羽生善治九段が、タイトル100期を取れるかは、ここ数年の将棋界を盛り上げてくれる話題であろう。
前回は先崎学九段による、あざやかな妙手を紹介したが(→こちら)、今回は羽生善治九段の若手時代について。
タイトル100勝というのも、また気の遠くなるような記録だが、考えてみれば私は「羽生四段」のころからの将棋ファンだから、一応そのすべてを見てきたわけで、ずいぶん遠くへ来たものだと、ちょっとノスタルジックな気分になったりしている。
歴のそこそこある将棋ファンならご存じの通り、羽生が初めてタイトルを取ったのが19歳2か月でのこと。
これは後にすぐ屋敷伸之九段が、18歳6か月で棋聖を獲得し更新されるまでの最年少記録であり、今振り返ってもすごいものだが、そのときの素直な感想はといえば、
「意外と時間かかったもんやなあ」
ふつうに考えれば、10代でタイトルを取って「時間がかかった」もないもんだが、羽生善治は、そのデビュー時から破格の存在としてあつかわれていた。
「名人候補」というプロの見立てもさることながら、デビュー1年目から40勝14敗、0,741で勝率1位をマーク。新人王戦では、ライバル森内俊之を破って優勝。
NHK杯では大山康晴、加藤一二三、谷川浩司、中原誠と名人経験者をぶっこ抜いての栄冠(伝説の▲52銀もここで出た)で、優勝したこともさることながら、
「こういうドローを引き当てるスター性」
でも大いに話題になった。
一時はやった言い回しなら「持っている」といったところであろうか。
少し前に藤井聡太七段が達成し賞賛された、対局数、勝利数、勝率、連勝の「記録4部門独占」を打ち立てたのもこのころである。
ちなみに、羽生はこの4部門独占を4回達成している。
藤井七段にはぜひ、これを超えることを目標にがんばってほしい。もちろん、他の若手棋士たちも遠慮せず。
私は羽生ファンだけど
「記録なんて、どんどんぬりかえていったらええやん」
というタイプなので。
ではここで、若手時代の羽生の将棋を紹介してみよう。
1986年の早指し選手権。相手は谷川浩司棋王。
相矢倉の中盤戦。
▲65の銀が助からないうえに、▲46銀と▲37桂も前進できる形がなく、一見先手の攻めが頓挫しているように見える。
だが、羽生はここから華麗な手順で、攻めをつなげてしまう。
その第一弾の強手とは……。
▲54銀と捨ててしまうのが、矢倉戦らしい激しい突撃。
△同金の一手に、▲55歩と突き出す。
逃げるなら△45金しかないが、ここで桂でなく▲同銀と、こちらから取るのが筋のいい攻め。
△同歩、▲同桂で一丁あがりの図。
足の止まっていた2枚の銀と桂馬が、見事にさばけてしまった。
その後も、ゆるまぬ攻めでタイトルホルダーに快勝。
新人がトップ棋士をこんな将棋で破っては、そりゃ耳目を集めるはずである。
これがまだ16歳なんだから、19歳でのタイトル獲得を「ちょっと遅い」と感じても、さほど不自然でなかったことが、おわかりいただけるだろう。
そして、これは今でもそうだが、羽生のすごいところは単に盤上での手だけでなく、そこにあらわれなかった水面下の読み筋でも周囲を圧倒し続けたこと。
それによって
「強い!」
「勝てないかも……」
相手の自信をゆるがし消耗させる、絶対的信頼感のおそるべき「羽生ブランド」を着々と築きつつあったことなのだ。
(続く→こちら)