エマミ・シュン・サラミ『イラン人は面白すぎる!』を読む。
著者はイラン生まれでテヘラン育ち。
10歳で来日し北海道で日本になじみ、長じてからはなんと「デスペラート」という、吉本興業所属のお笑い芸人となった異色の経歴を持つ。
核開発や「ならずもの国家」といった偏ったマイナスイメージのついた母国について悲しみ、本当は「日本が大好き」で「面白すぎる」イランとイスラムを知ってほしいという著者の願いから書かれた本だ。
というと、文化論や宗教の話など、なんだか堅苦しい内容かと思いきや、そこは本職が芸人さんのこと、読んでみるとこれがメチャクチャに笑えるのである。
著者の言うように、我々日本人はイランとかイスラムと聞くと、どうしても
「宗教でがんじがらめ」
「悪い出稼ぎ労働者」
果ては欧米列強のプロパガンダにのせられて「アルカイダの一味」なんて的外れな誤解を抱きがちだが(スンニ派の多いアルカイダとシーア派のイランは仲が悪い)、それがあまりにかたよったものであることを、この本は教えてくれるのだ。
たとえばイスラムと言えばよく出てくるのが、あの日に5回(シーア派のイランでは3回)のお祈りタイム。
宗教になじみのない我々には、あの同じ時間に一斉に祈る姿というのは、どこか「狂信的」なイメージを与えるが(また伝える側も、そう取れるように絵を流しがち)、これが実際には、かなり人によって温度差があるそうな。
仮病を使ってサボる者、「心の中でお祈りした」と、とんちで逃げるもの、さらには電話をかけながら祈る者など、しまいには
「地面アレルギーだからお祈りできない」
とか、無茶ないいわけをかましたりする。
また、イスラムと言えばアラーである。
我々のイメージでは唯一絶対の存在であり、みだりに名前を出したりしてはいけないのではないかと考えてしまうが(親戚のユダヤ教ではそう)、イランにかぎらずイスラム国では逆で、なんでも
「アラーのおぼしめし」
で、すましてしまうそうな。
遅刻した→「遅れたのは、アラーのおぼしめしッス」
どんなおぼしめしだよ! 待たされた方はブン殴りたくなるが、本当にそれですましてしまうのだから、時間にうるさい日本人はお口あんぐりである。
それどころか、約束を破ってもアラーのおぼしめし、召使いが主人の宝石を盗んでもアラーのおぼしめし、しまいにはケンカした者同士が、
「これはアラーのご意志だ」
「じゃあ、オレはアラーのご意志でおまえをなぐる」
「じゃあ、オレはアラーのご意志でおまえをなぐりかえす」
こうなると、アラーってなんなのか、よくわからなくなってくる。えらい神様と言うより、どんな場面でも使える便利なアイテムあつかいである。
またイスラムの聖地と言えば、サウジアラビアのメッカやメディナ、エルサレムにイラクのナジャフなどが有名だが、これをエマミさんは
「日本の北枕ならぬ《メッカ枕》は縁起がよい」
メッカ枕! これまたすごい発想であるが、そういわれるとやはり日本人としては、
「なるほど、メッカの方角って、大事なんや」
と伝わってくる。メッカに足を向けて寝るとよくないというのも、こっちと同じだ。ホンマかいな。
エマミさんの友だちは、子供のころふざけてお尻を出して遊んでいたら、
「メッカのある方角にケツを出すな!」
と怒られたそうである。
「メッカにケツ出すな」。いいフレーズだなあ。トイレの便座も、尻の位置が聖地に向かないよう設計するとか。風水みたい。
このように、最初から最後まで「イラン・イスラムすべらない話」が詰まった爆笑必至の一冊。でも、読み終えるとイランの文化や愛すべきイラン人気質が、ぐっと伝わってくる。
「イスラムって怖いんでしょ?」と漠然と不安に思っている方は、一読してみてはいかがでしょうか。
(続く→こちら)
著者はイラン生まれでテヘラン育ち。
10歳で来日し北海道で日本になじみ、長じてからはなんと「デスペラート」という、吉本興業所属のお笑い芸人となった異色の経歴を持つ。
核開発や「ならずもの国家」といった偏ったマイナスイメージのついた母国について悲しみ、本当は「日本が大好き」で「面白すぎる」イランとイスラムを知ってほしいという著者の願いから書かれた本だ。
というと、文化論や宗教の話など、なんだか堅苦しい内容かと思いきや、そこは本職が芸人さんのこと、読んでみるとこれがメチャクチャに笑えるのである。
著者の言うように、我々日本人はイランとかイスラムと聞くと、どうしても
「宗教でがんじがらめ」
「悪い出稼ぎ労働者」
果ては欧米列強のプロパガンダにのせられて「アルカイダの一味」なんて的外れな誤解を抱きがちだが(スンニ派の多いアルカイダとシーア派のイランは仲が悪い)、それがあまりにかたよったものであることを、この本は教えてくれるのだ。
たとえばイスラムと言えばよく出てくるのが、あの日に5回(シーア派のイランでは3回)のお祈りタイム。
宗教になじみのない我々には、あの同じ時間に一斉に祈る姿というのは、どこか「狂信的」なイメージを与えるが(また伝える側も、そう取れるように絵を流しがち)、これが実際には、かなり人によって温度差があるそうな。
仮病を使ってサボる者、「心の中でお祈りした」と、とんちで逃げるもの、さらには電話をかけながら祈る者など、しまいには
「地面アレルギーだからお祈りできない」
とか、無茶ないいわけをかましたりする。
また、イスラムと言えばアラーである。
我々のイメージでは唯一絶対の存在であり、みだりに名前を出したりしてはいけないのではないかと考えてしまうが(親戚のユダヤ教ではそう)、イランにかぎらずイスラム国では逆で、なんでも
「アラーのおぼしめし」
で、すましてしまうそうな。
遅刻した→「遅れたのは、アラーのおぼしめしッス」
どんなおぼしめしだよ! 待たされた方はブン殴りたくなるが、本当にそれですましてしまうのだから、時間にうるさい日本人はお口あんぐりである。
それどころか、約束を破ってもアラーのおぼしめし、召使いが主人の宝石を盗んでもアラーのおぼしめし、しまいにはケンカした者同士が、
「これはアラーのご意志だ」
「じゃあ、オレはアラーのご意志でおまえをなぐる」
「じゃあ、オレはアラーのご意志でおまえをなぐりかえす」
こうなると、アラーってなんなのか、よくわからなくなってくる。えらい神様と言うより、どんな場面でも使える便利なアイテムあつかいである。
またイスラムの聖地と言えば、サウジアラビアのメッカやメディナ、エルサレムにイラクのナジャフなどが有名だが、これをエマミさんは
「日本の北枕ならぬ《メッカ枕》は縁起がよい」
メッカ枕! これまたすごい発想であるが、そういわれるとやはり日本人としては、
「なるほど、メッカの方角って、大事なんや」
と伝わってくる。メッカに足を向けて寝るとよくないというのも、こっちと同じだ。ホンマかいな。
エマミさんの友だちは、子供のころふざけてお尻を出して遊んでいたら、
「メッカのある方角にケツを出すな!」
と怒られたそうである。
「メッカにケツ出すな」。いいフレーズだなあ。トイレの便座も、尻の位置が聖地に向かないよう設計するとか。風水みたい。
このように、最初から最後まで「イラン・イスラムすべらない話」が詰まった爆笑必至の一冊。でも、読み終えるとイランの文化や愛すべきイラン人気質が、ぐっと伝わってくる。
「イスラムって怖いんでしょ?」と漠然と不安に思っている方は、一読してみてはいかがでしょうか。
(続く→こちら)