(前回のつづきです。)
今回はマカオの街中にある水坑尾街(ショイハンメイガイ)バス停から澳巴22系統に乗ってタイパ島(氹仔・タムチャイ)に向かいます。
マカオ本土とでもいうべきマカオ半島と隣のタイパ島の間はかつて渡船が活躍していたそうですが、今は3つも橋がかかりバスが頻発していてごく便利です。最も多くの系統が走るバスのメインルートは3つのうち最初に作られた「澳氹大橋(嘉楽庇総督大橋)」で、私の乗った22系統もここを経由しました。
タイパ島に上陸し市街地(氹仔城区)に入るとよく整備されている様子の狭隘区間を走ります。狭いと言っても一応歩道が確保された一方通行ですからギリギリ感はそれほどなくバスを降りた後に改めて行ってみると歩きやすい道でした。
降りたのは氹仔中葡小学(タムチャイチョンポウシウホク)停留所です。
ここでの目的は大利来記咖啡室という猪扒包(ポークチョップバーガー)で有名な軽食・喫茶のお店で、バス停の目の前にあります。
猪扒包は午後3時くらいから売り出すというのでそれを狙って着いたところ多くの人がぱくついていました。すごいと聞いていた行列は既に大したことなかったもののお客の切れる間がなくどんどん売れていきます。味は薄味の生姜焼き挟みパンという感じでパンの美味しさが印象的でした。
食べちゃったらすぐに乗りバスというパターンになりがちですが今回は同行者がいるので観光します。と言っても3時過ぎではあまりのんびりもしていられませんからざっとですけれど。まず大利来記咖啡室のすぐ近くにある北帝廟に行きます。
中華圏で見かける蚊取り線香みたいな渦巻形線香が目立っていました。日本の蚊取り線香はひょっとしてこれから思いついたということはないでしょうか。
北帝廟から路地を奥に入っていくと官也街でポルトガルムードのある街並に観光客が集まっています。
一帯は観光地として結構整備はされているものの空き家も目立ったりで過渡期という感じがしました。陳皮干してたり祠があるのはやっぱり中華という感じです。
ポルトガル料理店がいくつも目に付きます。ポルトガル名物「バルセロスの鶏」が書いてある公雞(意味はポルトガル語のGaloと同じ雄鶏)の看板はちょっとカワイイ感じで見ていたらまたバルセロスに行きたいなあと思ってしまいました。
官也街から300mほど歩くとカルモ教会(嘉模教堂)・龍環葡韻住宅式博物館(タイパハウスミュージアム)と主要な観光ポイントが固まっています。住宅というのは昔ポルトガルの役人の別荘だったそうです。
ここでは結婚アルバムの撮影ロケに来た婚前カップルご一行が目に付きました。結婚するとき映画のシーンみたいな写真が延々と並ぶ派手なアルバムを作る風習は中国のみならず台湾、韓国にもありますが、どこもプロのカメラマンを使って扇風機や照明なども持ち出したりとかなり本格的です。
売店にポルトガルのミネラルウォーター「Luso」があり空き箱が転がっていました。ポルトガルのLusoは取水地の近くを列車で通ったことしかありませんが閑散とした駅を思い出し、ただの水の分際であそこから遠いマカオまで来ているのかとちょっと感心してみたりです。でもそれを言ったらやっぱり遠くから運ばれて日本まで来るエビアンだのボルヴィックなども似たようなものですね。
という具合にやややっつけ気味にタイパ島観光を終え、またバスに乗って今度はエッグタルトを食べるためコロアネ島に向かいました。
(次回につづきます。)
今回はマカオの街中にある水坑尾街(ショイハンメイガイ)バス停から澳巴22系統に乗ってタイパ島(氹仔・タムチャイ)に向かいます。
マカオ本土とでもいうべきマカオ半島と隣のタイパ島の間はかつて渡船が活躍していたそうですが、今は3つも橋がかかりバスが頻発していてごく便利です。最も多くの系統が走るバスのメインルートは3つのうち最初に作られた「澳氹大橋(嘉楽庇総督大橋)」で、私の乗った22系統もここを経由しました。
タイパ島に上陸し市街地(氹仔城区)に入るとよく整備されている様子の狭隘区間を走ります。狭いと言っても一応歩道が確保された一方通行ですからギリギリ感はそれほどなくバスを降りた後に改めて行ってみると歩きやすい道でした。
降りたのは氹仔中葡小学(タムチャイチョンポウシウホク)停留所です。
ここでの目的は大利来記咖啡室という猪扒包(ポークチョップバーガー)で有名な軽食・喫茶のお店で、バス停の目の前にあります。
猪扒包は午後3時くらいから売り出すというのでそれを狙って着いたところ多くの人がぱくついていました。すごいと聞いていた行列は既に大したことなかったもののお客の切れる間がなくどんどん売れていきます。味は薄味の生姜焼き挟みパンという感じでパンの美味しさが印象的でした。
食べちゃったらすぐに乗りバスというパターンになりがちですが今回は同行者がいるので観光します。と言っても3時過ぎではあまりのんびりもしていられませんからざっとですけれど。まず大利来記咖啡室のすぐ近くにある北帝廟に行きます。
中華圏で見かける蚊取り線香みたいな渦巻形線香が目立っていました。日本の蚊取り線香はひょっとしてこれから思いついたということはないでしょうか。
北帝廟から路地を奥に入っていくと官也街でポルトガルムードのある街並に観光客が集まっています。
一帯は観光地として結構整備はされているものの空き家も目立ったりで過渡期という感じがしました。陳皮干してたり祠があるのはやっぱり中華という感じです。
ポルトガル料理店がいくつも目に付きます。ポルトガル名物「バルセロスの鶏」が書いてある公雞(意味はポルトガル語のGaloと同じ雄鶏)の看板はちょっとカワイイ感じで見ていたらまたバルセロスに行きたいなあと思ってしまいました。
官也街から300mほど歩くとカルモ教会(嘉模教堂)・龍環葡韻住宅式博物館(タイパハウスミュージアム)と主要な観光ポイントが固まっています。住宅というのは昔ポルトガルの役人の別荘だったそうです。
ここでは結婚アルバムの撮影ロケに来た婚前カップルご一行が目に付きました。結婚するとき映画のシーンみたいな写真が延々と並ぶ派手なアルバムを作る風習は中国のみならず台湾、韓国にもありますが、どこもプロのカメラマンを使って扇風機や照明なども持ち出したりとかなり本格的です。
売店にポルトガルのミネラルウォーター「Luso」があり空き箱が転がっていました。ポルトガルのLusoは取水地の近くを列車で通ったことしかありませんが閑散とした駅を思い出し、ただの水の分際であそこから遠いマカオまで来ているのかとちょっと感心してみたりです。でもそれを言ったらやっぱり遠くから運ばれて日本まで来るエビアンだのボルヴィックなども似たようなものですね。
という具合にやややっつけ気味にタイパ島観光を終え、またバスに乗って今度はエッグタルトを食べるためコロアネ島に向かいました。
(次回につづきます。)