ノバク・ジョコビッチもまた男である! と独眼鉄先輩は言った

2016年03月25日 | テニス
 ノバク・ジョコビッチは男である。

 「男とはなんぞや……!?」と問うたのは男塾三号生の独眼鉄先輩だ。

 この答えには「男は度胸」「男は甲斐性」「いやいや、しょせんは顔か金でしょ」などなど諸説あるが、私はここに断言したい。

 「ノバク・ジョコビッチこそが、真の男である」と。

 と大上段に振りかぶると、世のテニスファンからは、

 「いやいや、そりゃそうでしょ。なんたって現テニス界の不動のナンバーワン。今年のオーストラリアン・オープンでも錦織にフェデラー、マレーといったトップ選手を寄せつけずに3連覇。強すぎるよ。こんなん、だれが見たって、男の中の男じゃん!」

 などと笑われてしまうかもしれないが、それはちょっと違うのである。

 もちろん、今のノバク・ジョコビッチは強い。無敵のチャンピオンだ。

 その存在感は、もはや師匠であるボリス・ベッカーをもしのぐ勢いで、もしかしたら「生ける伝説」「史上最強」といわれたロジャー・フェデラーにも迫るのではないかとすら感じさせる。

 だが、私がノバクを「男だ」と言い切るのは、彼が強くて常勝だからではない。

 いや、むしろ逆だ。私が彼を高く評価するのは、負けたときのこと。そう、健闘むなしく敗れ去ったときに取ることのできた態度。

 そここそが「男の中の男や!」と感嘆せしめたところなのである。

 他を寄せつけぬ勢いでツアーを席巻するジョコビッチだが、彼に唯一欠けているタイトルというのが存在する。

 そう、フレンチ・オープンのトロフィーだ。

 テニスでは全豪、全仏、ウィンブルドン、全米の、4大大会すべてに勝つことを「グランドスラム」と呼ぶが、ノバクは他のタイトルはすべて複数回取っているにもかかわらず、ローラン・ギャロスのみが準優勝3回。いまだ優勝することができていない。

 グランドスラム達成にフレンチで苦戦するというのはテニス界の「あるある」であり、ジミー・コナーズをはじめ、ステファン・エドバーグやボリス・ベッカー、ピート・サンプラスなど、幾多のチャンピオンがこのタイトルだけ取れず涙を呑んできた。

 ノバクもまたご多分に漏れず、クレーを苦手としているわけでもないのに、なかなかカップを掲げることができない。

 特に、昨年度の大会はクレーシーズン負けなしの絶好調で、準々決勝では過去10年で9回の優勝を誇る(今さらながら無茶苦茶やな……)「クレーキング」ことラファエル・ナダルに完勝し、決勝の相手は相性の良いスタン・ワウリンカで、しかも第1セットを先取しながらも、そこから逆転負けを食らっての、グランドスラム達成ならず。

 まさか私も、あそこで負けるとは思わず、マッチポイントが決まったあと、しばらく呆然とすわりこんでしまったくらいだ。それくらいに、まさかまさかの結果だった。

 で、話はここからだ。普通に考えたら、このタイトルに狙いを定めて、調整も万全で、絶好調のまま無敗で決勝まで行き、最後の最後に敗北。

 1年間の努力が水泡に帰したのだ。この脱力感といったらないだろう。

 2009年のウィンブルドン決勝で、テニスキャリアのすべてをかけて戦い敗れたアンディ・ロディックや、1997年USオープン準決勝で、ほぼ優勝確実と思われながらも足元をすくわれたマイケル・チャンなど、ビッグマッチで敗れて、その落胆から下降線をたどってしまう選手というのは多いものだ。

 われらが錦織圭も、おそらくは「ねらっていた」はずの2015年USオープンでマッチポイントから、まさかの1コケを食らったときは、その後明らかに、シーズン前半の勢いを失っていた。

 かくも、大一番を敗れたところから立て直すのは、百戦錬磨のトップ選手ですら困難を極めるのだ。

 そこに、まさかのフレンチ敗退である。この敗北に打ちのめされたノバクも、もしかしたらおかしくなってしまうのかと感じた方も多いのではないか。

 ところが彼はそうではなかった。本来なら落胆のあまり、一歩も外にだって出たくないような心境だったと推測されるが、彼は試合後のインタビューや取材にもきちんと応対していた。

 そこでノバクはこう言ったというのだ。



 (続く→こちら



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