『「一人では絶対に行けない」と思っていたシリーズ』です。
「
和銅の道の丁石巡り」もそうでした。
みんなで行けば楽しいし、お勉強もできるし一石二鳥は嬉しい限り。
過去に3年くらいかけて
『伊賀忍者回廊巡り』満願しました。
この時は、パンフレットもあり、ご朱印帳も準備しました。
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時間はかかりましたが、悉く焼き尽くされた寺社仏閣や史跡などを見て回り、
「天正伊賀の乱」の足跡を振り返る旅でした。
ほとんどのところが、逞しく復活しており「伊賀の国衆の結束力」だと感じています。
あらかじめ準備されたモノを持って行けば比較的なんとかなるものですが、
今回は、どう考えても「一人では行けないな」と思うところを集中的に案内していただけました。
これはグループ活動の賜物やなぁと感謝しています。
さて、2022/4/2の行程は
「第二次天正伊賀の乱」阿山・伊賀地区編です。
戦国時代の土豪たちが構えていた中世の城館群であり、天正の乱激戦地を辿る旅になります。
頂いた資料を読んでも想像力に欠けるため、頭になかなか入りません
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しかし、現地に行くとサッと霧が晴れたような感覚になります。
そうか、ここで「伊賀者たち」は徹底抗戦していたんだなぁ…と。
そのために用意周到な城づくりをしていたと思われます。
たまたま家にあった「
伊賀中世城館調査会編/伊賀の中世城館」も参考にしながら、
復習してみたいと思います。
頂いた資料より
「第二次天正伊賀の乱 図」
この乱については3つの記録があるとのこと、
「信長公記」「多聞院日記」では、
天正9年(1581)9月3日に攻撃開始との記述。
伊賀の
菊岡如幻の書き記した
「伊乱記」では、9月27日となっているそうです。
では、
「雨乞山」(下友田谷出)
🚙は「下友田集会所の駐車場」へ。
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「雨乞山」を見る(真ん中に見えるのは「浄光寺」)、
「雨乞山登山路案内図」
そして
「伊賀甲賀忍びの里」の案内があったのにはびっくり!
(「浄光寺」は私的にいずれ改めて行きたいなと思っています。)
途中、地域の土豪だった山内家の古い石碑があり、その前の道を進みます。
「登山口」の標識はとても親切で地区の方たちの思い入れを感じます。
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さらに標識に従い民家の横から山に進んで行くと、獣避けの柵があり、そこからいよいよ入山。
この「獣害柵」は入山前後必ず締めてください
では、山道を上ることになりますが、
この季節、広葉樹や杉の落葉など枯葉が多くとても滑りやすい、
しかも前日は雨だったので…
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踏みしめ歩きますが、鬱蒼とした森の割には明るく感じます、
頂上に近づくと「見晴らし台ベンチ」もあって小休憩可能。
残念ながら展望する余裕なし、皆さんに着いて行くのが精一杯(笑)。
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案内のおかげで、ここでは絶対に迷うことはありません。
但し、竹が密生している所あり、急な崖もあったりですが、
途中から「手摺り」もあって、これには大変感謝です
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しかし、戦の時はこの山を駆け上ったりするのかと思うと、
ちょっとゾッとしますよね…
思ったより早く着いた気がします、多分20分くらいでしょうか、もう「頂上」です。
「雨乞山説明版」
『
雨乞山 阿山町大字下友田字谷出
標高268.7m 旱魃のとき、雨乞祈願を行った山である。 西へ下ると雨乞池がある。
雨請山砦 城主 山内左衛門尉
『伊乱記』によると、「天正九年(1581) 蒲生氏郷の進攻に、近郷の土豪が立て籠って戦った」とある。
「天正役遺蹟」碑文 「天正九年織田信長伊賀国追討砌(ミギリ) 藤原鎌足三十三世孫 山内宗俊等籠此所合戦之古蹟」
下友田区』
≪雨乞山は地域住民が早魃の時に雨乞祈願を行った山であり、
天正伊賀の乱の際には織田信長配下の武将・蒲生氏郷を迎え撃つため、
山内左衛門ら近隣の土豪らが雨請山砦に籠もり、戦いを繰り広げた山≫ということです。
「祠」あり、伊賀の乱を偲ばせる
「天正役遺蹟」の石碑あり。
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霊山か?
頂上でワタシは方向音痴になってますので、間違ってたらスミマセン。
麓で見た案内板では「北にモクモク手作りファーム、東に霊山」が望めるとのことでした。
下山後、再び
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「浄光寺」
※
天正伊賀の乱で激戦地となった雨乞山の麓にある。
現在の堂宇は、1930年(昭和5年)に建立されたものである。
境内には地区の庚申堂があり、青面金剛像を祀り、庚申の年に庚申祭が行われる。
※
「伊賀の中世城館」より
「雨乞山城」
今回の行程の一部です。
次は「田矢伊代守城跡」へ行きます。
ではまた