「ポカを特集するんやったら、今度は絶妙手も語らなあかんやろ」。
新年会の席で、みそ田楽をほおばりながら、そんなことを言いだしたのは将棋ファンの友人エビエ君であった。
彼はこないだここで書いた
「プロの指した大ポカ」
の数々(→こちらから)を読んでくれたそうだが、悪手を取り上げるなら、次は好手も紹介しないとファンとして、プロ棋士に悪いのではないかというわけだ。
コメントでも、
「将棋の名手シリーズ楽しみにしてたんですけれど、やめたんですか」
なんて訊かれてしまった。
うーむ、もちろんそれはやりたいんだけど、いざとなるとけっこう問題がありまして、なかなかに難しいところがあるのだ。
論より証拠と、ここにいくつか将棋史上に残る絶妙手を紹介し、私が逡巡する理由をわかっていただこう。
以下、コアな将棋ファンには、おなじみのものばかりですが、最近興味を持たれたという方は、ひとつ次の一手問題形式で、考えてみてください。
★1971年に開催された、第30期名人戦の第3局。
将棋界のスーパーレジェンド升田幸三と大山康晴の対決といえば
「サッカクイケナイヨクミルヨロシ」
の高野山の決戦をはじめ、とにかく逸話が尽きない。
このシリーズは両者の最後の名人戦となったが、なんとここで升田は7局中、5局を「升田式石田流」で戦いファンをわかせた。
局面は後手の升田が、△26歩とたたいて、先手の大山が▲同飛と応じたところ。
少し前に放たれた、▲79角が妙防で、一見後手に手がないように見える。
銀取りなうえに、後手の飛車と角がまだ封じられて、大山得意の押さえこみが炸裂しているように見えるのだ。
ところがここで、升田にものすごい切り返しがあった。
将棋史上最高と、だれもが認めるその1手とは……。
△35銀と引くのが「天来の妙手」と呼ばれる一手。
ただ銀を捨てただけのようだが、これが先手の包囲網を突破する、見事なカウンターショットなのだ。
▲同角と引きつけておいて、△34金と出るのが会心のさばき。
角取りだからと▲同金と取ると、△35角と取って、▲同金に△59角と打つのが、王手飛車で「オワ」。
大山は▲57角と辛抱するが(これもなかなか指せない手だ)、△24金と取って飛車先が開通。
見事、完封されそうだった2枚の大駒を躍動させることに、成功したのだった。
☆続いては、大山康晴十五世名人。
1972年に開催された、第31期名人戦の2局目。
挑戦者の「若き太陽」こと中原誠が開幕局を制し、この第2局も攻勢を取り終盤をむかえる。
▲73飛と打ったこの局面、先手の中原は勝利を確信していた。
2枚の桂が、すばらしい連携で後手の上部を押さえており、角の質駒に▲33のと金の威力もすさまじく、玉をどこに逃げても、簡単に寄りそうだからだ。
ところがここで大山は、将棋の常識に反するすごい手で、この大ピンチをしのいでしまう。
△81玉とあぶない方に落ちるのが、「受けの大山」が見せた、盤上この一手の最強手。
「玉は下段に落とせ」の格言の逆を行く、まさかの自ら下段玉。
△62玉は▲74桂、△82玉は▲94桂で負けとはいえ、まさか▲83飛成をゆるして勝てるとは、だれも思うまい。
▲83飛成には、△82歩と合駒。
以下、▲73桂不成に△71玉、▲61桂成、△同銀、▲53竜、△61銀打で、なんと、どうやっても先手の攻めは届かない。
中原はこれが寄らないことが、どうしても受け入れられず、その精神的ダメージにより、シリーズの主導権を大山に奪われてしまう。
★続いては、大山に次ぐ、将棋界の王者中原誠の、有名すぎる1手を。
1979年の第37期名人戦。
中原誠名人と米長邦雄八段という、大山升田時代の次をになう、ライバル対決。
米長の2勝1敗リードでむかえた第4局。
相矢倉から、中盤に先手が駒損してしまい、後手の米長がうまく指しているように見えた。
後手玉にまだ詰みはなく、先手は△48飛成と、銀を取る筋で寄せられる。
▲67金と取っても、やはり△48飛成で先手負け。
絶体絶命の中原だが、ここで信じられない1手を放ち、形勢を逆転させる。
▲57銀とあがるのが、「升田の△35銀」と並ぶ、オールタイムベスト巻頭候補のスーパー絶妙手。
こうかわすことによって、銀取りと△48飛成を同時に防いでいる。
後手は△同馬と取ると、先手玉への詰めろが消えてしまい負け。
しかし、それ以外の筋(たとえば△78金など)で攻めると、今度は駒を渡すから、自分の玉が詰まされてしまう。
まさに、一撃必殺のしのぎなのだ。
ねばるつもりなら、まだ手はあったようだが、米長はこの歴史的絶妙手に敬意を払ったかのよう、素直に△57同馬と取る。
以下、▲54角と王手して、△31玉、▲33桂成、△同銀、▲62金と必至をかけ、△48飛成に▲58桂と受けて先手勝勢。
ここで▲57銀の、絶大な効果がわかる。
同じように進めて、馬の位置が△67のままなら、△77馬から詰みなのだ。
これに敗れた米長は、2勝4敗のスコアで名人の夢を絶たれる。
米長が悲願の名人位に就くのは、1993年のこと。
このたった1手が、なんと14年という長き歳月と、振り替わってしまったのだ。
☆トリを飾るのが、米長邦雄の実に「人間らしい」1手。
米長と中原は、少年時代から未来の名人候補と呼ばれ、自他ともに認めるライバル関係だった。
だが、米長は当初、なかなか中原に勝てず、タイトル戦では初顔合わせからシリーズ7連敗を喫していた。
これ以上負けられない米長は、1979年第20期王位戦でも、中原王位への挑戦者として名乗りを上げる。
だが、3勝3敗でむかえた最終局、中原の機敏な動きに翻弄され、形勢は必敗に。
懸命にねばる米長だが、中原は確実なと金攻めでにじりより、最後はスパッと決めに出る。
△48竜と銀を取ったのが、カッコイイ手。
▲同角に△58と、と引けば△79銀からの詰めろなうえに、角取りでもあって、後手が勝ち。
進退窮まったに見えた米長だが、ここで渾身の勝負手をくり出し逆転の望みをかける。
その根性の一手とは?
▲67金寄が「泥沼流」米長邦雄の、本領発揮の一手。
取れる竜を無視して、玉の逃げ道を開ける。
絶望的な手のようだが、これが意外にしぶといのだ。
投了もあり得る局面での、まさかのねばりに、中原は1時間を超える大長考に沈む。
そうして指された△99銀が敗着で、△79銀なら、後手勝ちだった。
△99銀以下、▲77玉、△78竜、▲同玉、△76歩、▲61飛、△41桂に▲68金で先手玉は逃れている。
△58銀に▲76馬と払って、ついに受け切り。
こうして勝ちはしたが、▲67金寄という手の意味はむずかしい。厳密には好手かどうかも、わからない。
だが、問題はそこではない。この手を見た中原は、
「わけがわからなくなかった」
述懐したが、そう、この手は正しい手というよりも、
「相手を間違えさせる」
という、魔力を持った一着だったのだ。
将棋は最後に悪手を指した方が、負けるゲーム。
米長のこの▲67金寄は、そのことを知りつくした、理屈を超えた、まさに
「人間が人間に指す」
という、異形の絶妙手といえるのだ。
……以上、どうであろうか。どれも将棋界に燦然と輝く、すばらしい手ばかりだ。
え? なんか難しくてよくわかんない?
その通り。そこに、将棋の妙手を紹介する、問題点があるのだ。
なんといっても、難解で解説するのが大変。
だって、書いている私すら、正直よくわかってないところも多々なのだから(苦笑)。
一応、私も長年将棋を見てるし、指せばアマ二段くらいになったこともあるし、解説書も参照してるから、手順くらいは語ることもできる。
けど、やはりその程度の棋力だと、ピンとこないところもあるのだ。
なにかこう、高度な数学の問題の解答を見たときのような、
「理屈として、もしくは知識としてはわかる」
けど、心の底から理解できているのか、と言われると、ちょっとあやしいような……。
その点、ポカはトン死や駒のタダ取られなど、それこそ素人が見ても一発で「あちゃー」と共感してもらえるものが多く、ネタとしてあつかいやすいのだ。
とはいえ、エビエ君の言うことももっともで、人の失敗だけをあげつらうのは、私としても、気が引けるところもなくはない。
そこで次回からは、棋士リスペクトということで、できるだけわかりやすく、かつ見た目にもインパクトのある絶妙手を選んで、いくつか紹介してみたいと思う。
最初に登場するのは、ポカ編と同じく、あのスーパースターからにしよう。
(続く→こちら)