「絶対王者」の分岐点 谷川浩司vs羽生善治 1990年 第3期竜王戦 その2

2020年01月08日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 1990年、第3期竜王戦は、20歳羽生善治竜王と、28歳谷川浩司王位・王座の間で争われた。

 これは棋界最高のゴールデンカードであると同時に、これからの将棋界をリードしていくのはどちらかを決める戦い。

 ちょっと古い表現でいえば、天下分け目の関ケ原という決戦だったのだ。

 谷川も好調だが、対戦成績では羽生がリード

 でもそれは、早指し棋戦が中心だから参考程度だね、とか。

 いやいや、谷川は意識しすぎて、年下相手に力が出せないことが多いぞ、とか。

 ファンの意見も様々で、まさに

 

 「どっちが強いか、とっとと盤上で決めたらええねん!」

 

 その注目度も、マックスにふくれあがったのである。

 ところが、そんな期待をよそに、七番勝負は予想外の展開を見せることになる。

 その原因は、羽生にあった。

 羽生は前年に竜王を獲得してから、少し元気のない印象があったのだ。

 不調というほどではないが、他のタイトル戦にからんだりできず、将棋も不利になるとあっさり投げてしまったり。

 そういった、ちょっとばかし、違和感を感じさせた時期だったのだ。

 将棋の世界(にかぎらないだろうが)では初タイトルを獲得した直後など、環境の変化になかなかなれなかったり、

 

 「第一人者にふさわしい将棋を指さなくては」

 

 その想いが強くなりすぎて、力が入りすぎたり、フォームをくずしたりしてしまいがち。

 羽生の前に竜王だった島朗九段も、後輩の先崎学九段が、

 


 「竜王になって、アニキだった人が《上司》になってしまった。もっと、のびのび戦ってほしい」


 

 心配していたけど、羽生もまた、同じ罠にからめとられたのであろうか。

 その空気感は、すでに第1局で観られた。

 力戦風相矢倉で、先手の谷川が中央から、後手の羽生が端からの攻め合いになり、一手違いの競り合いに突入。

 

 

 

 図は羽生が△88銀と打ったところ。

 これが敗着となり、今シリーズ「羽生変調」と噂されたきっかけとなった。

 次に△79竜と取る手が受けにくく、部分的にはきびしい銀だが、よく見ればこれが詰めろでないことは、わりとすぐわかること。

 △79竜としても、王様を右にどんどん逃げて、▲27の地点でマンホールのフタが開いているから安全なのだ。

 ここではまず△78香と捨てて、▲同玉△88銀なら、これが一手スキになっていて、むしろ後手が有望。

 

 

 そもそも単に△88銀が、なんでもないのだから、意地でも他の手段を探しそうなもの。

 その意味でも、羽生がこれを逃したのはおかしいと、いぶかしむ記事も多かった。

 「光速の寄せ」相手に、こんなわかりやすい形で、手番をゆずってはいけない。

 以下、▲25桂から▲54銀と、どんどん踏みこんで、先手が一手勝ちとなった。

 七番勝負、まず谷川が先勝。

 一方の羽生はやはり調子が上がらず、第2局でも谷川の急戦矢倉に敗れ、先手番を落としての2連敗

 続いて第3局

 当時の将棋界では、3連敗の後4連勝というケースは一度もなく、羽生がここを落とせば、雰囲気的に言ってシリーズは実質終了である。

 剣が峰に立たされた羽生は、谷川得意の角換わり腰掛け銀を受けて立つ。

 先手が快調に攻めてを作ることに成功するが、羽生もタダ捨てする勝負手を2度も放ち、懸命の食いつきを見せる。

 むかえたこの局面

 

 

 

 谷川が、▲56銀と手厚く打って、後手の攻め駒に圧力をかけたところ。

 を逃げると、△54が取られてしまう。

 勢いは△77馬など切ってせまりたいが、やはり▲54竜と取られる形が、飛車当たりになるのが泣き所。

 この将棋も、また谷川かと思わせたが、羽生が空気を変える、すごい手を見せてくれた。

 

 

 

 

 △65飛と出たのが、これまで2局の閉塞感を打破する、豪快な勝負手

 ▲同銀なら△同銀と進出して、負担になっていた銀が、一転攻めの主役になれる。

 それはまずいと、谷川は▲67歩と低く受けるが、かまわず△66歩とこじ開けに行く。

 ▲同歩に△同飛(!)と飛びこんで相当だ。

 

 

 

 ▲55銀と取るが、そこで△68金が打てては、先手陣はにわかに危険に。

 すばらしい踏みこみだ。

 これだよ、これ!。こういうのが見たかったんである。

 結果はともかく、羽生と谷川が戦って一方的にシリーズが終わっては、興ざめも、はなはだしいではないか。

 以下、▲88玉△79角

 ▲98玉△97歩▲同桂と、決めるだけ決めてから、△55銀と銀を補充。

 次、△88銀と打たれると必至だから、先手は▲89銀と受けるしかない。

 

 

 

 さあ、ここである。

 羽生の必死の食いつきに、谷川は防戦一方

 実際の形勢はまだ難しいのかもしれないが、勢いは明らかに後手にある。ここでもう一伸びあれば、そのまま行けそうだ。

 控室の検討では、ここで△67金と引き、▲66金△同銀としておけば、後手にも勝機ありと見ていたそうだ。

 

 

 

 ところが、ここで羽生が指したのは△67飛成という手だった。

 これが、ここまでの追いこみを、一瞬で無にした敗着となった。

 ▲同金△同金に、▲61飛と進んだ、この局面を見てほしい。

 

 

 

 ボンヤリした飛車打ちのようだが、なんとこれが一手スキになっている。

 後手陣は金2枚の守備力で、単に▲34桂の筋には△12玉が瞬間的に「ゼット」に近い形で耐えられる。

 だが、飛車打ちから、▲31飛成と取られると、△同金は今度こそ▲34桂

 ▲31飛成に、△同玉▲53角から▲35角成とする筋があり、どちらも▲49にあるの利きが絶大で捕まっている。

 かといって、詰めろを受けても今度は▲67飛成と、このを取られてしまう。

 △67飛成△67金として、△66に進めておけば、この筋はなかった。

 ▲44角と王手されるのが気になるが、△12玉▲66角△同金で熱戦は続いていた。

 ▲67飛成と取られるのは、投げ場をなくすから、羽生は△88銀と首を差し出して、▲31飛成以下すぐに投了

 これで、谷川王位・王座の3連勝

 頂上決戦のはずが、あっという間の出来事で、拍子抜けもはなはだしい。

 谷川が強いのは知っていたが、それ以上に羽生の「一手バッタリ」のような負け方も心配してしまう。

 やはり、なにかおかしいのだろうか。

 こうして第3期竜王戦は、最初の3局にして、ほぼ結果は見えてしまった。

 スコア的にも内容的にも、谷川が圧倒しており、奪取は9割がた決定的である。

 正直、観ている方はこの時点で興味半減だったのだが、続く第4局がターニングポイントとなる重要な一局だったことに、まだだれも気づいていなかった。

 それは単に、この一局が歴史に残る名局になったという内容だけでなく、その後の2人の人生を、大きく分けることとなる一番になってしまうからなのだ。

 

 (続く→こちら

 

 

 

コメント
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