1996年撮影 雨水街付近
旧城内の一般家庭の家の広さは、日本の8から10畳くらいの広さが多く、そこに家族3人で住んでいる家庭が多かった。なので様々な工夫がしてあるのだが、どうしても収納出来ない物は天井から吊るされていた。
この空間に4世帯が住んでいて、この中庭に各家庭のキッチンがありガスコンロ一台で、何でも作るのが当時の旧城内流儀。中央の女の子はなぜか親の制服を着て立っていた。
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1996年撮影 雨水街付近
旧城内の一般家庭の家の広さは、日本の8から10畳くらいの広さが多く、そこに家族3人で住んでいる家庭が多かった。なので様々な工夫がしてあるのだが、どうしても収納出来ない物は天井から吊るされていた。
この空間に4世帯が住んでいて、この中庭に各家庭のキッチンがありガスコンロ一台で、何でも作るのが当時の旧城内流儀。中央の女の子はなぜか親の制服を着て立っていた。
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1998年撮影 場所不明
大陸の人達はきっちりと計ったように食事の時間を守る人達が多い。当時、昼飯に弁当を持ち歩いている人を見た事がないのは、中国料理は冷めると不味くて食えないからだ。当時の私の昼飯は、マックかケンタッキーで簡単に済ませコーラでなく珈琲がメインだったのは、珈琲を飲めるカフェがほとんど無かったから。まだ大陸では珈琲は一般的ではなくインスタントのネスカフェが主流で、砂糖を大量に入れクリープが入っているのが大陸流だった。マックで珈琲をオーダーし砂糖は要らないと言うと驚かれた時代。
そして、夕飯は大親友の上海人経営のレストランで毎晩のように家族とフルコースの上海料理と酒を呑みまくった。その家族とは今でも付き合っているが知り合った1996年から今まで、一度もお金を払わせてくれない。
大陸の人達は国籍に関係なく固い絆が出来ると、家族同然にもてなすのが大陸流儀なのだ。まぁ、それだけ日本人より懐が深いという事かな。
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1996年撮影 場所不明
消逝的老街1996-2000の写真集の中には、数点場所不明の画像がある。第一版では、もっと多くの場所不明な写真があったが、第二版では地元の上海人二人が調べてくれて多くの路地名が判明した。そして、第一版の時に出版社の編集部に勝手に構成を変えられたのと、写真の構成を変えた後に路地名を構成前のまま印刷してしまい無茶苦茶に。なので、第一版の写真集は今でも見たくないほど恥ずかしい写真集になってしまった。
☆第二版の「消逝的老街1996-2000」は、2010年優秀美術図書賞 金牛杯銅賞を受賞。でも、これは私が賞をもらったのではなく、出版社に贈られる賞だけどね。
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1996年撮影 白◯弄 ◯は漢字不明
こちらを向いているオッサンと電話をかけているオッサンの顔を見て、大陸の地方出身のアシスタントが言ったのは「典型的な上海人の顔だね」と。私には中国人を見て出身地まで言い当てられないが、今まで仕事でモデルのオーディションをやった経験から言うと、美人でスタイルの良いモデルの産地はハルピンや大連などの東北と四川省出身が多かった事は確か。南へ行くほど背が低い傾向がある。一番分かりやすいのは海南人の女で、顔は丸顔で目がデカいのと色黒で背が低いのが特徴。まだ海南島出身のモデルには会った事がない。
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1996年撮影 右側のドアの奥では麻雀を
1996年撮影 奥へ進むと
1996年の4月は私が旧城内を撮影開始した時。当時まともな地図が手に入らなかったので、道端で売っている観光用の地図の旧城内を大きく4つに区切り、その1/4をさらに細かく区分けして一日中朝から夕暮れまで撮り歩いていた。なので、路地のさらに奥の路地まで入って撮り歩いたので、旧城内のほとんどは撮り尽くしたと思っている。
迷路のような路地を奥深く歩いていると行き止まりだったり、とんでもない場所に出たりで当時は路に迷う事もあったが、当時はどこからも見えた上海テレビ塔を見ればだいたいの位置がつかめた。そのくらい1996年の上海には高いビルは無く横に広がる街だった。
二枚の画像の主人公は、この小さな男の子。この男の子を追って路地に入ると中庭のような空間に行き着き彼の親と遭遇。この子も今では30歳手前の年齢になっているはず。
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