前回(→こちら)の続き。
1990年、第3期竜王戦は、谷川浩司王位・王座が羽生善治竜王を3連勝と圧倒し、奪取をほぼ確実なものとしている(第1回は→こちらから)。
スコアでも内容でも、ここまでかたよってしまったことに
「羽生が変調なのでは」
という声が多かったが、続く第4局は両者とも、力のこもった熱戦となった。
この将棋は棋士やファンの間で「名局」といわれているだけでなく、指した羽生本人も
「印象に残る将棋を教えてください」
という質問に、答えとして出してくることが多いのだ。
「長手数の将棋だが、入玉形や泥仕合にならず最後まできれいな形で収束した」
ということらしく、その洗練度の高さに満足しておられるようだ。
並べてみると、双方細かい手順で、押したり引いたりの神経戦。
正直、私のような素人は難解すぎてサッパリというか、解説を読んでもどこが重要なのか、全然ピンとこないハイレベルすぎる将棋なのだ。
唯一語れるところは、ねじり合いの末、たどり着いた193手目。
後手の谷川が△58と、とせまったところ。
一時期は谷川が必勝態勢だったが、決め手を逃してしまい、ここではすでに混戦。
次の一手が、当時話題になった、いやさ今でも充分語られるべき妙手だ。
7分残っていた持ち時間から、残り2分まで考えて▲22角と打ったのが、見事な着眼点。
形は▲34歩が確実な攻めだが、この瞬間が甘い。
そこで先に▲22角と捨てて、△同玉と的を近づけてから▲34歩とすれば、これが詰めろになるという、スピードアップの仕掛け。
羽生も秒読みの中、完全には読み切れていなかったらしいが、それでもいいところへ指が行くのは、さすがである。
谷川は△48飛と打つが、▲33歩成から△同金、▲同角成、△同玉、▲25桂、△32玉。
決めるだけ決めて、▲58銀と手を戻す。
谷川の△48飛が攻防に利く
「詰めろのがれの詰めろ」
なら、▲58銀は自玉の詰めろを解除しながら、一歩補充して▲33歩以下の詰めろになっている、
「詰めろのがれの詰めろのがれの詰めろ」
という、スペシャルな手になっているのだ。
ここで谷川は投了。
名局の最後を飾るにふさわしい、とてもきれいな投了図である。
……とおさめたいところだが、そうではなかった。
この将棋を谷川はきっと、ここで投げるべきではなかったのだ。
理由はふたつあり、ひとつは羽生が、まだ勝ちを完全に確信していなかったこと。
▲22角の絶妙手で流れは勝ちだろうが、読み切りではなかったし、1分将棋では、なにが起こるかわからない。
だから羽生も
「投了は意外だった」
もうひとつは、羽生が後のインタビューなどでよく、
「このとき、1勝できたのが大きかった」
と語り、それを受け谷川も、
「今さらこんなことを言ってもしょうがないが、あのとき4連勝しておかなければならなかった」
そう悔やんだからだ。
結果から言えば、このシリーズは次の第5局を谷川がものにして、竜王を獲得する。
だが、スコアが4勝0敗か、4勝1敗かが大きかったというのだ。
これはタイトル戦を語るのに、よく出てくるアヤ。
仮に敗れるにしても、0-4とか0-3と一番も入らず棒で負かされると、その精神的ダメージは、こちらが想像する以上に大きいという。
佐藤康光九段の有名な言葉に、こういうものがある。
「タイトル戦に出ると香一本強くなる。ただし、ストレート負けすると格が落ちてしまう」
この「格落ち」感に、棋士は耐えられないのだ。
そう考えれば、4-0か4-1かは、スコア以上に意味があることになる。
谷川は下から突き上げてくる羽生を、完膚なきまで、たたきのめしてしまわなければならなかった。
「負け下」に追いこんで、徹底的に、その芽をつぶしてしまうべきだったのだ。
かつては大山康晴十五世名人が、そしてだれあろう羽生善治その人が、その後、谷川をはじめとする、多くのライバルたちに喰らわせたようにだ。
だから、谷川はその美学通り「美しい投了図」を、残すべきではなかった。
勝敗はともかく、相手が勝ちを読み切ってないのだから、ねばって「嫌がらせ」をするべきだったのだ。
ただそれは、あくまで結果論にすぎない。
この当時は、もちろん羽生が天下を取ることは確信していたが、七冠王をはじめ、あそこまで独走するとは予想してなかった。
なにより第5局の内容を見れば、どう考えても、それは「杞憂」としか思えなかったからだ。
(続く→こちら)