映画『ドレスデン 運命の日』を観る。
ドイツ映画でドレスデンをあつかうといえば、これしかあるまい、第二次大戦時における無差別空襲。
日本において、忘れられることのない戦争の悲劇といえば広島と長崎への原子爆弾投下だが、ドイツでそれに当たるのがドレスデン。
1945年2月13日から15日にかけて連合国によって行われたこの爆撃は4度におよび、街の8割以上が破壊されるという凄惨なものとなった。
「エルベ河のフィレンツェ」と呼ばれる美しい古都であり、高射砲すらない「丸腰」だった街を、路上にひしめく非戦闘員である避難民たちもろとも(一説には死者10万人を越えるともいわれる)焼きつくしたのだから、まさにおそるべき大破壊といえる。
カート・ヴォネガットの『スローター・ハウス5』はドイツ軍の捕虜としてドレスデンに運ばれ、「味方から」この空襲を受けた作者自身の体験が反映されている。
そんな悲劇をあつかった『ドレスデン 運命の日』は、第二次大戦末期のドイツの古都を舞台にしたロマンス映画。
ドレスデンで看護婦として働くアンナと、イギリス空軍のパイロットであるロバートとの数奇な運命が主題となっている。
ドイツ東部空襲の命令を受けて出撃しながらも、運悪く撃墜されたロバートが、命からがらたどりついたのが、ドレスデンであった。
そこで働くアンナに助けられたロバートは彼女に恋心を抱き、アンナもまた彼に惹かれるが、お互いは敵同士、しかもアンナには親が決めたアレクザンダーという婚約者もいて……。
といった内容で、禁断の恋に、大破壊の前のドレスデンを再現したミニチュアワークやCG技術、最新特撮技術による空襲シーン。
戦争映画、歴史映画好きには大いに期待できそうな感じなのだが、どっこいこれが、見てみるとなんとも妙な気分になる映画なのである。
どこがおかしいのかといえば、ドラマシーンの不自然さ。
まあ、かのバカ当たりした『タイタニック』やスピルバーグ渾身の『プライベート・ライアン』も、その目を見張るような特撮のすばらしさと比較して、ドラマ部分はダメダメだったけど、この映画はそのさらに上をいくシロモノ。
一体どこがおかしいのか説明する前に、第二次大戦におけるドイツ人女性と、イギリス兵の恋といえば、まずみなさま自身はどのような展開を想像されるであろうか。
敵同士の二人は、本来ならば結ばれてはならない禁断の恋。まさにロミオとジュリエットである。
アンナからすれば、目の前の男は敵である英国空軍のパイロット。看護婦である彼女にとっては、治療する民間人や負傷兵を傷つけてきたのは、まさに彼の操縦する爆撃機。憎きかたきである。
しかも、彼女にはともに働く医者の婚約者がいる。たとえ恋に落ちたとしても、あっさりと彼に身を任せられるはずもない。
一方ロバートも苦悩するはずである。それまでの彼は、兵士として出撃し、燃える街と無差別に殺される民間人を見下ろしながら、
「見ろ、ナチの豚どもが丸焼きだ!」
歓声をあげていたのだ。
ところが、いざ撃墜されて、ドイツの地を踏んでみるとどうだ。
彼が「下劣なナチ野郎」として、なんの良心の呵責もなく焼き殺してきた人々は、自分やその友人、家族たちとなんら変わるところのない同じ人間ではないか。
「殺して当然」だった彼らと身近にふれたとき、初めてロバートは戦争の大義に疑問を抱く。
自分のやっていることは、本当に正しいことなのか。もしかしたら、戦争には正義なんてどこにもないのかもしれない。アンナ、教えてくれ、答えはどこにあるんだ……。
……みたいな、まあこんな感じに話が転がっていくのではないかと。素人の私は、だいたいこんなところを想像するわけである。
ところがどっこい。このアンナとロバートの二人は、そんな感傷などどこ吹く風。たいして気にすることもなく、どんどん自分らのペースで走り出す。
(続く→こちら)
ドイツ映画でドレスデンをあつかうといえば、これしかあるまい、第二次大戦時における無差別空襲。
日本において、忘れられることのない戦争の悲劇といえば広島と長崎への原子爆弾投下だが、ドイツでそれに当たるのがドレスデン。
1945年2月13日から15日にかけて連合国によって行われたこの爆撃は4度におよび、街の8割以上が破壊されるという凄惨なものとなった。
「エルベ河のフィレンツェ」と呼ばれる美しい古都であり、高射砲すらない「丸腰」だった街を、路上にひしめく非戦闘員である避難民たちもろとも(一説には死者10万人を越えるともいわれる)焼きつくしたのだから、まさにおそるべき大破壊といえる。
カート・ヴォネガットの『スローター・ハウス5』はドイツ軍の捕虜としてドレスデンに運ばれ、「味方から」この空襲を受けた作者自身の体験が反映されている。
そんな悲劇をあつかった『ドレスデン 運命の日』は、第二次大戦末期のドイツの古都を舞台にしたロマンス映画。
ドレスデンで看護婦として働くアンナと、イギリス空軍のパイロットであるロバートとの数奇な運命が主題となっている。
ドイツ東部空襲の命令を受けて出撃しながらも、運悪く撃墜されたロバートが、命からがらたどりついたのが、ドレスデンであった。
そこで働くアンナに助けられたロバートは彼女に恋心を抱き、アンナもまた彼に惹かれるが、お互いは敵同士、しかもアンナには親が決めたアレクザンダーという婚約者もいて……。
といった内容で、禁断の恋に、大破壊の前のドレスデンを再現したミニチュアワークやCG技術、最新特撮技術による空襲シーン。
戦争映画、歴史映画好きには大いに期待できそうな感じなのだが、どっこいこれが、見てみるとなんとも妙な気分になる映画なのである。
どこがおかしいのかといえば、ドラマシーンの不自然さ。
まあ、かのバカ当たりした『タイタニック』やスピルバーグ渾身の『プライベート・ライアン』も、その目を見張るような特撮のすばらしさと比較して、ドラマ部分はダメダメだったけど、この映画はそのさらに上をいくシロモノ。
一体どこがおかしいのか説明する前に、第二次大戦におけるドイツ人女性と、イギリス兵の恋といえば、まずみなさま自身はどのような展開を想像されるであろうか。
敵同士の二人は、本来ならば結ばれてはならない禁断の恋。まさにロミオとジュリエットである。
アンナからすれば、目の前の男は敵である英国空軍のパイロット。看護婦である彼女にとっては、治療する民間人や負傷兵を傷つけてきたのは、まさに彼の操縦する爆撃機。憎きかたきである。
しかも、彼女にはともに働く医者の婚約者がいる。たとえ恋に落ちたとしても、あっさりと彼に身を任せられるはずもない。
一方ロバートも苦悩するはずである。それまでの彼は、兵士として出撃し、燃える街と無差別に殺される民間人を見下ろしながら、
「見ろ、ナチの豚どもが丸焼きだ!」
歓声をあげていたのだ。
ところが、いざ撃墜されて、ドイツの地を踏んでみるとどうだ。
彼が「下劣なナチ野郎」として、なんの良心の呵責もなく焼き殺してきた人々は、自分やその友人、家族たちとなんら変わるところのない同じ人間ではないか。
「殺して当然」だった彼らと身近にふれたとき、初めてロバートは戦争の大義に疑問を抱く。
自分のやっていることは、本当に正しいことなのか。もしかしたら、戦争には正義なんてどこにもないのかもしれない。アンナ、教えてくれ、答えはどこにあるんだ……。
……みたいな、まあこんな感じに話が転がっていくのではないかと。素人の私は、だいたいこんなところを想像するわけである。
ところがどっこい。このアンナとロバートの二人は、そんな感傷などどこ吹く風。たいして気にすることもなく、どんどん自分らのペースで走り出す。
(続く→こちら)