雨宮処凛『悪の枢軸を訪ねて』を読む。
ミュージシャンであり作家としても活動する著者が、アメリカのブッシュ元大統領により「悪の枢軸」と命名された、北朝鮮とイラクを訪れるという内容。
企画のトガリ方もさもさることながら、著者も反米愛国パンクバンド「維新赤誠塾」のボーカリストをつとめるなどといった活動から「ゴスロリ右翼」の異名を持つとなれば、中身はは相当に過激なものとなっているのではないか。
なんて少々腰が引けながら読んでみたのだが、一見「イロモノ」な印象を持たれそうな著者紹介からは意外(?)とも思える、きちんとした読み物であった。
視点も冷静で文章も読みやすく、学術的興味の観点からはやや軽いかもしれないが、なかなか実態の伝わりにくい国のことを知るにはいい本である。
かなりシリアスな提言などもされている、経済制裁下のイラク編もさることながら、やはりネタ的に充実しているのは北朝鮮の旅行記。
監視役のガイドさんなしではどこもいけないことや、やたらと観光させられること。
また、どこへいっても朝から晩まで金親子礼賛とチュチェ思想の宣伝されるというプロパガンダ責めにあって、頭がヘロヘロになるという話は他の本や報道でもよく聞くが、なるほど実際に行ってみると聞きしにまさる偏りっぷりのようである。
世界で孤立して国体維持に汲々としている国というのは、その必死さと、閉鎖性による視野狭窄、さらには劣等感とその裏返しの優越感が混ざり合って、ついつい
「おもしろ国家」
になってしまいがちだが、こういう国というのは、まず言語センスが独特である。
旧共産圏の国が、どの通りも広場も
「カール・マルクス広場」
「エンゲルス公園」
という名前にしてしまったように、北朝鮮のネーミングセンスもふるっている。
歩道橋や橋などには、
「自力更生」
「強生大国」
「自爆精神」
「全人民総武装化」
「全国要塞化」
などといったプロパガンダワードが、これでもかと掲げられている。
さらに地下鉄の駅名がまたふるっていて、
「勝利」
「栄光」
「復興」
「楽園」
「戦友」
「革新」
「戦勝」
などなど、まー勇ましいったらありゃしない。とりあえず、こんな暑苦しい沿線には住みたくないと思いますわな。
大時代的というか、はっきりいってほとんどギャグだが、もちろんのこと我々にこれを笑う資格などありはしない。
そう、うちらの大先輩も、同じようなことやってましたから
「鬼畜米英」
「一億火の玉」
とかとか。
というか、よく
「《北朝鮮》という存在の元ネタは《大日本帝国》」
といわれるけど、そのことが、よくわかるセンスとボキャブラリーです、ハイ。
まあ、いくら嫌いといっても歴史的経緯を考えたら、そりゃ影響は受けるだろうし、それがなくとも全体主義国家のセンスって、だいたい似たようなノリになりがちではある。
うーむ、こうして反対側から見るとよくわかるが、自意識はともかくとして、昔の我が国も神の国とか自称してたけど、世界的には「おもしろ国家」あつかいだったのか。
「大東亜共栄圏」とか「八紘一宇」とか「神風」とか、よそさんから見たら、
「おまえ、マジか? www」
てなもんだったんだろうなあ。
陰でイジられてたんだろうなあ。ちぇ、勝手に言ってろよ。こっちはそれこそ今の北と同じく、大マジメで本気も本気だったんだよ!
嗚呼、敗戦国はつらいでヤンス。人のことは笑うもんじゃない。
というわけで、ここだけでも充分におもしろいのだが、さらに深みを感じたのは北朝鮮のお笑い事情。
外国といえば、本や映画などで文化を知ることはできるが、「笑い」の観点から見ることによってわかってくる国民性というのもある。
果たして北朝鮮のお笑いとはどういうものか。
次回(→こちら)に続きます。