男同士の誕生日プレゼント その2

2016年03月10日 | 若気の至り

 前回(→こちら)の続き。

 「誕生日には、おたがいが嫌がるプレゼントを贈りあおう」

 桜玉吉さんのマンガに影響されて、そんな気ちがいのような協定を結んだ私と友人サカマチ君。

 時はきた。3月9日、堂々たる私の誕生日である。ここに発動された「メイガス作戦」により、わが家にお祝いのためやってきてくれたサカマチ君と「誕生日おめでとう」「いやありがとう」などと、たわいないあいさつをかわしていた。

 やがて彼は、「そうだ、キミのためにプレゼントを買ってきたんだ」と、きれいにラッピングした箱を渡してくれた。

 フ、友よ、少しは私を感心させるものを見つけてきたのかいセニョール。と内心余裕をかましながら、

 「開けてもいいかい」

 「もちろんだとも」

 開けてみると、中身はワインの小壜くらいの大きさの通天閣の置物であった。

 いらん! こんなもんいらん!

 私は部屋のインテリアはシンプルさを旨としている。ゴチャゴチャと飾り立てたりしない。フラット感を大事にしているのである。ゆえにアイドルのポスターを貼ったり、食玩のフィギュアを置いたりもしない。

 そこに通天閣。澄んだ水に墨汁を一滴落とすと、それだけで水が真っ黒になってしまうが、それと同じである。

 この通天閣ひとつで、簡素にして簡潔を基調にした私の部屋は台無しになるのだ。だいいち東京タワーの置物を部屋に置いてる東京人がいないように、通天閣飾ってる大阪人なんかおるか!

 と叫びたくなったが、もちろんそんなことはプライドにかけて口が裂けても言えない。なぜなら、そういう「ルール」だからだ。

 おたがいに嫌がるものを贈り合う、つまりはそれを「いらんわ!」とマジでつっこんだ方が負けなのだ。これは男の戦いなのである。

 私はひきつった笑顔で、

 「ありがとう、やっぱり通天閣は大阪のシンボルだからね。来年の甲子園は通天閣高校と南波高校、どっちが出てくるのかな」

 置物を受け取った。

 こんな素敵なプレゼントをもらった日には、お返しをしなければならないだろうと私が用意したのは

 「高校時代に体育の授業で着ていた柔道着」。

  私の学校では体育の時間に柔道の授業があったのである。その時のもの。文字通り、私の血と汗がしみこんだ、お好きな人にはたまらない一品である。

 「ほら、サカマチ君は今度スポーツでも始めようかななんていってたじゃないか。よかったら使ってくれよ」。

 異臭がする柔道着を前に、一瞬しかめっ面をしたサカマチ君だが、すぐさま笑顔に戻り、

 「いいね、ちょうど花見で賀間さんのコスプレをしたいと思ってたんだ」

 そう返してきた。

 それにしても、通天閣の置物という絶妙にいらないプレゼントに、使い古しの柔道着というゴミにも動じないサカマチ君のセンスと精神力はさすがである。今回のところは痛み分けといってもいいかもしれない。

 そこでこちらから、

 「あんたやるな、燃えないゴミの日が楽しみだよ」

 と手を差し出すと、

 「今年の大掃除は、ぞうきんに困りそうもないね」

 と力強く握りかえしてきて、我々は改めてその固い友情を確認しあったのであった。


 (さらに続く→こちら




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男同士の誕生日プレゼント 

2016年03月09日 | 若気の至り

 「誕生日には、おたがいが極上に嫌がるプレゼントを贈りあおうじゃないか」。

 そんな気の狂ったような提案をかましてきたのは、友人サカマチ君であった。

 3月9日は私の誕生日である。誕生日といえばO・ヘンリーのおっちょこちょいの夫婦者がおたがいに間の抜けたプレゼントを贈り合うスットコ……もとい、愛情あふれたすれちがいのすばらしさを描いた『賢者の贈り物』が有名だが、我々にもその手の心温まるエピソードにはこと欠かないものなのである。

 学生時代友人サカマチと私は、おたがいの誕生日にはプレゼントを交換しあうという決まりがあった。

 と書くと、なんだかゲイの恋人同士のようだがそうではなくて、我々のプレゼント交換にはひとつの不文律があった。

 それは「相手のめっちゃ嫌がる物をプレゼントする」というものである。

 これは桜玉吉さんのマンガ『しあわせのかたち』に影響を受けたもので、悪友サイバー佐藤さんが「誕生日になんかくれ」というのに対し、玉吉さんは「阿呆か!」と答えながらも、そこで名案とばかりに、

 「ようし、じゃあおたがいに相手が嫌がるものを贈り合おうじゃないか」

 そう提案するというエピソードがあるのだ。

 「おたがい。絶対にいらない物をプレゼントしあおう」

 「ふ、負けないぜ」


 などと、いい大人が中学生みたいなノリで張り合って、それぞれ

 玉吉→佐藤「趣味の悪いキラキラ光りながら回転する蝶の置物」

 佐藤→玉吉「バンドもやっていないのに、ドラムのシンバル」


 を贈りあっていた。

 その後ふたりはひとしきり、ひきつった笑顔で


 「マジ? これほしかったんだ」
 「うおー、この贈り物サイコー」



 はしゃぎあってから、そこでいわゆる「ゲッペルドンガー先生」(絶望先生より)に襲われて、

 「こういうことは、二度としないでおこうな」「うん……」

 と、うなだれるというオチがつくのだ。

 もう、何度読んでも腹をかかえて爆笑で、私も大好きなネタだが、これに感動したサカマチ君は「ぜひ、オレたちもあれにならおう」と、玉吉リスペクトで、言い出したわけだ。

 なにを阿呆なことを言っておるのか。なんでわざわざ、めでたき日にそんなくだらないことをしなければならないのか、かような幼稚なイベントにはぜひ参加したいということで、嫌がるプレゼント選びに血道を上げることになった。

 ここに「メイガス作戦」と命名されたそれによって、我々は運命の3月9日をむかえるのだが、それが冥府魔道への第一歩であることを我々は知らなかったのであった。


 (続く→こちら


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少年たちのアブノーマルな性の目覚めあれこれ その2

2016年03月06日 | 若気の至り

 「子供のころの『性への目覚め』って、どんな感じやった?」



 あるとき飲み屋でそんなことを言い出したのは友人ヒメマツ君であった。

 そこで前回(→こちら)は、



 「『ジョイスティック』という言葉にエロスを感じた」

 「ウルトラセブンが、ボーグ星人に押し倒されるところで興奮した」



 などといった、

 「ツイストの効いた性の目覚め」

 を紹介したが、もちろんのこと私にも、そういう経験はあって、それは江戸川乱歩なのである。

 

 「乱歩先生→ホームズクリスティー→乱読バリバリ」

 

 という、正統派ミステリファンである私だが、乱歩先生のスタートもご多分に漏れず「少年探偵団シリーズ」であった。

 小学生のころ、その中の一冊である『魔人ゴング』という本を手に取ると、こんなシーンがあった。

 怪人二十面相扮する魔人ゴングのアジトに、名探偵明智小五郎は、助手の小林少年を潜入捜査に送りこむことにした。

 だが、そのままの姿だと、すぐ正体がバレてしまう。

 そこで明智探偵は小林少年に女装をさせる作戦を提案(小林少年は大変な美少年)。

 このあたり、乱歩先生の趣味が丸出しで大変ナイスな展開だが、策もむなしく、小林少年は囚われの身になってしまう。 

 そこで二十面相は



 「フフフフフ、このまま殺してしまってはおもしろくない。ここでひとつゲームをしよう。助かるか、助からないか、それはお前の運次第だ」



 不敵に笑うと、小林少年をブイに閉じこめて、海に放つのであった。

 ブイの中から、必死で助けを呼ぶ小林少年。

 もし、それに気づいてくれる人が、いれば助かるが、流されたのはどことも知れぬ大海

 近くに船などが、偶然通ってくれればいいが、その可能性は限りなく低い。

 絶望的な状況の中、せまいブイの中で鼻血を流しながら、懸命に助けを求める小林君。

 さすがは世紀の悪党二十面相、なんと残酷な事を考えるのか。

 ひどいではないのか、と憤る以前に、このシーンも明らかに乱歩先生の趣味が炸裂している感がある。

 いたいけな少年を監禁拷問

 先生、ステキです。

 子供心に私は、このシーンを読みながら、なにやらゾクゾクしたのを憶えている。

 今思えば、あれが私の「初めてのヰタ・セクスアリス」であった。

 当時は、そういうボキャブラリーもないほど幼かったが、とにかく、ものすごくエロチックだったのである。

 まとめると、私が生まれてはじめて、セクシャルに興奮した体験というのは、


 「女装した紅顔の美少年がせまいブイの中に閉じこめられて、鼻血を流しながら必死に救助を求め、最後は気絶してしまう」


 というシチュエーションであった。

 なんだか妙にマニアックなところで反応している気もするが、まだ子供だったので、その理由はよくはわからなかったものだ。。

 ただ不思議なのは、そんな、ややアブノーマルな場面でグッと来たにもかかわらず、その後大人になっても、

 

 「女装」「美少年」「監禁」「鼻血」

 

 というキーワードに、まったくひっかからないことだ。

 よく、子供のころ、きれいなスチュワーデスさんを見て、

 「それ以来、客室乗務員いうたら燃えるわ」



 などという人がいるが、どうもそれが、ピンと来ない。

 私には、子供のころのそういった刷りこみは、あまりないようであった。

 「女装」は修学旅行の女装大会でやったが、なんにも感じなかったし、少年も興味ない。

 たとえそれが、スカートをはいていても。

 ブイに閉じこめるなんて、かわいそうなだけだし、世に

 「鼻血女子

 が好きというフェチがいるというのでそういう写真も見てみたが、

 「はよ鼻ふけよ」

 としか思わなかった。

 スタート地点の感動(?)が、長じてからは、ちっとも興味の対象になっていない。

 まあ、たしかにウルトラセブンで興奮したオーケンも、別に大人になっても

 

 「セブン以外はダメ!」

 

 てわけでもないし、最初の目覚めが、そのまま本線の趣味嗜好となるわけでも、なさそうである。

 こういうことをなつかしく思い出していると、もう一度『魔人ゴング』を読みたくなってきた。

 とはいえ、こういうのって今の視点で見ると、案外「ふーん」くらい、なのかもしれないなあ。
 


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少年たちのアブノーマルな性の目覚めあれこれ

2016年03月05日 | 若気の至り

 「子供のころの『性への目覚め』って、どんな感じやった?」



 あるとき飲み屋で、そんなことを言い出したのは友人ヒメマツ君であった。

 ひょんなことから、セクシャルな興奮を感じ、子供から大人に変化するというのは誰にでも起こることだが、そのきっかけとは様々である。

 これには、中島らもさんのような、

 


 「同じクラスの女子のふとももを、物差しでペチペチ叩きたくなった」




 といった、ほほえましものとか、あとは昭和生まれなもんで、

 

 「河原に落ちていたエロ本を拾って」

 

 みたいな直球も多いと思われるが、たまになところを突いてくる、男の子というのもいるもの。

 たとえば、席を同じくしていた友人テヅカ君は、深夜にやっていた、名もなきB級ホラー映画を観ていたとき。

 若い女が、怪物食べられるシーンに興奮したそうで、なるほどと。

 また友人カミノキ君は、子供のころ小学校の靴箱にあった女子のクツを見て、エロい気持ちになったという。

 この手の話は、意外とツイストが効いているものが多く、人の発想は多様であると感心させられる。

 その他にも、SF作家の山本弘さんが、アニメの『鉄腕アトム』を取り上げて、

 


 アトムが敵の攻撃で気絶して、ぐったりなっているところ、胸のフタを開けられて燃料タンクを取り出されるシーンが、性の目覚め。


 

 という人がいた話をしていて、また、ミュージシャンの大槻ケンヂさんは、



 「『ウルトラセブン』第27話「サイボーグ作戦」の中で、セブンがボーグ星人に押し倒されるところ」



 ここで、グッと来たらしい。

 まったく、人生は人の数だけあるというが、性の目覚めも人それぞれである。

 ちなみに、言い出しっぺのヒメマツ君は、



 「ファミコンで遊んでて、『ジョイスティック』って言葉が妙にイヤらしく感じて、それが最初やな」

 

 エロの想像力というのは、かくも豊かであり、まさに発想の宝庫と言えるのだ。


 (続く→こちら





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選挙でこんな応援演説をやってはいけません その2

2014年04月02日 | 若気の至り
 前回(→こちら)の続き。

 生徒会選挙に立候補した友人イケシマ君を、応援演説でサポートすべく立ち上がったタテツ君とキタノ君。

 立候補したのがイケシマ君一人なので、応援演説もへったくれもなく当選確実なのだが、彼らはそれだけではもの足りんと、

 「オレらが、爆笑の漫才やったる!」。

 嗚呼、私は友として、ここですかさずドラえもんを呼び出し、そのポケットから「地球はかいばくだん」を引っ張り出して作動させるべきであった。

 みなさまにも賛同いただけると思うが、これはかなりの確率で「痛い」ことになる可能性が高い。

 やめろ、今からでも間に合う。その案は今すぐ、ひっかけ橋からドブ川になげすてろ!

 そう説得するが、キタノ君とタテツ君は

 「絶対ウケるから心配すんな」

 「オレとキタノが組んだら、メチャメチャおもろいからな」

 「ほら、オレらの会話って、ふだんから漫才みたいなもんやし」

 などと聞く耳を持たない。

 嗚呼、関西の男子にありがちな

 「オレはおもしろい」

 「笑いのセンスがある」

 という根拠のない自信が、正義の意見を断固としてこばむのだ。

 ここでも再三語っているが、大阪人は別におもしろいわけでも、笑いのセンスがあるわけでもない。

 単に「明るくてノリがいい」人が目立つだけだ。

 これは似て非なるものであるが、自意識過剰な大阪人は混同しがちである。

 一発ギャグ系の宴会芸ならまだしも、公衆の面前で「しゃべくり漫才」などやった日には、おそろしいことになるのは目に見えている。

 私は心の底から友情で、

 「絶対スベるからやめろ。命を来世ぶんも合わせて賭けていい」

 押しとどめるのに必死になるのだが、周囲は

 「やりたいんやったら、やらしたったらええがな」

 という穏健派ぞろいで、今ひとつ戦況は不利。
それどころか真面目な性格の子に

 「こんな熱い思いを、なんでキミは踏みにじろうとするんや。それでも友達か」

 「そうやって、やりもせず端からクールなつもりで批判するだけなんて、オマエの悪い癖やぞ!」

 怒られてしまった。

 嗚呼、ちがうんや。私は別に熱い心に若者らしい斜め上の視線から水を差そうとか、そういうことは考えていないし、チャレンジする心も大事だと思っている。

 けど、ここはもうただただ、「自分たちはおもしろい」と思いこんでいる高校生の漫才の破壊力を心配しているだけなのだ。

 インパールでの無謀な作戦に疑問を感じ、独断で兵を撤退させ更迭された佐藤幸徳中将の気持ちはこのようなものだったか。これだからダウンタウン世代は困るんだ。 

 さて放課後、応援演説開始。

 結果はもうおわかりであろう。

 そう、彼らは思いっきりスベッたのである。とにかく、終わった後にざわめきが起きるくらい豪快にすべったのだ。

 ふたりが途中、あまりの沈黙に耐えられなくなり、あせって下ネタを連発したのもまずかった。 

 演説終了後、私はすぐさま「戦後処理」のために走り回った。同じクラブのタマグシ君に「今の漫才どうやった?」とたずねると、

 「あいつらシャロン君の友達か。地獄へ堕ちろゆうとけ」

 あああ、やっぱり。

 続いて、同じ中学出身の女子タイジョウさん。

 「結局、ああいうのが大阪のイメージをおとしめてるんやね」

 て、手厳しい……。

 たしかに、大阪人の過度な「おもしろい」アピールは他府県でもウザがられてるとは思いますけど、そこまで言うか……。

 女子なのに(いやそれゆえか)キツイです。

 その他、

 「寒い」

 「拷問」

 「見てて腹立った」

 「今からなぐりに行く」

 など散々な言われよう。恐れていたことが現実になってしまった。

 自分でやめろと言ったものの、こんな予想通りいかんでもええのにと、泣きたい気分だ。

 さらにおそろしいことに、開票の結果、信任票を不信任票が過半数を大きく上回ってしまうという事態に。

 そう、この選挙はなんと対立候補がいないのに落選という、前代未聞の結果が出たのである。

 つまりはみんな、

 「イケシマに票を入れるのは、あの漫才を『おもしろい』と認めたことになる。それだけはありえへん!」

 そう解釈したわけだ。

 嗚呼、そうであった。タテツ君とキタノ君は、多くの関西に住む若者らしく、

 「オレはおもしろい」

 そう勘違いしていたが、おそろしいことに観る側の方もまた必然的に大阪人であるから、

 「オレら(ウチら)の笑いを見る目はキビシイで」。

 という、「おどれは、どこのプロデューサー様や!」といったプライドが炸裂していたわけだ。

 一昔前は関東のお笑い芸人が「関西ではネタをやりたくない」と嫌がっていたそうだが、それこそが素人客の、

 「さあ、笑いの本場のワシらを満足させられるんやろうな」。

 そういった、上から目線の産物であった。

 とばっちりであったのが、なんの罪もないイケシマ君。

 まさにこの「大阪人の勘違い・龍虎の対決」に巻きこまれて、まさかの大落選。はた迷惑もここに極まれりであろう。

 まあ他に候補もいないし、イケシマ君が会長になること自体はみなも賛同しているため、再選挙(応援演説ナシ)ではめでたく当選したのでホッとした。

 まったく、お騒がせなキタノ君とタテツ君なのであったが、まことおそるべしは大阪人の

 「オレはおもしろい」

 「自分たちの笑いを見る目は厳しい」

 という根拠のない思いこみである。

 みなさまも、生徒会選挙や文化祭などで、くれぐれも「爆笑の漫才」などに手を出さないように。

 特にクラスで、女子相手に爆笑をとっている男子諸君は危ない。

 あなたがウケているのは、単に

 「顔が良くてモテるから」

 という可能性がかぎりなく高い。

 それを実力と過信すると、ヒドイ目にあいます。お気をつけあれ。


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選挙でこんな応援演説をやってはいけません

2014年03月31日 | 若気の至り
 「オレ、生徒会長に立候補しよう思うねん」。

 高校2年生ころ、昼休みにそんなことを言いだしたのは、友人イケシマ君であった。

 今も昔も政治にはとんと興味のない私だが、これには

 「へー、ええんとちゃう。オレ、キミに投票するで」。

 そう答えたものだ。

 イケシマ君は部活などで、空手や柔道をたしなむナイスガイ。

 人望も厚く、性格も温厚。勉強はやや苦手だが、その分謙虚で会長にはもってこいの人材であった。

 そんなわけだから、我々は彼が当選するようバックアップを申し出たが、イケシマ君は「そんなんええよ」と遠慮するのである。

 おいおい水くさいやないかと思ったが、聞いてみるとなーんやという話であった。

 この選挙、立候補者がイケシマ君一人だけだったのである。

 なるほど、それなら応援などいらないはずだ。形だけの「信任・不信任」投票をやって、晴れてイケシマ君が会長の座に着くわけである。

 その「無血入城」をよろこんだ我々は、前祝いで万歳三唱を行った。これでこの学校は我々の制圧下に置かれたも同然である。

 なんといっても、これで生徒会室を自由に使える権利を手にすれば、当時流行っていた『ダンジョンズ&ドラゴンズ』をプレーする場所に困らなくなる。

 これがなんの労力もともなわずに手に入るなど、なるほど選挙というのはおいしい商売であるなあ。

 「利権」この一言で、人はかくも簡単に俗物になれるのである。そりゃ政治家が、みな下世話な顔になるのもむべなるかな。

 ただ、そんな大勝利の報にも、ひとつだけ問題があった。

 結果はすでに決まっていた選挙だが、一応は「立候補者のあいさつ」というのが放課後にグラウンドで行われるそう。

 そこで顔見せをして、すみやかに投票に移ることになるわけだが、そこでは、候補者が自己紹介をしたあとに、その友人が「応援演説」をしなければならないらしい。

 まあこれは義務ではなく、ましてや今回は対立候補がいないのだから、あえてやらなくてもいいそうで、全校生徒の前で演説をするなどといったSMプレイのようなことなど誰もしたいはずもなく、

 「ま、今回はなしでええか」

 そうイケシマ君も言ってくれたのだが、ここですっくと立ち上がった男がいた。

 それはイケシマ君の友である、キタノ君とタテツ君という男子であった。彼らは力強くこう言い放ったのだ。

 「応援演説なしなんて、いくら勝利が決定的でも格好がつかんやろ。オレらがやったるがな!」

 熱い男であるキタノ君はそう宣言した。

 男の友情だ。すばらしい。思わず新聞の投稿欄にでも投書したくなるようないい話ではないか。

 だがしかしである。このキタノ君の友情パワーが我が大阪府立S高校史上、前代未聞の大事件に発展することになろうとは、まだ誰も予想しえなかった。

 嫌な予感はあったのである。というのも、演説に際して二人はこんなアイデアを出してきたのだから。

 「オレらでな、爆笑の漫才をやろう思うねん」。

 

 次回(→こちら)に続く。


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ドイツ人にヒトラーとナチスとブロッケンマンについて訊いてみた その2

2014年03月23日 | 若気の至り
 前回(→こちら)の続き。
 
 初めての大学の授業「基礎ドイツ語」で、ボリスカルトッフェルクヌーデル教授と、なごやかに談笑する、我々ドイツ文学科の学生たち。
 
 
 「ドイツで知られている日本人はいますか?」
 
 「好きな日本の食べ物を教えてください」
 
 
 といった、ゆるい質疑応答に、物足りなさを感じていた私は、
 
 

 「ここで一発、カマしたらなアカン!」

 

 
 という、間違った義務感のようなものを抱き、ここに場内騒然必至の質問を、投げかけることにした。
 
 順番が回ってきた私は、すっくと立ち上がると、
 
 

 「ボリス先生は、アドルフヒトラーについてどう思われますか?」

 

 
 その瞬間、カルトッフェルクヌーデル先生から笑顔消えた
 
 お、パンチが入ったんちゃうか。
 
 作戦成功を意識したものであったが、そのうちだんだんと、様子がおかしくなっていることに気づく。
 
 先生は紙みたいに、まっ白な顔色になっている。
 
 目は泳ぎ、ポケットからハンカチを取り出すと、しきりに、ひたいをぬぐう。
 
 明らかに、動揺しているのだ。
 
 なるほど、「血の気が引く」というのは、こう言うときに使うのだなと、はからずも勉強になった。
 
 などと、おさまっている場合ではない。なにか、教室の空気自体が、急激に重苦しくなったのだ。
 
 

 「それは……えー、難しい問題ですね……」

 
 
 ハンカチで、いそがしく冷や汗をぬぐう、カルトッフェルクヌーデル先生。
 
 

 「……難しい、とても難しい問題です……わたしの力では、一言ではとても説明できません」

 

 
 自分に言い聞かせるよう、何度もくり返している。
 
 ここへきて、いかなボンヤリの私でも、気づかされた。
 
 どうも自分は
 
 
 「触れてはいけない何か」
 
 
 を掘り起こしてしまったらしい。
 
 まっ青になり、息も絶え絶えという様子で、「とても難しい……」とくりかえすドイツ人教授。
 
 わけのわからないままにも、状況が異様であることは察知している学生たち。
 
 そして、なごやかな空気クラッシャーとして、A級戦犯となった私。
 
 これはもう
 
 
 「オー、イッツ、アメリカンジョークデース、気に入っていただけましたかAHAHAHA!」
 
 
 みたいな、笑って終わらせられる空気ではない。
 
 半分冗談のつもりだったのに、先生の反応を見ていると、とてもそれで片づけられる質問ではなかったみたいだ。
 
 こうなると、今さら、
 
 
 「待って、今のはノーカンね」
 
 
 というわけにもいかず、最初の授業でなんちゅうことをやらかしたのかと、入学早々、家に帰ってしまいたくなったスカタンな私だ。
 
 
 「そうかー、ドイツ人にとって、『あの時代』というのは、笑って流せる種類の問題ではないのだなあ」
 
 
 というのは、ひしひしと感じさせられた。
 
 だって、カルトッフェルクヌーデル先生は今にも泣き出して、くずれ落ちそうなほどに、打ちひしがれているんだもの。
 
 いやホンマに、半沢直樹さんが出るまでもなく、土下座でもしそうな勢いなんですわ……。
 
 だれや、こんなひどいことを言うたヤツは! ワシや! すまん……。
 
 そんなことを、「一発カマしたれ」なんてノリで聞いてしまって、すいませんでした。
 
 もう、こっちが、100万回でも土下座したい気分でしたよ。
 
 ごめんよ先生、悪気はなかったんだよー(泣)。
 
 黙りこむ先生、身の置きどころのない私、それを
 
 
 「せっかく楽しくやってたのに、なにしてくれてんねん」
 
 
 にらみつけるクラスの皆さん。嗚呼、やってしもうた、ここは地獄や。
 
 せめて、オチでもつけないとと、
 
 

 「また一緒に戦いましょう、今度はイタリア抜きで」

 

 という定番のギャグで話を締めくくったところ、隣の席に座っていたチサコちゃんという子に、
 
 
 「あたしは次の授業は、キミ抜きでやりたいね」
 
 
 バシッとつっこまれて、若気の至った私は、その学生生活の前途多難を予感したのであった。
 
 それくらい、この話題は海の向こうでは、デリケートなものらしい。門外漢の素人は、うかつに手を出さないのが無難です。
 
 チョケていい話じゃない。「冗談ですやん」なんて、とてもじゃないが通じる雰囲気じゃなかった。
 
 カルトッフェルクヌーデル先生の様子を見ても、もうこれは理屈やないと。
 
 ホンマ、今思いだしても冷や汗が出ますわ。
 
 

 ※おまけ ヒトラー総統の楽しい漫談動画は→こちら
 
 
 
 
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ドイツ人にヒトラーとナチスとブロッケンマンについて訊いてみた

2014年03月21日 | 若気の至り
 ヒトラーとナチスの話は、海外ではものすごいタブーである。
 
 かつての同盟国のわりには、我が大日本帝国はそのへんのことにうとくて、マンガなどで、かなり安易にそのモチーフを使用したりしている。
 
 代表的なのはマンガ『キン肉マン』に出てきたブロッケンマン
 
 親衛隊を基調にしたデザインな上に、口から毒ガスを吐いて攻撃するという、トンデモないキャラクター。
 
 当然、欧米では超弩級の問題児であり、ファミコンのゲーム『キン肉マン マッスルタッグマッチ』の海外版では、存在自体が「なかったこと」にされているのは有名な話。
 
 そりゃ、「ナチスガス殺法」は、まずすぎますわな。
 
 ちなみに、「ナチ」「ナチス」という呼び方は正式名称ではなく、日本ではそのニュアンスはあまりないけど、もともとは反ヒトラー勢力による蔑称
 
 正しくは、
 
 
 「国家社会主義ドイツ労働者党」
 
 
 ドイツ語では
 
 
 「Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei」
 
 
 ドイツ人はこれを略して「NSDAP」。
 
 もしくは、単に「党」という言い方をします。
 
 嫌いな人は、頭文字を取って「ナチ」呼ばわり。
 
 だから、日本のマンガや小説でドイツ人が、
 
 
 「我らがナチ党は」
 
 
 なんていうのには、元ドイツ語学習者として、いつも違和感をおぼえる。
 
 日本人が「大ジャップ帝国万歳!」って、いわないものね。
 
 そんな「ナチ」は、よそさんが考えるよりも、ずっとシビアな話題。
 
 本場(?)ドイツでは、右手を上げるヒトラー式敬礼をしたり、親衛隊のコスプレをしたりしても逮捕されたりするから、これはマジもマジの大マジなタブー。
 
 そのことを実感したのは、大学生のころであった。
 
 一年の浪人を経て、千里山大学(仮名)に入学した私は、大いなる緊張ともに教室に入った。
 
 その日が大学生になって、はじめての授業だったからだ。
 
 当方が所属していたのは、文学部ドイツ文学科。なれば最初の授業は、未知の言語であるドイツ語。
 
 しかも、教えるのはドイツ人
 
 まだ初々しかった私は、
 
 
 「すげえ、外人が来るんや」
 
 
 それだけで、背筋が伸びる思いであった。
 
 待つことしばし、教室のドアが開き、背の高い白人男性が入ってきた。
 
 『基礎ドイツ語』の講義を受け持つ、ボリスカルトッフェルクヌーデル教授である。
 
 ボリス教授は、なかなかのハンサムで、おまけに日本語も堪能。
 
 明るい雰囲気に好感の持てる、この教室の中では、私に次ぐナイスガイであった。
 
 ボリス教授は、軽く授業の進め方を説明した後、ニッコリとほほえんて、
 
 

 「では、今日は最初の授業なので、みなさん順に質問を受け付けます。
 
 ドイツやドイツ人、ドイツの文化で知りたいことがあればなんでも遠慮無く聞いてください」

 
 
 学生達は順に、
 
 
 「好きなドイツ料理は何ですか?」
 
 「ドイツ語学習のコツを教えて下さい」
 
 
 などと様々な質問をし、カルトッフェルクヌーデル教授はそれに丁寧に答える。
 
 教授と生徒が徐々にうち解けあって、なごやかな空気が教室内に流れた。
 
 そのまったり感の中、ひとり渋い顔をしていた男がいた。
 
 そう、不肖このである。
 
 人間若いときというのは、たいていがトガっているものだ。熱い魂を持ち、常に体制に反逆するをむいている。
 
 そんな男が、ドイツとドイツ人と聞いて、そんなヌルイ話をしていいのかという疑問がわくのは当然であろう。
 
 これから我々は師と弟子として、学びの道を歩んでいくのだ。
 
 そこには当然、おたがいの信念思想が、ぶつかりあうこともあろうだろう。
 
 それを避けていては、我々は真の学問を得ることが出来るのか。
 
 否! 断じて否である! 
 
 私はこのような、生温かいなれあいの空気を、断固として破壊せねばならない!
 
 若者の熱さというのは、大人にとって結構な確率で、
 
 
 「ただの、はた迷惑」
 
 
 になってしまうということを理解するのは、もう少しの話である。
 
 若気が至りまくりの一学生は
 
 
 「ここに一発、爆弾を落としてやろう」
 
 
 画策するわけだが、それが思わぬ波紋を呼ぶことになろうとは、愚昧な若者であった私には、知るよしもないのであった。
 
 
 (続く【→こちら】)
 
 
 
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修学旅行で女装パーティー その2

2014年01月22日 | 若気の至り
 前回(→こちら)の続き。

 高校の修学旅行で、「女装パーティー」をやることになった、我が大阪府立S高校2年B組。

 我が校は第二次大戦のことを「太平洋戦争」でも「大東亜戦争」でもなく、「大祖国戦争」と呼称するような思想的におもしろい学校だったので、前の年までは修学旅行でも「討論」「総括」「自己批判」といったイベントが行われていた。

 他校の生徒が沖縄や北海道でバカンスをエンジョイしているのをよそに、宿で夜中まで、

 「○○君はいつも制服の着方がだらしない。アメリカ資本主義の奴隷です!」

 などと議論し合っているというのは、なかなかに素敵な青春であった。

 それが、次の年には「女装パーティー」。まあ、S高を仕切っていた思想的におもしろい先生方が異動でいなくなったせいもあるのだが、それにしても急激に軟弱である。反動というのはおそろしいものだ。

 それはともかく女装であるが、衣装や化粧などはすべて女子が持ってくることになっていた。女子が企画したのだから当然だが、やたらと張り切っているのが印象的だった。

 「一回、やってみたかったんだ」とか「あたし、弟に化粧して遊んだことある」とか、ずいぶんと楽しそうである。どうも、女装というのは女子の琴線にふれるなにかがあるらしいのだ。よくわからんけど。

 修学旅行当日。いよいよパーティーの開始。男子一人に女子一人が担当として付き、女子の見立てや本人の希望などから服や化粧など選んでいく。

 さてこのイベント、一見女子の体のいいおもちゃにされているようで、私は、いやクラスの男子たちは密かに楽しみにしていたのである。

 というのも、みな口には出さないが

 「いざやってみると、オレってマジでかわいいんじゃないの」

 と思っていたからだ。特に、ビジュアルに自信のある男子はそうである。

 不肖、この私もちょっとだけそういう期待があった。

 というのも、私は子供のころ、自分でいうのもなんだがめちゃくちゃに愛らしい子供であったのだ。

 というと、「お前のどこがやねん」と鼻で笑われそうだが、これが嘘ではないから世の中はコワイ。なんといっても、子供のころの私は近所のショッピングモールの洋服モデルなどつとめていたのである。

 ムチャクチャ生意気なガキである。その写真は今でも残っているが、子供用の礼服など着て笑顔で写っていやがる。女の子と手を組んで、舞台でポーズなど取っていて今となっては信じられないリア充っぷりである。おいおい、お前ホンマにワシかいな。爆発しても知らんよ。

 さらには、子役タレント事務所からスカウトの電話もかかってきたことがあるという、嘘のような本当の話もあったりして、どうも私が人並みはずれてかわいい子であったことは相当に間違いはない。世の中には、まだまだ不思議なミステリーが点在している。

 そんな私であったため、

 「女の子の格好をすると、なんだかすごいことになるのでは」

 などとついつい考えてしまったのも無理はあるまい。もしかしたら、あまりの妖艶さに何かが「目覚めて」しまうのではないかなどとドキドキしたりしていた。

 担当になったのはイシズミさんという女の子で、私はマンガ好きの彼女に少女マンガを借りて読んでいたりしたので、

 「大島弓子の『綿の国星』に出てきた須和野チビ猫みたいにお願いします」

 などとかなり具体的にリクエストしたりした。

 そしていよいよ結果発表。様々な装いで登場する我々女装男子。キャリアOL風あり、女子に制服であるセーラー服を借りたものあり、当時まだいたワンレンボディコンあり。

 しかしどれも「いろいろ失敗した残念なニューハーフ」といった域をを出ておらず、私は勝利を確信した。間違いなく私がこの店……じゃなかった、このクラスでナンバーワンの美女であろう。

 そんな思い出もあったりして、昨今の「男の娘」ブームはそんな昔のことを楽しく思い返したりして、たいそうなつかしい気持ちになったのだった……。
 
 ……て、おいおい、そこで終わりかい。肝心のお前の女装の結果はどうだったのかと意見に関しては、一応その写真は残っているものの私の基本的人権のためにここはひとつ非公開ということにしたい。

 結論としては、

 「まあ、笑いを取れたからオッケー」

 と、前向きな解釈をすることによって、今後につなげたいところである。


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修学旅行で女装パーティー

2014年01月20日 | 若気の至り
 「男の娘」というのがブームであるという。

 ウィキペディアによると、

 「男性でありながら女性にしか見えない容姿と内面を持つ者を指す言葉」

 とのことらしい。素人男子にはこの手の趣味や嗜好のことはよくわからないが、まあここはざっくり「スカートの似合う男子」くらいにとらえて話を進めたい。

 私自身自分の中に女子的要素がほとんどないため、こういった「女の子へのあこがれ」みたいなものは、もうひとつピンと来ないのであるが、過去に「女装」というものをしてみたことは何度かある。

 一時期演劇をやっていたことがあるので、そういった衣装自体はわりと着る機会はあったが、初めてのそれといえば、高校生のころまでさかのぼることとなる。

 高2の修学旅行(我が校では「HR合宿」といっていたが)だが、私の通っていた名門(自称)大阪府立S高校は夏休みの課題図書に太宰治『人間失格』やヘルマン・ヘッセ『車輪の下』と並んで、堂々とマルクス&エンゲルス『共産党宣言』が入っているという思想的におもしろい学校であった。

 そのために修学旅行でも、普通ならレクリエーションの時間になる夕食後の時間も「キャンプファイアー」「花火大会」「肝試し」なんていうイベントはあろうはずもなく、

 「討論」「総括」「自己批判」

 という行事になっていた。時代もすでに平成だったというのに、どんな学校や。

 そこではメガネをかけた学級委員長の女の子などが

 「○○さんが校則で定められた以上のおみやげ代を持ってきているのを見つけました。帝国主義的行動だと思います」

 などと口角泡飛ばしていた。

 また私の友人フルエ君は当時放送していた『不思議の海のナディア』を見たいがために討論を抜け出したところを発見され、

 「僕はアニメ見たさに学校行事をさぼろうとした腐ったプチブルです」

 と自己批判させられていたりなんかして、友には悪いが大爆笑なのであった。ええやん、アニメくらい見ても。ナディア、おもしろいよ。

 そんなふうに、他校の子らが学校の金で海外に遠征したり、ディズニーランドとか行ってるのに、我々は

 「アメリカの核は悪だが、中国の核はきれいな核」

 などについて語っており、楽しいはずの青春時代にいったい何をしてるのかと、当時はきわめてトホホな気分であった。

 ところが我々が2年生になるころ、どうも教育委員会やお役人たちが、そういう「思想的偏向」をよく思わなくなったらしく、我がS高を仕切っていた「私のカレは左きき」的な先生たちがみなパージされ、学校の雰囲気はかなり変わった。

 修学旅行からも「討論」などが廃止され、普通に「フィーリングカップル」みたいなイベントが行われるようになったのだ。

 自己批判からフィーリングカップル。ものすごい振れ幅というか、いきなりゆるすぎるような気もするが、それくらいに生徒たちも、「思想とか、ウザ」と感じていたわけだ。

 そらそうだよなあ。やっぱ健全な高校生たるもの、修学旅行で「ソ連の計画経済」についてなんか、語りたくないよなあ。枕投げしたいよ。

 そこで話し合った結果、我がクラスは「女装パーティー」をやることになった。

 これは女子が強く希望したもので、またなんともゆるいというか、パージされた先生が聞いたらゲバ棒持って追いかけてきそうなイベントであるが、私としては「女っちゅうのはなあ」という思いとともに、心中期するところがあった。

 それは女装パーティーなるものに秘かなる「勝算」があったからだが、その中身については次回(→こちら)に。


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日本史と世界史どっちを選択しますか? その3

2014年01月16日 | 若気の至り
 前回(→こちら)の続き。

 高3の授業選択時、「履修者が少ない」という理由で世界史の時間をなくすと通告されそうになった。

 これには世界史選択者の私は怒り心頭である。いくら授業をしぼった方が教えるのに楽だからといって、少数派を切り捨てるとはなんたる暴挙か。それどころか、世界史の先生からも、「日本史にしたら?」と言い放たれる始末。

 この学校の、この国の教育はどうなってしまったのか。偏差値のために学問の自由と生徒の自主性を奪おうとしている。こんなファッショは、天が許してもこの私がゆるさんぞ!

 なんて息巻くと、先生はため息をつきながら、

 「でもなあ、ホンマに今年は世界史取る子がおらへんのや」

 だから、数の問題ではない。私は学問の本質について語っているのだ。学ぶことは有利不利ではない。偏差値も関係ない。学ぶものの、本当に歴史について学びたいという情熱こそが大事だと、再三言っているではないか。

 それを、数が多い日本史にしなさいとは。そりゃあ、世界史は少しばかり人気では劣るかもしれないけど、それでもゼロというわけではあるまい。じゃあ、いってみなさい。そんな、クラスも構成できないほど人数が少ないなら、その数をここで教えてみろ!

 と、高ぶる心でガツーンといってやると、その答えというのが、

 「3人やねん」

 そうであるか。3人であるか、たしかに日本史とくらべるとその総数では……て、え? え? え? さ、さ、3人?

 ちょう待って。3人ってことは、指を折ってひい、ふう、みいの、みいで3人?

 静かにうなずく先生たち。え? え? ホンマにたった3人なの?

 ここで、ふたたび指を折りながら計算してみた。えーと、うちの学年はAからHまで8クラスあって、1クラス平均45人おるから、まあざっくりと全部で350人おるとしよう。

 そのうちの3人ッスか?

 「そうや」とおっしゃる先生方。これには、思わず「えー!」という声が出た。3人。1学年350人おって、その中で世界史を取ったのが、たったの3人。
 
 私は振り上げた拳の降ろしどころもなく、その場で棒立ちになってしまった。350人中3人。はあー、そらあかんわ。先生が言うのも当然や。なんぼなんでも、たった3人のために授業はできません。

 それどころか、すでに他の2人は「日本史にしてくれ」というと、特にこだわりもなく「はい、そうします」とすぐにOKしたのだという。

 この2人は、もともと日本史でも世界史でも、どっちもでよかったらしい。それで、なにも考えず世界史に丸をしただけで、別に日本史でも倫理でも政経でもよかったのだ。

 これで、残ったのは私ひとり。堂々のひとりぼっちだ。私も趣味や生き様などについて多数派になかなか乗れないことは、当ページでもよくネタにはしているが、それにしても349対1というのはまた極端な。

 同期の中で、私ひとりが世界史。あとは全員日本史。こんなことあるんかいな。

 よく恋愛ドラマで

 「世界中を敵に回しても、僕は君を守る」

 なんていうセリフがあったりするが、まさにそれである。我以外皆敵。大東亜戦争末期、ドイツ降伏後の大日本帝国みたい。世界全部対オレ様。

 あっけにとられた私は、言葉も失って「はは、こら大爆笑……」と茫然自失したのであるが、先生の「じゃあ、納得やな」の一言には、凍りついた笑顔のままでうなずくしかなかった。

 そらそうですわ、たったひとりのためにクラスなんて作ったら、先生が大変すぎます。学問の自由とか、そういう問題ちゃいますわ

 なぜそこまで極端なことになったのかといえば、なんでも当時有名な日本史の予備校講師がいて、みなその人の本で勉強していたため、日本史が爆発的に人気になったのだと聞いた(今ググってみたら、菅野祐孝という先生でした)。

 そこから、なんとなく

 「社会なににする?」
 「オレ日本史」
 「じゃあ、オレもそうしよっかな」
 「え、おまえら日本史にするの? じゃあ、オレもそうしよ」

 と、倍々ゲームで増えていって、そうこうしているうちにいつのまにか「一党独裁」に決まってしまったのだという。げにおそるべきは、日本人の雰囲気に流されやすい民族性である。みんな、フワッとしてるなあ。

 いくら信念の人である私とはいえ、こうまではっきり差がついてしまえばいかんともしがたい。数の暴力は反対だが、349対1のパーフェクトゲームを食らってはぐうの音も出ない。

 もう、いっそさわやかすぎるマイナーっぷりだ。マツコ・デラックスさんは、ある番組で

 「あたしは常に、あえてマイノリティーでいたいの」

 と主張しておられたが、あえてとか全然思ってないのに、ごくナチュラルにマイノリティーであるというのも考え物である。再び言うが349対1。そうかー、仲間はひとりもいないのかー。さみしすぎるぞ。

 そうして私は転びバテレンとして、関係のない日本史の授業を1年間受けたのであった。

 そうなると、もちろんのこと受験では大きなハンディを背負わされたのではと心配される心優しい読者諸兄もおられるかもしれないが、実際のところ私が本格的に勉強をはじめたのは浪人が決まってからであった。

 なので、高3時の授業はサボるか本を読むか寝るかの3択であったため、今考えたら社会が日本史だろうが世界史だろうが銀河帝国興亡史だろうが、私の人生にはカケラの影響もなかったのであった。

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日本史と世界史どっちを選択しますか? その2

2014年01月14日 | 若気の至り
 日本史より世界史がおもしろい!

 そう主張してはばからない私であるが、これがなかなかどうして、世界史はイマイチ人気がない。世界史推しの私は、前回(→こちら)語ったように、大いに孤独な人生を送ることを余儀なくされている。

 そのことは私の被害妄想ではなく、はっきりと数字に表れているのである。それを痛感したのが高校3年生のころのことであった。

 受験をひかえた当時の我々3年生は、受験科目によって履修する科目があれこれと選択できた。

 まず文系と理系にわけ、理系なら理科は物理か化学か、数学なら微分積分と幾何のどちらに力を入れるのか。文系なら漢文のクラスは取るのかなどあったが、中でも大きな選択は社会であり、ここでなにを選ぶか。

 一応、日本史、世界史、地理、倫理政経と4つの選択肢があるが、まあごく一部を除いて、ほぼ9割以上が日本史か世界史を選ぶ。ずばり二択である。

 もちろん、私は世界史選択である。世界史は日本史とくらべて、暗記することが多いとか、名前などがわかりにくい(マルクス・アウレリウス・アントニウスなんてね)とかいわれて不人気であったが、好き者こその上手なれである。そもそも、学問において学ぶことを「有利不利」で決めるというのは、どこか感心できない話である。

 ところが、ここにまことしやかな噂が流れていた。それは、
 
 「今年は、世界史の授業がなくなるらしい」

 おいおい、そりゃどういうこっちゃ。受験の社会には日本史と世界史があるのに、世界史の授業をしないとなれば、世界史選択の生徒はどうなるのか。そもそも、授業がなくなるなんてことがあるの?

 と噂の主に問うならば、それは仕方がないことらしく、事前調査では世界史受験より日本史受験で挑む生徒の方が、圧倒的に多いのだそうな。

 それだったら、いっそ全員を日本史選択にしてしまって、先生方も一点突破の強化体制で教える方が、偏差値アップが望めるのではないかということである。進学校の考えそうなことだ。

 なるほど、それはしかりである。たしかに受験では、教える方も学ぶ方も単元をしぼった方が効率的に学力を伸ばせるかもしれない。

 だが、それでいいのだろうか。そんな受験競争だけに目を向けて、世界史の授業を切り捨てるとは、それは学問に対する冒涜ではないか。私のように、心から世界史を学びたいと思っている生徒の気持ちはどうなるのか。

 これには私としては断固として抗議するつもりであった。私は世界史での受験を変えるつもりはない。とすれば、たとえ数が少なくてもきちんと授業はやってもらわねば困る。

 私は正義が自分にあることを確信していた。ふざけるな、なにが受験に有利だ。おれたちは偏差値の奴隷じゃねえぜ!

 と息巻いていたところ、社会の先生から呼び出しがかかることになったのである。

 その内容というのが、予想通りというか、

 「○○(私の本名)、お前も社会は日本史にせえへんか」

 これには、ふだん温厚な私も頭に血が上った。やはりそういうことか。噂は本当だったのだ。我が母校である大阪府立S高校は、学問の魂を売り飛ばそうとしている!

 先生の話によると、今年は日本史選択者が世界史選択者よりも全然多い。なれば、いっそ全員が日本史にしたほうが時間割が作りやすい。お前が世界史選択なのは知っているが、ここは妥協して日本史にしてくれないか。

 来たよ、来た来たメフィストフェレスの誘いだ。だれがそんなもの聞くものか。なんだあ? 世界史選択の数が少ないだあ? 多数派がそんなにえらいのか、マジョリティーが正義なのか。

 そういった数の暴力こそが、数々のファシズムや独裁政権を生み出してきたのではないか。それに、この私にも安易に乗っかれというのか。そんなものはゴメンだ。

 思えば、腰の定まらないネヴィル・チェンバレンの妥協的な姿勢がヒトラーの増長を許したように、ここでも悪がはびころうとしている。

 不肖この私、成績の方は下から数えた方が早いというか、早いどころか下から1番目の劣等生なんだけど(おそろしいことに実話です)、その志だけは曲げるつもりはいっかな無いのだ。

 と頑固に主張すると、2年のときに世界史を教えてくれたカラホリ先生が、

 「○○君、そんなこといわんと、日本史にしたらどないや」

 これにはアゴに一撃食らったような、強烈なショックを受けた。ブルータスお前もか。おお、まさか日本史ならともかく、世界史の先生にまで「日本史にしろ」といわれるとは。先生、あなたの信念はどこで死んでしまったのか。


 (続く【→こちら】)


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