好きになってしまったら告白すべきか、せざるべきか。
というのは、人類開闢以来答えの出ない問いである。
もうすぐバレンタインデーとあって、同じような思いに煩悶する人は多いのではなかろうか。
私の場合この問題には答えが決まっていて、
「好きになったのなら、告白しなさい」
この一点しか用意していない。
それは私自身がかつて、好きな女の子と両想いだったにもかかわらず、ちょっとしたすれちがいやら何やらあり。
で、お互いに告白せずにいて、結局は恋が成就しなかった経験があるから。
なんのかのあった後に決死の思いで告白したが、時すでに遅く、
「好きだったのに、どうしてあのとき言ってくれなかったの?」
放課後の部室で、こう返されたときには、生まれて初めて腰が抜けた。
ひざから崩れ落ちるという体験をしたのは、あとにもさきにも16歳のあのときだけである。
だから私は結果にかかわらず、恋の相談にはこう答えるのだ。
どっちも好きなのに、その想いが交差せず、ザルに流しこんだ水のごとく受け止められることなく消えていく、そんなことはあってはならない。
だから、好きなら行きなさいと。
この話は、一応それなりに支持は受けることはできる。
「言うたほうがええよな」と語ると、男女問わず、それぞれに若き日の思い出が喚起されるのか
「たしかにな」
「後悔するほうがつらいもんな」
「モヤモヤするより、そっちのほうがええよ」
ただし、問題がないわけではない。
いや、自分でいうのもなんだが、場合によってはかなり問題だらけでもある。
まあ、私の場合はいいだろう。
おたがいに想いあっていたのだから、それがうまくいかなかった結果からみれば「告白すべし」だ。
「あんとき告白してれば」の答えが「どうにかなっていた」のだから、当然の帰結である。
では「別に両想いではない」パターンならどうか。
フラれるかもしれない可能性が十分すぎるほどあるというのに、それでも告白すべきか。
さらにいえば、「確実にフラれることがわかっている」ケースでも突撃すべきなのか。
100%無理でも、のちに後悔を残さないために、ダメでもそれを吹っ切って次の恋に向かうためにも、ケジメをつけるべきか。
さあ、ここからが難しくなってくる。
ここでハッキリ言っておくが、フラれるというのはつらい。
これから恋を打ち明けようかどうかと迷っている若き男女にこんなことを言い切るのは気が引けるが、フラれるという行為は想像以上に厳しい。
つらい、悲しい、泣く、死にたくなる。いや、マジで。
特に、告白からのフラれ方はコタえる。
同じフラれるでも、恋人同士が気持ちがさめたりして別れる場合もある。
まあ、それもつらいけど、そこは一応つきあえたわけだし、それなりにいい思い出もあるわけで、心は痛いにしろ、まだ多少はなぐさめようもある。
それとくらべると、告白からのフラれはフォローの余地がない。
こっちはそれこそ魂を焦がすほどに好きなのに、向こうは冷徹なNOをかましてくるのだから、その救いのなさったらない。
それどころか、向こうははっきりと
「知らん異性に対して、ものすごく傷つくことを宣言しなければならない」精神的苦痛
を強いられるわけで、もうこれははっきりと迷惑行為なのだ。
女の子に訊いたら、ホント興味ない男からの告白は迷惑以外なにものでもないそうです。
うれしいとか自尊心がくすぐられるよりも、とにかく「勘弁してくれ」と。
私も「告白→即No」といったストレートな形こそないが、一応はそれなりにフラれたこともある。
そのときのショックや喪失感は、かなりの部分で共感できる。
つらいよなあ。ホントに、内臓と、魂のもっとも敏感な部分をナイフでえぐり取られるような痛みと苦痛がある。
それが、何日も、何週間も、何か月も続くことがある。河にでも飛びこんだろうかしらんと思ってしまう。
もちろん、そういうのは時が流れれば自然に癒えていくわけで、大人になればそれはわかる。
だから、つい若い失恋者には
「時間が解決してくれるよ」
なんてありがちなことをいってしまい、心の中で
「ケ! んなわけあるかい!」
なんて毒づかれるんだけど、まあそれも事実だからしゃあない。
とまあ、私の無責任(?)な「好きなら告白しなさい」は、一部支持は受けるし、ある意味で唯一無二の正解でもあると思うのだが、こうした大きな障害が幾多存在するわけでもある。
それでも告白すべきか。To be or not to be。
そこで次回は私の「絶対告白指令」に見事殉じた、ある青年の話をしたい。
(続く→こちら)