将棋の妙手というのは美しい。
そこで前回(→こちら)は谷川浩司九段の「光速の寄せ」を紹介したが「谷川の妙手」を思い出してたら、あれもこれも語りたくなって、キリがなくなってしまった。
本来は次、森内俊之九段の将棋を取り上げる予定だったが、ちょっと予定を変更して、もう何回か谷川浩司の「光速の寄せ」を行ってみたい。
詰将棋作家としても有名な浦野真彦八段は、切れ味鋭く、さわやかな勝ち方を披露する阿久津主税八段の将棋を、
「阿久津カンタービレ」
と称賛したが、そのノリでいけばさしずめ谷川浩司は
「絶妙手のマエストロ」
といったところか。
谷川がそのタクトを一振りすれば、あれや不思議な、盤上には次々と妙手の雨が降る。
まさに「魔法のバトン」の使い手である十七世名人の、ステキな世界を一気に放出。
ふたつ、続けてどうぞ。
図は1992年、第5期竜王戦の第1局。
谷川三冠(竜王・棋聖・王将)と対するのは羽生善治二冠(王座・棋王)。
難解な中盤戦だが、ここで谷川にすごい手が出る。
局面を見ると、当然「あの地点」に目が行くが……。
△57桂と打つのが、だれも思いつかないすごい手。
歩が成れるところに桂を打つなど、私がやったら大爆笑だが、この「王手は追う手」の筋悪が、実は深い読みの入った妙手なのだ。
以下、▲79玉に△76歩と突いて、▲同銀、△同飛。
先手も▲54銀と取って、△同玉に一回▲55歩とたたく。
△同銀に、▲24飛と切って、△同歩、▲65角の王手飛車。
△64玉に、▲76角と飛車を取って、効果がわかるのはこの場面。
先手玉に詰みがあるが、これが羽生をはじめ、検討している棋士も、だれひとり気づかなかった一着だ。
△68銀が詰将棋のような、あざやかな決め手。
▲同玉には△69飛で簡単。
▲同金だと△59飛と打って、歩で合駒できないから(▲63の歩を取らない指し方が見事!)▲69銀と高い合駒を使うしかなく、△同桂成と取られて捕まる。
ここで△57桂が利いてくることを、すでに読んでいたのが、おそろしい。
本譜の▲89玉にも、△88歩からきれいに詰んでいる。
続けて、同じく第5期竜王戦の第6局。
先手の羽生が▲45歩と打った局面。
こんなもん、だれが見ても取るか逃げるしかなく、実際、羽生二冠もその後のことを考えていたらしい。
だが、「前進流」谷川浩司に、そんな常識など通じないのだ。
△69馬と飛びこむのが、信じられない踏みこみ。
当然の▲44歩に、△58銀(!)、▲同飛、△同馬、▲43歩成に、△67馬(!)。
なんだか、やけくそで暴れまわっているだけに見えるが、もちろん、そんなことはない。
なんとこの後手玉、もう一枚銀を渡したうえで、金銀三枚取られながら▲32と、とされても詰みがないのだ!
この将棋を振り返って羽生さんは、
「あの玉が、詰まないなんて思わないでしょう?」
苦笑しておられたが、たしかに笑うしかないだろう。ありえへんですわな。
羽生は▲79金打と必死のがんばりを見せるが、△77飛成が、またカッコイイ手。
▲同桂に△88飛と打ちこみ、▲同金上、△同歩成、▲同玉に、△87金と打って詰み。
羽生もまさか、▲45歩の局面から、秒殺されるとは思わなかったろう。
こういう
「気づいたら、持って行かれていた」
というのが、谷川「光速の寄せ」のおそろしいところなのだ。
(続く→こちら)