前回(→こちら)に続いて、八木虎造『イタリアでうっかりプロ野球選手になっちゃいました』を読む。
南イタリアで恋人とバカンス! のはずが、なぜか一人で飛行機に乗るはめになり、さらにはホームシックにかかって一か月も引きこもり生活。
気がつけば現地でプロ野球選手になる、というアクロバティックすぎる休暇を過ごす著者。
サッカーならともかく、イタリアで野球というのが意味不明だが、逆に興味がわいてこないこともない。
まずレベル的には、「思ったよりも高い」そうだが、それでも日本とくらべると実に能天気なもんらしい。
なんといっても、スコアがすさまじい。22対18とかそんな乱打戦があたりまえで、9ー7くらいなら「ピリッと締まったゲーム」になるのだ。
まだピッチャーのレベルがいまひとつでフォアボールが多く、イタリア人は打撃を重視するためこうなるそうだが、それにしたって大味なスコアである。
実際、ちょっと油断すると10点差くらい簡単にひっくり返るそうで、セーフティーリードというのが存在しないのがイタリア野球。
というと、草野球かよつっこまれそうだが、まさにその通り。
なんたって、「チーム・パレルモ」で一番打者として活躍した八木氏が、中学時代こそ強豪の野球部でならしたが、その後の活躍の場はもっぱら河川敷。
まさに、だれ恥じることのない、堂々の草野球レベルなのだ。
それが、ギャラこそないものの(八木氏は「助っ人外国人」ということで、1試合につき20ユーロくらいの報酬が出た)ちゃんとした「プロ野球」なんだから、なんとも親しみがわくではないか。
下手すると、私だってレギュラーになれそうだものなあ。
他にも、なんとも南国的だと感じるのは、たとえば、スタジアムに集合したところで、相手チームが来ないことがある。
イタリアプロ野球は、サッカーのような巨大市場ではないので、さほど予算がない。
そこで、遠征費が捻出できないチームはそのまま
「じゃ、いいや」
あっさり不戦敗を選ぶのだという。
日本だったら、そういうときは
「断腸の思い」
「がんばった選手たちに申し訳ない」
「捲土重来を期します」
みたいなノリになりそうだが、こっちはその辺は気楽な感じで、「あ、そう」てなもんだという。
「じゃあ、しゃあねえか」と、せっかくフルメンバーがそろってるし、なんて紅白戦を始めたりする。
審判もこなかったりする。
「コッパ・イタリア」という、れっきとした公式戦なのに、アンパイヤ不在。
なんでそうなるの?
なんでも、試合する両チームが共に、勝ったとしても次のラウンドに進む費用がない。
ということで(八木氏のチームは、お金はないこともないが「ローマまで行って、試合したいかあ?」って感じ。八木氏は「ぜひ、やりたいです!」ってひそかに思ってるのに……)、審判諸子も、
「じゃあ、やんなくていーじゃん」
家で寝ていたらしいのだ。
なんちゅうラテンなノリなのか。日本の公式戦でそんなことしたら大問題だろうが、イタリアでは、
「じゃあ、練習試合でもやっちゃいますか」
やはり明るいもの。楽しそうだなあ。
しかもこの話には驚愕のオチがあり、親善試合に勝利した数日後、監督がやってきて、
「こないだの試合、練習試合のはずだったけど、公式戦としてあつかうことになったから」
おいおいである。審判がこないから代わりに練習試合にしたのに、いざ終わってしまうと、
「せっかくやったんだったら、それを公式戦にカウントすればいいじゃん」
という、いい加減なのか合理的なのかよくわからん論理で、「気がついたら1勝していた」そうだ。
なんかもう、「はあ、そうでっか」としかいいようがないが、これがれっきとした「セリエA」なんだから、人生とはなんと愉快なことか。
このように、イタリアのプロ野球は、我々の想像する「プロ」とは、ずいぶんとイメージがちがう。
それを「ふざけてるのか!」と感じるか、はたまた「アハハ、いろんな世界があるねえ」と笑うかで本書の読み方は変わってきそうだ。
人生のアバウトさではイタリア人に負けない自信のある私は、もちろん後者です、ハイ。