伊賀市北山の「上津の火祭り」、動画でどうぞ

2024-10-30 21:49:58 | 伊賀忍者回廊巡り
「上津の火祭り」(FBのインスタグラムです)



初めて参じたので要領もわからず、ただ来年のために見てました。
火の迫力に魅入ってしまったのと、煙たかったので、涙を流しつつ💦でした…

もう思い出になりましたが、またボチボチに写真はアップします。
月末~月初め、ちょっとバタバタで更新に焦りますが、
マイペースでいきます✋



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伊賀国二之宮「小宮神社」、再訪問で見えた「南宮山」さすが伊賀の小富士。

2023-08-28 15:10:32 | 伊賀忍者回廊巡り
文章は、2020/6/25投稿「忍者回廊巡り」から抜粋ですが、
8/26に、ひょんなことからお伺いしたくなりましたので…

・・・・・・・・・
服部町にある【小宮神社(おみやじんじゃ)】
≪伊賀国二之宮。服部氏の氏神。服部氏の祖呉服比売命(クレハトリヒメノミコト)が主祭神≫
(※一之宮は敢国神社
地元では「こみや」と呼ばれているそうで、
≪養蚕・機織の技術を持った呉服部を服部氏が監督する立場から
この地に住み着き、服部氏の祖先神「秦酒公」(ハタノサケノキミ)を祀ったと伝わっている≫。
(※服部(はとりべ)は、大化の改新以前に機織の技術をもって朝廷に仕えた組織。
 「機織部」(はたおりべ)がなまったもの。)

   
なかなかに、由緒ある神社なのです。

(2023/8/28追記
※手水社にフクロウさんとカラスさんがおりましたのでこれは新しい写真です。
※本殿に「社紋」があり、この「紋」を確かめたかった、というのも目的の一つ。)

遥拝所もあります
 橿原神宮 

 皇大神宮 
もう少し角度を変えて撮れば、伊賀の小富士「南宮山」が撮れたのに…残念
※南宮山(伊賀小富士)は敢国神社の御神体山です。
・・・・・・・・・・
角度が悪く、あの時撮れなかった「南宮山」。
今回、とてもきれいにくっきりと見えたので、一人感動しておりました
「南宮山」の全景ってどこから撮っても上手くいかなくて悩むところ、
近くはないけれど「二之宮」から望む「一之宮のご神体山」、これを見たかった…
それだけの目的の夕刻の訪問。(googleさん少し明るくしてくれました…)



ではまた
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「神君伊賀越え」関連弐題、★NHK名古屋から ★お城ニュースから

2023-07-22 10:16:40 | 伊賀忍者回廊巡り
NHK名古屋のHPで見つけました。(知人に教えられですが)

その1★「どうする家康 お宝から見る!伊賀越え」★です。

「神君伊賀越え」に関する超貴重な資料が保管されている「伊賀流忍者博物館」※の取材など、
なかなか興味のわく内容です、ぜひ
  

ちなみに、※館内の甲冑の写真や「伊賀越え」や「天正伊賀の乱」の解説もあります。
今年の1月に訪れた時の館内の写真からピックアップ
前段として「天正伊賀の乱」とは?


翌年の「本能寺の変」後の家康の動き…


伊賀越え時の甲冑
 

「伊賀忍者が生まれたそのわけ?」
 

「三国地誌」に残る「伊賀の薬の数々」(※今の地図とは逆に見てください)


じっくり見ているととても勉強になる気がしました、
今更ですが、「伊賀ってやっぱり『忍びの国』なんだ」って思ってしまった…

・・・・・・・・・・

その2「お城ニュース」から
御城印3枚並べると『神君伊賀越えの地図になる
『7月24日(月)から11月30日(木)までの間、
山田牧場伊賀流忍者店山星商会において
「神君伊賀越えキャンペーン」と題して小川城・比自山城・和田城の
新作御城印が発売されます。
この期間限定御城印を3枚並べると
「神君伊賀越え」で諸説あるうちの4ルートが載った地図が完成します。』



この話に、思わず飛びついてしまいました!
「和田城」は、私的にお先に(2020年10月)行っておりますがその折には「御城印」はなかった💦
当時の「和田城攻略blog」です。
冒険気分で楽しかった「山城探し」だったこと、思い出しました(笑)。

詳細はリンク先を


そうそう、今日家人は朝から「鬼面及びその衣装の虫干し」です。
虫干し日和です…
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むらい萬香園de「手裏剣術」に励み、一服してだ~こ

2022-05-05 00:36:55 | 伊賀忍者回廊巡り
今日は、「こいのぼりの日」(正式には「こどもの日」だったかな…)
我が家では飾るものもないので、むらい萬香園のショーウィンドウから
  
伊賀焼の武者人形、なかなかご立派!

さて、昨日も書いたんですけど「中之立町通り」は『一方通行(7-21)』と。
念のために、三之町筋(サンノマチスジ)の交通標識です、
 東向きを見る

 
西向きを見る


電柱の上部を見る(指定方向以外進行禁止標識デス)、、、
「忍者道場」へ来られるお客様やここを通行される方のために、
危険のないよう事故のないよう(ご近所住人の方々には甚だ迷惑なほど)
「注意喚起」しておりました、が。

そこに、南方面から「パトカー」が来てしまい 、、、
ここは、勇気をもって「すみません、この通り『一方通行』なので…」とご案内。
はい、パトカーさん静かにバックして横道(東方面)へ行かれました。
プロ?でも間違う「イッツウ(一通)通り」なんですね、
5/4だけで数台同様のご案内させていただきました、それだけややこしい道なんです。
「前方」だけでなく、「上の方」へも目線をお送りくださいませ
しつこくて大変申し訳ないのですが、
『行き先指定案内』を道路にペイントしていただけないか?」という提案でもあります…

さて、今日の楽しいショット「いつも家族と一緒のマンチカンニャンたち」
   
マンチカンの二匹、なかなかお互いを見つめ合うことはないそうです(笑)。

 むらいさんご主人とその仲間たち

さぁ、今日も元気で「手裏剣術修行しよう!」

ではまた
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久々の人出に酔いしれてます(笑)…「中之立町通り」は一通!

2022-05-04 01:15:13 | 伊賀忍者回廊巡り
伊賀上野の城下町で忍者絡みのイベント、
その中の「通行危険区域」で、(連休限定で)交通整理みたいなことやってます(笑)。
  (再掲)
家族連れやらグループやらで「忍者体験」に来てくれています。

写真を撮る暇などほぼないのですが、たまたま楽しいショットをゲット!
(blog掲載、確認済み)
 NINJAのお出まし!

こちらは、昭和レトロな動く遊具
 ほんまに動くんです、
乗って、50円玉入れたら、動き出すのでみなさん です(笑)。

ココは「中之立町通り」、北からの「一方通行道(7-21)なのです、
地元民でさえ、たまに逆走していきます
まして他所の人なら、なおわかりにくい「一通」なんですね、
これって、なんとかならないものですかね…
狭い城下町の交差点!
車に乗って運転していても目につかないところに「標識」があるんです。
普通、目の前の「交差点」は一旦停止なり徐行して左右確認しますよね、
「目線を上に」は、ほぼ意識にない
上にある標識(電柱の上部)を見たら、「北進禁止 」なんですけどね。
その「逆走車」が、スピード出して我が物顔で「北進」するから余計に怖い。
事故のないように、それだけを祈っています…

時折、南から来る🚙を、西へ東へ誘導します、
ある人に言われました、「お巡りさんより怖い人かも…」って(笑)。
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【伊賀忍者道場】こんなんやってます!

2022-04-30 13:20:54 | 伊賀忍者回廊巡り
通年「城下町で『忍者修行』ができるといいなぁ」と動き出したようです。
一日おきに天気が変わるので、遠くへは行けないなぁ、という方、
近場でこんなんいかがでしょ?

【伊賀忍者道場】伊賀忍者認定の激レアバッチ(非売品)をGETせよ!!


 表紙

 修行案内

むらい萬香園では「手裏剣」と茶々さんが待ってますよ~
 看板あり!

お問い合わせ先 
 伊賀上野DMO 0595-26-7788
 伊賀市丸之内122-4 http://igaueno.net まで
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「柏野城跡」麓の「轉輪寺」、「七本松」(黒松) のある風景。

2022-04-10 11:50:25 | 伊賀忍者回廊巡り
「曹洞宗 大通山 轉輪寺」(テンリンジ 伊賀市柏野)
 

≪織田信長の1581年伊賀攻め「第二次天正伊賀の乱」(天正の役)で
 最後の抵抗を示した柏野城が落城。
 その柏野城跡の麓に建つのが「転輪寺」(テンリンジ)。
 抗戦のため類焼を受け観音像が不明になったとか…
 後に、土中から発見され観音堂に祀られたといわれている。≫とのこと。
 観音堂

  本堂」とその主「狸さん」
(撮影日は異なります、あしからず)

  「本堂」前の石灯籠
「お茶道具」が彫られていました、楽し…

このお寺の境内で、目を奪われるのが「花々の彩り」が素敵!
4/2の勉強会で訪問した時は「椿」の舟形手水、
再訪問日4/9は、「椿とミモザ」。
その時折々の花々が活けられていて心は喜ばしい限り…
  

  椿とミモザ(撮影日:2022/4/2)

 鬼瓦とペチコート水仙?でしょうか、
別名:ナルキッスス バルボコディウム(googleさんによる)

前後しますが、
境内に入らせていただき、先ず驚いたのが立派な松の木三本。
手入れの行き届いたサッパリした「クロマツ」です、
これから季節が進むと緑濃くなっていくと思われます。
 本堂と境内全景

その中の1本は、大変珍しい「一株から七本の松とのこと、
 「七本松」のお供えの花々
初めて伺った時は、(正直に言うと)どうしても七本に見えなかった
七本に「見えるか見えないか」という境内での微妙な立ち位置があるようで、
ワタシには心に濁りがあるのか撮れなかったのです、よって
再訪問させていただき、シッかと確認してまいりました
 轉輪寺 七本松

帰り際、国道163号線から
 
あの山の中に「柏野城跡」、麓に「轉輪寺」、そして「霊山」を望む。

ではまた
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「石立寺摩崖仏」「火明(ホアカシ)神社」、そして「柏野城跡」へ。

2022-04-08 18:01:10 | 伊賀忍者回廊巡り
川合の「引接寺」(インジョウジ)の横を通り、

「石立寺」(セキリュウジ)というお寺がその先にある…
そこには「摩崖仏」があると教えられました。
初めて聞くお寺の名前ばかりで、漢字だけ見ていたらさっぱり読めません。
今回の勉強会で覚えました、もう忘れません!記録に残したので…
書いたからといって忘れないわけではないけれど、頭の中の引き出しに入れておきます(笑)。

少し山道(参道かな)を上ります、急坂だなぁ と思う間もなく到着。
  

  
「石立寺」参道脇の大岩に、六地蔵はじめ十五体の磨崖仏。
覆屋(オオイヤ)があって大切に残されている様子がわかります。
最初から十五体が彫られていたわけではなく、
六地蔵さんをを中心に次から次へ彫られたのでしょうか?
できれば、もう一度訪れてじっくりと拝ませて頂こうと思いました。
『阿山町指定文化財  石立寺磨崖佛
 石立寺の参道わきにあり、六地蔵菩薩を中央上部に刻み、
 その左右と中央部にも、仏及び地蔵菩薩が刻まれている。』
 
この「摩崖仏」から斜め右、すぐそこに石立寺
  
現在は廃寺と思われますが、
謂れのある「仏像」があるようです、説明版から
木造夜叉明王坐像 (モクゾウヤシャミョウオウ)
 石立寺(セキリュウジ) 伊賀市指定文化財
 木造、朱塗り、像高57㎝雨乞いの神事を掌る仏像 (神像)として信仰されてきた。
 馬場の陽夫多神社、春祭りに行われている掲鼓踊り※
 この地にあった火明(ホアカシ)神社の踊りで、
 合祀以前は旧暦六月十四日、この境内で行われていた。
  伊賀市教育委員会』
大江の鞨鼓踊りとして披露される踊りですが、
2年続けてコロナ禍で中止、2022年度からは「担い手不足」により中止、と伺いました。

『阿山町指定文化財
 火明神社羯鼓踊(ホアカシジンジャカッコオドリ)
 無形文化財 約三百年前寛永年間から伝わり毎年氏神火明神社夏祭に
 奉納し、旱ばつの時 雨乞踊として〇〇られていた
 現在は陽夫多神社に合祀されている。』

「石立寺本堂」に向かって右側の空き地になっている所に、
「火明神社」は建てられていたそうです、今はご覧の通り…
一人ではなかなか探せなかったかもしれない場所、
グループ行動と導いてくださる方のおかげさま。

さて、この日最後の訪問地、
柏野城跡」(新堂と佐那具の間、住所:柏野字宮ノ前)
🚙は「柏野公民館」をお借りします、
  案内図とクイズ(答付き)

「天正の役」では、福地氏が織田方を手引きして柘植口から
丹羽・滝川ら1万2千の兵、福地城(過去ログご参考に)に陣を引き、柘植口を焼き払う。
伊賀勢「柏野城」へ籠るが、「霊山」に陣を構えた丹羽・滝川が攻撃。
多勢に無勢でたちまちのうち「柏野城落城」、無念の極み。

「轉輪寺」北西の裏山に築かれていたそうです。
右に「柏野公民館」、左奥に見えるのが「轉輪寺」
   
民家の間を進みます、静かに歩きましょう~
そして、「獣害対策用」の柵もあります、開けたら閉める!

「柏野城跡案内板とクイズ」
 
 ≪伊賀市指定史跡
 柏野城跡(カシワノジョウアト)
 柏野城跡は、東西約100m、南北約70mの規模で、
 東・西・南の三方に土塁が巡ります。
 主郭の西側には堀切を設けて尾根を遮断し、東側に郭を設けて防御を固めています。
 また、南側は郭への進入路を屈曲させるなど、防御の工夫が凝らされています。
 この城跡は、天正伊賀の乱で近在の土豪が立て籠った城としても知られていて、
 市の史跡に指定されています。≫

城跡まで190mほど、約数分で着きます。
  
途中に「祠」、ほぼ「全景」と「柏野城跡碑」

今出入り口の「堀切」と別の場所の「堀切」
   

  
「芭蕉句碑」と中央部に山桜、かなり背が高い、見上げればポツポツ咲き出していました、
(訪問日は4/2だったので、今頃はきっと咲いていると思います)
 句碑
 ≪木啄も 庵は破らず 夏木立
 「寺をつつきこわす鳥とされている木啄(きつつき)も、この庵(いおり)だけは破らなかったのだ。
 今、夏木立に囲まれて、昔のままの別天地のような感じのする場所であるよ。」≫

最後に
 里の桜と激戦が行われた山

伊賀の中世城館」より「柏野城跡」


では、「轉輪寺」へ…改めてご報告します。

2022/4/09修正、「引接寺」の読み方間違えていました、すみません。
 インジョウジ です
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「第二次天正伊賀の乱」激戦地、阿山・伊賀編その2「田矢(屋)伊代守城跡」へ

2022-04-06 01:06:51 | 伊賀忍者回廊巡り
教えていただいた資料によると、
川(河)合村・耳須弥次郎具明(ミミヤスジロウ)が蒲生勢らを手引き
1581年9月、天正の役(=天正伊賀の乱)、玉滝口から「蒲生勢」(=織田軍)ら7000人が攻撃。

「雨乞山」にいた土豪・滝野十郎、山内左衛門は蒲生軍に追い詰められ孤立。
女・子どもを「比自山」(長田)に逃し、捨て身で敵方が陣をひく(雨乞山の東向い)「稲掛山」に突出。
しかし、抗戦虚しく山内左衛門討ち死。

その「雨乞山」から南へ一里のところにある城でも…
蒲生勢らに攻められ、伊賀勢は悉く追いつめられる。

伊賀勢は、春日山城(川東)にも籠るが、中村丹波守重春、家喜下総宗頼討ち死。
川合では、「三蓋山(ミカサ)城」に逃げる蒲生勢と激突するも、川(河)合城主・田屋掃部介(カモンノスケ)討ち取られる。

ここがその戦場のひとつ、「天正の役」抗戦の城跡見学 その2。
「田矢(屋)伊代守城跡」(阿山地区川合)
🚙は駐車場はココ ↓ へ。(「矢」と「屋」、ヤヤコシクテスミマセン)
   
来迎山 引接寺」(川合)
読み方が難しいですね、教えていただかないと読めません
これは確かに難しい! ということで「インジョウジ」(修正シマシタ)と教えていただきました。(ホッ)
 ≪大江区の菩提寺で、阿山ハイツの住宅地への急な坂を更に登っていくと見えてきます。
  境内西側の山は、天正九年(1581)天正伊賀の乱で織田信長の軍勢と戦い敗れた田矢氏の城跡があり、
  歴史を想像させる場所に建つお寺ですが、本堂は昭和末頃土砂崩れの被害に遭い、平成元年に再建された≫とか。
写真は、帰り道のものです、「城跡」へ行くにはここを逆に歩きます…

このお寺を通る道を山側へ上ると、
 
山の中へ入る道(獣道っぽい)があります、
この舗装された道路が出来るまでは、きっと繋がっていたはず…

「雨乞山」へ上るよりは近いし、高低差は少ないと教えられ「竹藪」の中を分け入ります。
   
数分頑張れば、竹藪の中の「城跡」へ。

鬱蒼と茂る竹藪の中ですが、奥に「土塁」が見えます。
  

東側に「虎口」、「石垣」も残る。
  

「天正の役」当時、この竹藪はなかったと思いますが、
歴史の証人として残っている「城跡」です。
  
戻り道、みんなで下りれば怖くない!

「引接寺(インジョウジ)」に戻り、その先もう少し別の道を上ります、
  
咲き、「霊山」を望む。

  
この山に「城」があり、伊賀勢は織田軍と戦っていた、、、
この山道のその先に「お寺」があり、「神社」もあった、
そして巨大石に彫られた「摩崖仏」とご対面…

「伊賀の中世城館」より「田矢城跡」


では続きます。
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「第二次天正伊賀の乱」激戦地、阿山・伊賀編その1「雨乞山城跡」へ

2022-04-04 13:52:47 | 伊賀忍者回廊巡り
『「一人では絶対に行けない」と思っていたシリーズ』です。
和銅の道の丁石巡り」もそうでした。
みんなで行けば楽しいし、お勉強もできるし一石二鳥は嬉しい限り。

過去に3年くらいかけて『伊賀忍者回廊巡り』満願しました。
この時は、パンフレットもあり、ご朱印帳も準備しました。

時間はかかりましたが、悉く焼き尽くされた寺社仏閣や史跡などを見て回り、
「天正伊賀の乱」の足跡を振り返る旅でした。
ほとんどのところが、逞しく復活しており「伊賀の国衆の結束力」だと感じています。

あらかじめ準備されたモノを持って行けば比較的なんとかなるものですが、
今回は、どう考えても「一人では行けないな」と思うところを集中的に案内していただけました。
これはグループ活動の賜物やなぁと感謝しています。

さて、2022/4/2の行程は「第二次天正伊賀の乱」阿山・伊賀地区編です。
戦国時代の土豪たちが構えていた中世の城館群であり、天正の乱激戦地を辿る旅になります。

頂いた資料を読んでも想像力に欠けるため、頭になかなか入りません
しかし、現地に行くとサッと霧が晴れたような感覚になります。
そうか、ここで「伊賀者たち」は徹底抗戦していたんだなぁ…と。
そのために用意周到な城づくりをしていたと思われます。

たまたま家にあった「伊賀中世城館調査会編/伊賀の中世城館」も参考にしながら、
復習してみたいと思います。
頂いた資料より
 「第二次天正伊賀の乱 図」
この乱については3つの記録があるとのこと、
「信長公記」「多聞院日記」では、天正9年(1581)9月3日に攻撃開始との記述。
伊賀の菊岡如幻の書き記した「伊乱記」では、9月27日となっているそうです。

では、「雨乞山」(下友田谷出)
🚙は「下友田集会所の駐車場」へ。
  
「雨乞山」を見る(真ん中に見えるのは「浄光寺」)、「雨乞山登山路案内図」
そして「伊賀甲賀忍びの里」の案内があったのにはびっくり!
(「浄光寺」は私的にいずれ改めて行きたいなと思っています。)

途中、地域の土豪だった山内家の古い石碑があり、その前の道を進みます。
「登山口」の標識はとても親切で地区の方たちの思い入れを感じます。
   
さらに標識に従い民家の横から山に進んで行くと、獣避けの柵があり、そこからいよいよ入山。
この「獣害柵」は入山前後必ず締めてください

では、山道を上ることになりますが、
この季節、広葉樹や杉の落葉など枯葉が多くとても滑りやすい、
しかも前日は雨だったので…
   
踏みしめ歩きますが、鬱蒼とした森の割には明るく感じます、
頂上に近づくと「見晴らし台ベンチ」もあって小休憩可能。
残念ながら展望する余裕なし、皆さんに着いて行くのが精一杯(笑)。
  
案内のおかげで、ここでは絶対に迷うことはありません。
但し、竹が密生している所あり、急な崖もあったりですが、
途中から「手摺り」もあって、これには大変感謝です
しかし、戦の時はこの山を駆け上ったりするのかと思うと、
ちょっとゾッとしますよね…

思ったより早く着いた気がします、多分20分くらいでしょうか、もう「頂上」です。
  
「雨乞山説明版」
雨乞山 阿山町大字下友田字谷出
 標高268.7m 旱魃のとき、雨乞祈願を行った山である。 西へ下ると雨乞池がある。

 雨請山砦 城主 山内左衛門尉
 『伊乱記』によると、「天正九年(1581) 蒲生氏郷の進攻に、近郷の土豪が立て籠って戦った」とある。

 「天正役遺蹟」碑文 「天正九年織田信長伊賀国追討砌(ミギリ) 藤原鎌足三十三世孫 山内宗俊等籠此所合戦之古蹟」
 下友田区』

 ≪雨乞山は地域住民が早魃の時に雨乞祈願を行った山であり、
 天正伊賀の乱の際には織田信長配下の武将・蒲生氏郷を迎え撃つため、
 山内左衛門ら近隣の土豪らが雨請山砦に籠もり、戦いを繰り広げた山≫ということです。

    
「祠」あり、伊賀の乱を偲ばせる「天正役遺蹟」の石碑あり。

 霊山か?
頂上でワタシは方向音痴になってますので、間違ってたらスミマセン。

麓で見た案内板では「北にモクモク手作りファーム、東に霊山」が望めるとのことでした。

下山後、再び
 「浄光寺」
 ※天正伊賀の乱で激戦地となった雨乞山の麓にある。
  現在の堂宇は、1930年(昭和5年)に建立されたものである。
  境内には地区の庚申堂があり、青面金剛像を祀り、庚申の年に庚申祭が行われる。

「伊賀の中世城館」より
 「雨乞山城」

今回の行程の一部です。


次は「田矢伊代守城跡」へ行きます。
ではまた
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