愛宕神社本殿向かって右奥の灯籠、撮影日は昨日。
本殿の周りを囲む格子の間からもバッチリ見ることができたので再掲。
①「愛宕神社の灯籠」
どこにでもありそうな「灯籠」ですが、なかなか面白いエピソードがあることを知り、
また、同じ年に「愛宕神社」「上野天神宮」「西蓮寺」の三寺社に寄進されているらしい。
・・・
なんだか面白そうなお話が隠れているようなので俄か調べをしていました。
三寺社巡りの紹介は順不同になりますが、どこかに何かの説明版でもないかいな…と。
google などで調べていたら説明版の写真を見つけたので、速攻訪問して確かめることに。
では「
西蓮寺編」
仁王さんのお出迎え
広い境内を探してもなかなか見つからず寺務所で尋ね、
ココですよと案内されて見つけました。
西蓮寺説明板より
≪
安井九兵衛寄進の燈籠
燈籠の竿に「奉寄進
貞享三(1686)丙寅年 十月十五日
大阪堺筋日本橋施主 安井九兵衛定元」と刻まれている。
定元は
大阪道頓堀を手掛けたことで有名な安井道頓(ドウトン)の第三代目の当主で幽ト(ユウボク)と称した、
又道頓は藤堂藩の請により
藩の御用金を融通し其の代償として
塩の一手販売権を握り
藩の
治水事業にも功績があった等で定元が当寺へもこの燈籠を寄進したものと思われる。≫ ふむふむ。
②「西蓮寺の灯籠」
「
上野天神宮(天満宮・菅原神社)編」
東町側から鳥居をくぐり、そのまま南側(右手側)の奥にあります。
③「天神宮の灯籠」
それぞれの「灯籠」に刻まれた文言はワタシには何となくしか読めませんが、
確かに『安井九兵衛(「クヘイ」と読みます)』と読めるような…
愛宕神社に関しての資料の中にこの灯籠の説明が見つかりました。
≪
愛宕神社の灯籠について
本殿の右側に二基ある灯籠の奥の灯籠。
大阪の商人、安井九兵衛は、
藤堂藩の美旗新田開発に出資して、
見返りに塩専売特許の権利を得た。
塩の専売で利潤を得たことに感謝し、
上野天神宮、西蓮寺、愛宕神社に灯籠を寄進した内の一基。高さ185cm。
「
貞享三(1686)丙寅年 摂茘大阪住 奉燈愛宕山 朔月廿四日夜 十二月吉日 安井九兵衛」と刻まれている。≫
では、同じく「上野天神宮」の資料では
≪
大坂の商人安井九兵衛が、藤堂藩の小波多新田開発を請負、
見返りの塩専売特許で利潤を得たことに感謝し寄進したもの。
愛宕神社と西蓮寺に同時期の寄進灯籠がある。
西蓮寺の灯籠の竿に「奉寄進貞享三年(1686)丙寅年十月十五日大阪堺筋日本 橋安井九兵衛定元」と
刻銘があることから
安井家三代目九兵衛と推定される。
慶長17年(1612) 大阪
道頓堀の開削に着手した安井道頓は、大阪夏の陣で戦死し、
従兄の
安井九兵衛(道ト(ドウボク))が事業の後を継いだ。
その、
道トから三代目が安井九兵衛定元(幽ト)。
安井(道ト)家は、
代々九兵衛を名乗り、上野天神宮の灯籠には「貞享三年丙寅九月大阪惣年寄」(1686)の刻銘がある。
九兵衛定元は
伊賀の治水工事・新田開発の資金提供者であり、藤堂藩の経済を支えた商人である。≫
全説明において出てくるのが
①安井道頓 (1533~1615) 戦国時代から江戸時代初期の商人。
1582年に「大坂城の外堀掘削」
1614年 「大坂冬の陣で外堀埋める」
1615年 「大坂夏の陣で戦死」商人でありながら秀頼に味方し参戦するも討死。
②安井九兵衛(道卜)(1582~1664) 江戸時代の日本の資産家・治水家。
1615年 道頓の遺志を継ぎ「道頓堀」を完成させる。
③安井家二代目
④安井家三代目九兵衛(幽卜)安井家は大坂三郷の一つである南組の惣年寄を務める。
1658年頃
名張の「新田開発」に出資、藤堂藩の経済を支えた豪商。
また、安井道頓の話に至っては、
司馬遼太郎さんの短編集「最後の伊賀忍者」の中に『
けろりの道頓』という短編があります。
これは
1999年にドラマにもなっており、なかなか面白そうなので読んでみようかと思っています。
「安井九兵衛さん絡みの灯籠」から「短編・けろりの道頓」まで、
あの有名な「道頓堀」の歴史を垣間見るような話を伊賀でみつけたっ!
蒸し暑い日々が続き(伊賀ではこの時期の最高気温が出たとか)、
正直辟易しており、タオルで汗を拭きつつですが、
面白い話を追いかけていると、いつの間にか夢中になっておりました。
豊臣の時代から徳川の時代への転換期に活躍していた豪商たち、
その豪商たちに助けられた藤堂藩、ちゃんと見返りの塩専売も取った!
調べてて楽しかったです(笑)。
「道頓堀」ができたおかげで「
淀川遡行の舟便」にもつながったわけですもんね。
昔の人、スゴい!
ではまた