前回(→こちら)の続き。
私はジェットコースターは苦手だが、それは日本国憲法の精神に反しているからである。
さらにいうと、ジェットコースターは私の人間的権威を失意させる効力がある。
私がジェットコースターに乗ると、たいてい搭乗後、周囲からのなめられ度が上がる。
それまで私のことを「先輩」と呼んでいたかわいい後輩たちが、一様に「おい」に変わり、ついでにタメ口になる。
女子の場合はもっとひどく、タメ口どころか、そもそも口をきいてくれなくなる。これはいかなる手のひら返しか。
いったいなぜにてそのような株価大暴落が起こるのかと問うなら、まず私は一度乗ったマシンには二度と乗ろうとしないかららしい。
くわえて、そのときのいいわけがいちいちダサいというのだ。
たとえば、ある遊園地でコースターに乗った後私は、みながもう一度乗ろうと盛り上がる中、断固として再トライを拒否。
その際、強く主張していたことが、
「首が痛いねん。いや、別に怖いわけやないねんけどな。でも、首が痛いねん。乗ってるとき痛めたんかなあ。とにかく首が痛いから、もう乗られへんねん」
あまりに何度も「怖くはないが、首が痛い」と繰り返す姿は、目撃者によると、
「これほど情けない人の姿は人類の歴史上、見たことがない」
と語りぐさになるほどのもの。まさに世界史レベルに残るみっともなさであった。
首が痛いという軟弱さもさることながら、かならず枕詞に
「別に怖いわけではないが」
と入れるところに、ますます私の人間の卑小さがあらわれており、いよいよ男の威厳もへったくれもないようなのである。
私から言わせれば、何度も「怖くはない」と主張する者がいたら、
「それほど強く繰り返して言うのなら、きっとそれは本当のことに違いない」
素直に解釈するところだが、周囲の声は、
「あんなにしつこいくらい言うってことは……ブ! ブワッハッハッハ! こいつ超ダッセー!」
ということになるらしい。発想が逆なのだ。
なんというひねくれた考え方なのか! このように、人の言うことを信じられなくなるというのも、ジェットコースターの負の側面である。
正直者が「怖くはない」といっているのに、それをゆがめて解釈し、その人間性をおとしめようと陰謀を巡らす。
これこそが、まさにジェットコースターが人権に配慮せず、憲法にも背いているというなによりの証拠である。
人が人を信じられない。
我々は、そういう殺伐とした世界に生きているのだ。こんなことになってしまって、地球人類はこれからどうやって生きていけばいいのだろうか。
やはりこれは、日本人をつなげる強固な結束力を破壊し、世界支配をねらうNASAかユダヤ人の陰謀であろう。
その証拠にユダヤもジェットコースターも、ともに頭文字が「J」である。さらにいえば、あんな激しい動きにもかかわらず人が落下しないマシンなど、「NASAのすごい科学力」以外では製造不可能ではないか。
アポロが月に行っていないのと同様、いくら巧妙に隠そうとも、私の灰色の脳細胞の前には無力なのだ。おのれイルミナティめ、どこまで私を責めさいなめば気が済むのか!
ここまで説明すれば、私がジェットコースターのおもしろさがわからないことが、たいそうよく伝わったことと思う。
人を重き拷問にかけ、ついには人間同士の信じる心さえ失わせる恐ろしい機械なのだ。
こうして見事な論理によって私の
「ジェットコースターは怖くはないが、いろいろと苦手」
という説はあざやかに証明されたわけだが、最後に一つ問題なのは、こういったいいわけ……もとい説明をとうとうとしていると、どこかから誰にともなく声が聞こえてくるということ。
それはたいていが、野球部のような通る声で、
「ピッチャービビってる、ヘイヘイヘイ!」
というものであり、それはどうにも、自分の心のどこかからも聞こえてくるような気がしてならず、いったい誰が出しているのか、謎は深まるばかりである。
私はジェットコースターは苦手だが、それは日本国憲法の精神に反しているからである。
さらにいうと、ジェットコースターは私の人間的権威を失意させる効力がある。
私がジェットコースターに乗ると、たいてい搭乗後、周囲からのなめられ度が上がる。
それまで私のことを「先輩」と呼んでいたかわいい後輩たちが、一様に「おい」に変わり、ついでにタメ口になる。
女子の場合はもっとひどく、タメ口どころか、そもそも口をきいてくれなくなる。これはいかなる手のひら返しか。
いったいなぜにてそのような株価大暴落が起こるのかと問うなら、まず私は一度乗ったマシンには二度と乗ろうとしないかららしい。
くわえて、そのときのいいわけがいちいちダサいというのだ。
たとえば、ある遊園地でコースターに乗った後私は、みながもう一度乗ろうと盛り上がる中、断固として再トライを拒否。
その際、強く主張していたことが、
「首が痛いねん。いや、別に怖いわけやないねんけどな。でも、首が痛いねん。乗ってるとき痛めたんかなあ。とにかく首が痛いから、もう乗られへんねん」
あまりに何度も「怖くはないが、首が痛い」と繰り返す姿は、目撃者によると、
「これほど情けない人の姿は人類の歴史上、見たことがない」
と語りぐさになるほどのもの。まさに世界史レベルに残るみっともなさであった。
首が痛いという軟弱さもさることながら、かならず枕詞に
「別に怖いわけではないが」
と入れるところに、ますます私の人間の卑小さがあらわれており、いよいよ男の威厳もへったくれもないようなのである。
私から言わせれば、何度も「怖くはない」と主張する者がいたら、
「それほど強く繰り返して言うのなら、きっとそれは本当のことに違いない」
素直に解釈するところだが、周囲の声は、
「あんなにしつこいくらい言うってことは……ブ! ブワッハッハッハ! こいつ超ダッセー!」
ということになるらしい。発想が逆なのだ。
なんというひねくれた考え方なのか! このように、人の言うことを信じられなくなるというのも、ジェットコースターの負の側面である。
正直者が「怖くはない」といっているのに、それをゆがめて解釈し、その人間性をおとしめようと陰謀を巡らす。
これこそが、まさにジェットコースターが人権に配慮せず、憲法にも背いているというなによりの証拠である。
人が人を信じられない。
我々は、そういう殺伐とした世界に生きているのだ。こんなことになってしまって、地球人類はこれからどうやって生きていけばいいのだろうか。
やはりこれは、日本人をつなげる強固な結束力を破壊し、世界支配をねらうNASAかユダヤ人の陰謀であろう。
その証拠にユダヤもジェットコースターも、ともに頭文字が「J」である。さらにいえば、あんな激しい動きにもかかわらず人が落下しないマシンなど、「NASAのすごい科学力」以外では製造不可能ではないか。
アポロが月に行っていないのと同様、いくら巧妙に隠そうとも、私の灰色の脳細胞の前には無力なのだ。おのれイルミナティめ、どこまで私を責めさいなめば気が済むのか!
ここまで説明すれば、私がジェットコースターのおもしろさがわからないことが、たいそうよく伝わったことと思う。
人を重き拷問にかけ、ついには人間同士の信じる心さえ失わせる恐ろしい機械なのだ。
こうして見事な論理によって私の
「ジェットコースターは怖くはないが、いろいろと苦手」
という説はあざやかに証明されたわけだが、最後に一つ問題なのは、こういったいいわけ……もとい説明をとうとうとしていると、どこかから誰にともなく声が聞こえてくるということ。
それはたいていが、野球部のような通る声で、
「ピッチャービビってる、ヘイヘイヘイ!」
というものであり、それはどうにも、自分の心のどこかからも聞こえてくるような気がしてならず、いったい誰が出しているのか、謎は深まるばかりである。