洪水の難を逃れて現在地に村を移した(=避水移居)小田村の人々の
近代初等教育草創期に寄せる期待を表現した建物」(当館パンフレットより)。
  
*上野の盆地を見渡すところに上野出身の俳人「橋本鶏二」の句碑。
『雁来れば もう初霜や 伊賀盆地』
県指定・建造物 旧小田小学校本館
 明治14年10月19日建築落成、木造二階建、間口15.84m、奥行き7.92m、
 正面ポーチを含め延べ274㎡。
 現存する小学校としては、県下最古の 建築で、洋風二階建、寄棟造、桟瓦葺、
 ポーチは切妻造、壁は漆喰仕上げ、 軒は持送り風のくり形になっている。
 最も意匠をこらしているのは正面ポーチ で、エンタシス風の柱を用い、
 階上、階下 とも吹き放ちになっている。
 玄関入口上部 には、竜の彫刻※がはめこまれている。
  (昭和50年3月27日指定)
*新築の際『啓迪(ケイテキ)※学校』とした、とのこと。
※「啓迪」=後進を教え導くというような意味だそう。
※竜の彫刻=鏝絵(コテエ)といい、左官職人が建築物の装飾として漆喰を使って描いたもの。

有名な方に「入江長八」という方がおり、
静岡県松崎町「岩科学校」の「鏝絵」に似ていると言われていますが…
その当時建てられた学校で現在も残っているところは、ほぼ「国・県の重要文化財」になっています。
先人たちの知恵と建築技術に感服いたします。

洋風建築伊賀で二校⇒三重県の文化財データベースより
①『旧小田小学校本館』
②旧三重県第三中学校校舎(現:上野高校)

さぁ、入りましょう~~
玄関入り口は観音開き」の戸
土間は敷瓦の目地を漆喰で固めている「七宝模様」、
いわゆる「なまこ壁風」が床にある、と思ってください。
 (中から撮ってます)

ここでやっと「玄関」に辿りつきました…

*「カワイ『昭和型』アップライトピアノ
※当時の一般的なアップライトピアノ(85~88鍵)に比べ音域が狭く(64鍵)驚くほど小型なもの。

旧職員室だった部屋が「受付」になっています。
西大手在住の方がおられ、歳もワタシとさほど変わらず、やさしい方で
子どもの頃「この小田小学校界隈で友達とよく遊びましたよ。
第二の人生、ここでこうやって案内の仕事ができるのが嬉しい」とおっしゃってました。

では校舎内の様子はまた後日、長くなりそうなので…
ではまた
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いがぶら2023春、№14「Ninjaとめぐる伊賀上野城下町お菓子街道」。

2023-02-24 15:35:51 | つれづれ思うまま
伊賀上野城下町のお菓子街道」(2010/4/22投稿)のかなり古いお話。
なので、お菓子クーポンの金額は現在は700円です、あしからず。
それぞれのお菓子屋さんの訪問記をコメントにいただいて、
こちらが大変勉強になったこと、思い出しました。
影の情報発信者としては大変うれしかったものです。
ここまでは10数年前のおはなし。
最近、昔を振り返ることが多くなってきました
歳をとったせいにはしたくないのですが…なんでやろ

**********

そのお菓子街道は今も脈々と続いており、
ついに「いがぶら2023春バージョン」にも企画されています。
そのご案内を~~

Ninjaとめぐる 伊賀上野城下町お菓子街道」です。
詳しくはリンクをどうぞ。
写真がないのも寂しいのでパンフレットから撮り出して…


4月のご案内なので、あちこちで が咲き出しているといいですね

電話予約開始 2月25日(土) 10:00~
web予約開始 2月26日(日) 12:00~


おしらせまで、ほかにもメニューはいっぱい、公式HPを
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一年ぶりに「(大山田)千戸の勧請縄」へ、近くに「養蚕小屋」があったとか…

2023-02-23 15:48:56 | 伊賀のカンジョウナワ行事(伊賀城和含む)
少し前のこと、大山田の「平田宿」にある旧友宅に用事があり、
旧友宅の白梅がポツポツ咲き出しており、見事な手入れをされていたのでつい…
ついでにと言ったら大変失礼ですが「平田宿」東の端の「植木神社」にて紅梅など。
  

彼女には「読売新聞社版/街道いまむかし」(冊子版)を借りており、
これがまたいろいろ勉強になるのですわ。
例えば、
  
時折見返し、重宝させてもらってます。
友が親の代から残してくれてあり、
それを役に立つやろう!と、ワタシに託されそして読める!ということに感謝しています。

では本題、梅もチラホラ咲き出しているだろうと「勧請縄」を見てきたわけで…
初めての訪問だった去年もやっぱり同じこと書いてました(笑)。
昨年3/1に訪問した時の勧請縄写真
  
写る小さな川は「合戦川」(改修済み)というそうで、
「勧請縄」のかかる場所は、古人は忌み嫌う「東南=巽(タツミ)」の方角だそう、
「五穀豊穣」「福が逃げることのないよう」と願いを込め、
地区の方が当番制で、縁起物の「なべしき」や「なべつかみ」を藁で作り、
1月15日の早朝に飾り付ける…とか。

今年は、語り部の先輩から
「勧請縄の隣の(千戸)公民館が、じつは『養蚕共同飼育所』だった」とお聞きし、
これはちょっと見学に行かねば、と。
  
千戸公民館敷地内の「祠」、植木神社の分社とのこと。
「山神」さんもおられるはずですが、石碑が多くどれかな?
この祠横に写っているのが公民館、すなわち「養蚕共同飼育所」だった建物でしょうか?
現地へ行きながら「建物」を撮って来なかったちょっと間抜けなワタシ

上野公園内にも「蚕蛹(サンヨウ)供養塔桑の葉と蚕蛾があるくらいですから、昔から「蚕さん」は大きな収入源だったし、
「蚕さん」は人の手がないと育たないとも家人からも聞いていますので、
どこの地区でもおそらく共同で育てていたと思われます。
その名残の小屋だった、ということでしょう。

先述の「街道いまむかし」より
「千戸勧請縄」


「千戸公民館」

30年前の記録ですが、当時皆さんが思い出しつつ書き起こしてくれた「大山田風土記」みたいなものだと思っています。

日を改め「旧小田小学校」へ行きました、ここでもスゴイ歴史に出会いました…
ではまた
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「伊賀上野語り部の会養成講座4回目」城下町東コースまちなか散策。

2023-02-22 13:19:28 | 「伊賀上野語り部の会」で勉強中
いよいよ「語り部養成講座/まちなか散策編」突入です。
前後編2回に分け、城下町東西のコースを歩きます。
ざっと、心の中に目印をつける程度の散策です、
細かいことは、これからこれから~~

では、集合場所は「ハイトピア伊賀」1階コンコース(といえばいいのか?)。
 
「はくほう幼稚園児」たちの手作りおひなさま展示中!
こんなコース予定です、約3.8km、列が長くならないように、
車に気を付けつつ、見守り隊として後方支援いたします。


上野天神宮(菅原神社)】(上野東町)
*藩主藤堂高虎は、城山(現上野公園)に城郭を築くため天満宮社殿を現在地に築く。
*「鳥居」と「楼門」があるのは「天神宮」と「薬師寺」があった神仏混淆(コンコウ)の名残。
*芭蕉さんは、1672年ここに「句集:貝おほひ」奉納し、江戸に旅立つ。

芭蕉翁生家】(上野赤坂町)
   
*足元のカラーマンホール(伊賀市では3つしかないので、つい撮ってしまいます)
*上を見れば「琵琶の花」咲く
*ここは芭蕉さんが幼少~青年期(30歳くらいまで)を過ごしたところ、 
*昨年保存修理が行われやっと一般公開(2022/4~)にこぎつけました。

愛染院/故郷塚】(上野農人町)
   
*松尾家の菩提寺
*句碑「家はみな 杖にしら髪の 墓参り」
*「摩尼車」(マニグルマ)、一回転させる事でお経を一回読誦(一回一誦)した事になる…
*「故郷塚」には芭蕉の遺髪が収められています
 (芭蕉の門人の貝増卓袋・服部土芳、義仲寺より持ち帰る)

『寺町通り』
*1611年、藤堂高虎は街づくりを進め、有事の際の城郭の意味もあり、
 7ケ寺を町の東部に集めました。
それぞれのお寺に見どころはいっぱいあります。
今回の散策であちこち撮り貯めたものをご紹介。
いずれ時あれば、ゆっくり散策されたし…

寺町通り入り口辺り、元三重銀行の駐車場から見えるのが、
田中善助翁/倉庫・蔵群」(裏から)、煉瓦積み倉庫が今も健在。

元三重銀行があった辺りには、明治の学制により
上野町に配置された小学校3校の一つ「小学第二校」が建てられ、
その後新築され「東部学校」となった、とか。
銀行が置かれたのは昭和になってから…

***ここで追記(2023/2/24)投稿
2/22に「旧小田小学校」を訪問し、
そこで明治時代に作られた学校についての資料がありました。
それを一部ご紹介しておきます。
上野の学制の歴史』紹介


「南部学校」&「東部学校」絵図
  

「東部学校の看板」&「当時の学校写真」(冊子から撮ったものなので鮮明ではありません)
  
*明治15年(1882)創立、津幡藤堂高猷(タカユキ)の揮毫(キゴウ)による
*当時上野町には「東部」と「南部」の二つの学校があった、とのこと。
「上野学校」の沿革(上野西小学校HPより)
以上***

順不同になるかもしれませんが、それぞれ趣のある「山門/薬居門」や
彫り物、誰それのお墓等など・・・
『妙典寺』山門
*上野城内の朱塗りの「薬居門様式」の門、津城藤堂高刑(タカノリ)より賜り、
 通称:赤門寺と呼ばれた…
  

 
山門(薬居門)には「うさぎ」の彫り物であったり、
力士が力こぶを入れて天蓋の板を支えていたり、
それぞれの「組み物彫刻」を見ていくのも楽しいです。

大超寺』本堂建設中!
散歩の度に出来上がり具合を観察していましたが…
ほぼ完成に近い、令和5年2月現在です。
 

   
*田中善助翁供養塔はテラコッタ製
*藤堂玄蕃家菩提寺、代々の墓
*大津事件/津田三蔵の墓、ひっそりと…
他にも「美旗新田の開発者/加納藤左衛門」などもあり、
いろんな歴史に思いを馳せることができるかも…

この後、「蓑虫庵」「赤井家住宅」「むらい萬香園」など中之立町通りを北上しました。
ここら辺りは、いつでもご紹介できるので、またいつか…

ではまた
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ご冥福をお祈り申し上げます

2023-02-20 19:17:42 | つれづれ思うまま


知人がFBにこんな素敵な写真を上げてくれていたので、
一緒にお見送りしよう~  

ワタシは「雪の日の鉄郎とメーテル」で 

そして、「忍者電車・緑」が見えたので…

ここに描かれたニャンたちは、松本さんの飼い猫がモチーフらしい…
(2023/2/21追記)
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「伊賀の冬の風物詩/丁稚ようかん」など、早春の和菓子お裾分け…②

2023-02-20 00:43:47 | つれづれ思うまま
沖森邸deお雛様】(上野中町)
ここでは、「草餅の焼いたん!」たっちゃん自ら焼いてくれてました。
この方も旧知の人物。
「伊賀上野城下町のおひなさん」の発起人であり実行委員長でもあり、
10数年前、一緒に県内のおひなさんイベントを実地見学に行きました。
よくぞここまで続いてくれた!と感謝ばかり也。
2010年の伊賀上野城下町のおひなさんの様子』、
これを見ていると、あのお店このお店…思い出がいっぱい詰まってます。
センチメンタルはここまで、では2023年現在へ戻りましょう~~
   
床の間にお雛様、小さなちりめん細工のお雛ちゃん、
手作り小物の販売もあって、どれもこれも可愛いのなんのって、ぜひ

湖月堂】(上野中町)
「丁稚ようかん」といえば「湖月堂!でしょ」といわれるほどの定番品!
お店の中に入れば、風情のあるお菓子はいっぱいあるのですが、
ともかく今回の目的は「丁稚…」。

店頭のウィンドウにはお雛様いらっしゃいますよ。

養肝漬 宮崎屋】(上野中町)
下記記事に触発され(笑)、「沖森邸」の斜め前のここを訪問!
  
「伊賀の酒旅」ミニコミ誌にも掲載。
ベーグル①dawnさん blogより

ベーグル②伊賀ポータルより
これはホッと温めればより美味しく戴けそう、お洒落なお味で、
和風のお総菜などと一緒に食しても合いそう(個人的感想なのであしからず)。
娘はたいそう喜んでおりました(笑)。

では「御殿雛」ですが、
今年はちょっとじっくりそれぞれの「お顔」を見ていました…
  
みんな表情が違うんです、見てたらこちらまで笑っちゃうほど表情豊かなんです。
ぜひ、じっくりとご覧あれ。
そして「雛漫才」、芭蕉の句と共に~~

こちらも時代は古い、お雛様の頭飾りの細工が素晴らしい。



訪問日は2023/2/18(土)だったのですが、
この日は「語り部養成講座4回目/町巡りの日」でした。
その帰り道に知人と「お雛巡り」をしていたのです。
時系列が滅茶苦茶ですが、午前スタートのハイトピア伊賀では
「はくほう幼稚園」の子たちの「おひなさん」いっぱい!

行く折があったらぜひ、見てください、かわいいですよ(笑)。

ではまた
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「伊賀の冬の風物詩/丁稚ようかん」など、早春の和菓子お裾分け…

2023-02-19 11:17:20 | つれづれ思うまま
3年越し、やっとのことで「第23回〇〇高卒同窓会」(正式名称は発送が終わってから)、
やりますよ! その最終案内状チェックの日でした。
カテゴリーも郵便ポスト(若しくは郵便局)へ投函終了後に変えるつもり(笑)。

同窓会の話ではなくて、ごめん「丁稚ようかん」のつづき、現代バージョン。
あまりにも古い話を引っ張り出して、今は閉店された「田山屋」さんの丁稚、、、
なぜか無性に食べたくなってしまった、ないものねだりをしてはいけない。
ないと余計に欲しくなるこの冬の寒さの中の欲望!
こらえきれずに買いに走りました。
数軒回って、2軒は定休日だったのでこれはまた改めて行こう。
取り急ぎ、「丁稚ようかん」を求めるウォーキング(笑)。
 理容:ハマダさんの飛んでるお雛さまたち
「伊賀上野城下町のお菓子街道」沿いのお店から買い求めた和菓子から


そうそう巷では「伊賀上野城下町のおひなさん」も真っ最中!
お雛さんも一緒に添えて~~
【お菓子司 くらさか風月堂】(上野車坂町)
   
お尋ねすると「丁稚ようかん」は期間限定!とのこと。
「年末・年始」だそう、今年の冬こそ来なければ。。。
ここでは「蔵さかまん」、今ヒット中!
伊賀の酒蔵「太田酒造」のお酒とのコラボ商品。( 旧知のkanちゃん執筆)
 「伊賀で酒旅」ミニコミ誌より
旧友からは「日本酒の香りがとても生きてるぅ~~」ってお声をいただきました。

いせや】(上野新町)
あっ、お雛様の写真がない、ごめんなさい。
お雛様仕様の上用饅頭と「丁稚ようかん」。

「天神さん」で紅白の梅が咲き出してましたよ。
 

紅梅屋】(上野東町)
  「平安雛」
やさしく微笑んでるお雛様、見惚れてました。
店員さんおススメの「櫻花めぐり」。
 
旧友から「『かるかん』との合わせ技が妙、心華やかになれる」とのご感想…
ほかに「丁稚ようかん」と「かりんとう饅頭」。

御菓子司 おおにし】(上野中町)
  
段飾りのお雛様の傍に「綿の木」、本物の「綿」ですって、
とても珍しいし、意外と育てにくいようです。
ほんわかした風合いがとても似合う、おばさまのセンスですねぇ。
今日は、黒猫のくうちゃんは休憩中でした…
「持ち帰り用カップ丁稚」を。
昨年11月のくうちゃん。(写真が見つかったので(笑)、2/28追加)
 

まだ、つづきます…
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