映画『ドレスデン 運命の日』の正しい鑑賞法 その2

2016年01月13日 | 映画
 前回(→こちら)の続き。

 「ドイツ映画『ドレスデン 運命の日』は、ドラマシーンがスットコである。

 運命の悪戯から敵同士恋に落ちた、ドイツ人看護師アンナ(婚約者付き)と英国空軍パイロットのロバート。

 このふたりの恋の道が見ているこちらには、ちっとも感情移入できないのだ。

 ストーリーの流れとかガン無視で、とにかくムチャクチャにエゴい。もう好き勝手にやりまくり。

 アンナの方は最初はそれはそれは献身的に仕事に従事していた。医師からも患者からも頼られる、模範的、いやそれ以上の看護婦さんだった。

 ところがどっこい、ロバートと出会ってからは、それまでの白衣の天使もどこへやら。婚約者のこともほっぽって、男とイチャイチャしまくり。

 それまで、あれほど病院で苦しむ患者に献身的だったのが、いきなり

 「ロバート、もう仕事のこととかどうでもええねん。ウチと一緒にドイツから逃げたって」

 堂々の逃亡宣言。

 おいおい、戦争の犠牲者であるけが人や病人見捨てるんかい!

 見捨てるのである。病院は医師も薬も足りず、四肢を失った少年兵や逃げようにも逃げられない赤ん坊、老人もいるというのにである。

 これには上司であり医師であり婚約者のアレクザンダーもブチ切れ。

 「このクソアマァ! おどれ、なに考えとんねん!」

 とは、彼もやさしいというかボーッとしてるからいわないけど、「そりゃないよ」と頭を抱える。

 アレックスの気持ちは分かる。最愛の彼女を寝取られた上に、この非常時中の非常時に豪快に職場放棄して、

 「ウチは、これからは恋に生きるねん。彼と逃げるから、あとヨロシク!」

 なんて寝言をいうとるのだ。そら、怒りたくもなりますわな。

 しかもロバートと出会う以前には、

 「ドレスデンももう危ない、家族でスイスに逃げよう」

 そうアレックスがいうのを、

 「病院で苦しんでる人たちがいるのに、わたしたちだけで逃げる気なの? この卑怯者!」

 となじっているのだ。アレックスからしたら、もう全速力で納得がいかないだろう。お前が言うかと。

 さすがにこのときは温厚な彼も、

 「あのなあ、オマエがここで白衣の天使ごっこができるんは、オドレの親父が金持ちの特権階級やからや! 戦争でみんなが飢えてるときに豪華ディナー食ってるお嬢さまが正義感ぶりやがって、貧乏人バカにすな!」

 そう大激怒してますが、彼はまったく正しい。

 特に物語前半では、アンナは献身的な看護婦、一方のアレックスは頼りない小心な男として描かれているから、よけいに彼の倫理的正当さが際立つ。ある意味、見せ場だ。

 ところがどっこい、アンナのほうは婚約者の言葉などどこ吹く風。一応ショックは受けるものの、

 「ま、それはそれとして」

 特に呵責もなく

 「やっぱウチ、恋に生きるからバイバイ。入院している人のこととか、あとヨロシク」。

 おーい、話聞いてへんのかーい!
 
 こんな、バカ丸出しのアンナに加えて、お相手のロバートがまた全然共感できん男。

 ドイツに降り立って、「豚」ではない現実のドイツ人を見たところで、さほど感慨があるわけでもなく、ちっとも成長も葛藤もないどころか、あとでアレクザンダーと口論になったときも、

 「ナチども殺して、なにが悪いんや!」

 相変わらずのセリフ。

 なんちゅう底の浅いやっちゃ。ようこんなヤツ主人公に据えるわ。こんなアホに自国の女取られるのをみすみす観ないかんとは、ドイツ人も相当なドMです。
 
 きわめつけが、この二人が結ばれるシーン。

 ロマンス映画に情熱的なベッドシーンはつきものだが、アンナとロバートが初めて抱き合うところというのがどこなのかと問うならば、これがなんと病院の大部屋の空きベッド。

 もちろん、他のベッドでは負傷兵や病気で死を待つばかりの子供や老人が寝ているのだ。中には涙を流し、「お母さん、死にたくない……」とうめき声を上げている者もいる。

 その同じ部屋で、アンナとロバートはよろしくやっているのである。

 地獄のような野戦病院。みなが死と隣り合わせで病やケガ、飢えと戦っている横。そこで働く看護婦さんが、敵兵とちちくりあってるのだから、もうなにをかいわんや。

 これはもう、松田優作ならずとも「なんじゃこりゃあ!」といいたくなるではないか。

 なんなんや、この展開は。ドイツ映画なのに、ドイツ人をバカにしてるのだろうか。

 あまりのことに開いた口がふさがらない状態だが、しばらくそんなバカップルの狼藉を見ていて、熟慮すること数分、謎が解けたのである。

 なるほど、これは「棒読み」というやつか。と納得したわけだ。

 というと、おいおい棒読みってなんやねん。

 別に映画の出演者は演技が下手とか、そういうことはないではないかという意見はあるかもしれないが、ここでいう棒読みは演者のことではなく、「作り手側」の棒読みのことなのである。

 一体、その「棒読み」の正体はなんなのかといえば、それについては次回(→こちら)に。





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