前回(→こちら)の続き。
1988年のC級1組順位戦。
羽生善治五段は、泉正樹五段のするどい攻めを食らって、ピンチに立たされる。
泉が▲24角と飛び出したところで、次に▲33角成とされると、頭金の詰みに受けがない。
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なにか逆転につながる妙手をひねり出したいところだが、羽生がここで指したのが、控室で検討する棋士たちの期待を裏切る、なんとも平凡なものであった。
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△28飛と打ったのがが、満場一致で、
「これだけはやってはいけない」
と結論づけられていた手。
今なら藤森哲也五段あたりが、
「これは、なに《ろ》ですか?」
目をクリクリさせそうではないか。
先手は当然、▲33角成。
これで後手に、どう見たって受けがない。
羽生は△79銀と捨てて、▲同玉に△67桂とせまる。
▲88玉(▲67同金は△78銀)、△79銀に▲97玉と逃げ、これがよくある「王手なし」の形で、ほぼ「ゼ」とか「ゼット」といわれる形に近い。
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終了かと思われたが手はあるもので、△64角とのぞいて、これまでまったく活躍できなかった角で、王手する筋があった。
これには▲86歩や▲86銀打とすると、かなり危ないという油断ならぬ手だが、▲75金が正確な応手で、トン死筋はない。
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奨励会時代から、「西の谷川 東の泉」と呼ばれたほど期待の高かった泉正樹が、このような手を逃すはずがなく、後手の攻めは頓挫した。
あとはもう、投げるしかない。
……と思われたところ、河口俊彦八段の『対局日誌』によると、控室の棋士の中から、こんな声が出たそうだ。
「△32歩で、受かるのかな」
言ったのは、土佐浩司か中村修かだったらしいが(いかにもこういう手を思いつきそうな2人だ)、なんと受けがないと思われた後手玉が、この一手でまったく寄りがなくなっている。
皆が呆然としていると、羽生は駒台から歩を取り上げ、△32の地点に置いた。
この局面を見てほしい。
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そう、羽生の△28飛は、勝ち目のない凡手なんかではなかった。
先手玉を攻めながら飛車をタテに利かし、さらには手順に△64角と出ることによって、そのラインも守りに生かして受けるという絶妙手だったのだ。
この歩打ちで、必至と思われた後手玉に、まったく攻め手がない。
たとえば、▲42銀は△同飛で取るのが好手で、以下▲同と、△同角で攻めは切れている。
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馬がいなくなると、後手には2筋3筋に大回廊が開けていて、上が抜けている。
後手の王様は単騎だが、△82と△28の飛車、そして△64の角が、あたかも迎撃ミサイルを積んだ衛星兵器のように、はるか上空から絶妙の利きで後手玉を防衛しているのだ。
大駒3枚の配置が、すばらしすぎる。
なんというあざやかで、かつ芸術的な駒さばきなのか!
もちろん、これはその場で思いついた、いわゆる「いい手が落ちていた」という幸運ではない。
おそらくは、中盤に猛攻を受けているときからイメージして、この形に誘導しているのだ。
そして仕上げの歩でQ.E.D 証明終了。
その読みの力と、ギリギリでしのげると判断した、構想力がおそろしいではないか。
以下、▲64金と取るが、△33歩と馬をはずされて先手に勝ちはない。
その後数手指して、泉は投げた。
負けたこともさることながら、必勝の手順のはずが、すべて「シナリオ通り」だったこともショックだったろう。
それにしても、△32歩の局面は、何度見てもほれぼれする。
大駒3枚の機能美、そこに若かりしころの羽生の精密な読みの深さがくわえられ、すべての攻めが完璧に受かっている。
まさにピタゴラスの定理のごとき、シンプルかつ、パーフェクトな美しさを感じられるではないか。
(谷川浩司編に続く→こちら)