『将棋バカ一代 激闘! 大山ヤスハル伝』 大山康晴十五世名人の真実がここに(?) その2

2019年01月04日 | 将棋・雑談
 前回(→こちら)に続いて、『将棋バカ一代 激闘! 大山ヤスハル伝』を読む。
 
 自らの腕を磨くため渡米し、
 
 「将棋あばれ牛
 
 という異種格闘技マッチを戦う若きころの大山の脳裏に浮かぶのは、苦しかった戦後の記憶だ。
 
 
 
 
 
 難解な局面で、盤におおいかぶさって長考に沈む大山
 
 
 
 
 「ことわっておくが、あくまでも事実を忠実につたえるたてまえから誇張はない」
 
 
 そう言い切る梶原によると、特攻隊で死ねなかった大山はその後ヤクザ用心棒としてすさんだ生活を送っていた。
 
 ナイフで武装し、おそいかかってくるチンピラを相手にたったひとり立ち向かい、矢倉相掛かりを駆使し蹴散らしていたというのだ(そのころの大山はまだ居飛車党だった)。
 
 
 「1体10までの多面指しなら、絶対の自信があった……」
 
 
 当時を回想し、大山はこう述べているが、その無謀な戦い方は、まるで自らの死に場所を求めているようでもあった。
 
 そんな大山に転機が訪れたのが、ある書物との出会いだった。
 
 ふとしたきっかけで、吉川英治の書いた名著『SLAM DUNK』を手に取り開眼。そのまま、寝食を忘れ没頭する。
 
 中でも登場人物の一人である住友選手に自らを重ね合わせることから、自分本来の生きざまを取り戻していく。
 
 
 「あきらめるな、大山。形作りをはじめたら、そこで投了だぞ」
 
 
 死星が見えるほどの極限の戦いの中、大山はそう自分を奮い立たせる。
 
 
 
 
 
 
 山ごもり中の大山の姿。名人になるにはここまでの努力をしなければならないのだ。
 
 
 
 だがさしもの大山も、『SLAM DUNK』のみで、簡単に迷いがほどけたわけではない。
 
 その後、武者修行として山ごもりをし、自給自足の生活をしながら将棋に打ちこむも、人恋しさに苦しめられる。
 
 なべても、健康的な男子の御多分にもれず、若い女の色香に惑わされることに煩悶したが、ここで大山は重大な決意をする。
 
 そう、それが有名なあの丸眼鏡につながる。
 
 このふたつは、今では大山のトレードマークとしてあつかわれているが、元は山ごもりを続けるための苦肉の策だった。
 
 大山青年はをそり上げ禿頭を披露すると、あの牛乳瓶の底のような分厚いレンズの黒眼鏡をかける。
 
 それもこれも、人への未練を断ち、修行に没頭するためだ。
 
 
 「なんと丸眼鏡をかけた姿のキャラの立ち方よ。まるで、バトルロイヤル風間氏による4コマ漫画ではないか!」
 
 
 今の「大山名人」を思わせる、つるりとした頭と眼鏡の姿を鏡がわりのに映し、
 
 
 「これでは人里におりても、林葉直子さんにエッセイで《カワイイ!》と書かれてしまう。バカの顔だ。おこがましくも籠聖に対抗しようとする、将棋バカの顔だ」
 
 
 そう高笑う大山の姿は、物語前半のハイライトシーンだ。
 
 
 
 
 
 
 あえて「かわいい眼鏡」をかけることによって、下界とのつながりを断った大山。おそるべきストイックさだ。
 
 
 
 「あのときのことを思えば、牛の攻めなど児戯も同然。希望を捨てずに戦えば、かならずやそこに勝機あり!」
 
 闘志を振り絞る大山は、とうとう牛の角をがっちりとつかみ、押さえこみに成功。
 
 最後は得意の丁寧な受けで牛の攻撃を完封することに成功し、指し切りにみちびいたのだ。
 
 ついに牛は倒れた。将棋が猛獣に勝ったのだ!
 
 そのあざやかなしのぎに、シカゴの観客は感嘆。
 
 
 「ミラクルだ!」
 
 「ゴッド・ハンド!」
 
 
 これまでの罵声を忘れたかのように、賞賛の言葉を惜しまないのであった。それほどまでに、劇的な戦いであった。
 
 地獄から一転よみがえった男は、ライバルだった牛の屍をじっと見下ろす。
 
 そして今度は天をあおぎながら「紙一重の勝負だった……」と振り返り、
 
 
 「もうダメかとも思ったが、助からないと思っても助かっていることもあるのだな」
 
 
 そうつぶやいた。
 
 のちに大山が色紙や扇子などに揮毫するこの言葉は、この「コミスキー・パークの決戦」での体験が元になっている。
 
 これこそが、「神の手」ヤス・オーヤマ伝説のはじまりなのである。
 
 
 (続く……わけないな)
 
 
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