久々の「紅花畑」(長田)、観光地ではありませんが…

2024-06-28 15:50:56 | 花や風景など
お知り合いの方、といっても知り合って丸ッと20年は経つという方ですが、
長田地区で「紅花」をお父さんと一緒に管理されていて、
ボチボチ見事に咲き出しましたよ~~と、連絡をもらいました。
 
長靴、軍手持参でどうぞ、とのことでしたが、
トゲトゲチクチクの痛い思いをするのは分かっていたので「長袖着用」もプラスです💦

JAの農産物市場「ひぞっこ」にも切り花として出荷されているのですが、
ワタシが伺うとどんどん採っちゃってください、へこたれませんから…って。
実際には、そんなに頂けるものではありませんが嬉しくて痛くて、複雑な思いをして
刈らせていただきました。
写真を撮っていたら「ミツバチ(はっち)」も一緒でした(笑)。

  

  
ミツバチは「蜜」に必死でワタシなんぞムシですから、安心です。

お持ち帰りして、なんとなくこのトゲトゲ感、
百鬼丸さんの切り絵の鬼と似合うなぁと、勝手に思う。
  
ついでの「鬼風船と紅花」、そんな取り合わせでいいのか??

さて、紅花と言えば「芭蕉さん」とすごくご縁があります。
最初に20年前と書いたのには訳があって…
今年は「芭蕉翁生誕380年記念の年」。
思えば20年前「芭蕉翁生誕360年事業」で「烏梅を使って本格的な紅花染め」を体験したことがあって、
その時に「紅花」をいっぱい育ててくれていたのが長田の古川さん。
広い畑に伺って例の黄色い花を摘んだ記憶が蘇ります。
当時の記録が残っていないので残念ですが、楽しい思い出のひとコマ。

「まゆはきを 俤(オモカゲ)にして紅粉(ベニ)の花」(芭蕉の風景より)

2004年当時の「栞」が出てきました。

そして当時「烏梅」(ウバイ)でお世話になった中西喜祥さんちのお孫さんが頑張ってるページ、
烏梅づくり」のこと。

【「烏梅製造」中西喜久 普及用映像】(中西喜祥さん(大正7年生)の息子さん)


二代目、三代目にしっかり継承されているようでうれしい限り

紅花を育てる人、烏梅を作る人・・・芭蕉さんがご縁の思い出話、かな。



そして最後に上野公園内にある「芭蕉翁記念館」庭園で可愛く咲く「ネムノキの花」。
 

過去ログより/ねむの花と芭蕉さん
「≪奥の細道とネムの花・・・芭蕉が象潟を訪れたのは、1689年6月15日。
 その日は、雨で鳥海山(チョウカイサン)の山が隠れるほどであった。翌日は雨上がりの晴れ。
 「松島は笑うがごとく、象潟(キサカタ)はうらむがごとし。
 寂しさは悲しみにくはえて、地勢(チセイ)魂をなやますに似たり※」
 「象潟や 雨に西施(せいし)が ねむの花」≫
※「地勢魂・・・」
 ≪松島が明るい景勝地であるのにくらべ、象潟の風景には、寂しいだけじゃなく、
 悲しみが混じっているように感じられ、その入江の地勢、地形の形や起伏が、
 まるで魂を悩ませているように見える。≫ という意味だそうです。」

ではまた
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月ヶ瀬・毛原・下笠間経由で室生深野へ。実質前編②

2024-06-27 00:12:52 | 花や風景など
月ヶ瀬橋を後に、名張川沿いに南下
目指すは山添村毛原。
月ヶ瀬からの道中はこんな感じで…
 再掲

行く前に「山添村観光情報/毛原廃寺跡」を調べてみました。
名張川から分かれた「笠間川」このが流れる山の中のこの谷あいに・・・
≪奈良時代平城京の大寺院と同じくらいの
大規模な七堂伽藍が建立されていたことを示す金堂跡、南門跡などの礎石が当時のまま残っています。
付近から出土した軒丸瓦、軒平瓦はいずれも奈良時代後期のもので、
廃寺跡より下流にある岩屋瓦窯跡で焼かれたことが発掘調査で判明しています。>と。
そして「国指定史跡」でもあるのです、ちょっと気になる場所ではありませんか。
室生深野の棚田を見に行くためにあえて今回このルートを選んだのはやはり好奇心だろうか。
ほぼ迷うことなく毛原地区に着いたものの、
その途中にある廃寺跡への道はなかなかの狭小道で、
まぁ慣れぬ間は軽自動車がいいか、少し広い所に止めて歩くか、二択です。

しかし、訪れてみて普通に民家が立つここにさり気なく、
こんなに大きな礎石がぼんぼんとそのまま残ってる??
   
そのことにびっくりです。

近辺を辿れば「山辺の御井(ミイ)」があります。
民家の敷地内かもしれません…
 

確か、大きな説明版があるはずと思いつつ探していたら
  
「毛原廃寺跡」はしっかりありました。
詳しい情報はこちら「史跡毛原廃寺跡PDF」で。

「金堂跡」か
 

「西方建物跡礎石」
  
文献によると
≪毛原廃寺には、現在も南門・中門・金堂の礎石が残されている。
当時の都からも東へ遠く離れた山中に存在するにも関わらず、
現地に残されている礎石は平城京内の著名な大寺院と同レベルの
加工技術が用いられていること、大寺院と同規模の建物が存在することなどから、
大正15 年に国指定史跡となっている>そうです。

この礎石跡の横は、スクールバスや行政バスなど交通の要所。

近くには「構造改善センター」、地区の集会所風の建物、
そしてその横には「長久寺」の石仏めぐりマップ。
  

改善センター玄関に飾られていた絵画を撮らせていただき、
よく似た毛原地区の風景を撮ってみた、まさに「大和高原」の中って感じですね。
 

では、先を進むことにしますが、ずっと笠間川に沿います。
標識を見るとすでに山添村を越え、ここは宇陀市?
  
宇陀市 永仁阿弥陀摩崖仏」(下笠間/鎌倉時代)です。
巨石に立派な摩崖仏が線刻されています。
久々に大っきな仏様を拝ませていただきました。
   


この先どんどん進むと「室生深野」のあの勧請縄に出ます。
 

そして、深野の棚田風景へやっとつながったわけでございます。

未体験ゾーンの道中記でしたが、どこへ行くにも峠を越え厳しい山道の往復かと思うと、
なぜここにこんな立派な伽藍を持つ大寺院があったのか、と不思議でなりません。
立派な官道があったわけでもなさそうだし、
それでも「都には必要な場所」だったということでしょうか?
東大寺の杣支配所だったかもしれぬと解説にはありましたが、
ともかくミステリアスゾーンの旅は終わります。

ではまた
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大雨で隠れてしまった橋(笠置潜没橋と恋路橋)…

2024-06-22 01:29:42 | 花や風景など
月ヶ瀬を訪れて、五月川の水位が低いとかなんとか書いていた6/21。
実際の訪問日は6/16でしたが、本日6/21に再び国道163号線を通ることがあって、
やはり気になりました。昨夜からの雨が凄かったので💦

「恋路橋」(JR大河原駅前)と笠置の「潜没橋」の過去ログをご覧いただいて、
実に多くの写真を撮っているのです。

が、さすがに「潜水」してしまっているところは見たことがなく…
最近では6/8に訪れたばかりでした。その時と比べてやはり怖かったです。
伊賀で3つの川(柘植・服部・木津川)が合流し本流の木津川となり、
高山ダム辺りで名張川と伊賀からの木津川が合流する地点ですので、
水量が増えるのは当たり前なんですが、なんだか川の風景が変わってしまったような様子です。

笠置潜没橋と木津川橋梁
  

南山城恋路橋
   

やまなみホール前にて
 



う回路はあるとはいえ、大変不便なこととお察し申し上げます。
ほんにたまたま通ってのことでしたが、午前中まで残っていた雨でした。
いきなり豪雨になることも、降り方が急に変わる最近の様子に、
雨の日のお出かけも注意深くしないとな、と言い聞かせております。

ではまた

2024/6/26追記
昨日、moni5187からコメントに頂いた詳しい街道情報、
そして観光パンフレット、我が家にありましたのでココに掲載。
 


混んだ仕事が入っており、更新できずにいます。
もう少し…💦💦
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月ヶ瀬・毛原・下笠間経由で室生深野へ。実質前編①…

2024-06-21 00:32:43 | 花や風景など
室生深野の棚田6月の風景が先になってしまいました。

ここへ行きつくまでに寄り道したところ数か所、
紫陽花を追い、睡蓮も見て、早春の梅の頃賑わっていた月ヶ瀬の今は??のドライブ紀行です。

先ずスタートは「大山田真泥の紫陽花ロード」、
これから色彩々に賑やかになっていくことと思われます、まさに梅雨の花。
真泥の「十念寺」を背景に入れたくなります、そしてその向こうは「風車」です。
  

紫陽花を見ていると、その後ろに可愛い赤い花がいっぱい咲き誇る…
初めて見たのでこれは何かいな?と撮って、googleさんにお尋ね、
  
フェイジョア」と。
≪※果実だけではなく花も食べることができます。
 白い花びらは肉厚で、苦みやえぐみなどのクセがほとんどなく、ほんのり甘くやさしい味がします。
 フェイジョアは花も実も楽しめる果樹として家庭で栽培する人も多い>そうですよ。

大山田の紫陽花はほんのプロローグで、雨をいただくとより元気に咲くような気がします。
では、白樫経由で県境を越え奈良市月ヶ瀬へ。
毎年、何の因果か車でちょちょっと行けるせいかよく伺います。
梅の咲く頃のにぎわいは十分に承知しているのですが、さて今の時期は??
梅の木々を見れば「梅の実たわわ」で、
「梅の実は採らないように!」と一本ずつ札がかけられています。
ここは「みおろし茶屋」。
梅の実はもうすぐ完熟でしょうか…
梅林を持つ農家さんは「梅の実」と格闘中と思われます。
 

ここで、ふと気がつきました、五月川の水・・・少なし💦
田んぼに水が必要な時期とはいえ、ここら辺に田んぼはなく、
梅雨前の水量調節なのかどうか、そういうことには疎いので、
ここはもう少し先に進んで「月ヶ瀬橋」辺りで様子を覗うことに。
通る車も少なかったので、橋の真ん中辺りで
  
新しく「キャンプ場」が出来ているのか、人多し。水はやはり少なし。
こちらは上流側、
  
ここで、またまた見えましたね、昔の(何代目の月ヶ瀬橋かはちょっとわかりませんが)橋の名残りか?
橋台というのかどうか、
水位が低いので昔の橋が掛けられた跡が見えているわけです…

ここまで書き起こして、ふと思い出しましたね、
moni5187さまに、教えていただいた
月ケ瀬ダム竣工50周年記念 昔の月ケ瀬写真パネル展より」の写真を。
そのページから「月ヶ瀬橋」の初代から4代目までの写真です。
 初代月瀬橋/明治29年

  二代目月瀬橋/大正時代中頃

  三代目月瀬橋/昭和11年~昭和43年

 四代目月瀬橋/昭和40年代前半

さて、どの時代の「月ヶ瀬橋」の橋台が見えたのでしょうか?

国の名勝指定第一号(Wikipediaより/月ヶ瀬梅林)
「1922年3月8日 - 史蹟名勝天然紀念物保存法により指定。内務省告示第49号。
日本政府が初めて指定した名勝の一つ」。

今回の行程の中の初めで話は脱線してしまいました💦
続きは、また改めて…


そうそう、追加写真ですが、今年の3月に月ヶ瀬梅林「みおろし茶屋」からの風景
「五月川」水量たっぷり・・・
  
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室生深野の棚田6月の風景、月ヶ瀬・毛原・下笠間経由で。実質後編…

2024-06-18 00:32:10 | 花や風景など
今年の2月「修二会松明調進」の講座を聞きに行った折、
「笠間峠」ってどんなとこ?ととても気になりました。
講座の終了後、友に連れて行ってもらえることになり、
凄い山道(ほぼ極道並み)、それでもその道は山から来る人にとっての生活道路で、
車の通行量はそれなりに多かった記憶。
その山道を越えた先の開けた風景(室生深野地区)に感動し、
ここはぜひ「田植えの頃にもう一度」と思っていました。
念願かなって行ってきたわけです。
 
丁度「ササユリ」の時期と重なっており、何もかもが「今でしょ!」と…
奈良の景観資産」「にほんの里100選」「ユネスコ未来遺産」でもあります。
地域の方々の頑張りのおかげかと、ほんとに素晴らしいところです。

深野の勧請縄を抜けたら、
「室生火山群」の山々の凸凹感、たまりません。
  

  

 

 

見比べのため、「冬」の風景の振り返り写真から
冬の深野の棚田
深野の峠の勧請縄①峠の勧請縄②
ササユリ保護地区/冬

ここは「ササユリ保護地区」でもあり、しっかり管理されています。
道端から下を覗きました…
見えます、可憐に咲いてる「ササユリ」。
上からは「そこに咲いているのに」、なかなか遠くて💦撮るのは難しいです。
 
ヘアピンカーブ道をぐるり下りると、
なんと鑑賞用にベンチまで設置されている憩いの場があります。
人間はネットの外から見学です、鹿などに荒らされぬためです。
  

よく見ると、葉っぱと同じ色した「イトトンボ」?
  

根笹(ネザサ)という笹の種類と「ササユリ」の葉、
ササユリは「日本特産で日本を代表するユリであり」(Wikipedia)、
「葉っぱが笹に似ている」からそう呼ばれるのです。
比べて見ていかがでしょ?
 

余談ですが、とても大事なこと。
この地区には「獣害対策犬」がいるのです。

出会っても「無視」ですよ! 彼らはお仕事をしているのですから。

深野の棚田の間を抜けると、近くに「神明神社」があります。
神社の横には「棚田用の水路」でしょうか、順に流れ落つる水は勢いよく、
紫陽花の間から棚田と室生の山々。
  

当日2024/6/16の順路としては、
「月ヶ瀬梅林の現在/みおろし茶屋」から「月ヶ瀬橋」を渡って五月川の水位の低さに驚き、
梅雨前だからか、昔の「橋」まで見えるほど。
そこから名張川沿い、川が分かれ「笠間川」沿いに、
その先「山添毛原/国史跡/毛原廃寺」、「室生下笠間/阿弥陀摩崖仏」を過ぎ、
いよいよ笠間の県道の峠道へという行程です。


過去ログにも掲載させていただいた「深野と周辺地域の歴史と文化」(再掲)です。

では、次回は月ヶ瀬からの前編です、あれ?
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「家康危機一髪の『加太越え』?」、体験してきました。後編

2024-06-17 00:57:43 | つれづれ思うまま
2024/6/2、14:50、大杣湖到着。柘植地区市民センターを出発して約2時間。
やっと着いた大杣湖。
講師谷先生の実地検分した結果、この山の中に「古道」や「関所跡」ではないかという発見があり、
今からその「古道その2」を一緒に歩きましょう、と。
お世話係川村さんから山道のぼりの諸注意を受け、
三河からの参加者の「無事に三河まで帰るぞ!エイエイオー」の掛け声で出発。
 

では、順次「大杣湖畔」から写真でご報告です。
とても静かな湖面を眺めつつ、14:55発。
足元には「大杣湖の主と思われる鯉」さんお出迎え。
なんだか元気が出ますねぇ…
   

昔はリゾート地というか別荘地だった、その名残の建物を横目に
   
お地蔵様絵があったり、可愛い花コアジサイ、楚々と咲く。
 
足元の木を見れば、苔が「ハート」に見えたり、
呑気なことを書くのもここまで。
本格的に道なき道の山登り風ですが、
この道を何度も歩いてこられた谷さん・川村さんたちのおかげで、
木製階段急ごしらえであったり、笹などを刈ってもらってあったりで、
至れり尽くせり?の「逃避行」体験道です。
   

  
急な道にはロープもあり、少し高い所で説明を受けます。
下を覗けば「ここを落ちるわけにはいかないな💦」と、気を引き締める。
  

予定では、ここで終了のようでしたが、もう少し先まで行くと「分水嶺」とのこと。
伊賀側の水は当然大阪湾へ、分水嶺を越えたらこの沢の水は伊勢湾へ流れます。
伊賀と加太(亀山市)の境を越えるところまで行きますか?と。
ここまで来たら全員が「行きま~す、行きた~い」との返事でもう少し進むことに。
   
この谷底にある「巨石」、昔の「関所跡」だったかもしれない、、、あくまでも推測ですが、とのこと。
その「沢」を渡り、また上る…
  

 
おそらくこの辺りが「分水嶺」かと。15:25くらい着。
見上げれば朴の木」(ホオノキ)の花が咲いていました、
珍しい花を見かけて、ご褒美を戴いた気分です。
みなさん、疲れも吹っ飛ぶ緑の癒しにどっぷり。

では、下山開始15:30過ぎ。

ひたすら同じ道の往復、急峻な山道の上り下りには変わりありません💦当たり前ですが。

   

帰り道、粛々と歩き、無事に全員が戻りました。15:53着。
気配り心配りと共に案内してくださった谷さん、川村さんに感謝です。
こんなワタシでも険しい山道の往復が無事にできたこと、
足を引っ張らずに済んだこと、ほんと良かったです。
ワクワクドキドキのおさまらない「神君と同じ気持ちで加太峠を逃避行」体験記でした。
次は、白子の浜まで行きましょうツアーがあるかもしれない…とか。
これはまだ未知数の話ですが。
16:00、ほぼ時間通りに大杣湖出発、
柘植地区市民センターに戻って解散。
神君命がけの逃避行、ちょっぴり味わえた気分、生きてて良かった家康さま。
天正伊賀の乱で殲滅された伊賀、見事復活できたのは、
家康公が無事に三河までたどり着いてくれたおかげです。
(ワタシは勝手にそう思っています、個人の見解ですあしからず)

 2024/6/5付毎日新聞

 2024/6/6付中日新聞

お付き合いありがとうございました。
ではまた。
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旧暦6/2に合わせて「家康危機一髪の『加太越え』?」、体験してきました。前編

2024-06-16 00:29:14 | つれづれ思うまま
2024/6/2(日)の午後、こんなイベントのお誘いを受けて、山中行軍してきました。
すでに遠い過去のようなお話です。新聞紙上にも掲載されたりしてたので
詳しくは省きますが、でもねそれがなかなか…
史実は誰も見ていないし、タイムトンネルもないので諸説いろいろあるのは承知のことですが、
西柘植地区主催で、講師に甲賀市の甲賀リアル忍者研究所の谷さんの案内で、
「多分、こうだったんじゃないか、きっとこの峠道を行軍したんじゃないか?」体験です。

雨の心配もあったこの日ですが、なんと集まった方々を見ていると雨雲も逃げそうな…気がしてきました(笑)。
愛知県は三河からお越しの方もおられ、家康さながら「エイエイオー」の掛け声もあり、
先達を務めてくださった谷さんのお話やお世話役の川村さんのリードで、
「古道」といわれるところをハラハラドキドキしながらも楽しく歩いてきました。
そんな道中記になります。

・2024/6/2 13時に柘植地区市民センター集合。
集合場所でメンバーを見渡すと、あの方この方大先輩に後輩に、
なんとも頼もしい仲間ばかりで、
しかし途中で根を上げるわけにはいかないなと覚悟を決めました。
  

   
徳永寺」にて、
ここまでは諸説ある「神君伊賀・甲賀越え」ではあるが、ここは確かに休憩された。
甲賀~伊賀の山道はどんなに困難な道であるかはここに住む我々も十分承知。
しかも車もないあの時代ですから、盗賊・山賊なんぞはゴロゴロいたはず。
どのルートであれ「神君は徳永寺」には絶対に来ています。
問題はココからどのようなルートで「白子の浜」へ行き、「三河」までたどり着いたのか。

もう一度市民センターに戻り、今度は柘植から関までの間の「加太峠」辺りを目指そうと。
獣道とはいうもののこの峠道は「古道」として昔の人が通っていたであろう道を見つけた、と谷先生はおっしゃいます。
ここからは数台の車に参加した21人は分乗して、JR関西線の加太トンネル北側に位置する「大杣湖」のほとりに移動することに。
 大杣湖はあの辺り…
その道中「岡鼻の勧請縄」を通過、その先の「大神宮と石燈籠」見学。
  
この山の中にも「古道」が確認されたという場所を紹介していただきますが、
どの道をどう通って行ったのか??ですが、風景は撮りました。
  
谷さんの指す方向の杉林の中を歩きますが、石垣があったり、確かに砦でも?
この先の「古道」らしき道を早く歩きたいばかりに先生の話が飛んでますが、
戦国時代以前、古代より作られた古道があり、
そこは兵士や馬も通れたのではないか、などなど
神君も決して走って逃げていたわけではなく馬も使い護衛の者たちも100人はいたのでは…と。
どんな道があるのでしょうか、行軍開始。
   

確かに上る道が見え、古道その1、記者さんモデルに高低差がわかるでしょうか?
  
下って、
 
澤筋には立派な石垣跡も見えます。
こんな山の中に?と驚きの景色です。

次に、二番目の「古道」目指して大杣湖に向かいます。
おそらくこんな行程だったのでは?というおぼろげな記憶です。
 
大杣湖到着、この時点で14:50。出発して約2時間。
まだ大して疲れてはいませんが、これから進むであろう道は一体・・・
だんだん「神君家康公の気分になってきた」のは事実。
谷さんの説明を聞いているうちに、ともかく無事に三河に帰ることが大命題。
さて、どんな古道を進むことになるのか…

参考:当日(2024/6/2)いただいた資料と募集チラシ。
   

では、もう少し続きます。
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「リバーパーク真見」~初訪問「君ケ野ダム」、水の流れは伊勢湾。その2 そして長野隧道伊賀側へ。

2024-06-13 00:39:12 | 花や風景など
情報をいろいろ調べれば「桜の頃」がいいとか、「紅葉も綺麗」とか、
この目で確かめたくて「今は新緑、グリーングラデーション」の様子を見るつもりで…
ダムへの進入路途中でかわいく「放流」、という言い方が正しいかどうかは??ですが💦
君ケ野ダム
  
昭和47年3月24日竣工のダムだそうで、なんだか勇壮さを感じます。

    
堤体を渡り、真ん中で
   

  
ダムの先にはこれから行くはずの美杉竹原辺りか、
川、道路が見え、所々名松線も傍を走っているはず…
堤体を渡り切ったのでその先の展望台へ、と思ったら通行止めで上には上がれず💦
では、レークサイド君ケ野へ。
お食事の準備は今日はできませんが、中で(持ち込みで)食べていただいてもいいですよ、と
お茶まで出していただきゆっくり休ませていただきました、ご親切に感謝です。
そのレークサイドから見た新緑グラデーション…
  

  

目に優しい緑をいっぱい見て、君ケ野ダムを後にします。(ダムカードいただくの忘れました💦💦)
雲出川沿いに県道15号線、平行に走る名松線鉄路を横に見つつ奥津駅に向かいます。

さて、ここは名松線終点&松阪行き始発「奥津駅」。
 
ここ奥津駅まで名松線が延伸したのは昭和10年(1935)12月10日、
当時は松阪から蒸気機関車が客車を牽引して来ており、
折り返し松阪行きになる列車になる前に蒸気機関車に給水をしていたそうです。
右)JR名松線ミニ写真集より

駅建物を共有している観光案内交流施設「ひだまり」で少しお話を聞いてました。
そこで「いつの日か『名松線』の旅をしたいと思っているんです」と伝えると、
スタッフの方が「ぜひ『家城駅』と『奥津駅』の往復をおススメします」と。
名松線は単線なので、家城駅で対向待ち時間が20分あります。
その間、ゆっくり景色を見られたらいいと思いますよ、とのこと。
そう、前回にお伝えした「リバーパーク真見」や「家城ライン」「疎水百選川口井水」のあるところ。
友と相談していつかは乗ってみたい「名松線」かな。

できることなら列車が来ないかと気にしつつ、助手席で渓谷美を愉しむ…
 
帰宅してからgoogle mapで調べると「比津駅」近くの渓谷と鉄橋でした、


帰り道、同じ道の往復だったので、ちょっと余裕を持って景色を眺めていました。
ココの景色がいいから止まってとか、ずい分ワガママなことを言いました💦
「君ケ野ダム」を遠目に見つつ、長野峠に向かいます。
  
右)JR名松線ミニ写真集より

本日(6/9)最終寄り道先は、ココ。
芭蕉句碑/猿蓑塚」から1.3㎞ほど旧長野峠道を進みます。
昭和時代よく走っていた道とはいえ、今は昔のその姿、
見てもいいものかどうか少し悩みつつ、でも好奇心が勝つ。

昭和14年開通の「長野隧道」。(時代と共に姿を変えてきた「伊賀街道」)

隧道(=トンネル)が出来た頃の喜びが伝わるような気もしないわけではないのですが、
一人では来れない場所かもしれません…
   
大山田阿波地区の人々にとっては念願のトンネルだったと記録は語りますが…
 
左)大山田百選より
右)街道いまむかし(1989-1990読売新聞伊賀街道記事集)より

峠を越えるということは分水嶺も通ってきたわけで、
伊賀の国の川は大阪湾へ、
伊勢の国の川は伊勢湾へ、
その境の伊賀の峠を二つ、青山峠と長野峠。
川の流れが違うので、名松線沿いの県道を走っていても方向が狂いがちになりました💦
ワタシが方向音痴だけなのか、見慣れた流れではないせいか、よくわかりませんが、
何かが違うということを感じるそんな感慨深い旅になりました。

長野峠を伊賀側へ下りつつ「水の流れ」にホッとしたものです。
こういう気持ちを郷愁というのかどうか適当な言葉が出てきませんが、
ワタシの故郷はやっぱりココ、落ち着く場所、
芭蕉さんも何度この山の峠道を通ったことか…
俳句でも一句、とはいきませんでした。

では、また。
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名松線や疎水通る「リバーパーク真見」、初訪問「君ケ野ダム」方面へ。水の流れは伊勢湾…その1

2024-06-10 15:08:00 | 花や風景など
今回は伊勢湾に流れる「雲出川流域」へ
二度目の家城ライン・リバーパーク真見、初訪問「君ケ野ダム」、名松線終点奥津駅。
往きは国道165号線青山峠越え、帰りは163号線長野峠越えで。
6/8の「木津川橋梁と気動車」に気分を良くしていて、
今回も何かがあるといいなぁと期待しつつ…仲間でドライブ、助手席死守。

先ず、ダムに行く前にどうせ通り道なんだし、夏に水遊びをするにはもってこいの場所!
ということで「紹介」兼「家族サービスにいかが?下見」を兼ねて寄り道です。
場所はココ↓ (過去ログより
雲出川(リバーパーク真美)
ここは「家城ライン」という雲出川の観光スポットのひとつ。
    
川のすぐそばまで行けるので夏場にはもって来いの遊び場。
大人の目線!は必要ですが(監視という意味で)。
ここには「甌穴か?」(そう感じただけですが…)もありました、
深くはないけどこれはきっと長い年月をかけて小石が浸食した「ポットホール」。であってほしい…


広い施設内には「親水公園」的な水の流れのある遊び場

もちろんバーベキューもできるし市民農園もありますよ。
詳細はコチラリバーパーク真見」公式HP

藤棚、施設内の道路を挟んで「名松線の線路」が目の高さ!
近くには「家城駅」がある。
 
もう少し早く来ていたらきっと素晴らしい景色だったと想像、
これはまた来ねば。
とかなんとか喋っていたら、またもや突然現る・・・
いつもそれは突然目の前に来るのです💦
   

今回のドライブ、第一目標達成した気分ですが、
いやいやこれから第二の目的地「君ケ野ダム」へ向かおうと、
「潜水橋」を渡り(ここでは「潜水」という)、県道29号線へ。

少し走ると「美杉の観光マップ」、何やら「堰」が見えました。
それもひょっとして「魚道付き」か? 改めて見るべく下車。
 
「南家城川口井水(ミナミイエキ カワグチユスイ) 頭首工」(別に「真見井堰」とも、君ケ野ダム)
  
なるほどね、ここら「鮎」さんが多いらしく、
近くには「鮎供養塔」もありました、助手席だから見えた石碑です(笑)。

この家城ラインと呼ばれる辺り、実は「岩船 史跡川口井取水口遺構」があります。
世界かんがい施設遺産(平成28年/2016年登録)でもあり、(PDF資料)
疎水百選】にも選ばれており<平安時代の水路>が残っている場所でもあるのです。
伊賀は「木津川の水運」がありましたし、川つながりの何かしらのご縁を感じた次第。
今度来るときはここら辺りをしっかり散策したいと思っています。

では、ここから行くこと数分。
美杉町竹原辺りを左へ

目の前に「君ケ野ダム」雄姿です。

では、続きます。

追記、手元にフリーペーパー「JR名松線ミニ写真集5⃣」がありました。

そこに同じ場所の風景が 
 
リバーパーク真見、その藤棚と列車。
もう一度行って、撮ってみたいな、と。

追記Ⅱ moni5187様からのご紹介「名松線を元気にする会
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潜没橋を渡り、「木津川橋梁(土木遺産)」と「(関電)相楽発電所」へ。

2024-06-08 23:48:24 | つれづれ思うまま
午前中所用を済ませ、久しぶりに南山城辺りへ。
関西本線:大河原駅前のあの「恋路橋」を歩いてみたくなり、
過去ログから「恋路橋


この橋を歩いたら、ちょっとその先の「潜没橋」も当然歩きたくなる。
ということで、2年ほど前は確か工事中だった記憶ですが…
2024/6/8現在、しっかり工事は完了しており、橋の近辺には釣り人多し。
 渡り切ったところで撮影
釣りには良き日和らしく、夕刻に近い時間にもかかわらず釣り人は多し。
橋の端から「木津川橋梁」と白い水の流れ幾筋、
あの橋を「列車」が通れば言う事ないのになぁ…と思いつつ撮影してました。
  
飛鳥路~有市の「潜没橋」を渡ったところで「紫陽花」てんこ盛り。
川沿いに「東海自然歩道」、
この道を下流方面に歩いて行けばあの橋梁に近づけるかもと歩いてみる。

すると、突然列車現る!15時55分。
   
ほんとにビックリの列車(一両だけど)だったのでスマホを構えるだけで必死、
それでも何とか「姿」は見えたか?

そんなことより、この「木津川橋梁」って実は立派な「土木遺産」。
以下、そのネット情報をいくつか・・・
土木学会選奨土木遺産/関西本線木津川橋梁

笠置町観光サイト/木津川橋梁

改良を重ね現代に息づく―明治時代に造られた『関西本線木津川橋梁』

 
もう少し近づけるものならいいのですが、これが限界の「煉瓦積み」。
≪橋台と橋脚は石材と煉瓦で造られ、ほぼ明治の建設当時まま≫とのこと。
たまたまとはいえ、今日ここで見られたこと感動しました

もう少し先に進んで、
 
1928年に運用が開始されたという「関電/相楽発電所」。
これも見たかったのです。

   
潜没橋から見えていた白い幾筋もの水の流れはこれだったのね…
これも調べれば、
≪3メートル強という落差はおそらく日本一(?)の超低落差ダム≫だそう。
凄いもん見たね、嬉しかったです。

笠置町観光情報/相楽発電所

関西電力株式会社/相楽発電所

帰り道、16時22分、再び列車が通る、なんてこと!
  
これも慌ててスマホを構えたもの、列車の端っこばかりしか撮れないけど💦
思うに「踏み切りのカンカンカン・・・」という音が聞こえないので、
いつもそれは突然やってくるのです!

  
潜没橋の真ん中から下流側と上流を見いていたら、なんと

三度目、16時33分列車が通る。
今度は「お茶の京都列車」、なんと!

今日のワタシはなんとなく運が良い
帰り道「有市の国津神社」に寄って、帰りました、とさ。


いい日、でした。
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