将棋 豊島将之「三冠王」の価値 渡辺明vs佐藤康光 2007年 第20期竜王戦

2019年05月22日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)に続いて、佐藤康光渡辺明の死闘を。

 


 「三冠王になるチャンスを生かせなかったが残念でした」


 

 『長考力 1000手先を読む技術』という本の中で、そんな内容のことを書いておられたのは、佐藤康光九段であった。
 
 将棋の世界で一流以上の「超一流」といわれる棋士の基準のひとつに、先日、豊島将之名人王位棋聖の達成した、

 

 「タイトル三冠を同時に獲得」

 

 というのがあると思うが(それにしても、一冠取ったらあっという間でしたね)、2006年度の佐藤康光棋聖は、

 

 「タイトル戦5連続挑戦

 

 という大記録を達成し、大きなチャンスをむかえるも、獲得が棋王一冠のみにとどまり、目標達成はおあずけとなった。

 それには天敵である羽生善治の存在と、竜王戦で食らった渡辺明鬼手が痛かったが、不屈の佐藤康光は次年度でも、ふたたび三冠獲得を目指して走り出す。

 まず「本丸」の棋聖戦では、因縁となった渡辺明の挑戦を退けて防衛に成功。

 返す刀で、またも予選を勝ち上がり、竜王戦の舞台に登場。

 渡辺明竜王への、リベンジマッチに挑むこととなったのだ。

 ただ、2連勝スタートだった前期と違って、今度は1勝3敗と苦しい星勘定に。

 それでも三冠王に燃える佐藤は、カド番をひとつしのいで、反撃ののろしを上げる。

 そうしてむかえた第6局は、はやくも2手目から波紋を呼ぶ。

 先手渡辺の▲76歩に、△32金(!)と秘策を見せたのだ。

 

 

 この2手目△32金自体は、昔からある形ではあって、浦野真彦八段が若手時代の羽生善治九段に指したことがある。

 かくいう佐藤康光九段も、第1期竜王戦の6組予選決勝という大勝負で、先崎学九段にこれをやられ、しかも完敗を喫した。

 

 

1998年の、第1期竜王戦6組決勝。佐藤康光四段と先崎学四段の将棋。
「佐藤君って、振り飛車できないんでしょ?」。2手目△32金の挑発に胸ぐらをつかみかえして熱戦に。
佐藤が優位に進めているように見えたが、先崎の△56歩の突き出しが好手で、そのまま勝利。
当時の先崎曰く、「今までで、もっとも悔しい敗戦が、C級2組順位戦の森内戦なら、一番うれしい勝利は、佐藤君に勝ったこの将棋」

 

 

 意味としては、この金上りは、相居飛車になるなら損はほとんどない。

 だが、振り飛車に対してはオーソドックスな急戦や、居飛車穴熊へのスムーズな移行などを消してしまい、展開によっては疑問手になる可能性がある。

 いわば、居飛車党の棋士に

 

 「飛車を振ってみろ!」

 

 そう挑発する手で、相手をカッカさせるだけでなく、場合によっては不慣れな戦型で戦うことを余儀なくさせる、心理戦術でもあるのだ。

 さらにいえば、この手にはもうひとつ因縁があった。

 前期の竜王戦も、このカードで戦われたのだが、2勝3敗と追いこまれた佐藤康光は、なんと第6局7局で、この2手目△32金を連投させたのだ。

 これには渡辺のみならず、棋士やファンも皆おどろかされたはずで、私なども

 

 ケンカを売っているのか?」

 「いや、緻密な研究の成果かも」

 「もしかしたら、ヤケのヤンパチだったりして」

 

 などなど、1日目の午前中から、楽しませてもらったもの。

 これに対して、渡辺も「乗った!」とばかり振り飛車穴熊にするが、リードして「浮ついていた」と本人も認めるように、いいところなく敗れてしまう。

 この敗戦で、

 


 「2手目△32金は振り飛車にされても、損ではないのかもしれない」


 

 そう思い直した竜王は、第7局では冷静に居飛車を選択。

 勝利をおさめ防衛を果たすが、どうもモヤモヤしたものは残ったようで、

 


 「△32金には▲56歩から中飛車にして、先手が指せるのはわかっている。次やられたら、そうやって勝つ」


 

 と宣言していたのだ。

 そうして、三度飛び出したこの△32金に、渡辺は堂々の▲56歩

 この手はなにをかくそう、前述の対浦野戦で、羽生が見せた対策。

 間違いなく意表をつかれたのに、なんの研究もない状態で16分の考慮の後、すっと指されたのがこの▲56歩。

 これが先崎九段も脱帽する「最善手」だというのだから、まったく羽生の才能も底が知れない。

 

 

1988年の第47期C級1組順位戦。浦野真彦五段と羽生善治五段の一戦。
浦野の2手目△32金に、羽生は▲56歩から中飛車に。
先手の駒組が機敏で、向飛車から▲86歩の仕掛けを見せられると、後手の△32金と△31銀の組み合わせが、壁になってしまい苦しい。

 

 

 佐藤もこのことは当然知っていて、一見挑発に見えるこの手が、

 

 「研究によって指せると見た手で、ただの挑発ではない」

 

 そう胸を張るのだから、話はややこしい。

 当時の佐藤康光は、独特の角交換振り飛車など「康光流」の新戦法を次々と生み出して(そしてなかなか理解されずボヤいて)いたころ。

 そんな男が、ただのイチビリで、こんな手を指すはずがないのだ。

 佐藤の新構想は、相手が羽生流の中飛車を選べば、なんと自分も飛車を振って「相中飛車」にするというもの。

 

 

 

 これで戦えるというのだから、まったくこの男の頭の中は、どうなっているのか……。

 こうして、前代未聞の「力戦相中飛車」となった戦いは、佐藤の力強さが存分に出る展開に。

 

 

 双方、駒組が整ってきて、そろそろ戦闘がはじまるか、それとももう少し間合いを図るか。

 考えそうなところだが、次の一手がまた、いかにも佐藤康光というものだった。

 

 (続く→こちら

 

 

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